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第9章
良き盟約者
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『良き盟約者と出会えることを願っているよ。』
それは、兄の言葉だった。
しかし、アンリにはまだ盟約者というものの意味がわからなかった。サラン城で割りあてられた部屋に通されて、一息ついたものの盟約者という言葉が頭から離れない。
ひとつの言葉だけが頭の中に重くのしかかっているように思えた。
「入るぞ」
扉を叩く音と同時に了解もなく部屋に入ってきたのはリュシオンだった。
まるで自分の部屋のように、戸棚から酒を取り出すとアンリの分まで盃に注ぎ分けた。
「どうして、わたしのことを盟約者と言ったのですか?」
「気に入らないのか?」
「いえ、そういうわけではありませんが…」
「意趣返しだ。おまえじゃなくて、アンリの奴にだが。あいつは初対面のときに、俺の意思にはおかまいなく、一方的に盟約者だと宣言した」
「え?」
「おまえは、初対面じゃないだけましだろう」
「兄から、盟約者と言ったのですか?」
「そうだ。独立戦争のときに初めて顔を合わせた。あいつは父親を亡くして、アンリを継いだばかりだった。皆、新しいアンリは兄上を盟約者に選ぶと思っていたようだったが、あいつは父上と兄上にセルシーヴを継承した挨拶にきたその場で、後ろに控えていただけの俺を盟約者にすると、突然皆の前で宣言した。俺のほうがびっくりした」
アンリは兄からリュシオンの話をよく聞いたが、確かに盟約者に選んだときのことを話してもらったことはなかった。
「自分にはすでに小(プティ)アンリがいる。その意味が初めてわかったと言っていた」
その言葉にアンリははっとした。
エゼルとアンリの記憶。初代のアンリは、セルシーヴを守護する者であり、記憶を継ぐための息子をもうけるための伴侶であったはずだ。
兄が盟約者としてリュシオンを選んだということは、後継者を得ることはできないということになる。
「だが、俺はあいつの盟約者となれて良かったと思っている。軍師としての才のことだけを言っているわけじゃない。あれほど信頼できる奴と出会えることは、おそらく生涯ないだろう。俺は命をかけてあいつのことを護りたいと思っていた。実際に護られたのは俺で、命を懸けてしまったのはあいつだったが」
「それはあなたがクレイターヴの王弟だから…」
「違う」
「…」
「身分なんか関係ない。きっとあいつの言った盟約者とはそんなものではないんだ。うまく言葉にはできないけどな。俺はただあいつを護りたいと、本当にそれだけを思っていた。目の前で、あんな形であいつを失うなんて思っていなかった」
リュシオンの絞り出すような言葉に、アンリは唇を噛んだ。
「わたしは兄上ではありません」
「わかっている」
「わたしは兄上の代わりにはなれません」
「代わりなんて思っていないさ。おまえはおまえでかまわない」
「わたしは、あなたの盟約者にはなれません。あなたがわたしの盟約者になれないのと同じように」
「でもな、俺はおまえを護りたいと思っている」
アンリは一瞬言葉を失った。
「確かに、戦場へ連れていくのは危険だ。それでも俺はおまえの近くにいておまえを護ることができる。どうしてだかうまく言えないが、おまえをひとりでセルシーヴへ帰したくはなかった」
ふと、アンリの気持ちの中にも同じように感じる部分があることに驚いた。
最初は、兄を亡くしたことでその遺志を継いでリュシオンを護らなくてはという使命感だった。それなのにこのサレイに来るまでの間に、自分がリュシオンを護りクレイターヴを奪還するのだという気持ちに移り変わっていた。
それでも、アンリはまだリュシオンが自分の盟約者だという実感が持てなかった。
そもそも、盟約者とは何なのかが理解できていなかった。兄はなぜリュシオンに出会ったその瞬間に、彼こそが自分の盟約者だとわかったのだろう。
「納得できないか?」
