初夜に「私が君を愛することはない」と言われた伯爵令嬢の話

拓海のり

文字の大きさ
3 / 5

その3

しおりを挟む

 目覚めたのは実家のベッドの上だった。
 えっ、何故? 生き返った?
 思わず首に触った。痕がない。手も拘束された痕がない。白くて滑らかで爪先まで手入れされた何の傷痕もない手を見る。

 ドアがノックされて見覚えのある侍女が入って来た。
「イヴリンお嬢様、おはようございます」
 サマヴィル伯爵邸の、結婚するまで私付きだった侍女が、当然のようにテキパキと朝の支度をしてくれる。
 鏡に映る髪を下ろした令嬢の姿の自分に、目を見開いたまま声が出ない。

 支度が出来上がる頃に侍女頭が来て告げた。
「今日はイヴリンお嬢様はキルデア侯爵邸においでになるご予定です。くれぐれも粗相のないようにと旦那様と奥様からご伝言を頂いております」
「え……」
 口から零れそうになる疑問を両手で塞ぐ。
「き、今日はいつだったかしら?」
「秋の末月三日でございます」
 結婚式は冬の始月五日だった。

 私はただ生き返っただけではなかった。時間が少し巻き戻ったのだ。スタンリー様と婚約していて、結婚式が目の前に迫っている、この時間に──。

 スタンリー様が生きていることを、実際にこの目で確かめて安堵する。
 まだ死んでいない。黒髪に薄青の瞳でノーブルで整った顔形の方。優しく微笑んで私を見る目。そう、ペットのように──。

「お父様、私は──」
 父に縋って結婚を止めたい。
「優しそうな方だ。お前はまだ子供だし、安心して甘えればいい」
「はい……」
 父親には言えない。あの男は結婚式の夜、言うんだ。
『私が君を愛することはない』
 そして彼は殺された。


  ◇◇

 ツインのベッド。側に居ても手も出さない夫。私は子供なのかしら。魅力がないのかしら。
「スタンリー様。私を抱いて下さい」
「イヴリン。君は私が言ったことが分からないんだね」
 彼はベッドの上に起き上がって説明する。ツインのベッドに別れて。
「いいかい。無性愛とは──」
 どうしてこんなに遠いのだろう。そう感じるのだろう。手を伸ばしても届かぬほどに遠く感じる。彼の身体が。彼の熱が。

「好意を抱くことはあっても、その相手に性的に惹かれないんだ」

「でも、このままだとあなたは殺されるのよ!」
「どうしたんだ、夢でも見たのかい」

 薄物の夜着のボタンを外して、肩から滑り落とす。下着を身に着けていない。
 裸になって抱いてと言った。
 とても恥ずかしい。声が掠れて震える。一度目だと出来ない事だ。
「イヴリン、止めなさい」
 しかし彼は私に夜着を着せかけると、私から逃げた。
 ああ、とうとう部屋を出て行ってしまった。余計に距離が遠くなってしまった。



「うっうっうっ。スタンリー様は私なんか好きじゃないんだわ。こうなったら悪女になってやる。男を引っ掛けて子供を作るのよ。あの人どんな顔をするかしら」
 十七歳は行動的なのよ。それがどっちに向かうかなんて気分次第よ。

「酔っぱらっているのか、イヴリン。離縁されてしまうぞ」
 スタンリー様の異母弟のケネスが私を宥める。
「それでいいわ」
 私は大人しくないのよ。やけっぱちなのよ。
 学校に行って、私に毒をくれたあの男から先に引っ掛けてやろうか。いざとなったらどうなるか分からないけれど。

「イヴリンは何を飲んでいるんだい」
「苺をブランデーで漬け込んだお酒なの。実家で作っているのよ。イチゴの香りがして、甘くて美味しいわよ」
 透明な赤で甘いイチゴの香りがする、実家から送って来た苺酒の所為で、気が大きくなっているんだわ。
「一口いかが」
「ふうん……。これは俺にはちょっと」
 ケネス様は一口飲んで顔を顰める。殿方にはちょっと甘すぎるかしら。
「そうね、私くらいしか飲まないわ」
 どうせ子供用のお酒だわ。

