死が二人を分かたない世界

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魔界編:第9章 真里

懼れ

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 話して欲しかった、もっと早く……そうすればこんなに不安にならなかったのに。
 今はもう怖くて聞きたくなかった、真実を聞くのはあまりにも怖い。

「なんで、今できるようになるかな」
 頭に手を当てて、自嘲するように笑ってしまった。

 僕があの場から逃げ出したいと思ったら、応えるように転移の複雑な魔力操作が頭に流れ込んできた。
 もしかして、僕の前世だというあの人の仕業だろうか……確信はないけれど、なんとなくそうなんじゃないかと思える。

 会話ができるわけじゃないけれど、僕の内側から何か言いたそうなものを感じたから。
 前に夢で両親に会わせると言ってきたくらいだ、その知識や実力は、ユキをも凌ぐものかもしれない。

 顔を伏せるように足元を見れば、靴を脱いで渡したせいで裸足だった。
 道の端からは湯気が出ていて、温泉地の香りに自分がどこに居るかなんて事は、すぐに分かった。

 僕が知っている中で、一番遠いと思った場所。ユキと二人でこの区画を歩いた、大切な思い出の場所だ。

 そういえば……あの人の声を初めて聞いたのも、この場所だった。
「あぁ、あなたのいうことを聞いたら、ユキと離れなきゃいけなくなるんだっけ……?」
 自分の内側に話しかけるように、胸に手を当ててみても……ザワつくだけで声が聞こえるわけではない。

 魔王様がここで声をかけてきた時、とっくに分かっていたんだろう、僕の中に何か居る事を……。
 魔王様からすれば、今は契約不履行状態だ。僕はいつ、この世界から弾き出されてもおかしくない。

「何やってるんだろう……ユキから逃げてる場合じゃないのに」

 人通りが少ない通りに出たせいか、人目を気にせず思わずその場でしゃがみ込んで、うずくまった。

「大丈夫、ユキは僕のことを想ってくれてる……じゃなきゃ、千年も待てないだろ……!」

 自分に言い聞かせるように、顔を両手で塞いで、口に出して言えば、思い込めるような気がした。

 それでも、涙が溢れて止まらない。

 僕はずっと不安だったんだ、なぜ千年前を生きたユキと夢で繋がれたのか……って。
 でも、その思い出は僕にとって大切な宝物で、僕の生きる希望だったもので、ユキとの繋がりを強く感じられて、唯一僕だけのユキとの特別な関係で……。

 それが、壊れていくような気がしたんだ……! 真実を聞いたら、僕は……ずっと大切にしていたものを、奪われてしまうような気がして……。

 千年前に、ユキと夢で会っていたのは本当に僕なのか……?

 もしかしてあの人が体感したユキとの思い出を、自分の都合の良いように改変しているだけじゃないのか?
 ユキが千年待っていたのは……本当は……!

 嫌だ、怖い……僕からユキを奪わないで!

 コツンと、床を打つブーツの音がして、目を塞ぐ指の隙間から、少し尖った黒いブーツの先が覗く。
 その時点でもう、ユキではないことは明白で、声を聞けば絶望を感じた。

「途中で逃げたくなるほど聞きたくなかった?」
「……魔王様」
 無礼だとは思いながらも、顔を上げる気にはならなかった。取り繕う余裕も、気力もない。

「そのままで構わないよ」
 本当に心を読まれてるようで、嫌になる。そこまで気を遣ってくれるのなら、来てほしくなかった。

「真里が不安になっているんじゃないかと思ってね、まぁそれはそれで面白いんだけど」
「……」
「安心して、今すぐ君を追い出そうなんて気はないから」
 思わず伏せていた手の平から顔を上げると、バッチリと魔王様と目が合った。

「やっと顔を上げたね」
「すみませ……」
 吸い込まれてしまいそうな深い闇、ブラックホールみたいな瞳から、すぐに目を逸らした。

「はじめはね、アレが別人格のフリをしている可能性があると、思っていたんだけれどね」
「――っ!?」
「今はちゃんと、君がその魂に新しく宿った人格だと認識しているよ。だから、理不尽な事をしたりはしないけど」

