アンリ千紀

源燕め

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第3章

二騎

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「おい、本当に二騎で行くつもりなのか」
「はい。残念ながら、兄上と共に出陣していた者たちがもどらないのでは、これ以上、セルシーヴ城の守りを割くわけにはいかないのです。それでなくとも小さな城ですから」
 それは本当ことで、兄の出陣の後、城の護りに残っていたのは、老兵ばかりだ。
 アンリは旅支度を調え、さほど大きくもない革袋を馬の両端に結びつけながら答えた。明るい栗色の髪は首筋でまっすぐに切り揃えられ、動きやすそうな革の旅装を身につけている。腰に剣は佩いているものの、その姿はちょっと近くの森へ使いに出かける少年のようであり、とてもセルシーヴの領主には見えなかった。
「サラン候と合流するまでは、目立たぬことが重要なのですから、ちょうど良いと思います」
「それはそうだが」
 アンリはセルシーヴの領主だ。領主の出陣なのだから、それなりの数の騎士を引き連れて行くつもりなのだと考えていたのだ。
 そう言っているリュシオンのほうも、アンリと似たり寄ったりの旅姿で、とても名門クレイターヴの王弟には見えなかった。しかし、その青い目の鋭さとすらりとして均整のとれた体格から、どこかの騎士が身をやつして旅に出ているようにも見える。
 その姿を見て、アンリは自分の子供っぽい姿にちょっと引け目を感じた。
プティアンリ、サランへは行ったことはあるのか?」
 自分の姿を気にしていたところへの言葉で、アンリはかちんときた。
「すみませんが、わたしは、もうプティアンリではありません」
「俺にとってアンリはおまえの兄だけだ。」
 そう言うと、馬の首を返して、さっさと駆けだした。セルシーヴの深い森の中では、むやみに動くと迷う可能性がある。ほってもおけず、アンリはリュシオンの後を追った。

 クレイターヴの北東に位置するセルシーヴ領は、決して広くはない。深い森に包まれ、たいした産業も特産品もなかったため、これまで、ほとんど戦に巻き込まれることはなかった。歴代のセルシーヴ候も争いを好まず、穏やかに過ごしてきた。
 しかし、セルシーヴを一歩出ると、そこには戦の匂いが漂っていた。
 セルシーヴ領を目立たぬ裏道から抜けた二人は、小さな村に通りかかったとき、ローザニア帝国軍の素早さに目を疑った。リュシオンを追って、大きな街道だけでなく、このような裏道にも兵がまわされていたのである。
「兄上があなたを連れ出したのが、知れ渡っているのでしょう」
「ノルドの国境から落ち延びるときに、何回も小競り合いがあったからな」
 リュシオンがセルシーヴに潜んでいると考えるのは順当なところだ。そうなれば、セルシーヴへ兵を出すのは当然のことだろう。しかし、地理に明るくないものが、セルシーヴの領内へ踏み込むのはたやすくない。セルシーヴのほとんどは深い森で占められている。領民でないものにとっては踏み入れたが最後の『帰らずの森』として知れ渡っていたからだ。
 ローザニア軍とて追っ手をかけなかったわけではあるまい。その多くが森で迷い、運の悪い者は二度と帰れない。そのようなことを繰り返すうちに、無理にセルシーヴへ踏み込むよりも、リュシオンが自分から出てくるのを待ち伏せする作戦に切り替えたとみるべきだった。
「こうなると、当然、サラン候領へ行く道はすべて兵が待ち伏せているだろうな」
「ええ、そうでしょうね」
「ローザニアを抜けるか」
「は?」
 アンリは耳を疑った。東北のセルシーヴから南のサランへ抜けるには、中央のクラン・クレイターヴを経由するのが普通だ。しかし王都を避けねばならない今は、西に大きく弧を描くように街道を下る道筋を選ぶしかない。この様子だと、リュシオンを捕縛するために、裏道、脇道にいたるまで兵が伏せてある可能性が高い。一方、帝都ローザブルグから網の目のように伸びた街道には隙があるだろうというのだ。
「まさか、俺たちがローザニアに入るとは、誰も考えないだろう。そうと決まれば、あれを借りるか」
 アンリがいつの間に何が決まったんだろうと思っていると、リュシオンは偵察兵に狙いを定めて一気に馬を走らせた。
 それは、一瞬のできごとだった。リュシオンは鞘ごと剣を引き抜くと、二人の兵の後頭部に痛烈な一撃を打ち込んだ。リュシオンは落馬した兵たちを木陰に引きずり込むと手早くローザニア軍の制服を引きはがしはじめた。
「これに着替えろ。これから俺たちは帝都に向かう連絡兵ってところだな」
 アンリはリュシオンの荒っぽいやり方に閉口した。いきなり襲いかかって、身ぐるみをはぐなど、これが本当に王弟殿下のやることなのかと。
「制服を脱がしたら、これで縛っとけ」
 そう言って渡してきたのは、彼ら自身が持っていた荒縄だった。
(これって、リュシオン卿をとらえるために持っていたのでは)
 まさか、彼らも自分たちが自分の縄で縛られるとは夢にも思っていなかっただろう。

