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40 ため息
しおりを挟む「お買い物ですか?」
「ええ、そうよ。今日は一緒にお買い物に行きましょう。今度の夜会用の衣装を揃えないといけないもの」
陽の光が差し込む侯爵家の食堂で、マリアベル様とカイルさんと三人で朝食を囲んでいた。優雅な食卓で、マリアベル様が柔らかな笑顔をこちらに向け、にこにこと提案してきた。
夜会ということは、マリアベル様はご自身のドレスなどを揃えるのだろう。その付き添いを私が務めていいのだろうか、と一瞬ためらう。
「私で良ければ、ぜひご一緒します」
そう答えると、マリアベル様が意外そうに眉を寄せた。いつもは柔らかな笑みが基本の方なのに、ふとした疑問がその表情に影を落とす。
「ユイさんが行かないと意味がないのだけれど……」
「え?」
思わず間の抜けた声が漏れてしまう。すると、マリアベル様は鋭い視線をカイルさんに向けた。
「カイル、あなたちゃんとユイさんに説明したの?」
カイルさんは一気にバツの悪そうな表情になると、「すまない、話す機会を逃していた」と言いながら私に向き直った。
「ユイ。今度、王城の大ホールで社交の夜会が開催される。その夜会に、君も出ないか?」
「え、私が行ってもいいんですか」
「ああ。前々から、ユイを正式に貴族たちに紹介すべきだという話は出ていた。今回、宰相殿から直々に打診されている」
彼はまっすぐに私を見つめていた。真剣で、迷いのない眼差し。
「君が、過度な報奨などを望んでいないのは知っている。だが、顔を出すだけでも今後の立場のために意味はあると思う。どうだろうか?」
私は少しだけ悩んだ。宰相閣下から直々に話が来ているということは、出席を拒否し続けるのはカイルさんの立場を悪くすることになるだろう。それは避けたい。
「わかりました。行かせていただきます」
私が承諾すると、マリアベル様が「私も今回は一緒に行くわ」と朗らかに言ってくださり、一気に前向きな気持ちになる。
しかし、カイルさんの表情はすぐに引き締まった。
「ただ、今回の夜会は、ラザード公国のヴィオラ殿下も出席される。ヴィオラ殿下がユイに接触してくる可能性は否定できない」
他国の公女殿下という貴人と向き合うことへの強い緊張感が全身を包み、自然と身構えた。それを察したマリアベル様が、ふわりと手を叩き空気を変えた。
「だから、今日は一緒にドレスを買いにいきましょうね!」
私はようやく、今日のお買い物の本当の意味を理解した。
「本当はオーダーメイドがいいけど、一週間後だと間に合うかしらね。今回は既製品プレタポルテにするしかないかしら……」
マリアベル様が少し残念そうに言うので、私は思わず口を挟んだ。
「オーダーメイドは流石にお高いですよね……」
その瞬間、マリアベル様とカイルさんは、目を丸くして私を見た。
「あ、いえ、ある程度お金はポーションの買い取りで稼がせては貰っているのですが、既製品でも十分すぎるくらいですし……」
私がどもりながら言うと、カイルさんがすぐに口を開いた。
「ドレスは俺が贈るから、ユイは気にせず選んできてほしい」
「えっ、いや、そんな! 自分で出せますから!」と私が慌てて言うと、マリアベル様も笑いながら言った。
「そうよ、カイルから贈らせてちょうだい。気にせず、良いものを作るといいわ」
溢れんばかりの厚意に挟まれ、どうしたらこの申し出を丁重に断れるのか、頭の中で必死に言葉を探し続けたが、全く見つからなかった。ただ、顔が熱くなるのを抑えるので精一杯だった。
◇
朝食後、私たちは仕事へと向かうカイルさんを玄関で見送る。それから、マリアベル様とメリアさんと共に侯爵家御用達のサロンへ向かうことになった。
店は王都の貴族街の一角にあり、重重厚な木製の扉をくぐると、息を呑むほど鮮やかな色彩の生地や、職人たちの技が宿るドレスが並び、空気ごと格調高く感じられた。店の主人も従業員も、マリアベル様の姿を見るなり慣れた様子で丁寧に出迎え、最上級の礼を示す。
「あら、素敵な布地ね。ユイさんにはこの淡い水色が絶対似合うと思うわ」
マリアベル様は目を輝かせ、店内の生地を次々と手に取っていく。傍らにはメリアさんも控え、ユイの雰囲気や体型を考慮しながら、的確に候補を絞り込んでいた。
私は、高価で美しい生地やデザイン画を次々と見せられ、ただオロオロとするばかりだった。
「ユイさん、夜会は社交の場よ。あなたの魅力を最大限に引き出すものを選ばないとね」
マリアベル様が選んだのは、光沢のある水色のシルクサテンと繊細なチュール。そして、店主を呼び寄せると、少し懸念の色を浮かべた。
