蒼天の城

飛島 明

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幕間(3)

陽炎(かげろう)の邑(1)

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 夜更け。
 里の者達が、主君の姫君とその伴侶の祝言の為に、夜遅くまで駆け回った。最後まで浮かれていた者達も、ようやく寝静まった時間。


 時苧が集まった瘤瀬衆を前に言った。

「『瘤瀬』衆を我が主君、諏名姫のおひざ元の諏和賀に移す。
よってわしらの名を”諏和賀衆”と改める」
『瘤瀬』とは地名であると同時に、ある集団を示す名でもあった。

 時苧を頂点とする、諏和賀の主君に仕える忍ぶの集団。

 諏和賀が再興してより、瘤瀬の里にも余所者が多数入り込み里全体が忍ぶの里とは、もう言い切れぬ。
「瘤瀬の里の長には、疾風をおきたいんじゃがの」

 時苧の言葉に、疾風は(きたか)と内心思っていた。

 自他ともに認める草太の片腕で、実力は草太と功刀・時苧ともいい勝負だろう。
 人柄も思慮深く穏やか。かつ、度量も広く視野には柔軟さもある。
 父親が吉蛾の最後の棟梁であった、ということを慕っている者もいる。

 上に立つ者の一人、と皆に目されて当然の人物。
 しかし、彼にはとんとその気がなかった。
 なぜならば。
「頭領。オレは兄者の傍らで働きたいんだ」
 絶対服従の頭領の言いつけのなか、疾風はきっぱりと断った。

 なんの為に彼が「疾風」を選んだのか。
 それは草太とともに、諏名姫の治世を助けたいと思ったからだ。
 無論、瘤瀬は今や重要な拠点だ。いざとなれば、また領主一族の隠れ里になることもあろう。

 余所者が増えたといっても、この里の存在は外には漏れておらぬ。無論、新参で里人になったもの達もそれは充分承知している。
 むしろ己の存在を他に知られず、ひっそりと暮らしていきたい者達が集っているのだから。

「それだけか」
 時苧はじろり、とねめつけた。
「それだけだ」
 疾風は他に何がある!と言うくらいの勢いで頭領と睨み返した。

「ぬしは吉蛾の最後の棟梁、勘三の息子じゃ。
当然、吉蛾が存続しておれば、その跡を継ぐべき者」
「それは過去のことだ、爺様」
 疾風は静かに答えた。
(吉蛾がなくなったから、瘤瀬を俺に継がせるだと? ……頭領(じいさま)には兄者がいるのに!)
 普通なら義理堅い申し出ととる所を、疾風には理不尽なことを言われたように思えた。


 一同も、過去に拘らぬこの里で。このように過去を持ち出されたことはないから、ざわついた。
 既に成人し、子を成している者もいた。が、ここに連れてこられた時は大きくても五つ、六つ。
 吉蛾の棟梁の血筋に拘る者など、時苧以外におらぬ。

「草太は今や実質諏和賀の長の一人。
そして、忍ぶとしての諏和賀衆を束ねる者じゃ」
(そりゃ、そうだが)

「よいか。
ぬしが、このまま草太の片腕として働くにしてもじゃ。
有事の際には諏和賀衆も、ひいては諏和賀の里も。
そしてこの瘤瀬の里を束ねられる者でなくてはならぬ。
ぬしにその覚悟があるのか」

「……それはわかっている」
 だから、そうあろうとしているのだ。
(例え、柄じゃないにしても)
 己が草太兄者や菜をの足を引っ張ってはならぬのだから。

「草太はこはとを殺した」
「!」
 時苧の言葉に一同はざわついた気を発した。

 何を言い出すのか。
 一堂は固唾を呑んで、己が棟梁の次なる言葉を待った。

「それにより、あやつはいざという時に判断を迷わせないことを、周囲に知らしめた」

 口にはしなかったが、実は時苧の中で草太の評価を高からしめたのは、その時ではなかった。
 菜をが己の隠していた身分を疾風に晒そうとした時である。あの時草太は、菜をを諌めるのではなく疾風を亡き者にしようとしていた。

