空の話をしよう

源燕め

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第二章

(1)

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「アスガネ工房、エンジンの実験がうまくっているそうじゃないか?」
「…! ハーレさん。どうしてそれを」
 ハーレ商会の工房で、整備長をしているザックは、手をとめて振り返った。
「どうして知っているかって? わたしが聞きたいね。どうしておまえたちがその情報を把握してないのかと」
 ハーレと呼ばれたのは、二十代半ばに見える、細身の女性だった。栗色で滑らかな髪を顎のあたりの長さで切り揃えている。
「アスガネのエンジンの情報が欲しいと言ったはずだが」
「いや、ハーレさんの技術があれば、アスガネの飛空艇なんて…」
「おまえは、去年の実験飛行を見ていないのか?」
「ああ、派手に墜落しましたよね」
「そこじゃない。離陸から水平飛行にいたるまでの速さ。高度、安定性、これまでの飛空艇にはなかったものだ」
「いや、でも墜落したら、元も子もないでしょう」
 その言葉を聞いて、ハーレはふっと口元に笑みを浮かべて、窓の外に目をやった。
「うちの飛空艇で、いままでにあの高度まで飛んだ機体はない」
「いや、高く飛べばいいってもんじゃないでしょう」
 その声を遮るように、部屋の奥の扉が開いた。
「昨年、アスガネ工房の機体が飛んだ高さを知っているか? あの高度を維持できれば、山脈を越えることができる。あの山脈を越えられるかどうかで、飛空艇の価値はがらりと変わる可能性があるのだ。そんなこともわからぬ輩と話はできんな」
 髭を蓄えた老年の男が、ハーレに近寄って、その肩に手を置いた。
「ハーレ君、わたしは、君がアスガネ工房を越える飛空艇を開発することができると信じているからこそ、投資しているのだよ」
「理解しています。トシノム市長」
「今年の実験飛行での勝算は?」
「高度という点では、昨年のアスガネ機には及びませんが、飛行距離、安定性ともに問題のないレベルに仕上がっております」
「さすが、世に名だたるエンジニアだな。ハーレ・アスガネ」
「その名は捨てました。ご容赦を…」
 トシノムは、わかったというかわりに、ハーレの肩を二つ叩き、舐めるような目つきでその横顔を見ると、ゆっくりとした足取りで、部屋を出て行った。

「ハーレさん、どうして、市長が?」
「知らなかったのか、このハーレ商会の裏の支配者はあのトシノムだ」
 幾分自虐的にハーレが言い捨てると、手元にあった煙草を引き寄せる。
「残念ながら、わたしには飛空艇を開発するだけの財力がなくてね。あの男を頼ったというわけさ」
 煙を深く吸い込んで、少し落ち着いたのか、ハーレは部下の男に問いかけた。
「意外だったか?」
「いや、あの…」
「飛空艇の開発に命をかける女エンジニア。まわりからそう見られていることはわかっているさ。でもね、そのためには資金がいる。それだけさ」
 飛空艇の技術は、いまのところ、このタシタカにしかない。
 ハーレは、数年前まで帝都で機械工学を学んでいた。しかし帝都では機関車や、自動車を動かす技術はあっても、空を飛ぶための技術はなかった。
 これまで飛空艇の技術はアスガネ工房にしかなかった。そこに帝都の技術者であるハーレがこのタシタカで新たに飛空艇の研究を始めると聞きつけたのは市長であるトノシムだった。
 トノシムには、どれほど金をはらってでも飛空艇を手に入れたい理由があるのだろう。
「きみは、羽人を見たことがあるか?」
「え、あの鳥の羽が背中にあるっていう?」
 突拍子もない質問を突然されたザックは、上司であるハーレが何を言わんとしているのか、わからなかった。
「子どもの寝物語だと思ってましたが、本当にいるんですか?」
「いる」
「ハーレさんは見たことあるんですか?」
「私はない。だが、羽人の羽なら持っている」
 ハーレは作業服の内側のポケットから、小さな布袋を取り出した。よほど大切なものなのか、慎重な手つきで、その布袋の口を広げると、透き通るほど白い羽を出して見せた。その根本には、ふわふわの羽毛が丸くなっている。
「白鳥か、なにかの羽じゃないですか?」
「かもしれないな。忘れてくれ、子どもの頃の戯言だ」
 そう言うと、ハーレはまた丁寧に布袋の中に羽をしまい込んだ。
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