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第一節~『黄昏刻の幽霊』~

第五話「斜光が射抜く」

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 掃除が終わったあと、俺はいつものように図書室へと出向く。

 いつものように文化棟へと行き、美術室や写真部の部室を通り過ぎ、扉を開けて図書室の中へと入ろうとしたところで――俺の手は止まった。

 止まった手の代わりに視線を動かし、扉の上部にある窓へと目を向ける。

「ふむ……」

 そこから見えるのは、もはや見慣れた図書室の風景。左右に本棚が立ち並び、左奥には貸出カウンターが見える。

 掃除がなかったのか早く終わったのか、既に朝霧は貸出カウンターに座りなにかをしているようだった。

 アイツはなにやっているんだと俺は目を細めるが、中央にある本棚に邪魔されてしまいよく見えない。

 中央と左右にある本棚の隙間からじゃ朝霧はおろか奥にある窓もよく見えないなと思い、俺は諦めて視線を逸らした。

 そして先日『黄昏刻の幽霊』が立っていた右側本棚の奥に目を向ける――が、そこにはいつも通りの書架があるだけで大した収穫は得られなかった。

 ……まあまだ日も暮れるには少し早いしな、と俺は内心でぼやき、俺は図書室の中へと入る。

 貸出カウンターの方へと歩いていくと、座っていた朝霧がなにをしていたのか見ることができた。どうやら朝霧は絵を描いていたようだった。

「よう」

「よっ」

 簡単な会釈を交わし、朝霧の隣へと座る。朝霧が描いていた絵を見ると、どうやらそれは昨日の幽霊の絵のようだ。

 既に一枚描き終えたのか、朝霧が今描いているものとは違う紙が脇に置いてある。俺はその絵を手に取り、なんとなしに眺めてみた。

「…………」

 素人目から見ても分かる。その絵はハッキリ言って上手かった。図書室の中に立つ『黒い短髪の女』。幽霊らしい曖昧な風貌とぼんやりとした妖しい雰囲気が絵画の中で見事に描写されている。

