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アオちゃん
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今日は空が青く澄みわたり、心地よい風が吹いている。僕の長いひげを揺らし、暖かな日差しに居眠りをしてしまう。そんな生活が許されるのは猫の特権だ。人間はこんな村でもせかせかと労働している。僕はそんな人間にかわいがられ、ご飯がもらえる。ごろごろしているだけで生きていけるのだ。特別、何かしなければならないことはない。せいぜい、ネズミを捕ったら喜んでもらえるが、面倒だからあまりネズミとも追いかけっこをしない。そのせいで、僕はすっかり肥満体型になってしまった。だが、そんな僕でもふさふさの毛並みがきっと気に入ってくれているのだろう、人間は膝の中に入れてかわいがってくれる。ここは田園風景の広がるのどかな村だから、変な人間に追い回されたり、捕まったりすることもない。この土地の人間は猫に甘いし、広々とした土地故に、他の猫とも縄張り争いをする必要もない。気ままに生きて、日々を穏やかに過ごすことは、きっとこれ以上ないほどの贅沢なのだとわかっていた。
人間は僕のことを「アオちゃん」と呼ぶ。みんながみんな、そう呼ぶのだから、あの、晴れ渡るような空の様に、僕は青いのだろう。それについて何の疑問も持っていなかった。
だけど、それをはっきり確認できないことは唯一の不満だった。この村にも、鏡がないわけではない。だが、貴重品の鏡は家の奥に隠されている。猫がうろうろできるということは、他の動物も侵入できるわけで、鏡はそれなりに貴重品なのだろう、人間は壊されたくないのだと思う。
だから、時折、僕は近くの湖に自分の姿を映す。水は怖いが、自分の本当の姿を見てみたいという好奇心なのか、あるいは怖いもの見たさなのか、自分について納得がいかなくなったとき、その湖へ行って自分を見つめて、そこに映る白猫を見て、ほっと溜息をつく。
「水の色が青いから、青色が白色に見えてるんだろうな」
本当のところは湖も教えてくれない。それは推測でしかなかった。
湖から戻り、近くの寺の境内で昼寝をしていた。陽気に居眠りをしていると、ふと、住職が鰹節を持ってやってきて、それを少しだけ石畳の上に載せた。大好物の鰹節の匂いが反射的に石畳へ向かって走らせる。
しかしその匂いを嗅いだのは僕だけではなかった。境内にいた数匹の猫たちもやってきて、我先にと鰹節を取り合った。
取り合っているうちに鰹節の香りと味が口の中に広がり、そのまま飲み込んだ。あっという間に鰹節はなくなり、しらけたかのように、猫たちは散っていく。僕もそこを去って、元居た境内の庭の、日当たりのいい場所に寝転んだ。
満たされている。気持ちがいい。穏やかな時間が流れていく。
「アオちゃん」
住職に声をかけられた。僕は人間の言葉は話せないので「にゃー」と返事をした。この鳴き声の感じは「何?」という意味なのだが、たいてい人間は理解してくれる。
「なあ、アオちゃん、きみは鰹節が好きだよな」
そういって、手を広げると、鰹節が詰まっていた。
僕は目をキラキラさせていただろう、住職に撫でられながら、鰹節を急いで食べた。
せかせかと鰹節を飲み込んでいると、ゆっくりと話しかけられる。
「きみが白猫だということは、もう気づいているだろう?」
住職は僕に向かって話しかけた。まるで、猫に一人の人格が備わっているかのように。住職は、僕を一人の人間のように話しかけた。思わず鰹節を食べる口が止まった。
「この村では突然白猫が生まれたら、不吉な兆しだと信じられているんだ。だから白くても、アオと呼ばれている。きみが生まれたとき、私はきみのことを『青猫だ』と言ったんだ。きみはアオになりたいか? それとも白猫になりたいか?」
湖に映っていた白猫が本当の姿で、アオが人間が勝手に作り出した僕の姿なら、本当の姿になりたいと思った。しかしそんなに複雑な答えをすることができる程、僕の鳴き声は器用ではない。
「村人はきみを青猫だと信じても、きみは何も変わらない。白猫だとみんなが認識して、不吉な兆しとされてしまえば、殺されるかもしれない。いいか、きみは白猫だとしても、青猫なんだ。それを知っているのはきみと私だけ。幸い、村人は信心深いから、疑うことはない」
僕は白猫だと主張しようとも思わない。今の穏やかな暮らしが続くのなら、それでいい。
