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【現在】居候、ときどき助手編

23.途方に暮れました。ついでに家出しました②

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 胸を抉る想いと消えてしまいたいと切望した記憶が、凶器のように鋭く蘇って、溢れてくる涙を堪える為に唇を噛み締めた。今は泣くべき時ではない。ちゃんと自分の罪と向き合わなくてはならないのだ。

 私が戦争で命を落とした兵士の為に涙を流したことで、デュアの琴線に触れてしまい、彼は暗殺者としての道を選ぶことになってしまった。

 でもあの時、私が涙を流したのは罪悪感と懺悔、そして戦争というものを身近に感じた恐怖からくるものだった。 
 
 この世界は自分から望まなければ、扉は開かない。
 私は現実から目を逸らしたくて、あの場所から逃げたくてここに来てしまったのだ。ズルをした私に、聖女になんかなる資格は微塵もなかったはずなのに。

 命を賭して大切なものを護ろうとしている人達に向かって、告白すら満足にできなかった、中途半端な失恋のせいで召喚されたなんて口が裂けても言えなかった。

 けれど、私を守るために血を流した人がいて、命を落とした人がいるのが現実。
 
 これは目を逸らしてはいけないことだ。これは私が背負うべきもので、一生忘れてはいけないこと。───けれど、それを抱えて生きるには、重すぎる。  
 
 今更後悔しても遅いけれど、こんなことになる前に、全てを打ち明けていれば良かったのかもしれない。

 そうすれば、きっとデュアは私を幻滅して、視界にすら入れることもなかっただろう。辛うじて私を聖女と扱ってくれたとしても間違いなく、暗殺者にはならなかった。

 そんな今更どうすることもできないことも考えながら、とぼとぼ当てもなく、街を彷徨う。

 私が歩いている歩道は、綺麗に石畳が敷き直されていて、ほんの一年前まで、ここに軍の武器を設置していたなど想像もできない。

 私がこの世界に召還されたときは、石畳はすべて剥がされ、据え置き式の大型弩砲(バリスタ)がズラリと敵国の方向に向いていた。新品の輝きはとうに消え、使い込まれたそれを見たとき、本当にこの国は戦争をしていると実感したのだった。

 設置された武器は、ずっとずっと昔からあるもので生まれる前からここにあったという声も聞いた。でもそれがたった一年で取り払われ、色違いのモザイク模様のタイルに張りなおされている。
 
 まだ歩道になじんでいないそれは、ゆっくりと時間をかけて、この国の人たちの記憶を塗り替えていってくれるのだろう。

 平和になったのだ、この国は。もう、息を殺しながら夜をやり過ごすこともない。泣きながら家族を見送ることもない。いってらっしゃいと、おかえりなさいを繰り返しながら日々を生きていくことができる。
 
 だけど……。

「夜の街は、こんなに暗かったっけ?」

 独りで放浪していた時は、月明かりさえあれば全然問題なかった。
 なのにほんの一ヶ月、デュアの元にいただけなのに慣れてしまったんだろう。家の灯りに。あそこが私の居場所だと気付いてしまったのだろう。

 不意に足を止めて辺りを見渡す。夜の帳が下りた街はとても静かで寒々としているのに、家の灯りはとても暖かそうだった。

 耳を澄ませば微かな話し声と時折響く笑い声。それらをぼんやりと聞きながら灯りを見つめていたら、つん、と鼻の奥が痛くなった。これは、しばらく忘れていた痛みだった。───これは寂しい、という気持ちだ。

 この世界に来た時、私はすごく不安だった。でも、寂しいとは思わなかった。
 
 寂しいというのは人が持つ当たり前の感情で、これがどんなものなのかなんて考えた事などなかったけれど、きっと寂しいと感じるのは、誰かと過ごした時間があるからこそのもの。

 同じ時間を共有して、一緒に泣いたり笑ったり心を通わせた記憶があるから、寂しさという感情が産まれてしまうのだ。
 
 帰りたい───唐突に浮かんだ言葉を慌てて打ち消す。

 家出を決行して、まだ1時間しか経っていない。それでデュアの元にのこのこ帰ったら、それは家出ではなくて単なる散歩だ。決死の覚悟で書いた手紙がゴミ屑になってしまう。
 
 歩こう。何も考えずに歩けばいい。右足と左足を交互に動かせば、否が応でもデュアから離れることができる。

 デュアは私に何も背負わなくて良いと言ってくれた。でもそれに甘えることはできない。それに好きだと言ってくれたデュアに対して私は何も答えていない。

 きっとこのまま中途半端な気持ちで屋敷に留まり続けても、きっとデュアは何も言わないだろう。彼は優しい人だ。これから先何があっても、私を責めることなどない。

 でもそんな気持ちで、ずるずるとデュアと一緒にいることはできない。だってそれはあまりにも自分勝手で都合よすぎるから。

 デュアはこれからもずっと暗殺者として生きていく。人知れず不穏分子を闇に葬り続けていくのだ。それはきっと想像を絶する過酷なことだろう。そんな道を選ばせてしまった彼に私は償う術を見つけられずにいる。

 歩道の隅に設えているベンチを見付け、そこに腰かけて大きく息を吐く。しばらく顔を覆って俯いてから、勢いよく夜空を見上げる。

 私の記憶を皆から消したことは後悔していない。多分、何度、過去に戻っても同じことを選択するだろう。

 その時はきっと、間違いなくデュアにも私のことを忘れてもらうよう、徹底すると思うけど。

 ぽっかりと浮かんだ月を眺めながら少しだけ視界を横にずらせば王城が飛び込んできた。外壁を白く塗り直した王城は、夜の帳が落ちても、篝火に浮かび出され威光を感じられる。

 あの王城には、かつて共に過ごした、アスラやカダン、サギル達が居るのだろう。そして、デュアも一日のほとんどを王城で過ごしている。

 そうデュアはこの国に必要な人なのだ。だから異世界のこんなちんちくりんな小娘を好きになっちゃいけない。

 デュアはこの国のために心を砕き、そして彼につりあう素敵な女性と家庭を築くのが正しいのだ。

 そう考えていたら、向かう先が決まった。

 こうなったら王城に忍び込んで、何としても王様に会ってやる。そして今までのことを全部ぶちまけて、デュアを自由にしてもらい私の記憶を消してもらおう。

 不審者と思われても、こっちには伝家の宝刀である、魔法石のペンダントがあるのだ。これを印籠よろしく見せつけて、しっかりとこの現状を王様に理解してもらおう。

 私が日本に戻る戻らないは、この際どっちでもいい。またの機会でもかまわない。

 そして私はもう一度、この国のためにできることを探そう。聖女ではない私に何ができるかと問われれば、すぐには思いつかないけれど。

 今、私が思っていることは理想でしかないことはわかっている。現実は上手くいかないことも理解している。でも、理想を失くしてしまったとき、現実はとても陳腐なものになう。

 戦争中、戦場にいた皆はわからないなりに、平和について考えていたことを思い出す。わからないから、知らないからといって目を逸らさず一生懸命に理想を語っていた人達を私は傍で見てきたのだ。

 今、私がうじうじしていたら、その人達に申し訳ない。


 そう決心して、勢いをつけてベンチから立ち上がり、王城の方へと一歩踏み出したその時───




「ミドリ!」


 その声は暗闇を一瞬で切り裂くほどの、まぶしいものだった。

「……デュア」

 呆然とつぶやく私に、暗闇から人影が浮かんできて、ものすごい勢いでこちらに向かって来る。

 
 デュアが、追いかけてきてくれたのだ。 
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