 魔王様はさっきから、僕を安心させようとする事ばかり言ってくる。
 裏があるとしか思えない、この人がただ心配なだけで、僕にこんな事を言うわけがない。

「だからこそ、君に問いたい」
「なん……ですか」



「そのユキへの気持ちは、本当に君のものか?」



 魔王様は、口の端を上げることさえ止めて、真顔でそう言った。

「はっ……? どういう意味……」
「千年固執するほどの魂の想いが、人格に影響しないわけないよね? 真里、君は君の意思でユキを想っているのか?」
「僕は、ユキを……」

 大好きだ、離れたくない、ずっと一緒にいたい。

 でも、この気持ちが魂から生まれた物だとしたら、それは僕の気持ちなのか?

 ユキを初めて見た時から、一目惚れだった。その理由は、魂が恋焦がれた相手だったから……?

「全てを知っても、君は……」
 目眩がして、眺めてる地面がぐにゃりと揺れた気がした。
 魔王様がしゃがんで、僕に目線を合わせようとしたその時に声がした。

「真里っ!!」

「――ッ!!!」
 息が、心臓が止まった。
 愛しい人がすぐ後ろで呼んでいるのに、僕は振り向くことができない。

「答えが出たら、教えて……ね?」

 クスクスと笑いながら、魔王様は闇に溶けてなくなるかのように、僕の前から消えていった。
 代わりに僕の肩に置かれた手は温かくて、僕の大好きな匂いがして、涙が出そうなほど優しい声が聞こえた。

「帰ろう」
「――っ、……ユキは帰って」
「一緒に帰ろう」
 ユキに手首を掴まれて、振り解こうとした。
「一人にして!」
「駄目だ!」
 ユキの顔を見たら絆される、ユキにお願いされたら聞いてしまう。僕には一人で考える時間が必要だから、もっと遠くまで逃げなくちゃ……!

 ユキを押し退けようとすれば、強く抱きしめられて、魔力を使って腕の力を強化しても、ビクともしない……っ!

「離しっ……」
「離したらまた逃げるんだろう!? 噛まれても、殴られても、絶対離さない!」
 ユキの口調は強く激しいのに、それなのにその声は今にも泣き出しそうで、ハッとした。

「もう、俺の目の前から消えないでくれ……お願いだ……いくら罵ってくれても構わないから」
「――ッ、僕が……君にそんなことするわけないだろ」

 ユキの腕から抜け出そうとしていた手で、その震える背中を抱きしめた。

 ずっと昔から、泣いてる君を笑顔にさせたかった。悲しいことから守ってあげたかった、苦しい事があれば、助けてあげたかった……。

 この記憶が僕のものじゃないとしても、今目の前に居るユキは、僕としての記憶でたくさん思い出を作った人だ。

 幼い頃の控えめな笑い方はもうしない、ちょっと意地悪に笑ってみせるあの顔が好きだ。

 僕が触れると嬉しそうにする君が好きだ。

 カッコよくて、頼りになって……でも、僕には甘えてくる君が好きだ。

 僕の願いを叶えてくれた、僕とずっと一緒に居ると約束してくれた。

 愛してるって言ってくれたのは、僕の目の前に居るユキなんだ。

「ユキ、僕は君が好きだ」

 魂なんて関係ない。僕の中に何が居ようと、君を好きな気持ちは、僕のものだ。

「好きでいてもらわないと困る、俺はこれから先ずっと片想いなんて嫌だからな」
 スンッと鼻をすする音がして、強がるような口調さえ愛しいと思う。

 ユキの背中の服を握りしめるようにして、自分の体重を全て預けた。
「帰ったら、今日僕がした約束を守らせて」
「約束……?」
「僕が、どれだけ君のことを好きなのか、伝えたいんだ」
「それは今日一番楽しみにしていた約束じゃないか」
 ユキの声色が嬉しそうなものに変わって、きっと今すごく可愛い顔をしているに違いない。

「そのあと、ユキの話を……聞かせて」

 まだ少し怖いけど、ユキを想う気持ちがあれば、何を聞いてもきっと大丈夫だから。
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