「きみが青猫なのは村人のおかげだ。もし、きみのことを白猫だという人が現れれば、村人は夢から覚めるかもしれない。でも、みんな夢の中で生きてるようなものだ。仏様だって、みんなが信仰するから、あるいは空想するからそこにいるようなものだからな。あっはは」
僕は仏様と同じなのだろうか。少なくとも、人間にとっては仏様と猫の区別はついていないのだろうか。
案外、猫の方がモノの真贋はついているのかもしれない。世の中の、本当を知っているのかもしれない。
住職の手の中に残った鰹節をぺろりと平らげ、大きく伸びをするとまたいつもの場所に戻った。また、心地よい風が吹いた。ひげを揺らして、穏やかな時間が流れていく――。
人間は僕のことを「アオちゃん」と呼ぶ。みんながみんな、そう呼ぶのだから、あの、晴れ渡るような空の様に、僕は青いのだろう。それについて何の疑問も持っていなかった。
だけど、それをはっきり確認できないことは唯一の不満だった。この村にも、鏡がないわけではない。だが、貴重品の鏡は家の奥に隠されている。猫がうろうろできるということは、他の動物も侵入できるわけで、鏡はそれなりに貴重品なのだろう、人間は壊されたくないのだと思う。
だから、時折、僕は近くの湖に自分の姿を映す。水は怖いが、自分の本当の姿を見てみたいという好奇心なのか、あるいは怖いもの見たさなのか、自分について納得がいかなくなったとき、その湖へ行って自分を見つめて、そこに映る白猫を見て、ほっと溜息をつく。
「水の色が青いから、青色が白色に見えてるんだろうな」
本当のところは湖も教えてくれない。それは推測でしかなかった。
湖から戻り、近くの寺の境内で昼寝をしていた。陽気に居眠りをしていると、ふと、住職が鰹節を持ってやってきて、それを少しだけ石畳の上に載せた。大好物の鰹節の匂いが反射的に石畳へ向かって走らせる。
しかしその匂いを嗅いだのは僕だけではなかった。境内にいた数匹の猫たちもやってきて、我先にと鰹節を取り合った。
取り合っているうちに鰹節の香りと味が口の中に広がり、そのまま飲み込んだ。あっという間に鰹節はなくなり、しらけたかのように、猫たちは散っていく。僕もそこを去って、元居た境内の庭の、日当たりのいい場所に寝転んだ。
満たされている。気持ちがいい。穏やかな時間が流れていく。
「アオちゃん」
住職に声をかけられた。僕は人間の言葉は話せないので「にゃー」と返事をした。この鳴き声の感じは「何?」という意味なのだが、たいてい人間は理解してくれる。
「なあ、アオちゃん、きみは鰹節が好きだよな」
そういって、手を広げると、鰹節が詰まっていた。
僕は目をキラキラさせていただろう、住職に撫でられながら、鰹節を急いで食べた。
せかせかと鰹節を飲み込んでいると、ゆっくりと話しかけられる。
「きみが白猫だということは、もう気づいているだろう?」
住職は僕に向かって話しかけた。まるで、猫に一人の人格が備わっているかのように。住職は、僕を一人の人間のように話しかけた。思わず鰹節を食べる口が止まった。
「この村では突然白猫が生まれたら、不吉な兆しだと信じられているんだ。だから白くても、アオと呼ばれている。きみが生まれたとき、私はきみのことを『青猫だ』と言ったんだ。きみはアオになりたいか? それとも白猫になりたいか?」
湖に映っていた白猫が本当の姿で、アオが人間が勝手に作り出した僕の姿なら、本当の姿になりたいと思った。しかしそんなに複雑な答えをすることができる程、僕の鳴き声は器用ではない。
「村人はきみを青猫だと信じても、きみは何も変わらない。白猫だとみんなが認識して、不吉な兆しとされてしまえば、殺されるかもしれない。いいか、きみは白猫だとしても、青猫なんだ。それを知っているのはきみと私だけ。幸い、村人は信心深いから、疑うことはない」
僕は白猫だと主張しようとも思わない。今の穏やかな暮らしが続くのなら、それでいい。
「きみが青猫なのは村人のおかげだ。もし、きみのことを白猫だという人が現れれば、村人は夢から覚めるかもしれない。でも、みんな夢の中で生きてるようなものだ。仏様だって、みんなが信仰するから、あるいは空想するからそこにいるようなものだからな。あっはは」
僕は仏様と同じなのだろうか。少なくとも、人間にとっては仏様と猫の区別はついていないのだろうか。
案外、猫の方がモノの真贋はついているのかもしれない。世の中の、本当を知っているのかもしれない。
住職の手の中に残った鰹節をぺろりと平らげ、大きく伸びをするとまたいつもの場所に戻った。また、心地よい風が吹いた。ひげを揺らして、穏やかな時間が流れていく――。
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