逃げるオタク、恋するリア充

桔梗楓

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アフター編

35.家族ということ

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 実家に泊まる時はぐーたら昼まで寝てる時が多いけど、さすがに今日は目覚まし時計をつけて早起きする。
 すると、私が洗面所に行くと笹塚が立っていて、隣に義兄さんがいた。

「あ、おはよう由里ちゃん。よく眠れた?」
「おはよ~義兄さん。ごめんね、あの二階の物置掃除させちゃって」
「あはは、いいんだよ。流石にタンスを運んだ時は依ちゃんにシップ貼ってもらったけどね~」

 かるく返してくる義兄さんは、ぽややんとした笑顔を見せてくる。彼は我が羽坂家の癒し系だ。念ちゃんはよくこんな良識人を捕まえたなぁと感心するほど。
 髭を剃っていた笹塚が、電気シェーバー片手に振り返ってきた。
 仕事の時と同じワイシャツにスーツのズボン。勿論ネクタイも巻いている。挨拶だからと言ってちゃんとスーツを用意してきた彼はやっぱり真面目な人だ。

「おはよ、由里」
「おはよ~。よく眠れた?」
「おかげさまで。ふかふかのお布団で申し訳ないくらいだったよ」

 ぷちりと電気シェーバーの電源を切り、洗濯機の上に置いていたタオルを取って首にかける。
 そんな何てことのない彼の仕草ひとつひとつがドキドキとしてしまう。朝から一体何を興奮してるのか、私は……。

「もうすぐ朝ごはんだから、用意ができたら居間においでね」

 にっこりと言ってくる義兄さんにこっくりと頷いて、私は笹塚と入れ違いで顔を洗った。


 全ての準備を終えた私達は、居間の障子前で呼吸を整える。笹塚は少し緊張したようにネクタイの結び目を整えた。何せ初顔合わせなのだ。彼なりに気合を入れているのだろう。

「え、と。開けるよ?」
「うん」

 気遣うように笹塚を伺えば、意外としっかりした答えが帰って来る。度胸があるのは営業マンゆえなのか、それとも笹塚の性格なのか。
 彼の頷きに私も頷きを返し、ガラッと障子を開けた。居間には家族全員が揃っていた。

「おはよう! いらっしゃい笹塚く~ん! 私は由里のお母さんよ! さぁさ、座って座って! もうねぇ、すっごくメニュー考えたのよ。ほら、若い子って洋食が好きなんでしょ? だからねぇ~ほら! 洋風にしてみたのよ。ね、見て! 食パン! あとこれはいり卵……じゃなくてスクランブルエッグ! ケチャップつけたらスクランブルよね! それからサラダよ! それに珈琲! お洒落よねぇ、どう? どう? 笹塚くん!」
「お母さん落ち着いて! ごめんなさい笹塚さん。そこ空いてるでしょ? 座ってね。由里はその隣ね」
「あ、はい……」

 障子を開けるなり、いつもと変わらない母さんのマシンガントークが出迎えた。笹塚が若干引きつつも、何とかにっこりと営業スマイルを浮かべ、姉ちゃんが勧める座布団に座る。私も隣の席につき、目の前に置かれているきつね色の食パンを手に取った。すると向かい側に座るおばあちゃんがニコニコとフォークでスクランブルエッグを掬い、おじいちゃんと話していた。

「今日は何だかハイカラじゃのう」
「本当ですね、おじいさん。このいり卵なんてケチャップがついてますよ。若い頃を思い出しますねぇ」
「でも食パンはご飯を食べてる気にならんのう……」

 少し文句を言いつつ食べるおじいちゃん。やっぱりいつもの味噌汁やごはんといった和食が良かったんだろう。
 だけどお母さんが「何言ってるの!」とおじいちゃんに食ってかかった。

「今日は笹塚くんがいらっしゃってるのよ! 若い人は食パンに珈琲って決まってるじゃない! そんな人にいつもの小松菜の味噌汁やらぬか漬けなんて出せるわけないでしょ!」
「あ、いえ。僕は和食も好きですから。洋食も好きですけどね」