「実は、夜会まであまり期間がないのよ。オーダーメイドは間に合うかしら?」
店主は落ち着き払った口調で応じる。
「仕上げの度合いにもよりますが、通常の仕立てですと二週間を要しますが、職人を増員すれば期間短縮は可能です」
「ぜひお願いしたいわ。品質を落とさず、期限厳守でお願い。費用はいくらかかっても構わないわ」
マリアベル様はきっぱりと言い切った。店主は少し思案した後、深く頷いた。
「承知いたしました。職人の総力を結集し、必ずや間に合わせます」
こうしてユイの黒髪と白い肌、優しい雰囲気を引き立てる、水色のオーダーメイドドレスが決定した。そして、採寸。ドレスのデザイン画が描かれると同時に、小物選びも始まる。
足元には、ドレスの色に合わせて薄い水色の絹を張ったハイヒールを仮押さえ。歩くたびに優雅な輝きを放つ、職人の技巧が光る一足だ。ネックレスや髪飾りは、大きな宝石や派手な装飾を避け、清楚な輝きを持つパールと銀色の花を模した装飾品を選んだ。
「ユイさんの優しい雰囲気を壊してはいけないもの。主張しすぎず、でも誰もが目を奪われる、品のある華やかさを目指すのよ」
メリアさんが髪飾りを私の髪にそっと添えると、上質な輝きが視界にふわりと揺れた。
次々と最上級の品が決定していく様子を目の当たりにし、金額への不安がうずく。費用を出してもらうという事実が、胸の奥でチクリと痛むものの、熱意と愛情が込められたこの美しい装いを前にしては、もう何も反論できなかった。
衣装と小物の決定が一通り終わると、マリアベル様は店員を呼び止め、「納期の件を詰めるから、少し待っていてちょうだいね」と告げた。
私は少し離れた男性用のアクセサリーコーナーに足を向ける。そこには、金細工のラペルピンや、様々な天然石を嵌め込んだカフスボタンなどが、ベルベットの台座に美しく並べられていた。
ふと、一組のカフスボタンに目が止まった。それは、シンプルな装飾のプラチナの台座に、艶やかな黒い石が嵌め込まれたものだった。カイルさんの雰囲気に、よく合うよう気がする。
私がじっと見つめていると、店員が静かに一歩近づいてきた。
「こちらは『守護』と『成功』の意味合いを持つブラックオニキスを嵌め込んだ一品でございます。大切な方への贈り物としても、大変人気がございます」
『守護』と『成功』。その言葉は、カイルさんに贈るのに最適だと思った。
(ドレスのお礼とは到底言えないけれど、これなら普段使いにも良さそう)
購入を決意したちょうどその時、マリアベル様が優雅に歩み寄ってきた。
「ユイさん、何をそんなに熱心に見ているの?」
カフスボタンを手に取ろうとしていた私は、驚いてマリアベル様を見た。
「あの、これは……」
「カイルに?」
マリアベル様はすぐに察し、目を細めて微笑んだ。私は頬を赤くしながら、小さく頷いた。
「はい。いつも支えていただいているので、ほんの気持ちですが、何か贈れたらと思って」
「素敵ね。カイルはきっと喜ぶわ」
優しく言われ、背中を押されたような気持ちになった。
私は店員を呼び、「このカフスボタンは私が支払います」と告げた。マリアベル様は何も言わずに、ただにこやかにその様子を見守ってくれた。
丁寧に小さな箱に収められたカフスボタンを大切に手に持ち、私たちは店を出た。
◇
侯爵邸に戻ると、家令のアルバートさんがいつものように美しい所作で私に礼をし、静かに告げた。
「ユイ様にお客様がお見えになっております」
アルバートさんに導かれて庭園の温室へと案内され、扉を開けると花の甘い香りが迎えてくれた。色とりどりの珍しい花が所狭しと咲き、ガラスを通して柔らかな光が差し込んでいる。そこに置かれたティーテーブルで、優雅に紅茶を楽しんでいる人物がいた。
「凄いな、この温室」
ゼルフィは、周囲を見回しながら感嘆の声を漏らした。その視線は私の装いに一瞬止まり、すぐに逸らされた。
「たしかに、息を飲むほど美しい空間だよね」
私はゼルフィの隣に腰掛けた。来客と聞いたけど、まさか彼とは思わず驚いた。
「来客って聞いたけど。まさかゼルフィとは思わなかったよ」
「いや、俺のほうが驚いたし」
「え?」
ゼルフィは紅茶を一口含むと、ふと私の顔を見据えた。
「まさか、カイル団長と一緒に住んでるなんて思わねぇだろ」
確かに……と私は苦笑いするしかなかった。
「で、カイル団長と付き合ってるわけ?」
率直な質問に、私は「いやいや、そんなんじゃないから!」と首を横に振った。だが、頬の熱までは誤魔化せず、顔が真っ赤になって照れてしまう。
ゼルフィは、そんな私を面白そうに眺めながらも、静かに言った。
