銀狼領主と偽りの花嫁

茂栖 もす

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ほつれていく糸

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 胸の内からこみ上げてきた言葉を呑み込んで、私は別の言葉を吐いた。

「そろそろ帰りましょう」
「嫌だ」

 中途半端に腰を浮かせた私だったけれど、ハスキー領主の手はまだ私の頬に添えたまま。そして帰宅を促せば、嫌だと言われてしまった。

「でも……もう遅いです」
「寝るにはまだ早いよ」
「リシャードさんが心配しています」
「今更、少しぐらい帰りが遅くなっても、説教されるのは変わらないよ」
「………………………」

 さて困った。困惑する私と同じように、ハスキー領主も困った顔をしている。いや違う。彼は困ったというよりは、少し怒っていてそれでいて少し寂しそうで……ふて腐れているという表現が一番似合う。これも始めて見る顔だ。

 くるくると変わるハスキー領主の表情に付いていけず、途方に暮れてしまう。
 それでも時間は刻一刻と過ぎていく。ハスキー領主は明日は視察があると言っていたし、屋敷に戻ればリシャードからのお説教が待ち構えている。

 しかも、そのお説教がどれくらいの時間を要するのか今は未知数だ。余計なお世話かもしれないけれど、やはりハスキー領主の体調が気になる。ということで、あまり良い案だとは思わないけれど、少々意地悪な、でもハスキー領主がすぐさま帰りたくなる言葉を伝えることにした。
 
「あんまり遅すぎたら、リシャードさんが探しに来ると思います。そうなると、最悪の場合、ここでお説教が始まるかもしれません」
「…………それは、ちょっと嫌だな」

 私もこんなところで、ハスキー領主が説教を受ける姿を見るのは嫌だ。
 ハスキー領主もここでリシャードから説教を受ける様子を想像したのだろう、ぶるりと身を震わせた後【マジムリだわ】と整った顔から似合わない独り言を呟き、それから───。

「あーもー、帰るかっ」

 迷いを振り切るように勢い良く立ち上がって私に手を差し伸べた。




 ハスキー領主の手を借りて、繋いである馬まで歩く。
 捻挫した足は痛くないけれど、積もった雪の上を歩くのは初めてでうまく歩けない。そんな私に気付いているのか、ハスキー領主は私の歩調に合わせてゆっくりと進む。ちなみに行きは問答無用でハスキー領主に抱えられたまま小屋に到着した。

 繋いである馬までたどり着くと、ハスキー領主はぱちんと指を鳴らし、即席で作った雪小屋をただの雪へと戻す。そして、少し困った笑みを浮かべた。

「悪いけど行きと同じようにさせてもらうよ」

 そう言うが早いが、昼間と同じように抱きかかえられて、一気に視界が高くなる。ハスキー領主は鞍の上、そして私はハスキー領主のひざの上。毎度思うのだけど、私を軽々と抱き上げているが重くないのだろうか。

 そんな疑問が浮かぶけれど、女子としては是と言われたら傷つく質問を自らしたくはない。そっと胸の内に留めておく。

「じゃ、帰ろうか」

 その声を合図に馬はゆっくりと進み始めるが、ハスキー領主は行きのように私をマントで隠したりはしなかった。多分、この時間なら人目を気にしなくて良いという判断なのだろう。

 雪が積もる道でも、馬の歩みはしっかりしている。
 月光で白く浮かび上がる地面と微かに見える街の灯火をぼんやりと見つめていたら、突然馬が停まった。どうしたのだろうと首を捻る私に、ハスキー領主の静かな声が降って来た。

「上を見てごらん」
「────────……すごい」

 言われるがまま空を見上げれば、見たこともない満天の星空が広がっていた。
 ありきたりな言葉を吐いて口を開けたまま空を見上げる私に再びハスキー領主の声が降る。

「空気が澄んでるせいでね、フィラントの星空が一番綺麗なんだ」

 なにせ極寒の地だから、と自虐を込めた言葉なのに、その口調は誇らしさが滲んでいる。ああ、この人はこのフィラントが好きなのだと、今更ながらに気付く。

 手を伸ばせば届きそうな夜空を見つめていたら、雪を舞い上がらせながら強い風が吹き抜けた。昼間よりはるかに冷たいその風に思わず身をすくませる。

 突風でなびいた髪を手櫛で整えていたら、その手をハスキー領主がつかんだ。

「手、冷たいね。もう少し強い防寒の術を使おうか?」
「あ、いえ、だっ大丈夫です」

 魔法を使うべく指を鳴らそうとしたハスキー領主を慌てて止める。
 確かに昼間よりは寒いけれど耐えられない寒さではないし、もう屋敷に帰るだけ。だからわざわざ魔法をかけてもらうのは申し訳ないと思って止めただけのこと。けれどハスキー領主はなぜか悲しそうな表情を浮かべた。

