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第二部 探索編~不知火の杜
不知火の杜(1)
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『諏名姫と我が主の婚姻の約定を果たされよ』
キッカケは一通の書状であった。
木の皮に、泥炭でつらねた古風な文字。
凩組。
正式な一族名も里の名もわからぬ、閉鎖された邦からの婚姻を促す書状であった。
今迄交流したこともない邦からの申し入れに、姫の御前会議は騒然となった。
「凩組が友好関係を結ぶ為に、領主同士の婚姻を結びたいじゃと?!」
「しかも、姫に凩が棲む森へ輿入れさせよと? 何様のつもりか!」
「要するに、姫を差し出せということではないかっ」
一同は顔中を口にして怒り喚いた。
領主であり、里の守り神であり。皆の心の拠り所である姫を差し出せという、そんな内容の書状。はいそうですか、と肯える訳がなかった。
「婿を差し出す、という申し出ならばともかくッ! 姫を外にやれるものか!」
それが一同の意見であった。
なによりも、”姫の夫”とみなが認めた男が既にいたのであるから、その男以外に姫をやる訳にはいかないのだ。
騒然となっているなか、とうの姫の周囲だけ静かであった。
一人は山のような筋肉を抱えた躯をちぢこませて、片方しかない目で事の成り行きをはらはらと見守っている疾風。
一人は傷痕をはしらせ貌に目をとじ、黙然と己の想念に沈んでいるかのような草太。
そして、護衛当番である功刀とともに、少し離れた所で騒乱を見守っている諏名姫であった。
すっと姫が立ち上がった。
はっと一同が襟を正し、姫へと向き直る。
まだ成人の儀を終えていない若年の女性ではあったが、みな心服していたのだ。慈悲深くありながら、時勢を誤まらない治政の手腕に。
なにより。
人とは浅ましいものだ。
かつて諏和賀が戦に滅ぼされ、転がる屍も供養されず放置されたまま、草木も生えぬ亡土と化していた。人も獣もよりつかぬ土地であった。
それを仇敵を滅亡させ諏和賀を再興した姫君と。
彼女に許された新たな入植者達が、かん難辛苦の想いで土地を拓いた。石や木の根を取り除き、ようやく緑が芽吹くようにした。
人と金と幸せが作り出されてくると、新生諏和賀に獲物を狙う獣のように不審な輩が徘徊するようになった。
諏和賀の領主が若年の女性で、軍組織も先の戦でなくなり里民たちも寄せ集めとあって、近隣の格好の餌となるはずであった。
が、諏名姫は瘤瀬衆を率い、陣頭に立ち自ら戦雲を切り払ったのだ。
ゆえに諏和賀の里民にとって諏名姫の言葉は絶対なのだ。――その言動によって、諏名姫自身が不幸にならない限り。
しん、と広間が鎮まる。姫はぐるっと一同を見渡し。
「まあ……よく考えてみるわ」
というと、奥に下がった。
一同に気が抜けたようなざわめきがはしる。ふと見ると、姫君の周りにいた瘤瀬衆の姿も消えていた。
姫の居室。
「うーん……凩組と組む事が諏和賀として利になるのかな……?」
諏名姫は本気で悩んでいた。
うら若い娘であれば、降ってわいた初めての縁談に心ゆさぶられることであろう。にもかかわらず、姫の悩みようは他人事のようであった。
それも当然かもしれない。
一人の娘であれば、好き嫌いで縁談を進めてもよいだろう。だが、彼女は一国を治める領主であった。
彼女の姻戚が一国の運命を左右する。
己のことであっても、大局から判断せねばならないのだ。
姫には、幼い頃からその背中を追いつづけてきた、心に決めた男がいた。しかし、その男とは縁組はあるまいと諏名姫は諦めていた。
(私が兄者の恋人を殺したのも同然なのだもの)
”兄”の草太は憎しみを抱いている菜をの警護や、諏和賀の復興に力を貸してくれる。それ以上、彼との進展など、望むべくもない。
