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第2夜 古都大和
第4話 差し出された手
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──四ヶ月前──
しんしん、と雪が降っている。
緋鞠は季節外れの菊の花束を持ち、雪が降り積もった坂道を登っていた。
中学の制服にマフラーと、ビニール傘の軽装備。雪道にローファーはやはりきつかったようだ。何度も足を滑らせながら坂道を登りきり、ようやく目的の場所に辿り着く。
街を一望出来る小高い丘に作られた共同墓地。
緋鞠は墓地の中を進み、入口から一番遠い墓の前に立った。
他の墓は一般的な角柱型だったが、緋鞠の前にあるのは土盛りした上に大きな石を置いたのみの簡素な墓だ。納めるべき骨がないのだから墓など必要ない、と緋鞠は思っている。
「兄さん、久しぶり。……あ、今年も来てくれたんだ」
墓代わりの石の前に、枝のついた赤い椿が置かれてあった。
誰が置いているのかは知らないが、その人も兄を忘れないでいてくれている。緋鞠の心はほんのりと温かくなった。
石に積もった雪を手で払い、椿の隣に自身が持ってきた菊の花を並べる。
兄が緋鞠の前からいなくなり、形ばかりの葬式が行われて以来。新年になるたびに、緋鞠はこの丘までやって来る。そこにいないはずの兄に会いに。
石をただぼんやりと眺めていると、突然背後に気配を感じた。
──人であって、人ではないような……明らかに異質な気配。
「誰っ!?」
素早く傘を閉じた。振り向き様に、傘の切っ先を相手に向ける。そこにいたのは、車椅子に乗った白髪の老人だった。
(いつのまに……)
背筋にぞわりと悪寒が走った。老人は小さく、立ち上がったとしても、中学生女子の平均身長の緋鞠よりも背が低い。そして、顔を覆うような大きな逆三角形型の眼鏡の奥。その瞳は、湖面のように穏やかでありながら、感情の読むことができない琥珀色をしていた。
どことなく異質な香りがする老人に既視感を覚える。
「……そのような瞳が出来たのですね」
「……なに?」
琥珀色の瞳は瞬きもせず、緋鞠をじっと見つめている。
「貴女は孤児院の子ども達の前では、慈愛に満ち、優しげな表情しか見せない。が、今は違う。輝く瞳の奥には、怒りともまた違う炎を宿し、私を焼き殺さんとしている」
そうして、すべて見透かしたように笑った。
「もう、兄のことは忘れているのかと思っていましたよ」
その言葉に、緋鞠の思考は炎のようなどす黒い感情に呑み込まれた。
「忘れるわけがないでしょっ!?」
緋鞠は生まれて初めて、悲鳴にも似た怒りの咆哮をあげた。
老人の喉元の寸でで、切っ先を止める。
孤児院ではそんな顔を見せないように必死に隠してきた。
それをこの老人は──。
「あなたに何がわかる? いつか帰ってくると信じて待っていた私に、あんたたち大人がその希望を壊したのよ。あまつさえ兄を忘れている? ……私に、忘れてて欲しかった?」
──もしかしたら、この男が元凶なんだろうか?
今すぐにでも骨の浮き出た、細い首を突き刺したい衝動を抑えながら、老人を睨みつける。老人はそれに怯むことなく、真っ直ぐに緋鞠の瞳を見返した。
「……いいえ。貴女が覚えていてくれてよかった」
老人は静かに首を振った。
「その熱情を、我々にお貸し願えませんか?」
「なに、を言って……」
「貴女の兄は生きていますよ」
一瞬、呼吸の仕方を忘れてしまうほどの衝撃だった。
「……兄さんが、生きている?」
「ええ。生きています」
傘を持つ腕が震える。
「だって、あなたたちが死んだことにしたんでしょう? なのに、今度は生きている? ……意味がわからない。馬鹿にしないでよ!」
「していません。彼はどこまでも用心深かった。ですから、我々も気づくのが遅くなった」
老人が緋鞠に向かって、枯れ木のような手を差し出した。
「あなたがこちら側に来てくれれば、必ず会えます」
緋鞠を見つめる琥珀の瞳は透き通っていた。
──その瞳に、嘘はないように感じる。
「我々と共に、闘ってくれませんか?」
緋鞠は老人をじっと見つめた。傘の切っ先は、未だに老人の首を狙っている。
この手を取れば、兄に会える可能性は広がる。しかし、それは今までの生活を捨てることを意味していた。
孤児院の家族たちの姿が脳裏に浮かぶ。
だけど──。
緋鞠は傘を下ろすと、老人の手を取る。芯まで冷えるような寒さのなか、その手は不思議と温かかった。
「私は桜木松曜です。よろしくお願いします。貴女は、白夜──の……」
