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第十話 ガラス張りの甘い地獄
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約束の土曜日に向けて、僕の心は浮き足立っていた。それは、恐怖に怯える乙女のようなものではない。「結月」という完璧な女を演じ、一人の男を夢中にさせるという、この上なく倒錯したゲームへの期待感だった。
当日の朝、僕はクローゼットの前で、いつもよりずっと長く時間をかけた。まず、下着を選ぶ。引き出しの奥に隠した、僕だけの秘密のコレクション。その中から、小さなリボンがあしらわれた、ミントカラーの可憐なブラとショーツを手に取った。この清純な色合いの布地が、今日、彼の手によって露わになるかもしれない。その妄想だけで、僕の身体の奥が疼いた。
次に服を選ぶ。僕が選んだのは、白いモックネックのブラウスと、体のラインがはっきりとわかる、淡い水色のミニのタイトスカート。
鏡に映る「結月」に、僕はそっと魔法をかけるように、丁寧にメイクを施していく。チークを乗せれば、彼を誘うための血色が生まれ、リップを引けば、彼にキスをねだるためだけの唇が出来上がる。最後に、同じく水色の、足首にリボンが巻かれたロリータ風のパンプスに足を通す。完璧だ。女として扱われることの快感が、僕の全身を駆け巡っていた。
大学のカフェは、大きな窓から明るい日差しが差し込む、開放的な空間だった。先に着いていた陽翔が、僕の姿を認めると、子犬のように駆け寄ってくる。
「結月ちゃん!ごめん、待った?」
「ううん、私も今来たとこ」
彼の笑顔、僕を「女の子」として見るその視線。そのすべてがたまらなく気持ちいい。二人で窓際の席に向かう。すれ違う学生たちの視線が僕に集まるのを感じた。それは「相沢悠真」では決して味わえない、優越感とスリルに満ちた快感だった。
「その服、すごく似合ってる。なんていうか……すごく、綺麗だ」
コーヒーを飲みながら、陽翔が少し熱の籠った瞳でそう言った。
「そ、そうかな……。ありがとう」
「映画、面白かったよな。俺、あれから監督の他の作品も観ちゃったよ。映像研究会でも、今度ああいうテイストの短編撮ろうって話してるんだ」
「映像研究会……」
「そう。俺が撮りたいって思うのは、いつも、誰かの心を動かす瞬間なんだ。結月ちゃんを見てると、すごくインスピレーションが湧くんだよね。時々、すごく儚げに見える時があって。俺が守ってあげなきゃって、勝手に思っちゃうんだ」
彼の言葉は、僕の心を甘く痺れさせた。「守ってあげたい」という彼の庇護欲は、僕が完璧な「女」を演じきれている証拠だ。その事実が、僕を最高の気分にさせた。
その時だった。カフェの入り口から、見知った顔が入ってくるのが目に入った。透真だ。彼はまっすぐこちらに向かってくる。まずい、見つかる。
「結月ちゃん、どうしたの?顔色悪いよ」
僕が咄嗟に俯いたのを、陽翔が心配そうに覗き込む。
「う、ううん、なんでもないの!ちょっと、考え事しちゃって…」
幸い、透真は僕たちのテーブルには気づかず、カウンターでコーヒーを注文すると、テイクアウトしてすぐに店を出て行った。バレるかもしれないという恐怖は、もはや僕の興奮を高めるための絶好のスパイスでしかなかった。心臓が、破裂しそうなほど高鳴っていた。
「……大丈夫?」
陽翔が、テーブルの上で固まっていた僕の手に、そっと自分の手を重ねた。大きくて、温かい男の手。その感触に、僕の思考は熱で溶かされそうになる。
「無理、してないかなって。俺、結月ちゃんに会いたくて、ちょっと強引だったかもしれない」
「ちがう……っ」