(忘れなければ)
そうは言っても、頭と心は別のものだ。
諏名姫とて、好いた男と共に歩めれば、と思う。
共に笑い、共に生き、共枕を交わすことが出来れば。
しかし。
草太はおそらく無くした恋人を想って過ごすのだろう。
もしくは自分とは違う女を娶るのだろう。
諏名姫は、男を何時になったら忘れ去れるのか、自分でもわからない。
おそらくは。
(私が死んでも。ううん、地獄までこの想いはきっと持っていく)
(だけど)
自分の幸せと、一国の幸せとは別のものだ。
領主である以上、何時までも独り身は赦されないであろう。
邦はほぼ世襲が習い。いくら諏名姫が優秀な者に邦を任せたいと言っても罷り通らない。却って血の繋がっていない人間を推したことで邦が乱れる畏れがあった。
縁談は初めてであったが、これが最後ではないだろう。
誰かと婚姻を結んだのちも、たとえ子供を産んでさえ。
離縁さえすれば、相手の男や子供を抹殺さえしてしまえば、なんら問題はないのだ。
諏和賀一族は、先の戦乱の折り、姫を除いて滅ぼされてしまっている。
だから、姫を外に出す、という縁談は断ることができる。しかし、数多の豪族の子息には次男坊、三男坊、はては数十人に及ぶ係累をもつものも少なくない。
かえって婿というのは、戦わずして領土が殖える、よい手段なのだ。
「うーん……」
姫は頭をかかえた。
普段、諏和賀の里民の前では慈愛深くも、毅然とした態度をくずさない。が、育てられた環境によるものか。根が茶目ッ気がある娘なので油断していると、そのような漂軽な態度が面に出る。
ぱっと何かをふっきったように顔をあげる。
「よし!」
ひゅい、と口笛を吹く。
と、いつのまにか室内に娘が一人端坐していた。
「お呼びですか」
「うん、呼んだ」
諏名姫は嬉しそうであった。
立ったままの姫を、座ったままの娘が微笑みながら見上げる。
「姫もいつまでたっても変わられませぬな」
お小言のようでもあったが、嬉しそうでもあった。
「『姫』を脱ぐ。また、お願いしていい?来女」
謎めいた諏名姫の言葉に、座って姫を見上げていた娘はわかっている、というように頷いた。
そして。
「どうか、阿蛾、と」
来女がそっと訂正を促す。
「そうだったね。頭領と婚儀を終え、名を、選んだのだものね」
諏名姫はそういうと、娘をあらためてじっと見た。
娘は諏名姫よりたしかひとつ下の筈であったが、しっとりと、全身が伴侶を得た歓びに輝いているようであった。
姫は、まぶしそうに目をそらすと、少年のような表情になった。
(来女。いや、阿蛾。綺麗ね)
自分もいつか、想いあった伴侶を得ることがあるのだろうか。
また。ふ、とそのような疑問が根差したが、今は置いておくことにした。
そして、帯を解き始めた。
質素ながら姫の為に誂えられた衣を脱ぐ。と、肩から袖がぶっつりと切れた、わずかに大腿を隠す短い着物姿となった。
その下は胸から大腿部まで晒でぎゅっとかためており、結ってあった髪をいったん解くと、無造作にまとめる。
いつのまにか、草太と疾風が次の間に控えていた。
「お供つかまつる」
二人には諏名姫がどこへ、何をしにいくかは既にわかっているようであった。
「うん、お願い」
にっこり笑ったかと思うと、もう3人の姿は消えていた。
(”姫”はあいかわらず『菜を姉者』なんだわ)
阿蛾は敬愛している”姉”が、瘤瀬衆であり続けてくれるのが嬉しい。尤も菜をが諏名姫で有り続けても、阿蛾は自分だけは姉者の傍に死ぬまで居る、と思う。
(それにしても、姉者は今回の縁談をどう捌かれるおつもりなのかしら。草太兄者がいらっしゃるのに。上手くいきますように……)
阿蛾は一人ごちると、菜をの脱いだ衣をとりあげ、袖を通し髪をととのえた。
手をすうっと額からあごへと走らす。
と、諏名姫がそこにいた。
よくみれば阿蛾の顔であるのだが、ひとつひとつの細かい所作が諏名のそれなのだ。