「白夜の妹、神野緋鞠です」
──もう、戻れない。
しんしん、と雪が降っている。
緋鞠は季節外れの菊の花束を持ち、雪が降り積もった坂道を登っていた。
中学の制服にマフラーと、ビニール傘の軽装備。雪道にローファーはやはりきつかったようだ。何度も足を滑らせながら坂道を登りきり、ようやく目的の場所に辿り着く。
街を一望出来る小高い丘に作られた共同墓地。
緋鞠は墓地の中を進み、入口から一番遠い墓の前に立った。
他の墓は一般的な角柱型だったが、緋鞠の前にあるのは土盛りした上に大きな石を置いたのみの簡素な墓だ。納めるべき骨がないのだから墓など必要ない、と緋鞠は思っている。
「兄さん、久しぶり。……あ、今年も来てくれたんだ」
墓代わりの石の前に、枝のついた赤い椿が置かれてあった。
誰が置いているのかは知らないが、その人も兄を忘れないでいてくれている。緋鞠の心はほんのりと温かくなった。
石に積もった雪を手で払い、椿の隣に自身が持ってきた菊の花を並べる。
兄が緋鞠の前からいなくなり、形ばかりの葬式が行われて以来。新年になるたびに、緋鞠はこの丘までやって来る。そこにいないはずの兄に会いに。
石をただぼんやりと眺めていると、突然背後に気配を感じた。
──人であって、人ではないような……明らかに異質な気配。
「誰っ!?」
素早く傘を閉じた。振り向き様に、傘の切っ先を相手に向ける。そこにいたのは、車椅子に乗った白髪の老人だった。
(いつのまに……)
背筋にぞわりと悪寒が走った。老人は小さく、立ち上がったとしても、中学生女子の平均身長の緋鞠よりも背が低い。そして、顔を覆うような大きな逆三角形型の眼鏡の奥。その瞳は、湖面のように穏やかでありながら、感情の読むことができない琥珀色をしていた。
どことなく異質な香りがする老人に既視感を覚える。
「……そのような瞳が出来たのですね」
「……なに?」
琥珀色の瞳は瞬きもせず、緋鞠をじっと見つめている。
「貴女は孤児院の子ども達の前では、慈愛に満ち、優しげな表情しか見せない。が、今は違う。輝く瞳の奥には、怒りともまた違う炎を宿し、私を焼き殺さんとしている」
そうして、すべて見透かしたように笑った。
「もう、兄のことは忘れているのかと思っていましたよ」
その言葉に、緋鞠の思考は炎のようなどす黒い感情に呑み込まれた。
「忘れるわけがないでしょっ!?」
緋鞠は生まれて初めて、悲鳴にも似た怒りの咆哮をあげた。
老人の喉元の寸でで、切っ先を止める。
孤児院ではそんな顔を見せないように必死に隠してきた。
それをこの老人は──。
「あなたに何がわかる? いつか帰ってくると信じて待っていた私に、あんたたち大人がその希望を壊したのよ。あまつさえ兄を忘れている? ……私に、忘れてて欲しかった?」
──もしかしたら、この男が元凶なんだろうか?
今すぐにでも骨の浮き出た、細い首を突き刺したい衝動を抑えながら、老人を睨みつける。老人はそれに怯むことなく、真っ直ぐに緋鞠の瞳を見返した。
「……いいえ。貴女が覚えていてくれてよかった」
老人は静かに首を振った。
「その熱情を、我々にお貸し願えませんか?」
「なに、を言って……」
「貴女の兄は生きていますよ」
一瞬、呼吸の仕方を忘れてしまうほどの衝撃だった。
「……兄さんが、生きている?」
「ええ。生きています」
傘を持つ腕が震える。
「だって、あなたたちが死んだことにしたんでしょう? なのに、今度は生きている? ……意味がわからない。馬鹿にしないでよ!」
「していません。彼はどこまでも用心深かった。ですから、我々も気づくのが遅くなった」
老人が緋鞠に向かって、枯れ木のような手を差し出した。
「あなたがこちら側に来てくれれば、必ず会えます」
緋鞠を見つめる琥珀の瞳は透き通っていた。
──その瞳に、嘘はないように感じる。
「我々と共に、闘ってくれませんか?」
緋鞠は老人をじっと見つめた。傘の切っ先は、未だに老人の首を狙っている。
この手を取れば、兄に会える可能性は広がる。しかし、それは今までの生活を捨てることを意味していた。
孤児院の家族たちの姿が脳裏に浮かぶ。
だけど──。
緋鞠は傘を下ろすと、老人の手を取る。芯まで冷えるような寒さのなか、その手は不思議と温かかった。
「私は桜木松曜です。よろしくお願いします。貴女は、白夜──の……」
「白夜の妹、神野緋鞠です」
──もう、戻れない。
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