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季節外れのリュシオル
あなたと私の雨の音
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レナザードに気付かれぬよう涙が零れる前に慌てて指先で拭ったけれど、視線を感じて横を見れば、彼はぎょっとした表情を浮かべていた。
慌てて何でもないですと、へへっと誤魔化し笑いをしたら、レナザードは何とも言えない表情になった。
もしかして、彼は意外に表情豊かなのかもしれない。
新しい発見に嬉しくなり、私は誤魔化し笑いではなくほんのりとした笑みを浮かべる。レナザードはそんな私に忙しい奴だな、と苦笑を漏らすが、ふと何か思い出したらしく私に向かって指を立てた。
「一言だけ言っておくが、俺は地顔が怖いらしい」
「………………………はい」
レザナードの虚を付かれた発言に、ぽかんと口を開けたまま瞬きを繰り返すことしかできなかったけれど、なんとかこの二文字を絞り出した。
そして彼の顔を見ると、思いっきり真顔だった。これは多分、冗談ではないらしい。
この短時間で多彩な表情を見せてくれた彼の口から、地顔が怖いという言葉が出るなんて衝撃を通り越して可笑しくてたまらない。思わずイヤイヤイヤイヤと突っ込みを入れたくなる。
それにレナザードを怖いと思っていたのは私の思い込みだったのだ。自分がレナザードに対して後ろめたいことをしてしまったから、そう思い込んでいただけのこと。
「そんなことありません。レナザードさまはとってもイケメ……いえ、優しいお方です」
私の呟いた言葉は雨の音で掻き消されてしまったのか、レナザードはそれ以上なにも言わなかった。再び彼は、無言で雨に濡れた庭を見つめている。
その少しやつれた横顔を見つめながらふと思った。毎年、初夏の夜に飛ぶリュシオルを見て、彼は独りティリア王女のことを想うのだろうか。そんなことを考えたら苦しくて切なくて、胸が痛んで再び涙が滲んでしまった。
涙を堪える為にぐっと力を入れたら、振り返ったレナザードに寒いのかと聞かれてしまった。……主様は怖くないけれど、ちょっとだけ鈍い。それがまた魅力的なところだ。
それから安定の過保護だなとか、それより自分は寒くないのかなとか、そんなことを考えながらほっこりとしていたら、レナザードが自分のシャツの釦に手をかけようとした。まさかと思うがシャツまで貸そうとしてくれているのだろうか。
もちろん慌てて止めた。……主様の上着を借りることすら恐れ多いというのに、シャツまで借りるなんて色んな意味で極刑ものだ。
止められたことに不満げなレナザードの視線を感じて、さらりとあらぬ方向に視線を泳がす。でも内心、そりゃ止めるでしょと、ちょっと呆れてしまう。
そんな目も合わさず言葉も交わしていないのに、不思議と会話が成立していることに可笑しくなる。でも結局、降参したのは私のほうだった。
「レナザードさま、私、そろそろ仕事に戻ります」
東の空はだいぶ明るくなってきた。雨が止むのも時間の問題だろう。
ぺこりと頭を下げ、洗濯物が入った籠を抱えようと手を伸ばしたら、突然レナザードの手を掴まれた。いや、手を取られてしまった。
私の手を上にして持ち上げるようにする仕草は、まるで貴族の令嬢にそうしているような優しい手つきだった。
メイド仲間とお遊びでそうしたことは多々ある。けれど異性にそんなことをされるなんて初めての経験だった。
みるみるうちに頬が熱くなる。間違いなく私は首まで真っ赤だ。心臓までどくどくと煩い。静まるどころか更に激しさを増す心臓の音を打ち消すように、レナザードの言葉が鮮明に響いた。
「お前は、ここで好きなことをすればいい。俺が勝手にここに留めているだけだ。ここにいることを後ろめたいと思うな」
そう一方的に言い捨てると、レナザードは私の顔を見ずに、立ち上がって早足でこの場を去ろうとする。
「あの、上着っ、お返しします」
胸の金具を外そうとしたけれど、焦っているせいか上手くできない。難儀する私に向かってレナザードは一言こう言った。
