『今日も平和に暮らしたいだけなのに、スキルが増えていく主婦です』

チャチャ

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134話『そして、日常へ』

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その日から、世界は少しだけ変わった。
けれど、多くの人にとっては――たぶん、“あまり変わっていない”。

通勤電車は相変わらず混んでいて、スーパーでは特売のチラシに主婦たちが群がり、子どもたちはゲームと宿題に一喜一憂している。

ただ、ほんの少しだけ、違う。
誰かの手のひらがそっと触れたとき、少し楽になったり。
料理の味がほんの少し良くなったり。
忘れ物が、不思議と見つかるようになったり。

「それはきっと、気のせい――」
だけど、その“気のせい”が、優しい奇跡として、誰かの一日を支えている。

***

「……ママ、今日も卵光ってる?」

「今日は普通の卵だよ」

朝の食卓で、ひなのが残念そうにうなだれる。

「え~、またスキル卵がいい~!」

「特別なときだけ、だから特別なんでしょ?」

そう言って微笑んだ麻衣のスプーンは、ふわとろのオムレツをそっとすくっていた。
以前より、少しだけ上手く焼けるようになった。それは、“経験”という名のスキルかもしれない。

雄一が新聞を読みながら、ちらりと視線を上げた。

「なあ、スキルって、もう完全になくなったのか?」

「ううん。必要な人には、ちゃんと届くみたい。
私にも、生活スキルだけは、ほんのり残ってる」

「ふーん……。なんか、今までより自然だな。昔からあった、みたいな感じ」

「たぶん、それが一番いい形だったんだと思うよ」

麻衣はコーヒーを一口すすって、ふぅと息を吐く。
カップの縁があたたかく、手のひらに収まる重みが心地いい。

(私は、これでいい)

もう世界を変える力は持っていない。
でも、自分の周囲を、笑顔にする力なら――たぶん、前よりずっと、強くなっている。

***

昼下がり。
スーパーで買い物を終えた麻衣は、偶然、川島さんと出会った。

「麻衣さん……。あの日、選んだんですね。非定着」

「うん。川島さんは?」

「私は定着。ただし、制限付き。医療スキルだけ。
……でも、それだけで十分よ。ずっと続けたいことだから」

「……よかった」

二人は店先のベンチに腰掛け、アイスコーヒーを手に語らう。

「世界は、ちゃんと分かってるのね。誰に、何が必要かって」

「うん。たぶん、スキルが“選ぶ側”になったんだよ」

「……人間のほうが、試されてるのね」

ふと吹いた風が、ふたりの髪をさらりと撫でる。
その中に、どこか懐かしい、見えない何かの気配が混じっていた。

(スキルの“観測者”――もういないはずなのに)

いや、もしかしたら。

「ママ、ただいまー! 今日はランドセルの中、きれいだよ!」

悠翔の声が、現実に引き戻す。

「はーい、おかえりー!」

麻衣は立ち上がり、手を振った。

川島さんはその後ろ姿を見て、ぽつりとつぶやく。

「選ばれたんじゃない。“選んだ”のね、あなたは」

***

夜。
家族そろっての夕食のあと、リビングで麻衣はひとりの人物とメッセージを交わしていた。

画面に表示されていたのは――スミレだった。

> 【スミレ】
麻衣さん、本当にありがとう
あなたが非定着を選んでくれたことで、スキルが“暴走”せずに済んだ
“共存”のルートが、正式に記録されました



> 【麻衣】
私ひとりじゃ何もできなかったよ
でも、もう一度、自分で選べてよかった



> 【スミレ】
これからも、時々連絡させてもらうね
“あなたの視点”は、すごく大事だから



> 【麻衣】
うん、こちらこそよろしく!



メッセージを閉じたあと、麻衣はふぅと伸びをして立ち上がった。

キッチンに向かいながら、ぽつりとつぶやく。

「よし、明日の献立……カレーにしようかな。スキルなしでも、美味しいって言わせるぞ~」

どこからか聞こえるような、くすくす笑う声。
それはたぶん、スキル世界の“名残”が見せた、ほんの気まぐれ。

でも――麻衣は気づかないふりをした。

それが、この世界との、新しい付き合い方だから。


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