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第1章

爺様、崇め奉られる

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親娘にとって奇跡のような一夜が明け、朝が訪れた。
すっかり元気になった母親は張り切って朝食を作り、そして作り過ぎたのだ。
必然的にイサムの腹は朝っぱらから限界を迎える事にならざるを得なかった。

「(うぅ……昨日たらふく食ってからの、この量は流石に堪えるのぉ…少しツボ押しでもして胃の調子を良くせねば!)」

膨れた腹を抱えながら床に腰を下ろすと、脛の上部辺りを指でグイと押し始める。

「イサム? 何をしているのですか?」

床に座り込んで何かをやり始めたイサムが気になったのか、食器を洗い終わったミーナが興味深そうに後ろから覗き込んできた。

「昨日と今日でちと食べ過ぎたからの、胃の働きを良くするツボを押しとるんじゃ」

「ツボ…ですか? 水や木の実なんかを入れておくアレのことでは…ないですよね?」

それは『壺』である。

「ハッハッハ、ツボというのは言うなれば人の身体に数百と存在する治療点じゃな。足の先から頭の先まで色んな場所にあるんじゃよ」

説明しながら、今度は脛の上部から降りていくようにグイグイと揉んでいく。

「まあ詳しく言えば陰陽や正経奇経などもっと色々あるんじゃが、簡単に言えばそんなもんだの」

「うーん、不思議です。魔法とは違うんですよね?」

「そもそも儂はその『まほう』とやらを知らんから何とも言えんなぁ」

「昨日も少し言ってましたけど、イサムは本当に魔法の事を知らないんですか?」

相変わらずツボを流柱にそってグイグイ押しながら、ミーナの質問に頷いてみせる。

「そういえばすっかり忘れとったわい…すまんが簡単にで良いので『まほう』とやらについて儂に教えてくれんかの?」

「それくらいならお安いご用です!…とは言うものの、私も本格的に勉強したわけじゃないので難しい事は分からないんですけど…」

ホントにすっごく簡単ですよ?と念押ししてからミーナは魔法についての解説を始めた。

「この世界を作ったと言われている『四大精霊よんだいせいれい様』の御力おちからの一端を『言霊ことだま』によって引き出し、更にそれを呪文として連ねることで密度を高め大気に漂う魔力子まりょくしを集めて様々な力を行使する…と、中央から来られた医療法術師様が仰ってました」

「うむ、何を言ってるのかさっぱり分からんわい…」

「私も自分で言ってて良く分からなくなって来ました…」

要約すると、『呪文を唱え魔力子を使って不思議な力を行使する』というところであるが下地の全くないイサムには未だあまり理解できていなかった。

「まあ色々見聞きしていれば追い追い分かるじゃろうて。さて、それでは腹ごなしにちょいと村の散策にでも出掛けるとするか!」

一通りツボ押しも終わったので、ゆっくりと立ち上がり伸びをするとイサムは一人で外に出ようとする。
その後をミーナがそそくさとついて行く。

「私もご一緒にしますね、村の人達にイサムの事を御紹介したいですし!」

連れ立って朝の散歩と相成ったイサムとミーナだが、実年齢から考えるとおじいちゃんの散歩に付き添う孫娘か或いはヘルパーさんといったところである。
幸いにも今の姿では、同年代のカップルに見えない事もないが…

まだ朝露の滴る村道を二人で歩いて行く。
たわいもない会話を交わしながら数百歩も歩かぬところで、視界の先に第一村人を発見した。

農具と思しき物の手入れを行なっているところを見るに農業を営んでいるのであろう。
口髭を蓄えた恰幅の良い中年男性である。

「おっ、ミーナじゃないか。こんな朝早くから珍しいな! お母さんの世話をしなくてもいいのかい?」

「実はお母さん…元気になっちゃたんですよ!!」

「そりゃ本当か!? 中央の偉い医療法術師様でもダメだったんだろう? 一体誰が治したんだい??」

そう聞かれると満面の笑みを浮かべながら、ミーナは振り返って後ろにいるイサムに目線を送る。

「おや? 後ろに居るのは…?」

「彼はイサムと言います、昨日森で危ないところを助けてもらったんですけど…なんと彼がお母さんを治してくれたんです!」

エヘンと、主張の大きい胸を張り出して嬉しそうに、誇らしそうに自分の母を治してもらった事を語る。

「なんと! まだ若いのにまぁ凄いもんだ!俺ぁ聞いた事は無いけども、さぞかし名のある術師様なんだろうねぇ」

中年男性は感心と物珍しさを含んだ瞳でしげしげとイサムを眺めている。

「いや、術師ではないよ。そもそも儂はまほうなんて使えんし」

「えぇ!? じゃあ魔法も使わずに一体どうやって治したんだい!?」

「何と言っても…東洋医学の知識と経験…かのぉ?」

何のこっちゃさっぱり分からんという風に、中年男性はキョトンとしている。

「トーヨーイガク…聞いた事もないが…」

少し考え込む仕草を見せると、男性は神妙な面持ちで尋ねてきた。

「もしかして、だけど…俺のこの肩のコリ固まったのも治ったりするのかい? 重いしダルいし、偶に頭まで痛くなってきちまって参ってるんだよ」

右手で首筋の辺りを揉みながら、どれだけ自分は農業を頑張ってその結果こんな事になったのかを懇々と語ってきたのであった。

「術師様に聞いてもさ、病気ではないからどうこうすることはできない。塗り薬でも塗っておけば楽だろうって言われたんだけどさぁ…やっぱり辛くてよぉ」

長くなりそうであったのでイサムは相槌も程々に男性の身体を観察し、そして『腹部』『胸部』『背部』のいくつかの部分を人差し指でトントントンと突いていった。
そして最後に頭と首の境目辺りを両手の親指でグイと押し、そして男性の両肩をポンと叩いた。

