空の話をしよう

源燕め

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第十六章

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 順調に五つ目の襞を越えたところで、長の館が見えてきた。産まれてからずっとカーライルを育ててくれたエセルバートは、その館からこの飛空艇を見ているだろうか。おそらくアーネスティから話を聞いて、カーライルが大峡谷を目指すことは知っているはずだ。それでも、カーライルをとめるような言伝てはなかった。きっとカーライル自身の判断に任せてくれているのだ。そういう育て方をする羽人だった。
 長の館の次の山脈は、ひときわ高くなっている。
 その向う側が、大峡谷だ。
 下方から吹き上げる風が乱気流を起こす難所だ。もっと幅があるように思ったが、自分の羽ではなく、飛空艇に乗っていると、翼端からの距離はわずかだ。煽られて操縦を誤ると翼を岩壁にこすりかねない。
 カーライルは慎重に操縦桿を前に倒し、少しづつ高度を下げ始めた。あの頃と変わらず、谷底は真っ暗で何も見えない。
 ただ風のうずまく音だけが耳にうるさい。下方からの風で突き上げられる中、安定した体勢を保ちつつ高度を下げるのは、相当緊張する。操縦桿を握る手が、手袋の中で汗まみれになっているのがわかった。
 降りて行くと、谷底が途中で縦に屈曲しているのがわかった。これで光がさえぎられていたのだろう。曲がっている部分は、ほかの場所以上に狭く、機体を通せるか判断に迷ったが、ここで引き返したのでは意味がない。一か八かやってみるしかなかった。
 思い切って、操縦桿を前に倒した。体勢を斜めにすれば、屈曲点を通れるかもしれない。ただ、傾けすぎると揚力を失って失速する恐れがある。どこが限界かは、羽に受ける風の厚みをその感覚で掴みとるしかなかった。
 カーライルは、誰よりも風を読むのがうまいと言われていた。その感覚を取り戻せばいい。そう自分に言い聞かせて、機体の姿勢を前に倒すと、飛空艇は速度を上げて、降下していった。
 屈曲点の向う側から、光が差し込んだ。
 飛行眼鏡はいくらか反射光を遮ってくれるが、それでも渓谷の内側の闇に眼が慣れていたカーライルは、眩しさに思わず、目をつぶりそうになるのを必死でこらえた。
 わずかな涙で視界が滲む。
 屈曲点を越えた先は、思いもかけず、短い距離だった。空の青さが目に染みた。
「抜けた!」
 大峡谷を下に抜けると、頭の上には、空に浮く大陸があった。
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