銀狼領主と偽りの花嫁

茂栖 もす

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あなたと私の始まり

二つの月

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 召喚された時の記憶はひどく曖昧で、どこに居たのかすら覚えていない。ただ深い霧の中、突然現れた武器を手にした大勢の人達に追いかけられ、髪を捕まれ腕を捻りあげられて───気付いたときは牢獄に入れられていた。

 当初は言葉すらわからなかった。ただ、言葉の意味はわからなくても悪意だけは伝わった。好き放題に投げ掛けられる剥きだしの憎悪が何度も私の心を刺した。

 けれど、それからしばらくして、何となく意味がわかるようになり、はっきり理解できるようになった。うまく説明できないけれど、体がこの世界に馴染んだのだと思う。

 でも言葉が理解できても意思疎通はできなかった。毎日交代する看守に話しかけても、何も答えてくれない。誰もが私を居ないもの見えないものだという風に扱った。

 投げ入れられるように出てくる食事は、毎日同じもので冷めた薄いスープと硬いパンだった。

 それを口にしながら、私はふと思った。あの時、裏山に全部で11人いた。もしかしたら私以外の誰かもここに召喚されているのかもしれないと。

 そうあって欲しくない気持ちと、そうあって欲しい気持ちが入り混じり、鉄格子を掴みながら、何度も何度も問い掛けた。

 これまでだって何度も看守には声をかけていた。此処はどこ、私はいつまでここにいなきゃいけないの、出してお願いと。けれど、一度だって、看守が応えくれたことはなかった。
 そうと知っていても、私は何度も問い掛けた。問い掛けて、問い掛けて、問い掛け続けて、何日経ったのだろうか……。看守の一人がやっと【お前だけだ】そう口にしてくれた。

 その瞬間、安堵したのも本当のこと。でも、それと同時に孤独感に苛まれたことも本当だった。

 短い期間だったけど、私はこの世界で人を疑うことを覚えた。無視されれば心が痛いことを知った。そして、どれだけ元いた世界が優しいところだったかを知った。───そして孤独と絶望は人の心を歪ませる事を知った。



 変化が訪れたのは本当に急だった。突然、牢獄の鉄格子が開き、剣を突き付けられて外に出された。どこに行くのと聞いても誰も応えてくれない。ただこれから会う人に無礼な態度をとれば、すぐさま首を刎ねられると脅された。

 そして連れていかれたのは広い部屋で、そこは領主の座する間だった。優に二人は座れるだろう長椅子に、バイザックは腰を降ろしていた。

『お前に選択肢を与えてやろう』

 膝を付き頭を垂れる私を見たバイザックは、肘かけをとんと叩いた後、横柄にそう言った。

『身代わりの花嫁となって、最果ての地へ嫁ぐか、このまま一生を牢で過ごすか、この二つだ』

 どちらでも構わない。元の世界に戻れないなら、どこで過ごしても同じことだ。
 無礼な態度を取るなと言われていたけれど、私は無視を決め込んだ。そんな私に、バイザックは意地悪そうに口を歪めた。

『身代わりとなって嫁いだ暁には、お前を元の世界に戻してやる』

 その言葉に弾かれたように顔をあげる私に、バイザックは抗うことのできない蠱惑的な言葉を続ける。

『そう長くはかからない。あの月が重なるとき、この領地のとある場所で異界への扉が開く。もし、お前がそれまで生きていれば元の世界に戻してやろう』

 その言葉が言い終える前に、私は是と頷いていた。迷うことなどなかった。
 もしバイザックの言うことが嘘だったとしても、私はわずかな可能性を信じたかった。いや、その言葉に縋りつきたかったのだ。


 そして、私は北の最果てのフィラント領の領主へ嫁ぎ、こうして初夜を迎えている。


□□□


 反対の手も掛布から出して、両手で顔を覆う。嗚咽が漏れないように、ぐっと唇をかみ締める。

 この世界に召還されたのが、他の誰でもない私で良かったんだ。そう自分に言い聞かせてきた。もし仮に、親友の美由紀や片想いをしていた達哉がこの世界に召喚されて、辛い思いをするよりはずっと良いと。

 でもいつまでそう思い続けることができるのだろうか。いつか、大切な故郷の人間ですら恨んでしまうのだろうか。もしそうなったら、もう私は私としていられる自信はない。


「…………………………たい」

 帰りたい。胸の中だけで呟いたつもりだったが、無意識に声がこぼれてしまっていた。しんとした部屋で、私のかすれた声は無駄に響く。

「故郷が恋しいの?」

 衣擦れの音がしたと思ったら、横から気遣うハスキー領主の声が聞こえてきた。もしかしてハスキー領主は寝ていると思っていたけど起きていたのだろうか。それとも、今の呟きで起こしてしまったのだろうか。

「起こしてしまい、申し訳ないです」

 泣いている顔を見られたくなくて、顔を覆ったまま謝罪の言葉を口にする。ハスキー領主はふっと息を吐いた。それは苦笑がこぼれたのか、ため息をついたのかはわからない。

「初夜に泣かれるのは、堪えるなぁ」

 確かにそうだ。よくよく考えればこの結婚は国王の命令でするものであって、ハスキー領主だって別に好きで私と結婚するわけではない。きっとお互い様なのにという気持ちはあるだろう。

「領主様が嫌で泣いたわけではないです」

 無駄にハスキー領主を傷つけたいわけではない。顔を覆っていた両手を離してそう言うと、ハスキー領主は低く笑って私の方へと体を向けた。肩を掴まれ、体が横向きになる。向かい合わせになった途端、私ははっと息を呑んだ。すぐ目の前にいる領主の蒼氷色が揺れていて、私よりはるかに泣きそうな顔をしていた。

「お願い、泣かないで」

 そう言ってハスキー領主は私を優しく抱きしめた。柔らかく抱きしめられているはずなのに、もがいてもハスキー領主の腕はびくともしなかった。

「さ、もう寝よう」

 頭を撫でられ、反対の手で背中をぽんぽんと優しく叩かれる。その私に触れる手は、まるで幼い子供をなだめるように、慈しみはあるが欲望はなかった。その時私は、また一つ気付いてしまった。人の暖かさは、どこの世界でも同じだということを。

 私を抱いたまま、再びハスキー領主は寝息を立てはじめる。それにつられ、私もとろりと瞼が落ちた。深い眠りに落ちたのは、この世界で今日が初めてだった。
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