蒼天の城

飛島 明

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幕間(3)

陽炎(かげろう)の邑(3)

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「兄者は」
 呟いた疾風の声はまるで100歳も急に老けた老人のようであった。

「兄者は吉蛾の言い伝えを守って、菜をを『愛した』のか」

 先人のくだらぬ妄執の言葉に踊らされて。伴に歩むことを決めたとして、果たしてそれは『愛』と呼べるのか。
(もしや、兄者は)
 恐ろしい妄想が疾風の胸の中を荒れ狂う。
 祖父の薫陶を受けた、生まれながらの忍ぶ。この代にこそ、棟梁の悲願を叶えようとしたら……?
(菜をへの『愛』はあるのか? 答えてくれっ、兄者!)

 自分はそんな事の為に、身を引いたのではない!

「さ、どうじゃろうのう。そうであっても、幸せなら構わなんじゃろ」



 疾風がふらふら、と時苧の小屋を出ると草太が待っていた。

「兄者」
「じい様との話し合いは済んだか?」
 時苧の、というより阿蛾の封じの気配が強かったので、あえて破らなかったそうだ。
「顔が蒼いぜ、疾風」
 草太がちらっと疾風の顔を見て言った。

「兄者は知ってたのか……」
 疾風の声が掠れた。
 二つに分かれた諏和賀の血を一つにしろとの、代々の口伝を。

「ああ」
 草太はぶっきらぼうに言った。疾風の表情で、時苧との会談の内容を察したようだ。
「口伝はな。なにかっちゃ、嫡男なのに野に下った一勘の話を聞かされちゃな」
(兄者)
 疾風は惨めな思いを抱えていた。

「だがな」
 疾風は初めて草太の顔をみた。
「操られたモンだろうが、自前だろうが。そんなことなんだってんだ」
 運命に流されても、自分の足で、手で未来を掴もうとする眼差し。
「幸せになったモンの勝ちなんだよ」

 その言葉ははからずも時苧と同じであった。




 ◇







「もし」
 もしこの人がこの世にいなかったら、あたしを取り巻くこの世界は、どうなっていたのだろう。





 ◇



「オレ、兄者に殺されかけたらしいな」
 疾風がぽつり、と言った。諏名姫は、菜をは静かに言った。
「わたしのせいでね」

 時苧から瘤瀬の邑の棟梁になれ。あるいは忍ぶとしての覚悟をもて、といわれた日の数日後。
 二人が話しているのは、諏和賀の里の境界の大木の上であった。二人はよくこの大木の枝のうえで話をする。

「オレが死んでいたら」
 ぶる、と疾風は躰が震えるのを抑えられなかった。草太の殺気は凄まじい。疾風でさえ、歯を食いしばり、丹田に気を籠めねば正気を保つことも難しい。

「疾風兄者がいなかったら、兄者はじい様をしのぐ、最凶の忍ぶになっていた」
「……」
 すとん、と納得した。

 おそらく、『最恐の忍ぶ』と恐れられた時苧よりも、草太の方が技量は上。歴代諏和賀衆の中で、『最強の忍ぶ』だ。
 身びいきではない。
『蜘蛛の糸』を張り巡らすにあたって、疾風も方々を旅をした。その中で出逢った誰一人として、草太を凌駕した者はいなかった。だが、草太は人に好かれる。時苧ほどの冷徹さがないからだ。


「人のことを人と思わず、己の操る傀儡だと。
冷酷無比で任務優先で、たぶん、私のことも己が望む政治の駒に使っていた……」
 菜をの独白とも思える呟き。
「そんなっ! 兄者がお前を」
 我知らず疾風はうろたえた。


「疾風兄者がいなければ兄者の心は永遠に闇の中よ。
いえ、心自体が壊れていた。
闇に染まった心はいつか白く戻っても、壊れたものは元には戻らないわ」

 第2の土雲となっていたでしょうね。私を、この地を、世界を滅ぼして。




「この里が今。こんなにも穏やかで在るのは、疾風兄者のおかげ」

(疾風兄者を、草太兄者に殺させることにならなくて、本当に良かった)
 そんな事をさせてしまったら、二人に対してどんな贖罪しょくざいも適わず、未来永劫のたうち回るしかなかった。
(私は、この期に及んで、酷いことを。私が兄者たちに対してこれ以上負の感情を持ちたくなかったから、疾風兄者が生きて居てくれることに感謝してるなんて)

 自分は何処まで闇に堕ちているのだろう。
 菜をは自嘲する。
 口に出しては。

「わたしは、こはと姉者を兄者に殺させたばかりだったのに。
疾風兄者まで、喪なわさせるところだった」

 疾風はなにも言えなかった。
 今もって菜をは深い傷を抱いている。そして、草太も。

「いま、のほほんと私が人助けばかり出来るのは、疾風兄者のおかげ」
 菜をは漂軽に言った。
「草太兄者がその分、冷酷無比になっちゃったけど。
大局も見ずに、ほかの人にそんな大変なこと背負って貰ってる。
私ったら領主としても忍ぶとしても失格」

 菜をは明るく続ける。

「でも、私は目に映る人を助けるわ。
ううん。助けるなんて、傲慢ね。
せめて少しの間でも。風か雨を避ける屋根。板にでもなりたい」

 菜をには、そうであってほしいと疾風は思った。
 他人のことばかり考える菜を。
 その菜をにもっと冷徹に大局をみろ、といいながら。菜をごと彼女を取り巻く全てを護ろうとする草太。

 ずっとそのままで在ればいいと疾風は思った。


「じい様のこと。嫌い?」
 菜をの問いかけに、疾風はいや、と即答した。菜をは微笑んだ。
「じい様は謀略家で狡賢くて。
人を手の上で躍らせなければ気がすまなくて。
人を出し抜くことばっかり考えてて」
 疾風がその後を引きとった。
「女好きで、後ろ暗いことばかりして。
何を考えてるかつかめなくて、冷酷で。
慈愛深い顔の裏で、どこまでも平気で非情なことを行えて」

「でも」
 疾風が言いかけ。
 菜をが微笑み。
「生き抜くことをまず、教えてくれたんだわ」
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