「着とけ」
あっさりと結論を出して、私が引き留める間もなく、レナザードはそのまま屋敷へと消えていってしまった。
そしてあっと声を出した瞬間、胸の金具が外れた。思わず、今頃遅いわと金具に向かって悪態を付く。それにしても……旋風みたいなひと時だった。
戸惑いと安堵がごちゃ混ぜになった私は、一先ず落ち着こうと深呼吸をした。
最初にレナザードに声を掛けられたときは、体が震えるほど怖かった。絶対に罵倒されるに違いないと思い込んでいた。なのに、彼は私に大切な思い出を語ってくれた。
それは、少し胸が苦しくなるものだったけれど、自分の人生の指針となるものでもあった。
あの時、ケイノフとダーナに伝えた時は自分の望みでしかなかったけれど、今は違う。そうなりたいと強く願う自分がいる。
一瞬の出来事が自分の人生を変えるなんて思ってもみなかったとレナザードは言った。彼に同感だ。本当にそんなことが起こるなんて驚きだ。
ただ一番驚いたのは、地顔が怖いらしい、という発言だったけれど。
思い出した途端、ふふっと微笑むことができない私は、ぶはっと豪快に吹き出した。
言い終えた後の決まり悪かった顔とか、少年のようにぷいと横を向いた仕草がツボに入る。多分これをギャップ萌えというのだろう。
吹き出した私の笑い声と雨音が重なる。心なしか、雨音が優しく感じるのは、きっと気のせいではない。
それから、よしっと気合を入れて立ち上がる。望みは高く、でも足元はちゃんと見る。上ばかり見ては先に進めない。ということで、まず私がやるべきことは取り込んだ洗濯物にアイロンを掛けて、シーツを交換すること。
気分も新たに、さあやるぞと意気込み、レナザードの上着と洗濯物の入った籠は再び濡れないように抱え込んで屋敷へと駆け出した。
走りながら少し頭を悩ます。
レザナードから借りた上着はやはり洗濯して返すべきだろう。ただ、こんな高級品、洗濯したことなんてない。
後でユズリに聞いてみよう。上手くできるかわからないけれど、自分で洗濯ができたならメイドのスキルアップにもなるだろう。
そんなことを考えていたら、いつの間にか雲間に陽が指していた。
慌てて何でもないですと、へへっと誤魔化し笑いをしたら、レナザードは何とも言えない表情になった。
もしかして、彼は意外に表情豊かなのかもしれない。
新しい発見に嬉しくなり、私は誤魔化し笑いではなくほんのりとした笑みを浮かべる。レナザードはそんな私に忙しい奴だな、と苦笑を漏らすが、ふと何か思い出したらしく私に向かって指を立てた。
「一言だけ言っておくが、俺は地顔が怖いらしい」
「………………………はい」
レザナードの虚を付かれた発言に、ぽかんと口を開けたまま瞬きを繰り返すことしかできなかったけれど、なんとかこの二文字を絞り出した。
そして彼の顔を見ると、思いっきり真顔だった。これは多分、冗談ではないらしい。
この短時間で多彩な表情を見せてくれた彼の口から、地顔が怖いという言葉が出るなんて衝撃を通り越して可笑しくてたまらない。思わずイヤイヤイヤイヤと突っ込みを入れたくなる。
それにレナザードを怖いと思っていたのは私の思い込みだったのだ。自分がレナザードに対して後ろめたいことをしてしまったから、そう思い込んでいただけのこと。
「そんなことありません。レナザードさまはとってもイケメ……いえ、優しいお方です」
私の呟いた言葉は雨の音で掻き消されてしまったのか、レナザードはそれ以上なにも言わなかった。再び彼は、無言で雨に濡れた庭を見つめている。
その少しやつれた横顔を見つめながらふと思った。毎年、初夏の夜に飛ぶリュシオルを見て、彼は独りティリア王女のことを想うのだろうか。そんなことを考えたら苦しくて切なくて、胸が痛んで再び涙が滲んでしまった。
涙を堪える為にぐっと力を入れたら、振り返ったレナザードに寒いのかと聞かれてしまった。……主様は怖くないけれど、ちょっとだけ鈍い。それがまた魅力的なところだ。
