空の話をしよう

源燕め

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第八章

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「昼をゆっくり食べてる時間がもったいなくてね」
 リュドミナは、片手でソーセージを挟んだパンをかじりながら、そう言った。
 カーライルは、初めて自動車に乗ったが、規則正しいエンジンの音が心地いい。多少揺れはあるが、乗合馬車よりは格段に乗り心地が良いし、ずっと速い。荷台においた木箱に座りながら、トーヤとふたり、パンにかじりついていた。木箱はエンジンの部品が入っていたものらしく頑丈な造りで、ひとりやふたり座ったくらいではびくともしなかった。
 風を切りながら、どんどん帝都から離れていく。田園地帯を抜けて、徐々に人里から遠ざかってきた。
 一度、荷台に積んであった燃料を継ぎ足すために休憩はとったものの、陽が西に傾き始めるまで走り続けた。
 さすがに、お尻が痛くなってきた頃、リュドミナは車をとめた。
「ちょっと、あの研究室じゃ、まずいものがあるのよ」
 林の中を通る一直線の道に面して、赤い屋根の大きな倉庫があった。大きな閂に鍵がついている。リュドミナはその鍵を外して、倉庫の扉を開いた。
「飛空艇…!」
 カーライルは、倉庫の中に静かに眠っている飛空艇の姿に、思わず息をついた。
「どうして、こんなところに…?」
「これはハーレが設計した飛空艇だよ。あの子が皇立大学に在籍していた間、ここで研究をしていたんだ」
「そうか、この倉庫の前の道、まっすぐだから、滑走路に使える!」
 リーヤとトーヤが顔を見合わせてうなづいている。
「そういうこと。飛ばしてみたいかい?」
「もちろん!」
 顔を紅潮させたトーヤの言葉には、思ってもみない答えが返ってきた。
「と、言いたいところなんだけどね。この機体は飛ばない」
「え?」
「あの子、卒業して、タシタカに帰るときに、ご丁寧にこの機体に細工をしてったらしくてね。エンジンもかかるし、滑走路は走るけど、浮き上がらない」
「そんな…。ハーレ商会の機体が飛ばないなんて考えれないよ」
 トーヤが機体をさすりながらそう言った。その手はまるで猫の頭を撫でるようなやさしい手つきだった。
「ハーレがここで研究していた時は飛んでたよ。新しいエンジンを設計しては、せっせと乗せ換えて、実験を繰り返していた」
「そうなんだ…」
「でもね、卒業間近になって、急に飛ぶのを辞めた。こっちでの研究も辞める、故郷に帰るって言いだしてね。わたしとしては、まだ皇立大学に残って研究を続けて欲しかったし、わたしの助手になってもらいたかった。あの子になら、ゆくゆくは教授の椅子を譲ってもいいと思っていたしね」
 カーライルはリュドミナの話に違和感を覚えて、少し別のことを聞いてみた。
「なあ、そもそもどうして大学の構内じゃなくて、ここで実験してるんだ?」
「ああ、そうだね。そこから話すべきだったか」
 リュドミナは愛おしそうに、すべらかな機体に手をあてながら、遠い目をした。
「ハーレはね、地方都市から飛び級で皇立大学に入ってきた奨学生だった。それだけでも十分珍しいのに、女の子だ。しかも、顔にはあの傷だろ。悪目立ちが過ぎる。出会った日のことは絶対に忘れないね」
 ハーレは入学してすぐ、リュドミナの研究室に来て、自分にエンジンの設計を教えろと迫ったというのだ。
「自動車も汽車もないど田舎から来た小娘が、エンジンのことなんてわかるのかと思ったね。けどね、あの子はそこにある飛空艇の模型を持ってきたんだよ」
 無造作に倉庫の隅にあったのは、両手を広げたくらいの大きさの飛空艇の模型だった。もちろんエンジンを積んでいるわけではなく、プロペラには太めのゴムが張ってあり、そのゴムの捻じれが解ける力で、数秒飛ぶだけの子どものおもちゃだ。
 しかし、それはリュドミナを夢中にさせるのに十分な代物だった。
「心底驚いたね。鳥みたいに羽ばたくんじゃなくて、プロペラで風を起こすだけで、機体が浮くんだ。面白い! 絶対にわたしにもやらせろって、そう思ったよ」
 リュドミナは二つ返事で、協力を申し出た。しかし、ハーレはそれに注文をつけた。
「実験場所は、帝都から離れた人目につかない場所でってね」
 すでに帝都で内燃機関設計の権威として名をはせていてたリュドミナには、郊外の研究用の倉庫のひとつやふたつどうにでもなった。
「しかも、あの子、飛空艇の機体の設計については、わたしにも絶対口をわらなかった」
「え、リュドミナ先生、飛空艇、作れないの?」
「ああ、そうだよ、悪かったね。あんたたち、帝都にいて気付かなかったのかい? あれだけ自動車が走っていて、蒸気機関車もあって、でも、飛空艇は…」
「飛空艇は飛んでない!?」
「そう」
 リュドミナが、飛空艇の機体を軽く手で叩いた。
「キール・アスガネが初飛行してから、何年たつ? 帝都が持つ技術力を集めれば、すでに帝都の空に飛空艇のひとつやふたつ、飛んでたっておかしくないだろう?」
「…父さんが、飛空艇はタシタカにしかないんだぞって、自慢げに言ってた」
「その通りなのさ。空を飛ぶ技術は、タシタカにしかない。それどころか、キール・アスガネしか、そのキールの教えを受けたハーレしか知らなかったんだ」
 そのハーレは皇立大学で研究を終えるとき、この飛空艇が飛べないように細工をして出て行った。つまり、飛空艇がどうして空を飛べるかを最後まで恩師に秘密にしたまま。
「ねぇ、トーヤ、これ見て…」
「ん? ああ、そうか、それで…」
 ふたりは、飛空艇の周りを目をこらすようにして、くまなく調べていたようだ。
「何か、わかったのかい?」
「あの、たぶん、だけど」
「なんでもいいよ。言ってごらん、リーヤ」
「翼の角度だと思う。フラップの角度が、なんか変…」
「変て?」
「この角度だと、プロペラが起こしてくれた風をうまく羽に留めて浮き上がれないと思う。設計図があれば、確認できるけど…」
「設計図は、そこの棚にあるよ」
 倉庫の奥に棚が設えてあり、いくつも丸めた紙が突っ込まれていた。
「機体の設計図は、紙の縁が青の…。ああ、これじゃないかな」
 リュドミナは一つの図面を机の上におくと、トーヤとリーヤの前に広げた。
 それは、目の前にある飛空艇の設計図だった。
「リュドミナ先生、これ、違うと思う」
「違わないよ、この機体の図面だ」
「じゃあ、図面通りにこの機体が作られてないのかも…」
 ふと、カーライルが、あることに気がついた。
「ハーレが、翼の形状を飛べないように変えたんじゃないのか」
「そうか! なら図面通りに直せば」
「先生、それも、無理だと思う。この図面通りにすると、プロペラが回った後、バランスを崩して滑走路に突っ込むと思う」
「くそ、なんてこった。ハーレのやつ何重にも罠を張ってたってことか! 恩師をなんだと思ってるんだ。まったく」
「自分のことを恩師って言う人だと思ってたんじゃ…」
「何だって!?」
 カーライルの軽口に、リュドミナが食ってかかる。
「結局、正しい翼の設計は、ハーレの頭の中にしか残ってないってことか」
 リュドミナが大きなため息を吐いた。
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