菜をの冒険行のたび、阿蛾が影となるのであった。
キッカケは一通の書状であった。
木の皮に、泥炭でつらねた古風な文字。
凩組。
正式な一族名も里の名もわからぬ、閉鎖された邦からの婚姻を促す書状であった。
今迄交流したこともない邦からの申し入れに、姫の御前会議は騒然となった。
「凩組が友好関係を結ぶ為に、領主同士の婚姻を結びたいじゃと?!」
「しかも、姫に凩が棲む森へ輿入れさせよと? 何様のつもりか!」
「要するに、姫を差し出せということではないかっ」
一同は顔中を口にして怒り喚いた。
領主であり、里の守り神であり。皆の心の拠り所である姫を差し出せという、そんな内容の書状。はいそうですか、と肯える訳がなかった。
「婿を差し出す、という申し出ならばともかくッ! 姫を外にやれるものか!」
それが一同の意見であった。
なによりも、”姫の夫”とみなが認めた男が既にいたのであるから、その男以外に姫をやる訳にはいかないのだ。
騒然となっているなか、とうの姫の周囲だけ静かであった。
一人は山のような筋肉を抱えた躯をちぢこませて、片方しかない目で事の成り行きをはらはらと見守っている疾風。
一人は傷痕をはしらせ貌に目をとじ、黙然と己の想念に沈んでいるかのような草太。
そして、護衛当番である功刀とともに、少し離れた所で騒乱を見守っている諏名姫であった。
すっと姫が立ち上がった。
はっと一同が襟を正し、姫へと向き直る。
まだ成人の儀を終えていない若年の女性ではあったが、みな心服していたのだ。慈悲深くありながら、時勢を誤まらない治政の手腕に。
なにより。
人とは浅ましいものだ。
かつて諏和賀が戦に滅ぼされ、転がる屍も供養されず放置されたまま、草木も生えぬ亡土と化していた。人も獣もよりつかぬ土地であった。
それを仇敵を滅亡させ諏和賀を再興した姫君と。
彼女に許された新たな入植者達が、かん難辛苦の想いで土地を拓いた。石や木の根を取り除き、ようやく緑が芽吹くようにした。
人と金と幸せが作り出されてくると、新生諏和賀に獲物を狙う獣のように不審な輩が徘徊するようになった。
諏和賀の領主が若年の女性で、軍組織も先の戦でなくなり里民たちも寄せ集めとあって、近隣の格好の餌となるはずであった。
が、諏名姫は瘤瀬衆を率い、陣頭に立ち自ら戦雲を切り払ったのだ。
ゆえに諏和賀の里民にとって諏名姫の言葉は絶対なのだ。――その言動によって、諏名姫自身が不幸にならない限り。
しん、と広間が鎮まる。姫はぐるっと一同を見渡し。
「まあ……よく考えてみるわ」
というと、奥に下がった。
一同に気が抜けたようなざわめきがはしる。ふと見ると、姫君の周りにいた瘤瀬衆の姿も消えていた。
姫の居室。
「うーん……凩組と組む事が諏和賀として利になるのかな……?」
諏名姫は本気で悩んでいた。
うら若い娘であれば、降ってわいた初めての縁談に心ゆさぶられることであろう。にもかかわらず、姫の悩みようは他人事のようであった。
それも当然かもしれない。
一人の娘であれば、好き嫌いで縁談を進めてもよいだろう。だが、彼女は一国を治める領主であった。
彼女の姻戚が一国の運命を左右する。
己のことであっても、大局から判断せねばならないのだ。
姫には、幼い頃からその背中を追いつづけてきた、心に決めた男がいた。しかし、その男とは縁組はあるまいと諏名姫は諦めていた。
(私が兄者の恋人を殺したのも同然なのだもの)
”兄”の草太は憎しみを抱いている菜をの警護や、諏和賀の復興に力を貸してくれる。それ以上、彼との進展など、望むべくもない。
(忘れなければ)
そうは言っても、頭と心は別のものだ。
諏名姫とて、好いた男と共に歩めれば、と思う。
共に笑い、共に生き、共枕を交わすことが出来れば。
しかし。
草太はおそらく無くした恋人を想って過ごすのだろう。