「イヴリン」
 スタンリー様に呼ばれる。
「酔っぱらっているね。もうお休み」
 頭をポンポンと撫でる手。でも私はペットじゃないし。それに、その手は私を抱き寄せるんじゃなくて、引き止める為の手なのよね。これ以上近付けない為の手なのよね。

 このままではこの人は殺されてしまう。私はこの屋敷に取り残されるんだわ。そして警吏が来て牢屋に入れられて死刑になるんだわ。
 あんな目に遇うのはもう嫌。誰がこの人を殺したんだろう。
 そうだわ、あのブランデーをスタンリー様が飲まなければいいんだわ。
 私は書斎にあったブランデーを捨てた。そしてそのことに少し安心した。


 もう少ししたら学校に行って卒業試験を受けて、友人達とおしゃべりをするの。それから頑張ってあの男を誘惑しようかしら。
 でも、そんな気持ちはとうに無くなった。あの男が私に毒を渡した時から。

 それよりもっと建設的な何かを──。
 仕事をしたいと言ったらスタンリー様は許してくれるだろうか。もっと学びたいと言ったら許してくれるだろうか。何かした方がいいわ。建設的に──。


 ディナーの食前酒にスタンリー様はいつものワインを飲む。毒入りのブランデーじゃない。書斎のブランデーは私が捨てたから。私には苺酒が出たので飲んだ。

「ぐっ」
「イヴリン?」
 喉が焼け付くように熱い。身体が痺れる。頭の中がぐちゃぐちゃになって、もう何も分からなくなった。

しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

身代わり令嬢、恋した公爵に真実を伝えて去ろうとしたら、絡めとられる(ごめんなさぁぁぁぁい!あなたの本当の婚約者は、私の姉です)

柳葉うら
恋愛
(ごめんなさぁぁぁぁい!) 辺境伯令嬢のウィルマは心の中で土下座した。 結婚が嫌で家出した姉の身代わりをして、誰もが羨むような素敵な公爵様の婚約者として会ったのだが、公爵あまりにも良い人すぎて、申し訳なくて仕方がないのだ。 正直者で面食いな身代わり令嬢と、そんな令嬢のことが実は昔から好きだった策士なヒーローがドタバタとするお話です。 さくっと読んでいただけるかと思います。

天才少女は旅に出る~婚約破棄されて、色々と面倒そうなので逃げることにします~

キョウキョウ
恋愛
ユリアンカは第一王子アーベルトに婚約破棄を告げられた。理由はイジメを行ったから。 事実を確認するためにユリアンカは質問を繰り返すが、イジメられたと証言するニアミーナの言葉だけ信じるアーベルト。 イジメは事実だとして、ユリアンカは捕まりそうになる どうやら、問答無用で処刑するつもりのようだ。 当然、ユリアンカは逃げ出す。そして彼女は、急いで創造主のもとへ向かった。 どうやら私は、婚約破棄を告げられたらしい。しかも、婚約相手の愛人をイジメていたそうだ。 そんな嘘で貶めようとしてくる彼ら。 報告を聞いた私は、王国から出ていくことに決めた。 こんな時のために用意しておいた天空の楽園を動かして、好き勝手に生きる。

ロザリーの新婚生活

緑谷めい
恋愛
 主人公はアンペール伯爵家長女ロザリー。17歳。   アンペール伯爵家は領地で自然災害が続き、多額の復興費用を必要としていた。ロザリーはその費用を得る為、財力に富むベルクール伯爵家の跡取り息子セストと結婚する。  このお話は、そんな政略結婚をしたロザリーとセストの新婚生活の物語。

