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人の目嫌い 2
「ちょっとあんた、ね、そこの……三谷藤、さん! 待ちなさいよ!」
再び廊下で声を掛けられたのは、学校へ通い始めて二週目の金曜日のことだった。若菜は声のする方へ、ゆっくりと顔を向けた。
夕暮れ時。長く伸びた影の中から、先日声を掛けてきたあの失礼な女生徒が現れた。
「……もしかしてあんた、あたしの声が聞こえてる? 見えてるのね、あたしの姿が!」
彼女の姿は、最初に会った時とは正反対になっていた。
髪は櫛が通されておらず、シャツはシワだらけで薄汚れ、リボンは失われてブレザーもスカートも綻びだらけになっていた。顔面蒼白、唇はがさがさだ。どうやら外見に気を使う余裕など、全くなくなってしまったらしい。
「ねえっ、あたしは何で、こんなことになってるの?」
若菜は首を傾げる。女生徒はだんっ、と足を踏み鳴らし、一歩近づいた。
「どうして? どうして誰もあたしのこと見てくれないの、どうして声が届かないの、どうして学校の外に出られないの、どうしてっ」
興奮しているのだろう、一旦言葉を切り、大きく息を吸って、
「日が陰ってくると、いつも変なモノに追いかけられなくちゃいけないの!?」
叫ぶように言い放った。身体がぶるぶると震えている。
「黒くてでかくてぶよぶよしてて、目がいくつもあって! アイツら昼間は追いかけてこないけどいつも隅っこにいて、ずっとこっちを見ながらぶつぶつ呟いてるの、たまに狂ったみたいに笑ったりして凄く気持ち悪いの! 夜はっ、夜は逃げても逃げても、どこにでも目があって、全然逃げられなくて、家にも帰れなくて……ねえ、アレは何なのよ!?」
若菜は反応せず、息を荒げる彼女をじっと見つめていた。
「やっとこっち見たわね! ねえ、何とか言いなさいよ、あたしは何で、あんな変なモノに見られてるの!? 観察するのは好きだけど、あんな、得体の知れないモノに四六時中見られるなんて、そんなの要らない!」
ああ、そんなの私だって要らなかった、と若菜は思う。
「……あなたは」
女生徒は、最初に声を掛けられた若菜と同じようにびくりと身体を揺らした。
「ああ、そう。あなた、私の声が届くようになったんだね」
若菜の溜め息交じりの言葉に対し、女生徒は何を言っているだと言わんばかりに眉を顰める。
「あなたは自分の興味本位で人を観察していた。観察して得た情報は、正しいものだと思い込んでいるのでしょう? そしてあなたは自分が他者よりも優れていると認識している。もしくは、他者に対抗するための強い武器を手にしていると思っているのかな。
でもそれはあなたの中での正しさであって、真実ではない。あなたが勝手に見て、思い込んで、決めつけて、押しつけて、かつ人に吹聴して回ってる。
でも、そういう行為を心底嫌だと思う、憎いと思う相手がいる、ってことを全く想定していない」
「え、何、説教?」
睨む女生徒に向けて、若菜は人差し指を突き付けた。
「あなたのその不愉快な視線が、本来見てはいけないものまで捉え始めただけのことだよ。そうしてあなたは、見てはいけない世界と繋がった」
「はっ? 意味が……」
「あなたが見たから。見えるということはまた、相手からも見えるということだよ」
「意味分かんない! いい加減なこと言わないでよ、とにかく、あたしの状況が理解できてるんでしょ? だったらぐだぐだ言ってないで助けなさいよ! ねえ、何をしたら良いの? どうしたら家に帰れるの!?」
女生徒は若菜ににじり寄り、ブレザーの裾を掴んでぐいぐいと引っ張る。
「どうにかしてよ、あんた何か出来るんでしょ? だって誰もあたしのこと気付いてくれなかったのに、あんたにはあたしが見えて、話が出来るんだから!