 本来抽象的なものほど描くのが難しいと思うのだが……ここまで上手く描けるとなると描き手は相当な才能の持ち主だろう。

「この絵、上手いな」

 俺は素直に賞賛する。すると朝霧は自慢げな声を出した。

「そうでしょー?」

「朝霧に絵の才覚があったなんて知らなかった。習ってたのか?」

「習ってないよー」

「習わずにこれか。お前すごいな」

「まあその絵、私が描いたわけじゃないんだけどね」

「……なんで自慢げだったんだよ」

 改めて朝霧が今描いている方の絵に目を向けると、確かに俺が持っている絵と絵柄が違った。

「その絵は小雪先輩が描いた絵」

「三谷先輩が?」

 朝霧はこくんと頷く。

「昼休みに2年生の教室行って、幽霊の話聞いてきたんだ。そしたら小雪先輩がその絵をささっと描いてくれた」

「ささっと、って……」

 俺は三谷先輩の絵を見る。

「上手すぎだろ」

「それな。美術部員だとは聞いていたけどこれほどとは……」

 朝霧は言いながらため息を吐く。上手い絵を先に見てしまったせいか、絵を描いている手も自信なさげに見えた。

「んで? お前はなにを描いてるんだよ」

「同じ絵だよ。昨日見た幽霊の絵」

「手がかり探しか?」

「というより暇つぶしかな。あと思考の整理のついでに」

「なるほど」

「せっかくだし夏狩も描けよ」

 朝霧が紙とシャーペンを俺の前に置く。

 絵はあまり得意ではないが、成り行きだし仕方がない。俺は記憶を頼りに『黄昏刻の幽霊』を描いていく。

 まず輪郭を引き、その次に黒い長髪を描く。顔は……あんまり覚えていないな。

 まあ両目と口っぽいのがあれば顔に見えるらしいし、それらを適当に付けて。制服は……あれ? 着てたっけ? まあいいや、適当に描いて……。

「ぷっ」

 描き終わった俺の絵を見て、朝霧が笑う。

「夏狩下手すぎでしょ」

「黙れ。ってかお前はどうなんだよ」

 俺は視線を朝霧の絵へと向ける。

 三谷先輩ほどではないが、そこそこうまかった。

「…………『黄昏刻の幽霊』の話だが」

 悔しいので無理やり話題を逸らす。

「2年生の教室に行ってきたんだよな? なにかわかったか」

「色々わかったよ。目撃者がいっぱいいたからさ」

「いっぱい、か」

 そういえば目撃証言は二年生、三年生のものが多かったな、と俺は思い出す。

「面白いことが聞けたよ。女の髪型が変わることとか――幽霊が出る場所とか」

「幽霊が出る場所?」

 俺の疑問を受けて朝霧が頷く。

「ほら、小雪先輩の絵を見てよ」

 朝霧が三谷先輩の絵を指さす。

「ここ、幽霊が立っている場所あるじゃん?
ここって私たちが見た幽霊の立ち位置と一致しない?」

 確かに、三谷先輩の絵の中でも幽霊は右側の本棚の奥の方に立っている。これは俺たちが見た幽霊の立ち位置と全く同じ場所だ。

「聞いてみると小雪先輩だけじゃなくて、石田先輩……他の先輩達も同じ場所で見たって言っていたね」

「ふむ……」

 場所の一致、か。確かになにか引っかかる。

「それで? 夏狩は猫野館先生と名杜君から話を聞いてきたんでしょ? なにかわかった?」

「あぁ――」

 俺は話す。幽霊はこの時期――5月周辺に現れやすいこと。昔から頻繁に目撃されていたこと。窓から図書室の内部を見た場合は幽霊は目撃できないであろうこと。

 俺の話を一通り聞いて、朝霧は考え込む。

「一番気になるのは『時期』のところだね。どうして5月なんだろ」

「俺もわからん。5月でなければならない理由があるのか、それとも……」

「……5月に幽霊が出る条件を満たしやすいのか」

 顎に手を当て、朝霧の目は宙を見る。
 感情が表に出ないタイプだと思っていたけれど、よく見ればわかりやすいんだな。俺はぼんやり思う。

「『時期』だけじゃない。他にも謎なのは『時間帯』と『髪型』そして……」

「『場所』か。俺の記憶ではあそこって普通の本棚だったと思うんだが」

 俺は立ち上がり、正面にあった読書スペースを通る。そして幽霊が出た本棚の前に行き、その本棚をじっと眺めた。

「…………」

 やはり一見、普通の本棚に見える。

 英米文学の単行本が置かれており、どの本も普通より分厚くなっている。薄橙色の背表紙の本を適当に手に取って読んでみると、それはシリーズものの途中であるようだった。

 見れば確かに、似たような背表紙の本が左右に並べられている。長編のようで7冊ほど続いていた。ここまで続いているとなるとさぞ有名な作品なのだろう。

 しかし俺は浅学であるため、タイトルを見てもピンとくることはなかった。ただ題名の前後につく丸が黒かったり白かったりしているが、なにか法則性があるのだろうかと的外れのことを思った。

「どう? 本棚になんかあった?」

「うぉ」

 いきなり朝霧に声をかけられ、俺は素っ頓狂な声を出す。本棚に意識を集中させていたため、いつ間にか近くにいた朝霧に気付いていなかった。

「なに変な声出してんだよ」

「うるせー」

 言って、俺は朝霧の方へと顔を向ける。

 丁度日が暮れ始め、窓から夕陽が射し込んでいる。そんな夕陽の前で立っている朝霧の立ち姿は容姿が容姿なだけに一種の芸術絵画のようだった。

 斜光が朝霧の影を長く伸ばす。
 夕陽が朝霧の髪を茜色に染め上げる。

 そんな様子を見て俺は――、

「あっ」

 ――ある閃きへと至った。

「え、なに? なんでまた変な声出したの?」

 そんな俺の様子を見て、朝霧が不審者を見るような目を向ける。

「違えよ、わかったんだ。
――『黄昏刻の幽霊』の正体が」
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