「俺は十二の歳まで、傭兵だった祖父さんに育ててもらったからな」
 ローザニアに向かう道筋でリュシオンがそう言った。
 セルシーヴから帝都ローザブルグまで続く街道は、平穏とはいえないまでも、兵士の姿は少なく、比較的穏やかに見えた。
 アンリたちが、ローザニア兵に身をやつしていたこと、クラン・クレイターヴとは逆の方向へ進んでいたことなどから、うまく伝令兵としてごまかせているようだった。
 リュシオンはアンリを相手に昔語りをはじめた。リュシオンの母親は、まだ王都と呼ばれる前のクラン・クレイターヴの城で水汲み娘をしていたらしい。
 傭兵をしていた祖父が、母を亡くした娘を置いていくにあたり、しっかりした屋敷に下働きに出すのが安全だと考えたというのだ。
 しかし、あるとき祖父がクラン・クレイターヴに帰ってくると、娘は大きな腹を抱えて酒場で働いていた。いくら問いただしても腹の子の父親が誰かは口にしなかった。ほどなくしてリュシオンが生まれたが、産前の不養生がたたったのかすっかり病弱になった娘は、リュシオンが三歳になる前に息を引き取った。
 途方にくれた祖父は、孫を手元から離すのをためらった。そして、もの心つくやつかずの幼子を連れて、傭兵稼業に戻ったというのだ。
「俺の剣は傭兵流だ。剣筋が綺麗だろうが、なかろうが、戦場じゃ関係ない」
「それでは、いつクレイターヴ候のご子息だとわかったのですか?」
「独立戦争のときだ。祖父さんは傭兵としてクレイターヴ軍に加わった。それが俺の初陣だ」
「十二で?」
 普通初陣は十五か十六だ。セルシーヴの領主となったアンリは十四だが、初陣には少し早いくらいだ。
「五つのときから、戦場稼ぎをしていたんだ。別に早かねぇよ」 
 戦場稼ぎというのは、戦死した兵の剣や鎧を拾い集めたり、はぐれた馬を連れていったりする子供の仕事だ。とても綺麗な仕事とは言えないが、傭兵に連れられて戦場に出た子供にとっては、それが生きる術であることも事実だろう。
「祖父さんは強かったし、俺は俺で子供のくせにそこそこ手柄を立てた。それで父上の眼に止まったらしい」
 そしてなによりも、リュシオンは母に生き写しだったのだ。
 太陽の光を集めたような金の髪と夏の空のような青い目。いつも笑顔を絶やさず、クラン・クレイターヴの城で水汲みをしていた娘のことを、先代のクレイターヴ候が思い出すのは造作もなかった。
 戦の中、先代のクレイターヴ候は庶子ではあるが、リュシオンを自分の息子として迎えた。おなじく戦場にあった兄のジョルジュもリュシオンのことを弟として受け入れたのだった。
 しかし、リュシオンは城にじっとしているのが苦手であった。クレイターヴが独立を果たした後も戦いは続いていた。それを幸いにリュシオンは常に戦場に立つことを選んできたのだ。
「兄はリュシオン卿のことを、戦いをするために生まれてきたような方だといつも言っていました」
「アンリの奴が…」
「剣の腕だけは、リュシオン卿の右に出るものはいないと」
「剣の腕だけは、か。確かに剣以外は全部アンリに任せっきりだったからな。だが、アンリの奴も剣はかなりのものだったぞ。見かけはあんな優男なくせに剣は結構荒っぽい。ローザニアのお綺麗な剣術とは違う、傭兵に近い剣筋だった」
「あ…」
 もしかすると、兄もアンリ・アルベールに剣の手ほどきを受けたのだろうか。彼のあの剣筋を身に着けていたのだとすると、確かに傭兵流になりそうだ。
 アンリはまだ自分の中に残るアンリ・アルベールの感覚を思い出していた。
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