ねえ、あんたになら負けを認めてやっても良いわ、だから助けて……」
「勝ち負けの話じゃないし、逆だよ。私と話せて触れられることこそが、あなたが魑魅魍魎の世界の存在になっている証。あなた、私のことを知らないの?」
「……?」
女生徒は困惑した表情を浮かべた。
「何言ってるの? 意味不明なことばっか言わないでさっさと助けなさいよ! そうよ、だいたいあたしの状況が理解できてるなら、あたしのこと可哀想って思うでしょ、あたしを助けようっていう気持ちにならないの? そうじゃなきゃおかしいでしょ、普通そうでしょ!?」
陽の光が薄くなり、濃い闇が、廊下の奥側からずずず、と不気味な音を立てて這い寄ってくる。
女生徒は、ぎゃ、と叫び声を上げる。若菜のブレザーを掴んだ手は、ガクガクと震えていた。
若菜はその手をゆっくり外し、女生徒から距離を取った。
「……これ以上話しても時間の無駄だ。残念ながら、私にはあなたのいまの状況をどうすることもできない。手遅れなんだよ。
それに私は霊感や特別な力なんて持っていない。生きている間に執着していた場所を彷徨うだけの、無力な魂だ」
そして生きている時も死んだ後でさえも、人の視線に怯える臆病な死人。
「誰かから聞いたことは無かった? 魑魅魍魎に遭遇した時、視線を合わせたらもう逃げられないって。
残念だけれど、二度と会うことはない。さよならだ」
「はっ、なっ、どういう意味……あ、ね、ねえ待ってよ、ちょっと置いてかないで! ねえ――」
再び廊下で声を掛けられたのは、学校へ通い始めて二週目の金曜日のことだった。若菜は声のする方へ、ゆっくりと顔を向けた。
夕暮れ時。長く伸びた影の中から、先日声を掛けてきたあの失礼な女生徒が現れた。
「……もしかしてあんた、あたしの声が聞こえてる? 見えてるのね、あたしの姿が!」
彼女の姿は、最初に会った時とは正反対になっていた。
髪は櫛が通されておらず、シャツはシワだらけで薄汚れ、リボンは失われてブレザーもスカートも綻びだらけになっていた。顔面蒼白、唇はがさがさだ。どうやら外見に気を使う余裕など、全くなくなってしまったらしい。
「ねえっ、あたしは何で、こんなことになってるの?」
若菜は首を傾げる。女生徒はだんっ、と足を踏み鳴らし、一歩近づいた。
「どうして? どうして誰もあたしのこと見てくれないの、どうして声が届かないの、どうして学校の外に出られないの、どうしてっ」
興奮しているのだろう、一旦言葉を切り、大きく息を吸って、
「日が陰ってくると、いつも変なモノに追いかけられなくちゃいけないの!?」
叫ぶように言い放った。身体がぶるぶると震えている。
「黒くてでかくてぶよぶよしてて、目がいくつもあって! アイツら昼間は追いかけてこないけどいつも隅っこにいて、ずっとこっちを見ながらぶつぶつ呟いてるの、たまに狂ったみたいに笑ったりして凄く気持ち悪いの! 夜はっ、夜は逃げても逃げても、どこにでも目があって、全然逃げられなくて、家にも帰れなくて……ねえ、アレは何なのよ!?」
若菜は反応せず、息を荒げる彼女をじっと見つめていた。
「やっとこっち見たわね! ねえ、何とか言いなさいよ、あたしは何で、あんな変なモノに見られてるの!? 観察するのは好きだけど、あんな、得体の知れないモノに四六時中見られるなんて、そんなの要らない!」
ああ、そんなの私だって要らなかった、と若菜は思う。
「……あなたは」
女生徒は、最初に声を掛けられた若菜と同じようにびくりと身体を揺らした。
「ああ、そう。あなた、私の声が届くようになったんだね」
若菜の溜め息交じりの言葉に対し、女生徒は何を言っているだと言わんばかりに眉を顰める。
「あなたは自分の興味本位で人を観察していた。観察して得た情報は、正しいものだと思い込んでいるのでしょう? そしてあなたは自分が他者よりも優れていると認識している。もしくは、他者に対抗するための強い武器を手にしていると思っているのかな。
でもそれはあなたの中での正しさであって、真実ではない。あなたが勝手に見て、思い込んで、決めつけて、押しつけて、かつ人に吹聴して回ってる。
でも、そういう行為を心底嫌だと思う、憎いと思う相手がいる、ってことを全く想定していない」
「え、何、説教?」
睨む女生徒に向けて、若菜は人差し指を突き付けた。
「あなたのその不愉快な視線が、本来見てはいけないものまで捉え始めただけのことだよ。そうしてあなたは、見てはいけない世界と繋がった」
「はっ? 意味が……」
「あなたが見たから。見えるということはまた、相手からも見えるということだよ」
「意味分かんない! いい加減なこと言わないでよ、とにかく、あたしの状況が理解できてるんでしょ? だったらぐだぐだ言ってないで助けなさいよ! ねえ、何をしたら良いの? どうしたら家に帰れるの!?」
女生徒は若菜ににじり寄り、ブレザーの裾を掴んでぐいぐいと引っ張る。
「どうにかしてよ、あんた何か出来るんでしょ? だって誰もあたしのこと気付いてくれなかったのに、あんたにはあたしが見えて、話が出来るんだから!
ねえ、あんたになら負けを認めてやっても良いわ、だから助けて……」
「勝ち負けの話じゃないし、逆だよ。私と話せて触れられることこそが、あなたが魑魅魍魎の世界の存在になっている証。あなた、私のことを知らないの?」
「……?」
女生徒は困惑した表情を浮かべた。
「何言ってるの? 意味不明なことばっか言わないでさっさと助けなさいよ! そうよ、だいたいあたしの状況が理解できてるなら、あたしのこと可哀想って思うでしょ、あたしを助けようっていう気持ちにならないの? そうじゃなきゃおかしいでしょ、普通そうでしょ!?」
陽の光が薄くなり、濃い闇が、廊下の奥側からずずず、と不気味な音を立てて這い寄ってくる。
女生徒は、ぎゃ、と叫び声を上げる。若菜のブレザーを掴んだ手は、ガクガクと震えていた。
若菜はその手をゆっくり外し、女生徒から距離を取った。
「……これ以上話しても時間の無駄だ。残念ながら、私にはあなたのいまの状況をどうすることもできない。手遅れなんだよ。
それに私は霊感や特別な力なんて持っていない。生きている間に執着していた場所を彷徨うだけの、無力な魂だ」
そして生きている時も死んだ後でさえも、人の視線に怯える臆病な死人。
「誰かから聞いたことは無かった? 魑魅魍魎に遭遇した時、視線を合わせたらもう逃げられないって。
残念だけれど、二度と会うことはない。さよならだ」
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