「わたしにはまだ盟約者というものがわからないのです」
「そうか」
「…」
「サレイの言うように、セルシーヴへ帰るか?」
「いえ!」
「ひとりが不安なら護衛はつける。多くは無理だが」
「セルシーヴへは帰りません!」
アンリはそう言い切ると、リュシオンの青い目を見上げた。
「あなたの側で戦います。わたしもあなたのことを護りたいと思っています」
リュシオンの表情がふっと柔らかくなった。
その気持ちが伝わるだけに、次の言葉を紡ぐのが辛かった。それでもアンリは言わなくてはいけないと思った。
「そうだとしても、あなたのことを盟約者だと呼ぶことはできないのです」
そう、リュシオンは兄の盟約者だ。そのことがアンリにはどこか抜けない棘のように心に引っかかってしまう。
「それではいけないでしょうか」
「いや、かまわない」
リュシオンは小さな溜息をついた。
「だがな、サレイの前では、俺の盟約者だってことにしといてくれ。それがおまえを一緒に連れていくための口実だからな」
サラン候はアンリが女だと気づいていて、戦場へ伴うことを厭っている。
アンリ自身は自分が女であることを意識していないので、それを不条理に感じるが、サレイの反応が普通なのかもしれない。アンリも同年代の少女が戦場に行くと言ったらきっと引き止めるだろう。
「あなたは…」
リュシオンは自分が女であることをどう思っているのかを訊きたいと思った。それでもその後の言葉を続けることができなかった。続ける意味もないと思った。リュシオンは自分の側でアンリのことを護りたいとすでに言葉している。
リュシオンはアンリが何を言うのかを待っていたようだったが、口をつぐんでしまった様子を見て、自分から口を開いた。
「これから、おまえのことを『アンリ』と呼ぶようにする」
これまでリュシオンはかたくなに小(プティ)アンリと呼んでいた。それはリュシオンの兄に対する想いのようなものがそうさせていたはずだ。
リュシオンにとっての『アンリ』は、あくまでも兄なのだと。
戦いのときを目の前にして、リュシオンの中でもアンリの中でも何かが変わろうとしていた。
それは、兄の言葉だった。
しかし、アンリにはまだ盟約者というものの意味がわからなかった。サラン城で割りあてられた部屋に通されて、一息ついたものの盟約者という言葉が頭から離れない。
ひとつの言葉だけが頭の中に重くのしかかっているように思えた。
「入るぞ」
扉を叩く音と同時に了解もなく部屋に入ってきたのはリュシオンだった。
まるで自分の部屋のように、戸棚から酒を取り出すとアンリの分まで盃に注ぎ分けた。
「どうして、わたしのことを盟約者と言ったのですか?」
「気に入らないのか?」
「いえ、そういうわけではありませんが…」
「意趣返しだ。おまえじゃなくて、アンリの奴にだが。あいつは初対面のときに、俺の意思にはおかまいなく、一方的に盟約者だと宣言した」
「え?」
「おまえは、初対面じゃないだけましだろう」
「兄から、盟約者と言ったのですか?」
「そうだ。独立戦争のときに初めて顔を合わせた。あいつは父親を亡くして、アンリを継いだばかりだった。皆、新しいアンリは兄上を盟約者に選ぶと思っていたようだったが、あいつは父上と兄上にセルシーヴを継承した挨拶にきたその場で、後ろに控えていただけの俺を盟約者にすると、突然皆の前で宣言した。俺のほうがびっくりした」
アンリは兄からリュシオンの話をよく聞いたが、確かに盟約者に選んだときのことを話してもらったことはなかった。
「自分にはすでに小(プティ)アンリがいる。その意味が初めてわかったと言っていた」
その言葉にアンリははっとした。
エゼルとアンリの記憶。初代のアンリは、セルシーヴを守護する者であり、記憶を継ぐための息子をもうけるための伴侶であったはずだ。
兄が盟約者としてリュシオンを選んだということは、後継者を得ることはできないということになる。