次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢

さくら
恋愛
 名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。  しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。  王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。  戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。  一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。

白い結婚のはずが、騎士様の独占欲が強すぎます! すれ違いから始まる溺愛逆転劇

鍛高譚
恋愛
婚約破棄された令嬢リオナは、家の体面を守るため、幼なじみであり王国騎士でもあるカイルと「白い結婚」をすることになった。 お互い干渉しない、心も体も自由な結婚生活――そのはずだった。 ……少なくとも、リオナはそう信じていた。 ところが結婚後、カイルの様子がおかしい。 距離を取るどころか、妙に優しくて、時に甘くて、そしてなぜか他の男性が近づくと怒る。 「お前は俺の妻だ。離れようなんて、思うなよ」 どうしてそんな顔をするのか、どうしてそんなに真剣に見つめてくるのか。 “白い結婚”のはずなのに、リオナの胸は日に日にざわついていく。 すれ違い、誤解、嫉妬。 そして社交界で起きた陰謀事件をきっかけに、カイルはとうとう本心を隠せなくなる。 「……ずっと好きだった。諦めるつもりなんてない」 そんなはずじゃなかったのに。 曖昧にしていたのは、むしろリオナのほうだった。 白い結婚から始まる、幼なじみ騎士の不器用で激しい独占欲。 鈍感な令嬢リオナが少しずつ自分の気持ちに気づいていく、溺愛逆転ラブストーリー。 「ゆっくりでいい。お前の歩幅に合わせる」 「……はい。私も、カイルと歩きたいです」 二人は“白い結婚”の先に、本当の夫婦を選んでいく――。 -

悪役令嬢カテリーナでございます。

くみたろう
恋愛
………………まあ、私、悪役令嬢だわ…… 気付いたのはワインを頭からかけられた時だった。 どうやら私、ゲームの中の悪役令嬢に生まれ変わったらしい。 40歳未婚の喪女だった私は今や立派な公爵令嬢。ただ、痩せすぎて骨ばっている体がチャームポイントなだけ。 ぶつかるだけでアタックをかます強靭な骨の持ち主、それが私。 40歳喪女を舐めてくれては困りますよ? 私は没落などしませんからね。

触れると魔力が暴走する王太子殿下が、なぜか私だけは大丈夫みたいです

ちよこ
恋愛
異性に触れれば、相手の魔力が暴走する。 そんな宿命を背負った王太子シルヴェスターと、 ただひとり、触れても何も起きない天然令嬢リュシア。 誰にも触れられなかった王子の手が、 初めて触れたやさしさに出会ったとき、 ふたりの物語が始まる。 これは、孤独な王子と、おっとり令嬢の、 触れることから始まる恋と癒やしの物語

殿下に寵愛されてませんが別にかまいません!!!!!

さくら
恋愛
 王太子アルベルト殿下の婚約者であった令嬢リリアナ。けれど、ある日突然「裏切り者」の汚名を着せられ、殿下の寵愛を失い、婚約を破棄されてしまう。  ――でも、リリアナは泣き崩れなかった。  「殿下に愛されなくても、私には花と薬草がある。健気? 別に演じてないですけど?」  庶民の村で暮らし始めた彼女は、花畑を育て、子どもたちに薬草茶を振る舞い、村人から慕われていく。だが、そんな彼女を放っておけないのが、執着心に囚われた殿下。噂を流し、畑を焼き払い、ついには刺客を放ち……。  「どこまで私を追い詰めたいのですか、殿下」  絶望の淵に立たされたリリアナを守ろうとするのは、騎士団長セドリック。冷徹で寡黙な男は、彼女の誠実さに心を動かされ、やがて命を懸けて庇う。  「俺は、君を守るために剣を振るう」  寵愛などなくても構わない。けれど、守ってくれる人がいる――。  灰の大地に芽吹く新しい絆が、彼女を強く、美しく咲かせていく。

処理中です...