僕は、かろうじてそれだけを絞り出した。違う、無理なんかしてない。嬉しいんだ。あなたに「女」として求められて、触れられて、心臓がどうにかなりそうなくらい、嬉しい。
僕が重ねられた彼の手を握り返すと、陽翔は驚いたように目を見開いた後、ふわりと優しく微笑んだ。
カフェを出て、並木道を駅へと向かう。夕暮れの光が、僕たちの影を長く伸ばしていた。
「今日は、本当に楽しかった。ありがとう」
陽翔が、名残惜しそうに言う。
「……私も」
「今度は、もっとゆっくり会いたいな。どこか、遠出しようか」
次の約束。その言葉が、僕の心をさらに甘く締め付ける。
駅の改札の前で、陽翔は立ち止まった。そして、僕の髪にそっと触れると、その指先で頬をなぞった。その指の動きに、僕は彼の隠しきれない欲望を感じ取る。
「じゃあ、またね。結月ちゃん」
彼と別れ、一人になった帰り道。僕は、頬に残る彼の指の感触を確かめるように、そっと自分の手で触れた。
今日のデートで、僕たちの距離は確実に縮まった。触れ合った手の温もり。そして、頬をなぞった彼の指先。
――次のデートでは、この手はもっと大胆な場所に触れてくるのかもしれない。
――このタイトスカートは、彼の部屋で、彼の手によって脱がされるのかもしれない。
その甘美な予感に、僕の身体の奥が疼き、ぞくぞくと快感が背筋を駆け上った。
アパートに帰り着いた僕は、その興奮のまま、ベッドに倒れ込みスマホを開いた。ブラウザを立ち上げ、お気に入りのランジェリーブランドのサイトを閲覧する。
そうだ、次のステージへの準備をしなくては。彼が僕の服を脱がした時、その下に隠されているのが、今日よりももっと扇情的で、もっと美しい下着であったなら。彼は、もっと僕に夢中になるだろう。
僕は、**ベビーピンクやラベンダー色の、レースとフリルがたっぷり使われた可愛らしい下着のセット**を、迷わずカートに入れた。注文確定ボタンを押す指は、微塵も震えることはなかった。
このスリルと幸福感こそが、僕がこの嘘を生きる意味なのだ。
僕は、この甘い地獄の、もっと奥深くにある本当の快楽を求めて、堕ちていくことを自ら選んだ。
当日の朝、僕はクローゼットの前で、いつもよりずっと長く時間をかけた。まず、下着を選ぶ。引き出しの奥に隠した、僕だけの秘密のコレクション。その中から、小さなリボンがあしらわれた、ミントカラーの可憐なブラとショーツを手に取った。この清純な色合いの布地が、今日、彼の手によって露わになるかもしれない。その妄想だけで、僕の身体の奥が疼いた。
次に服を選ぶ。僕が選んだのは、白いモックネックのブラウスと、体のラインがはっきりとわかる、淡い水色のミニのタイトスカート。
鏡に映る「結月」に、僕はそっと魔法をかけるように、丁寧にメイクを施していく。チークを乗せれば、彼を誘うための血色が生まれ、リップを引けば、彼にキスをねだるためだけの唇が出来上がる。最後に、同じく水色の、足首にリボンが巻かれたロリータ風のパンプスに足を通す。完璧だ。女として扱われることの快感が、僕の全身を駆け巡っていた。
大学のカフェは、大きな窓から明るい日差しが差し込む、開放的な空間だった。先に着いていた陽翔が、僕の姿を認めると、子犬のように駆け寄ってくる。
「結月ちゃん!ごめん、待った?」
「ううん、私も今来たとこ」
彼の笑顔、僕を「女の子」として見るその視線。そのすべてがたまらなく気持ちいい。二人で窓際の席に向かう。すれ違う学生たちの視線が僕に集まるのを感じた。それは「相沢悠真」では決して味わえない、優越感とスリルに満ちた快感だった。
「その服、すごく似合ってる。なんていうか……すごく、綺麗だ」
コーヒーを飲みながら、陽翔が少し熱の籠った瞳でそう言った。
「そ、そうかな……。ありがとう」