 母を気遣う笹塚。この人の言う事に対していちいち気使ってたら身がもたないぞ、と義兄さんを見て思う。

「それより、食事の場ですが、先に。由里と結婚を前提におつきあいさせて頂いている、笹塚浩太と申します。これ、つまらないものなんですけど」

 笹塚がかしこまった挨拶をした後、ヨーグルト食べてる父さんと母さんに白い紙袋を渡す。彼が用意してきたお土産だ。
 母さんが「まぁまぁ気を使わせちゃって申し訳ないわねぇ~」と言いつつ嬉しそうにそれを受け取り、そして父さんが無言ですばやく奪い取り、さっそく中を改めた。
 ……父さん、お願いだからそういう、浅ましい真似はやめてくれ……。頼むからもう少し紳士的にふるまってください……。

「おお、日本酒じゃないか。よくわかってるなぁ! これは後で道真君と一緒に、三人で飲むしかないな!」
「はい、ご相伴にあずかります。それから……お、御母さんと御姉さんにはお菓子を。それからおじいさんおばあさんには果物を。……桃がお好きなら良いのですが」
「まぁ~素敵! 桃よ桃っ! ありがとうございます! おじいさんおばあさん、後で剥いてあげますからね」
「笹塚さんすみません、わざわざ用意してもらって。これ、有名なショコラティエのチョコトリュフですよね。前にテレビでやってました。ありがとうございます」

 テンションがぶっ飛んでる母と対照的に頭まで下げて礼を言う姉。全くどっちが母親かわかったものではない。
 ていうか今、さりげに笹塚が「お義母さん」「お義姉さん」と口にしたのに二人ともつっこまないのか…。
 ……そういえば、こういう話っていつしたらいいんだろう? 朝食時にする話じゃないだろうし、この後改めてやるのかな?
 そんな風に考えつつ、私は少し緊張しながら、母の手馴れない洋風朝食を頂いた。
 しかし、私の思いとはうらはらに、真面目な話し合いなど起こる気配は一切なく、あれよあれよと昼間から酒飲み父さんによる飲み会が始まってしまう。
 さながら正月のノリのように、私は姉ちゃんや母さんの作る酒のアテを運ぶ係となっていた。

「そういえば由里、料理は上手くなったの?」
「あ、そうだね。何とかって感じかな。まだ見てくれは悪いんだけど、浩太さんは美味しそうに食べてくれるよ」

 そう答えると、姉ちゃんが「それはよかったわね」とニッコリ笑う。私の料理スキルが上がったのは全て姉ちゃんのおかげだ。口やかましくて時々めんどくさいなぁと思う姉だけど、こういう時だけは素直に感謝する。
 そんな姉の隣で生春巻きを作りながら母さんが突如ブツブツと呟いた。

「……こうちゃん、こーくん……こったー……」
「こったー? なに?」
「笹塚君のニックネームよ。このままずっと『笹塚君』じゃ駄目でしょ? やっぱりニックネームは大事よね。由里は何がいいと思う?」
「えっ……ニックネーム!? いやその、なんでいきなり!」
「へ? だってあなた達、結婚するんでしょう? じゃあ由里だって笹塚さんになるんだから苗字呼びじゃ具合が悪いじゃない。やっぱりこーくん、かしら。ねぇ依子、可愛いと思わない?」
「普通に浩太さんでいいと思うわよ。道真さんだって、道真さんなんだから」

 姉ちゃんがそっけなく答えると、母さんが不満げに頬を膨らませ「あれは依子が猛反対したからじゃない! ミッチーとかすっごく良いと思ったのに!」とか言い出す。
 ミッチー……。よかったね義兄さん。姉ちゃんが全力阻止してくれて本当に良かったね……って、問題はそこではない!