「でもユイのネックレスって、団長から貰ったやつだったんだろ?」
「うん」
「団長のことが好きなら、ちゃんと伝えねえと盗られるぞ」
その含みのある言葉に、私は戸惑いを隠せない。
「なんの話?」
「今、ラザード公国からヴィオラ殿下が来られてるけど、カイル団長にご執心だぞ。あの国は有能な人材を囲い込むことで知られている。このままじゃ、カイル団長をラザードに連れて帰りそうな勢いだ」
「そうなんだ……」
ゼルフィは、強く奥歯を噛みしめるような表情を見せた。
「今度の夜会でのエスコートも、ヴィオラ殿下からカイル団長が頼まれてるのを見た。お前、ちゃんと気持ちを伝えとかないと後悔しても知らないからな」
「いやいや、私がそんな言ったところで……」
言葉に詰まってしまった。高位貴族の公女様と異世界から来た平民。その立場や力量の差が、重くのしかかる。
「何を気にしてるのか知らねえけど、当たって砕けるなら早めに砕け散ってこい。骨くらいならオレが拾ってやるよ」
「砕ける前提なのね」
思わず笑ってしまった。彼の乱暴だが真っすぐな励ましが、少しだけ胸の重さを軽くしてくれた気がした。
「それを言いに来てくれたの?」と聞くと、ゼルフィは真面目な顔に戻った。
「いや、本当はユイがどのくらい話を聞いているのか気になって来た。今度の王城での夜会の出席リストにもユイの名前が載っていて、護衛対象になってるしな」
「私が? そう……なの?」
公的に守られる対象になっているということは、何か大きな力が自分に向いているのだと実感させられる。
ゼルフィは、手に持っていたティーカップを静かにソーサーに戻した。その小さな金属の音が、温室の静寂の中でやけに響く。
「クロノス大聖堂に侵入者が入ったことは聞いているか?」
「うん。大聖堂の建築に関わる資料が盗まれたって聞いたけど」
「その資料には、昔召喚された異世界人の記録も関わっている。召喚された異世界人が、昔から国の危機に際して魔獣の討伐や、病の蔓延を鎮める力を使い、国を守ってきたという話は聞いているだろう?」
私は頷いた。それは歴史書にも記されている、まぎれもない事実だ。
「あのクロノス大聖堂の設立にも異世界人が関わっているという伝承があるんだ。その文献が昔紛失したとされていて、今は半ば都市伝説のような話になっている。そして、今回残されていた建築に関わる断片的な資料まで無くなり、大聖堂の結界が破られた事もあって王城で大きな問題になっているんだ。それに……」
ゼルフィは、私に向かって前のめりになると、低く重い声で続けた。
「ラザード公国から来たヴィオラ殿下の側近が、お前のことを調べている。これは、諜報役が掴んでいる情報だから間違いない」
ヴィオラ殿下の側近が私を調べているという事は、国家的な利害が絡んでいる可能性を示唆している。
「それって……どうして私を?」
思わず問い返した。自分がなぜ標的になるのか、その理由がまだ腑に落ちない。ゼルフィは少し目を細め、言葉を選ぶようにして言った。
「昔から、異世界人に関する記録は価値が高いんだ。対外的に使える『技術』や『知識』として。もしラザードがそれを手に入れようとしてるなら、お前みたいな人間は利用価値があるってことだ」
背筋がぞくりとした。胸の奥で、言いようのない恐怖が広がる。
「……私、カイルさんから何も聞いてない」
「そうか。って、おい、お前なんて顔してるんだよ」
どうやら、不安とショックが入り混じった私の感情は、そのまま顔に出てしまっていたらしい。
いつもカイルさんは自分で色々なことを抱え込んでしまう。それは、私には力がないから、頼りないからだと分かってる。彼が何も言わないのは、私を守るための配慮だ。だけど、いつも重要なことを教えてくれないという事実に、暗い気持ちが心を蝕んでいく。
「団長がユイに何も言わないのは、団長が……」
ゼルフィは言葉を詰まらせた。彼は視線を紅茶のカップに落とした。
「団長は、お前を守りたいと思ってるからだと思うぞ。……悪い。俺、余計なこと言いに来たかもな」
私は首を振った。ゼルフィの言葉はむしろ必要な警鐘だった。
「ううん。来てくれて嬉しい。教えてくれてありがとう」
私は大きく息を吐いた。そのため息は、温室のガラス窓から差し込む夕日とともに、空気の中に溶けて吸い込まれていった。
ゼルフィが帰った後、温室から戻った私を見て、マリアベル様にはひどく心配されてしまった。
(私、そんなにひどい顔をしているんだろうか)
その日、カイルさんは遅くまで仕事から帰ってこなかった。
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