『疾風(こやつ)は草太にとっては影にも等しい筈。
それを主君の為に、主君が過ちを犯した綻びを広げない為に抹殺しようとするとは!
いささか心情の甘いヤツと思うておったが、及第じゃわい』

 時苧は深く満足し安堵もしたが、無論それは誰にも明かさなかった。

「あやつが有事の際に公正であるからこそ、ぬしらもついていこうとする。違うか?」
 その通りであった。
 草太が普段、決して冷酷非情な訳ではない。
 やたらと女子供老人には優しい。しかし、こうと見込んだ人間に対して無闇と甘やかさない本当の優しさを持っている。
 軽妙で女にもてる。女好きなのくせに、初心なところもある。勁くあろうとしているが、弱さを蔑みはしない。だから、人にも懐かれる。
 悪くすると舐められる性格だ。しかし、非常の際の情に揺がない判断力を信頼できる。みなが感じていることだ。

「ぬしは非常の際に非情になりきれるのか、と聞いておるのじゃ」

 それは疾風の弱点であったかもしれぬ。
 性根が優しいのだ。
 それが彼の徳であることは、間違いない。疾風を慕う者も勿論、多い。が、忍ぶとしては致命的ともなりかねない欠点でもある。

「出来る」
 疾風はきっぱりと言った。
(草太兄者と菜をの為ならば。オレは鬼にもなれる)

 だが、時苧は甘くはなかった。
「ならば、ぬし。草太と諏名姫とどちらか選べと言われたら、どちらを選ぶのじゃ」
「っ、!」
 疾風の躰が硬直した。

「草太に心酔しているならば、それもよい。
なれど、”主君が草太をいらぬ、排除せよ”と申された時。
草太を救う為に、ぬしは主君を手にかけることが出来るのか」

 鉄槌をくらったような感じであった。

「そんなこと……、ありえない」
 疾風はうめき声を上げた。
 時苧は容赦しなかった。
「もしくは逆の場合。主君を守る為に、ぬしは草太を殺せるのか」
 一同もざわめいた。

 そうだ。
 そんなことが天地が逆さになってもありえないだろう。
 諏名姫が、菜をが。草太を殺せ、と命じるとは。
 草太が菜をに逆心を抱き、菜をを亡き者にしようとするとは。

(天地がひっくり返ったとて、有り得ない!)

「人の心は変わらずにはおれぬ。
そなたが草太に衷心を誓うも。
諏名姫の御治世を草太とともに支えようとするも。
その想いは、一時の積み重ねに過ぎぬ。
『ありえない』ということはありえないんじゃ」

 一堂はしぃん、となった。


「阿蛾をめとるとき、わしは聞いたよ」
(棟梁は何を言いだすのか)
 皆、棟梁の次の言葉を待っていた。


「『わしが主君に対して逆心抱いたとしたら、なんとする』とな。
すると阿蛾はな、言うたよ」
「…………」

「『姉者への忠心にかけて棟梁の翻心を試みると。それが無理ならば、わしと刺し違える』とな」
 その言葉に一同は密かに動揺した。
 歳の差はあれど、二人は仲睦まじい。阿蛾がより時苧を慕っている。
(なのに、棟梁を。己が亭主より主君を選ぶというのか)
 一同は初めて阿蛾という忍ぶの凄さを感じた。

「あやつは菜をに心酔しておるでの。
それを聴いてわしは、あやつを娶ることを決めたのよ。
惚れておるわしを殺せる程の覚悟を持っているあやつならば、わしが亡き後も諏名姫を任せられるでな」
 惚気ではなかった。
 阿蛾の大事なもの。菜をと時苧、どちらを選ぶのか、その覚悟を尋ねたのだ。

「……」
 皆は今更ながらに阿蛾を知らない女のように見つめた。
 阿蛾がひっそりと頬を染めている。


「主君と定めた者が迷わぬように、身を挺して諫言をするのも忠臣の役目。
暗愚であっても、主と定めたきみと、心中するのも忠臣の心意気。
ぬしが誰に対してどうあっても構わぬ。
が、その覚悟がない者がそばにおったとて、草太やひいては諏名姫を惑わすだけじゃ」
「…………」
「はよう、心の行く方を定めることじゃ。草太はもう、心を決めておるゆえな」

 時苧はきっぱりといった。
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