「ちょっ、母さん! あの、結婚って! 確かに結婚するつもりだけど、ちゃんとこう、顔をつき合わせて娘さんを下さい! とか、そういう話をしなくていいの!?」
「娘さんを下さい~!? なによそれ。どこの時代劇よ~! わざわざそんな事しなくたって、こーくんは充分いい人そうだし、由里には勿体無い程カッコイイ男じゃない。断る方がおかしいわよ。むしろ間違って誰かが反対なんかしてきたら、母さん全力で戦っちゃう! あんないい男、逃す手はないわよね!」
「こ、こーくん言うな! ……う、確かにいい人だし、カッコイイって思うけど、そんなノリでいいの?」
「いいのよ」

 クスッと隣で笑われる。
 振り向くと、優しい目をして小鉢に具材を盛る姉ちゃんがいた。

「うちの家はこうなのよ。特に父さんは照れ屋だから、かしこまった席が苦手なの。笑いとお酒をまじえて軽く許可しちゃうくらいが丁度いいのよ」
「……父さん、照れてるから、昼間っから飲み会やってるの?」
「そうよぉ。しかも二人きりで飲み交わすなんて勇気も出ないヘタレさんだから、道真さんも誘っちゃってね。ホント、可愛い人だと思わない?」

 あははっ! と声を立てて母さんまで言ってくる。
 そうだったんだ。父さん、朝からずっと照れてたんだ。それでお土産を乱暴に奪ったり、飲み会しようなんて騒いだりしてたんだ。
 何かいつもと変わらないような気もするのに、あれが照れ隠しだったんだと思うと、確かに父が可愛く思えてくる。母さんの言う通りだ。

「だからね、私達は全く問題ないんだから。こーくんと幸せになるのよ、由里」
「……うん。……でも、こーくんは駄目」

 ええ~っ! と不満げに騒ぐ母を置いといて、姉さんが作った数種類の小鉢を盆に乗せて居間へと歩く。
 障子に手を伸ばした所で、げらげらとした父さんの甲高い笑い声が聞こえてきた。
 すっかり出来上がっているようで、義兄さんが少し心配している。普段から時間さえあればお酒を飲むのが好きな父さんだけど、こんなに酔っ払うのは珍しい。
 障子ごしにそう思っていると、父さんが突然、先ほどの笑い声と同じくらいの声で泣き出してしまった。私は更にびっくりしてしまって、障子を開ける手を止めてしまう。
 道真さんも笹塚も、慌てて「大丈夫ですか?」と声をかけている。と、そこに父さんが「浩太君!」と声を上げてきた。

「由里を頼む……。あいつは、何というか本当に鈍くさくて不器用で、頭もあんまりよくなくて、正直俺と母さんとどっちに似たんだって夫婦喧嘩するくらいだったんだが、それでも俺等の大事な娘なんだ。依子は婿入りだったけど、でも……由里は……いっちまうだろ? だから……」
「……お義父さん」
「いつも来いとは言わない。田植えとか、稲刈りの時だけでいい。あ、いや、手伝って欲しいって言ってるわけじゃねえんだが、その……あの……ま、孫とかよ、できたら顔も見たいし……」

 酒の入ったダミ声で呟く父さん。私はさすがに立ち入ることができず、その場で動けず仕舞いになってしまった。しかしそこへ、笹塚の優しい声が聞こえてくる。

「大丈夫ですよ、遊びに行きます。田んぼの手伝いだってします。僕は、彼女が鈍くさくて不器用だなんて思っていません。頑張り屋で優しくて、俺の幸せを一番に考えてくれる素敵な人です。……彼女は僕が幸せにしますから。どうか安心してください」

 彼の言葉にむせび泣く父さん、慰める義兄さん。
 ……呆然と立つ、私。

 そんな風に思っていてくれてたんだ。
 どうしよう。

 すごく、すごく、嬉しい。

 小鉢を載せた盆を持ったまま台所に向かって走る。料理がひと段落して台所のテーブルでお茶を飲んでいた母さんと姉ちゃんを通り過ぎ、洗い場に盆を乗せると俯いた。
 やばいやばい、どんな顔をしたらいいのかわからない。
 絶対顔に出てしまう。ニマニマとしてしまう。私は立ち聞きしてしまったんだから悟られないようにしなきゃいけないのに。

 俯いたままの私に、どうかしたの?と姉ちゃんが近づいてくる。
 そして私を見た姉ちゃんが、「…由里、顔真っ赤よ?」と目を丸くしたのだった。


Fin
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みんなの感想(1件)

ゆきさん
2020.05.30 ゆきさん

Amazonで本編を購入してからこちらへ来ました。
とっても良かったです。
もう少し書き足して、書籍化して欲しいです。

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