「ごめん、気持ち悪いよね」
「え?」

 唐突な謝罪の意味がわからない。まごつく私の手を離して、ハスキー領主は再び口を開いた。

「君の故郷には、魔法なんてなかったんだよね。だからこんな得体の知れないものを何度もかけられたら、さすがに気持ち悪いよね」
「気持ち悪くなんてないです」

 すぐさまその言葉を否定する。珍しいし、便利だとは思うけれど、気持ち悪いと思ったことは一度もない。何をどう考えたら気持ち悪いなどという発想になるのだろう。
 
 それに私が魔法を断ったのは、他にも理由がある。

「そうじゃないです。魔法を使いすぎると……疲れると聞いたから……」

 私の説明に、くるりと目を丸くしたハスキー領主は数拍おいて、ふはっと空気が抜けるような笑い声を上げた。

「なんだ、そんなことか」
「そんなこと?」

 思わず聞き返した私に、ハスキー領主は笑い足りないのか口元に手を当ててちょっと待ってと、反対の手で私を制す。

 しばらくハスキー領主は、空気が抜けた笑いを繰り返した後、息を整えて私の質問に答えてくれた。

「そう、そんなことだよ。防寒の魔法ぐらいじゃ疲れたりしないよ。ま、この領地全員にってなら、少しは疲れるかもしれないけどね。───………でも、ありがとう。僕の体を心配してくれて、嬉しいよ」
「……………………………」

 魔法を使ったこともないし、そもそも魔法が使えない私には、ハスキー領主の魔力の許容量などわかるはずもなく、ぽかんとした表情を浮かべるしかできなかった。

 そんな私を見てハスキー領主は可笑しそうに喉を鳴らして笑う。そして再び私の手を取った。

「これなら、寒くない?」

 ハスキー領主の手は大きい。片手で私の両手を包めるぐらいに。
 かじかんでいた手に温もりが戻ると同時に、再び胸の内から言葉が溢れる。でもそれは、呑み込むことなく、私の口からぽろりと零れてしまった。

「………………どうして?」
「ん?なにが?」

 閑やかに首を傾げるハスキー領主に、私は言葉が詰まる。

 なぜなら、次から次へと聞きたいこと、知りたいことが溢れて来て、どれを口にしていいのかわからなくなってしまったから。
 

 どうして、乱暴に私を掴み上げたその手で、今は私の手を優しく包んでくれるのですか?

 どうして、その蒼氷色の瞳で凍て付くような視線を私に投げつけたというの、今は穏やかに私を見つめてくれるのですか?

 どうして、私の気持ちなんて知らないと胸の芯を凍りつかせる言葉を吐いたのに、今、同じ唇で私を労わる言葉を紡ぐのですか?

 
 ────────ねぇ、今、私のことをどんな風に思っているのですか?

 
 でも結局それを口にすることはできず……。

「……何でもないです」

 小さく首を振って、会話を終わらせようとする。でも、ハスキー領主は見逃してはくれなかった。

「駄目だよ。言いたい事があるなら、ちゃんと言って。聞きたいことがあるなら、ちゃんとそれを口にして。何でも聞くし何でも答えるから」

 別の機会にしてください。
 そう言って、その場をしのごうとしたけれど、一つだけ今すぐ質問できることが見つかり、すぐさま口にする。

「あなたの名前を教えてください……、あ、いえっ。……ごめんなさい、間違えました」

 一方的に会話を終わらせてしまった私に、咎めることなくハスキー領主は続きを待つ。

 そう最初から間違えてしまったのだ。もしかしたら、この世界では違うかもしれないけれど、元の世界では初めて会う人には、こうしなければならなかった。

「私、紗彩って言います。あなたの名前、教えてください」

 名前を聞く時は、まず自分から名乗る。近付きたい相手には尚のこと。そんな当たり前のことをずっと忘れていた。

「サーヤ?」
「はい、それが私の名前です」

 厳密に言うとサーヤではなく紗彩。でも、サーヤで良い。このフィラントでは、紗彩よりサーヤのほうが似合うから。

「僕の名前はクリフトファー・アザム。……クリフって呼んで」

 今すぐ呼んで、そう目で訴えられ、私はおずおずとハスキー領主の名を呼ぶ。

「クリフさん」
「違う。クリフだよ」
「……クリフ」

 かすれた声でハスキー領主の名を呼んだだけなのに、クリフはこの上なく幸せそうな笑みを浮かべた。そして彼もゆっくりと形の良い唇を動かした。

「サーヤ」

 クリフが私の名を紡ぐ。ゆっくりと、壊れ物を扱うような丁寧さで。



 
 夜空一面に星々がきらめくその中で、何千回、何万回も呼ばれた自分の名が、急に特別な響きに感じた。
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