太弘と奉維

ガゼル

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太弘と奉維

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 かつて今の肥下県に虎狼村という小さな集落があった。これまでまったく有名ではなかったこの村は近くに山賊が住み着いたことで名を轟かせる。
 なにしろ山賊の住みかは官軍が一千の兵を持ってしても落ちぬ難攻不落の天然城であった。北部は鳥も住まぬ巨大な脊梁山脈が走り、南部は広大な密林と沼地、東部には道らしきものがあるものの千尋の谷あり山ありで到底大軍の進行は出来ぬ。西部は異国の地であり一説によると山賊達はその西国の盗賊であったという。
 この様な地は無論人の住みかとしては到底向かぬのであるが、普段は人里の近くの山寺に百人ばかりたむろしてやりたい放題。人里の方ではたまったものではないが軍隊がやってきても歯が立たぬとあらば悲しい事に泣き寝入り。賊の方もある程度は知恵が働くとみえ、盗るのは国が取る税収と同程度。それでもたった百人毎日遊んで暮らせる。

 この山賊の頭領を太弘という。赤ら顔なのは酒を飲んでいるからとして、身の丈十尺重さ百五十貫、頭髪は天に向かって逆立ちひとたび吼えるならばたちまちのうちに鳥が落ち、数人がわらわらと倒れて死んでしまう。というのは誇張があるにしても化け物である。
 この男、天下に我より強い者はいないと公言していたが、天下を取ろうとしなかった処にわずかながら智恵をのぞかせる。すなわち力だけではかなわぬ事があるを知る。

 あるとき税吏官が虎狼村に現れた。国の臣下たるもの税を払うべし。これを村民叩き出す。山賊ごとき追い払えぬ国に与えるもの無し。
 慌てたのは肥下県の県守。虎狼村ごときの微々たる税収惜しくもないが、事は皇帝の沽券にかかわる。城下に札を立てる。賊討つべし。
 これを見た楽の国の奉維という男、一人で向かう。虎狼村までは城下より歩き三日。太弘には劣るとしても立派な体格自慢の鉾を肩に担いで虎狼村にたどり着く。

 ところが田舎の農村ゆえに宿屋の一つも見あたらぬ。一晩泊めてもらえばいいものを近くの林で一服。奉維は無類の酒好き、いつもは瓶一杯飲むのをさすがに瓶は持ち歩けぬようで水筒で飲むこと二升半。これでは臭いをかいだに過ぎぬとぼやく。
 さてこの虎狼村、その名は伊達ではなく夜行するのは狐狸ではなく虎狼。はたして狼が取り囲む。ところが維はこれ幸いと片端から叩き殺して焼いて食べてしまった。一服のつもりがたらふく食べたもので眠くなり明日でいいやと大の字に寝る。

 次の朝、早速村の者に山賊の事を聞く。ところが奉維の姿は髪は伸び放題、服は破れ放題、昨夜の狼の血で赤く染まった姿はさながら悪鬼のよう。これでは素面の会話は無理というもの。
 そこに現れたのが同じく立て札を読んでやってきた腕自慢。いきなり維に襲いかかった。これを維が軽く片手であしらうと哀れ地面に叩きつけられてあっと言う間に息絶える。こうなるともはや誰にも相手にはしてもらえない。扉の向こうからは念仏の声ばかり。

 やっとの思いで山寺の石段の前にたどり着き、賊に向かって大声を張り上げる。
 「我は楽の奉維、天下無双の剛の者なり。いざ我と戦わん」
 勿論山賊は取り合わぬ。「去ね」
 もともと短気な奉維のこと、あっと言う間に石段を駆け上がり自慢の鉾で大殺戮。
 「おお、我、鉾を持てば敵は無し」
 弓も刀も維の前では役に立たぬ。さすがに太弘たまりかね、「我、太弘、素手ならば負ける者無し」と叫ぶ。なにしろ一声で鳥も落ちる大声、維に聞こえぬ訳がない。
 「おおお、そうか」一声叫んで鉾を高く放り投げた。
 太弘にとってはしめたもの、その怪力で絞め殺そうと飛びかかる。奉維、これを一撃で叩き殺し雄叫びを上げる。
 「太弘どこぞ、勝負しろ」もとより維は弘の顔など知らぬ。
 「憶したか」そう言われても死んだ者はいない。調子に乗って寺に火を放ち暴れ放題殺し放題。あの男悪魔か、山賊ですら震え上がり難攻不落の城に死ぬ思いで逃げ去った。

 意気揚々と肥下県の城下町に帰ってきた奉維、立て札を引っこ抜き県守の城の前に現れた。「我こそは楽の奉維・・・」に始まり事の次第を城門の前で朗々と述べる。
 ところがこの県守度量が狭く、金を払うのが惜しくなる。曰く「賊退治ごときで寺を焼くとは何事ぞ、見逃してやるから去ね」
 一人で千人の軍隊が手こずった山賊を始末した男故に暴れられたら厄介と一人二人と野次馬が消える。しかし維はまた無類に素直な男でそのような理由ならばとかえって恥じ入り、立て札を元に戻してどこへともなく歩き去った。
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