それから安定の過保護だなとか、それより自分は寒くないのかなとか、そんなことを考えながらほっこりとしていたら、レナザードが自分のシャツの釦に手をかけようとした。まさかと思うがシャツまで貸そうとしてくれているのだろうか。
もちろん慌てて止めた。……主様の上着を借りることすら恐れ多いというのに、シャツまで借りるなんて色んな意味で極刑ものだ。
止められたことに不満げなレナザードの視線を感じて、さらりとあらぬ方向に視線を泳がす。でも内心、そりゃ止めるでしょと、ちょっと呆れてしまう。
そんな目も合わさず言葉も交わしていないのに、不思議と会話が成立していることに可笑しくなる。でも結局、降参したのは私のほうだった。
「レナザードさま、私、そろそろ仕事に戻ります」
東の空はだいぶ明るくなってきた。雨が止むのも時間の問題だろう。
ぺこりと頭を下げ、洗濯物が入った籠を抱えようと手を伸ばしたら、突然レナザードの手を掴まれた。いや、手を取られてしまった。
私の手を上にして持ち上げるようにする仕草は、まるで貴族の令嬢にそうしているような優しい手つきだった。
メイド仲間とお遊びでそうしたことは多々ある。けれど異性にそんなことをされるなんて初めての経験だった。
みるみるうちに頬が熱くなる。間違いなく私は首まで真っ赤だ。心臓までどくどくと煩い。静まるどころか更に激しさを増す心臓の音を打ち消すように、レナザードの言葉が鮮明に響いた。
「お前は、ここで好きなことをすればいい。俺が勝手にここに留めているだけだ。ここにいることを後ろめたいと思うな」
そう一方的に言い捨てると、レナザードは私の顔を見ずに、立ち上がって早足でこの場を去ろうとする。
「あの、上着っ、お返しします」
胸の金具を外そうとしたけれど、焦っているせいか上手くできない。難儀する私に向かってレナザードは一言こう言った。
「着とけ」
あっさりと結論を出して、私が引き留める間もなく、レナザードはそのまま屋敷へと消えていってしまった。
そしてあっと声を出した瞬間、胸の金具が外れた。思わず、今頃遅いわと金具に向かって悪態を付く。それにしても……旋風みたいなひと時だった。
戸惑いと安堵がごちゃ混ぜになった私は、一先ず落ち着こうと深呼吸をした。
最初にレナザードに声を掛けられたときは、体が震えるほど怖かった。絶対に罵倒されるに違いないと思い込んでいた。なのに、彼は私に大切な思い出を語ってくれた。
それは、少し胸が苦しくなるものだったけれど、自分の人生の指針となるものでもあった。
あの時、ケイノフとダーナに伝えた時は自分の望みでしかなかったけれど、今は違う。そうなりたいと強く願う自分がいる。
一瞬の出来事が自分の人生を変えるなんて思ってもみなかったとレナザードは言った。彼に同感だ。本当にそんなことが起こるなんて驚きだ。
ただ一番驚いたのは、地顔が怖いらしい、という発言だったけれど。
思い出した途端、ふふっと微笑むことができない私は、ぶはっと豪快に吹き出した。
言い終えた後の決まり悪かった顔とか、少年のようにぷいと横を向いた仕草がツボに入る。多分これをギャップ萌えというのだろう。
吹き出した私の笑い声と雨音が重なる。心なしか、雨音が優しく感じるのは、きっと気のせいではない。
それから、よしっと気合を入れて立ち上がる。望みは高く、でも足元はちゃんと見る。上ばかり見ては先に進めない。ということで、まず私がやるべきことは取り込んだ洗濯物にアイロンを掛けて、シーツを交換すること。
気分も新たに、さあやるぞと意気込み、レナザードの上着と洗濯物の入った籠は再び濡れないように抱え込んで屋敷へと駆け出した。
走りながら少し頭を悩ます。
レザナードから借りた上着はやはり洗濯して返すべきだろう。ただ、こんな高級品、洗濯したことなんてない。
後でユズリに聞いてみよう。上手くできるかわからないけれど、自分で洗濯ができたならメイドのスキルアップにもなるだろう。
そんなことを考えていたら、いつの間にか雲間に陽が指していた。
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