「だが、俺はあいつの盟約者となれて良かったと思っている。軍師としての才のことだけを言っているわけじゃない。あれほど信頼できる奴と出会えることは、おそらく生涯ないだろう。俺は命をかけてあいつのことを護りたいと思っていた。実際に護られたのは俺で、命を懸けてしまったのはあいつだったが」
「それはあなたがクレイターヴの王弟だから…」
「違う」
「…」
「身分なんか関係ない。きっとあいつの言った盟約者とはそんなものではないんだ。うまく言葉にはできないけどな。俺はただあいつを護りたいと、本当にそれだけを思っていた。目の前で、あんな形であいつを失うなんて思っていなかった」
リュシオンの絞り出すような言葉に、アンリは唇を噛んだ。
「わたしは兄上ではありません」
「わかっている」
「わたしは兄上の代わりにはなれません」
「代わりなんて思っていないさ。おまえはおまえでかまわない」
「わたしは、あなたの盟約者にはなれません。あなたがわたしの盟約者になれないのと同じように」
「でもな、俺はおまえを護りたいと思っている」
アンリは一瞬言葉を失った。
「確かに、戦場へ連れていくのは危険だ。それでも俺はおまえの近くにいておまえを護ることができる。どうしてだかうまく言えないが、おまえをひとりでセルシーヴへ帰したくはなかった」
ふと、アンリの気持ちの中にも同じように感じる部分があることに驚いた。
最初は、兄を亡くしたことでその遺志を継いでリュシオンを護らなくてはという使命感だった。それなのにこのサレイに来るまでの間に、自分がリュシオンを護りクレイターヴを奪還するのだという気持ちに移り変わっていた。
それでも、アンリはまだリュシオンが自分の盟約者だという実感が持てなかった。
そもそも、盟約者とは何なのかが理解できていなかった。兄はなぜリュシオンに出会ったその瞬間に、彼こそが自分の盟約者だとわかったのだろう。
「納得できないか?」
「わたしにはまだ盟約者というものがわからないのです」
「そうか」
「…」
「サレイの言うように、セルシーヴへ帰るか?」
「いえ!」
「ひとりが不安なら護衛はつける。多くは無理だが」
「セルシーヴへは帰りません!」
アンリはそう言い切ると、リュシオンの青い目を見上げた。
「あなたの側で戦います。わたしもあなたのことを護りたいと思っています」
リュシオンの表情がふっと柔らかくなった。
その気持ちが伝わるだけに、次の言葉を紡ぐのが辛かった。それでもアンリは言わなくてはいけないと思った。
「そうだとしても、あなたのことを盟約者だと呼ぶことはできないのです」
そう、リュシオンは兄の盟約者だ。そのことがアンリにはどこか抜けない棘のように心に引っかかってしまう。
「それではいけないでしょうか」
「いや、かまわない」
リュシオンは小さな溜息をついた。
「だがな、サレイの前では、俺の盟約者だってことにしといてくれ。それがおまえを一緒に連れていくための口実だからな」
サラン候はアンリが女だと気づいていて、戦場へ伴うことを厭っている。
アンリ自身は自分が女であることを意識していないので、それを不条理に感じるが、サレイの反応が普通なのかもしれない。アンリも同年代の少女が戦場に行くと言ったらきっと引き止めるだろう。
「あなたは…」
リュシオンは自分が女であることをどう思っているのかを訊きたいと思った。それでもその後の言葉を続けることができなかった。続ける意味もないと思った。リュシオンは自分の側でアンリのことを護りたいとすでに言葉している。
リュシオンはアンリが何を言うのかを待っていたようだったが、口をつぐんでしまった様子を見て、自分から口を開いた。
「これから、おまえのことを『アンリ』と呼ぶようにする」
これまでリュシオンはかたくなに小(プティ)アンリと呼んでいた。それはリュシオンの兄に対する想いのようなものがそうさせていたはずだ。
リュシオンにとっての『アンリ』は、あくまでも兄なのだと。
戦いのときを目の前にして、リュシオンの中でもアンリの中でも何かが変わろうとしていた。
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