「映画、面白かったよな。俺、あれから監督の他の作品も観ちゃったよ。映像研究会でも、今度ああいうテイストの短編撮ろうって話してるんだ」
「映像研究会……」
「そう。俺が撮りたいって思うのは、いつも、誰かの心を動かす瞬間なんだ。結月ちゃんを見てると、すごくインスピレーションが湧くんだよね。時々、すごく儚げに見える時があって。俺が守ってあげなきゃって、勝手に思っちゃうんだ」
彼の言葉は、僕の心を甘く痺れさせた。「守ってあげたい」という彼の庇護欲は、僕が完璧な「女」を演じきれている証拠だ。その事実が、僕を最高の気分にさせた。
その時だった。カフェの入り口から、見知った顔が入ってくるのが目に入った。透真だ。彼はまっすぐこちらに向かってくる。まずい、見つかる。
「結月ちゃん、どうしたの?顔色悪いよ」
僕が咄嗟に俯いたのを、陽翔が心配そうに覗き込む。
「う、ううん、なんでもないの!ちょっと、考え事しちゃって…」
幸い、透真は僕たちのテーブルには気づかず、カウンターでコーヒーを注文すると、テイクアウトしてすぐに店を出て行った。バレるかもしれないという恐怖は、もはや僕の興奮を高めるための絶好のスパイスでしかなかった。心臓が、破裂しそうなほど高鳴っていた。
「……大丈夫?」
陽翔が、テーブルの上で固まっていた僕の手に、そっと自分の手を重ねた。大きくて、温かい男の手。その感触に、僕の思考は熱で溶かされそうになる。
「無理、してないかなって。俺、結月ちゃんに会いたくて、ちょっと強引だったかもしれない」
「ちがう……っ」
僕は、かろうじてそれだけを絞り出した。違う、無理なんかしてない。嬉しいんだ。あなたに「女」として求められて、触れられて、心臓がどうにかなりそうなくらい、嬉しい。
僕が重ねられた彼の手を握り返すと、陽翔は驚いたように目を見開いた後、ふわりと優しく微笑んだ。
カフェを出て、並木道を駅へと向かう。夕暮れの光が、僕たちの影を長く伸ばしていた。
「今日は、本当に楽しかった。ありがとう」
陽翔が、名残惜しそうに言う。
「……私も」
「今度は、もっとゆっくり会いたいな。どこか、遠出しようか」
次の約束。その言葉が、僕の心をさらに甘く締め付ける。
駅の改札の前で、陽翔は立ち止まった。そして、僕の髪にそっと触れると、その指先で頬をなぞった。その指の動きに、僕は彼の隠しきれない欲望を感じ取る。
「じゃあ、またね。結月ちゃん」
彼と別れ、一人になった帰り道。僕は、頬に残る彼の指の感触を確かめるように、そっと自分の手で触れた。
今日のデートで、僕たちの距離は確実に縮まった。触れ合った手の温もり。そして、頬をなぞった彼の指先。
――次のデートでは、この手はもっと大胆な場所に触れてくるのかもしれない。
――このタイトスカートは、彼の部屋で、彼の手によって脱がされるのかもしれない。
その甘美な予感に、僕の身体の奥が疼き、ぞくぞくと快感が背筋を駆け上った。
アパートに帰り着いた僕は、その興奮のまま、ベッドに倒れ込みスマホを開いた。ブラウザを立ち上げ、お気に入りのランジェリーブランドのサイトを閲覧する。
そうだ、次のステージへの準備をしなくては。彼が僕の服を脱がした時、その下に隠されているのが、今日よりももっと扇情的で、もっと美しい下着であったなら。彼は、もっと僕に夢中になるだろう。
僕は、**ベビーピンクやラベンダー色の、レースとフリルがたっぷり使われた可愛らしい下着のセット**を、迷わずカートに入れた。注文確定ボタンを押す指は、微塵も震えることはなかった。
このスリルと幸福感こそが、僕がこの嘘を生きる意味なのだ。
僕は、この甘い地獄の、もっと奥深くにある本当の快楽を求めて、堕ちていくことを自ら選んだ。
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