「こんなもんじゃろ。ほれ、ちょっと肩を回したり色々動かしたりしてみなさい」

「え、えぇ? 殆ど撫でただけだし、あんなに一瞬でどうにかなるわけが……」

半信半疑で動かしてみるや否や、男性の顔つきが一気に綻んでいた。

「軽い!物凄く軽いぞ!肩や首に岩が乗っかってたみたいだったのが嘘みたいだ!身体が羽根にでもなったみたいだよ!」

グルグルと腕を回し首を回し、自分の身体がすっかり良くなったことに男性はとてつもない感動を覚えていた。

「しかも腰も痛かったのに、今は全然痛くない!さっき腰の事は言わなかったのに一体どうして……」

「なに、アンタの仕事と姿勢を見れば一発で分かるさ。身体の中の流れを整えて、後は姿勢の歪みを正してやればこんなもんじゃ」

成る程、凄い凄いと、珍しさで見ていた目があっという間に尊敬と感動に眼差しに変わっていた。

「こんな凄腕でしかも魔法を使ってないって言うんだから! よく分からんがトーヨーイガクってのは凄いもんなんだねぇ! 他の奴らにも是非とも教えてやらないといけねえ!」

そう言うと去り際にありがとうと同時に凄い速度で視界の彼方へ駆け抜けていった。

「やっぱりイサムは凄いんですね、あの人もう何年も肩が痛い腰が痛いって口癖の様に言ってたんですよ」

うんうんと一人で頷きながら、我が事の様に喜ぶミーナ。
飛び込みの患者を治療し、清々しい気分で朝の散歩を続ける二人であった。
だが少しの後にその清々しさを吹き飛ばす喧騒に巻き込まれるのであった。
その理由とはーーーーー

「この若いの…いや、先生せんせいがミーナの母親の病気も、俺の肩と腰も治しちまったんだよ! しかも一瞬で!」

「そりゃ凄いな!是非俺も治療してくれよ!最近腕が上がらなくなっちゃってさーー」

「私も診ておくれよ! 料理や縫い物をしてると指が痛くて痛くて…オマケに時々曲がらなくなるしさ」

「ウチのおじいちゃん、最近物忘れが激しくて…何とかなったりしませんか?」

「うちは子どもの夜泣きが酷くて、全然眠れないんですよ…助けてください、先生!」

村の広場には男女合わせて二十人ほどの人々が救世主の登場を待ちわびていたのだ。
さっき治療した中年男性が他の村人にイサムの治療の腕を宣伝して回っていたのである。
その結果、様々な身体に関する悩みを持つ村人が列を成していたと言う次第である。

「うおぉ…ちょいと気圧されてしまうのぉ。散歩のつもりだったんじゃが…」

「私もまさかこんな事になっているとは…イサム…どうしましょう?」

「兎も角、頼ってくれるならそれに堪えるしかないじゃろうて。広場じゃラチが明かんから誰かの家を簡易的に治療場所として使えないか聞いてみてくれんか?」

「分かりました、聞いてみます!」

集まってきた村人に頼んで治療部屋として一室を使わせてもらう事になった。
あとは順番に適宜治療を行うだけだ。
生前はしっかりと問診を取り、一通り身体中を観察してから脈を診て治療に入っていたが今は違う。
理由は定かではないが、今のイサムには何処のツボを使えばいいか、どの様な体質なのかが見ただけで患者の表面に様々な光が浮かんでそれによって一瞬で患者の情報が理解できるのである。
しかも鍼や灸を用いず、指で軽く押せばその効果を発揮させることができる。
ものの数十秒で身体が楽になった患者たちは歓喜の声を上げ、その神業をさらに村中に広げていったのである。
必然、さらに人々が押し寄せる事となる。
ミーナに確認すると村人は大体二百人ほどらしく、結果的には大半の村人が寄せては引く波の様に次から次へと押し寄せる事態と相成ったのであった。
朝の散歩に出たはずが、気づけばすでに日は頭上まで上っており正午を回っているのは確実である。

「いやぁ流石に疲れたわい…」

治療を終え、やっとの事でミーナの家に戻ることが出来た。
杯に注がれた水を飲み干すよイサムはようやく一息つくことができた。

「ま、まさかあんなに沢山来るなんて…多分村人ほぼ全員来てましたよ…」

ミーナはグッタリと言う様子で机に突っ伏している。

「あらあら、随分大変だったみたいね」

「村人を一人治療したら、あっという間に口伝てに広まってしもうて気がつけば村人ほぼ全員治療したのでな……」

「でもイサムさんの治療は本当に奇跡みたいに良く効くものね。騒ぎになるのも無理ないわよ」

結局イサムはすっかり村人から凄腕の治療家、奇跡の伝道者、神の御使などと崇められる様になってしまっていた。
そして村人の健康相談などに乗りながら数日過ごしていった。

本人の知らぬ間に辺境の地に魔法を用いず身体を治す奇跡の腕の持ち主が現れたいう噂がこの国の魔法機関の中枢、王都中央魔法学術院の筆頭医療法術師の耳に入った事など知る由など無かった。
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