そんな女が異世界転生したお話

拓海のり

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三話

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 そういう訳で市場調査用の平民っぽいドレスを贈られて、その日、屋敷に帰った後、着替えて待っていると、殿下が目立たない馬車で迎えに来てくれた。
 万事にそつがない。泣きたい。

 殿下はいつものキンキラキンの衣裳ではなく、騎士が普段着を着たらこんな感じかと思うような、シャツにベストにトラウザーのラフな格好だった。
 剣を腰に下げ、長い足も引き締まった逆三角形の体躯もカッコいい。思わずボケらと見惚れてしまった。泣きたい。

 王都の広場と商店街とに挟まれた一角に市場がある。
 馬車は噴水のある広場の手前の、車止めに止まる。
 馬車を降りて噴水広場を横目に見ながら市場の方へと歩く。
 危ないからと手を繋いでくれて、まるでデートのようだ。ヤバイ。

 市場は賑やかで、これと同じ規模のものがあと2か所あると聞いた。
「行きたいなら、そちらも今度連れて行ってやろう」
「はい、お願いします」
 市場調査は大事なのよ。デートじゃないのよ。
 わたくしは自分に言い訳をする。

 市場にはお米があったし、調味料には醤油もカレー粉もあったけれどお味噌はない。市場じゃなくて、商店に聞いた方がいいだろうか。

 あら、小豆があるわ。安いし、どら焼きを作ろうかしら。
 他にも説明を聞きながら色々な物を少しづつ買う。
 殿下も興味深げに見ている。食べる物は大事なのよ。
 とても有意義な半日だった。

 帰りにレストランで食事をした。
 予約してあったそうで、別の入り口から特別室に案内された。
 今世、こんなお店で食事するのは初めてなので、店内をじっくり見回していたら殿下にクスリと笑われた。
「わたくし、まだ社会見学の最中ですわ」と睨んだ。
「いや、面白くて」
 何が面白いんだ。何かの動物と間違えてやしないか?

 食事はとても美味しかった。仔牛のロースト、野菜サラダ添えは絶品で、癖がなく口の中で蕩けるようなお肉は、サラダと一緒にいくらでも食べてしまえる。
「よく食べるな」
「はい」
 何とでも言って下さい。美味しいは正義です。


 学園がお休みの日に、屋敷で頑張ってどら焼きを作った。
 ムフフ、これこれ。あんこの塩と砂糖のバランスがばっちり。
 お鍋にフライパン。小豆と塩、砂糖、小麦粉と卵。調理器具も材料もあまり要らないのがいいわね。
 美味しいわ。料理人と一緒に作ったんだけれど好評だった。

 殿下がわたくしの家にお茶にいらっしゃった日に、お茶請けにお出ししたら、
「お前のような菓子だな」と、言われてしまった。
 どういう意味でしょう、それは。
 もしかしてポケットを持ったアレに、似ているとでも──。

 似ていないことも無いのが悲しい。泣きたい。

「姉上にお似合いのお菓子です。どうして殿下はこんな姉と婚約したのか謎です」
 わたくしの手作りのどら焼きをムグムグしながら悪たれの弟が言う。
 こういう場合は拳骨一個だ。
 ゴチン!
「イタッ! 姉上なんか、早く断罪されろ」
 わたくしの心を込めたどら焼きを食べて、後ろ足で砂をかける真似をする弟は万死に値する。


  ***

 1年2年3年。無事に終わって、わたくしは気を抜いてしまったのか。

 卒業パーティの日、今日は準備があって迎えに行けないと殿下に言われた。
 だから会場にはひとりで行った。

 会場にひときわ目立つあの金髪は──。
 いつもの美丈夫が騎士服に金モールを下げて、可愛らしい少女と歩いている。彼女のコロコロと笑う声まで聞こえるよう。

 彼女はひとつ下の2年生。編入生で伯爵家の養女だという、ひときわきれいなフワフワの金髪に青い瞳の、誰もが見惚れるお人形のような子だった。

 生徒会長をしている殿下に勧誘されて生徒会に入ったと聞いた。
 有能で誰にも愛想がよくて機転が利いて美しい。
 どれを取ってもわたくしは及ばない。

 生徒会が忙しいという殿下に「お気になさらず」と言うしかない。
 わたくしと一緒に過ごすことは減り、
 彼女と仲良さそうに寄り添う姿を何度か見た。
 あの前世の記憶が甦って苦しい。

 その子がヒロインなの?
 わたくしは婚約破棄されるの? 断罪されるの?

 ああ。こんな時に奪われてしまうなんて。
 奪われるなんて、殿下はわたくしのものでもないものを。
 ものだと思うなんて、なんて思い上がっていたものか。

「おい」
 いや、もうこんな時に誰なの。わたくしは家に帰って泣くのだわ。
 自分のモノだと思っていたのかしら。長年一緒に居れば愛情も湧くのかしら。

 いいえ、私は怖かったの。あの時みたいに奈落の底に落ちたくなかった。
 怖くて怖くて正面から殿下を見ようとしなかった。出来なかった。

 ああ、落ちて行くわ。どん底まで落ちて行くわ。
 わたくし、救いようがない馬鹿ね。

「おい」
 振り向けばいつもの殿下が居らしゃった。仏頂面であまり笑わない人。
「殿下……」
「何を泣いている」
 あきれ顔です。
「だって、殿下が他の方をエスコートして──」
 あら、衣装が違う? 人違い?
 だって間違えるはずが……ない、
 そうかしら?
 わたくしはこの方の事をどれだけ知っているの?

 わたくしは前世に引き摺られて、何もかも見失ってしまったのか。

 前を見れば殿下によく似た後姿が見える。騎士団長の御子息だわ。
 殿下と又従兄弟だと聞いている。お顔を見れば全く違うのに、どうしてわたくしは間違ってしまったのだろう。

「何を言っている。行くぞ」
 手が差し出された。
「はい」
 ああ、剣ダコのある硬い手。いつもの手だ。
 触れる手のぬくもりと確かな手触り。
「殿下」
「何だ」
「浮気しないで下さい」

 その時のわたくしはとても酷い顔をしていたと思う。
 今にも泣きそうで、鼻の穴を広げて、唇をへの字に曲げて、
 プルプルと震えて……、
 噴き出さないのが可笑しいくらいの顔で言ったのだ。

 でも殿下は真面目に答えてくれる。
「私がいつ浮気をした」
「そうですわね。結婚しても浮気をしては嫌でございます」
「面倒な事はせぬ」

「わたくし、沢山子供が欲しいのですわ」
 前世では子供を作る暇もなく死んでしまった。

 ああ、前世の事を考えるのはもう止めよう。
 わたくしは生まれ変わったのだから、今世を生きるわ。

「たくさん産んで差し上げますわ、わたくしが」
 キッと睨んで強調する。
「あ、ああ、産むのは任せる」
 さすがに驚いているわ。
「作る方は任せろ」
 ちょっと色っぽい流し目で言われてしまった。
 いや、あの、その、ええと……。
 こんな時にそんな顔をするなんて、ずるい!

 わたくしの顔は真っ赤に染まった。
 殿下の顔も赤いようだけど。

 卒業パーティが始まる──。


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