もしくは自分とは違う女を娶るのだろう。
諏名姫は、男を何時になったら忘れ去れるのか、自分でもわからない。
おそらくは。
(私が死んでも。ううん、地獄までこの想いはきっと持っていく)
(だけど)
自分の幸せと、一国の幸せとは別のものだ。
領主である以上、何時までも独り身は赦されないであろう。
邦はほぼ世襲が習い。いくら諏名姫が優秀な者に邦を任せたいと言っても罷り通らない。却って血の繋がっていない人間を推したことで邦が乱れる畏れがあった。
縁談は初めてであったが、これが最後ではないだろう。
誰かと婚姻を結んだのちも、たとえ子供を産んでさえ。
離縁さえすれば、相手の男や子供を抹殺さえしてしまえば、なんら問題はないのだ。
諏和賀一族は、先の戦乱の折り、姫を除いて滅ぼされてしまっている。
だから、姫を外に出す、という縁談は断ることができる。しかし、数多の豪族の子息には次男坊、三男坊、はては数十人に及ぶ係累をもつものも少なくない。
かえって婿というのは、戦わずして領土が殖える、よい手段なのだ。
「うーん……」
姫は頭をかかえた。
普段、諏和賀の里民の前では慈愛深くも、毅然とした態度をくずさない。が、育てられた環境によるものか。根が茶目ッ気がある娘なので油断していると、そのような漂軽な態度が面に出る。
ぱっと何かをふっきったように顔をあげる。
「よし!」
ひゅい、と口笛を吹く。
と、いつのまにか室内に娘が一人端坐していた。
「お呼びですか」
「うん、呼んだ」
諏名姫は嬉しそうであった。
立ったままの姫を、座ったままの娘が微笑みながら見上げる。
「姫もいつまでたっても変わられませぬな」
お小言のようでもあったが、嬉しそうでもあった。
「『姫』を脱ぐ。また、お願いしていい?来女」
謎めいた諏名姫の言葉に、座って姫を見上げていた娘はわかっている、というように頷いた。
そして。
「どうか、阿蛾、と」
来女がそっと訂正を促す。
「そうだったね。頭領と婚儀を終え、名を、選んだのだものね」
諏名姫はそういうと、娘をあらためてじっと見た。
娘は諏名姫よりたしかひとつ下の筈であったが、しっとりと、全身が伴侶を得た歓びに輝いているようであった。
姫は、まぶしそうに目をそらすと、少年のような表情になった。
(来女。いや、阿蛾。綺麗ね)
自分もいつか、想いあった伴侶を得ることがあるのだろうか。
また。ふ、とそのような疑問が根差したが、今は置いておくことにした。
そして、帯を解き始めた。
質素ながら姫の為に誂えられた衣を脱ぐ。と、肩から袖がぶっつりと切れた、わずかに大腿を隠す短い着物姿となった。
その下は胸から大腿部まで晒でぎゅっとかためており、結ってあった髪をいったん解くと、無造作にまとめる。
いつのまにか、草太と疾風が次の間に控えていた。
「お供つかまつる」
二人には諏名姫がどこへ、何をしにいくかは既にわかっているようであった。
「うん、お願い」
にっこり笑ったかと思うと、もう3人の姿は消えていた。
(”姫”はあいかわらず『菜を姉者』なんだわ)
阿蛾は敬愛している”姉”が、瘤瀬衆であり続けてくれるのが嬉しい。尤も菜をが諏名姫で有り続けても、阿蛾は自分だけは姉者の傍に死ぬまで居る、と思う。
(それにしても、姉者は今回の縁談をどう捌かれるおつもりなのかしら。草太兄者がいらっしゃるのに。上手くいきますように……)
阿蛾は一人ごちると、菜をの脱いだ衣をとりあげ、袖を通し髪をととのえた。
手をすうっと額からあごへと走らす。
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よくみれば阿蛾の顔であるのだが、ひとつひとつの細かい所作が諏名のそれなのだ。
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