私、魅了魔法なんて使ってません! なのに冷徹魔道士様の視線が熱すぎるんですけど

紗幸

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44 彼の背中

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 再び大聖堂から、夜を切り裂くような轟音が響いた。

 衝撃でバルコニーの手すりが震え、遠くにそびえるクロノス大聖堂の塔が、真紅の炎に呑み込まれて崩れ落ちていく。
 絶叫が会場に響き渡り、貴族たちは恐怖の表情を浮かべ、混乱の渦に飲み込まれる。


 何が起こっているのかわからず、戸惑っていると、カイルさんが私のもとに近づいてきた。

「ユイ。お前はここに残って、負傷者が出たときの対応を頼む」
「いえ、私にも手伝えることがあるなら一緒に行きます!」

 その切羽詰まった状況と彼の冷静すぎる声に、胸が激しく波打つ。
 カイルさんは、私の言葉を聞くとふわりと微笑んだ。その顔は、どこか切なさを含んでいる。

「ユイ……お前はここにいろ。もし何かあれば、バルムート公爵を頼れ」

 彼の声はいつも通り静かで落ち着いているのに、瞳の奥に小さな影が差す。それは迷いや諦めではなく、ただ──何かを決めてしまった人の目だ。

 そのわずかな違和感が、理由もなく心をざわつかせた。

 カイルさんはそのまま振り返ることなく、イリアス副団長や魔道士団と共にバルコニーから風を纏い飛び出して行った。
 漆黒の礼装を纏った彼の背中が、妙に目に焼き付いて離れない。その背中に、得体の知れない不安が募っていく。


「ユイさん、一体何が起こっているのかしら……」

 マリアベル様が不安げな顔で駆け寄ってきた。その声は震えている。

「マリアベル様……私も大聖堂へ行ってきます」

 そう告げると、近くにいたゼルフィが強い力で私の腕を掴んだ。

「ダメだ! お前はここにいろ」
「なんでゼルフィまでそんなこと言うの? 大聖堂で何が起こってるの?」

 私の切実な問いに、ゼルフィは奥歯をぎりっと噛みしめた。そして、言いにくそうに視線を伏せる。

「クロノス大聖堂には……ただの魔獣じゃない、かつて世界を灰燼に帰す厄災級と恐れられた古龍、劫炎獄龍ごうえんこくりゅうが封印されている」

 その言葉に、背筋をなぞるような冷たい感覚が走った。

「それって……遠征に行った時の黒炎龍みたいな龍なの?」

 ゼルフィは即座に首を横に振る。

「全然違う。あれなんて比べ物にならないレベルだ。あまりにも昔に封印されたせいで、劫炎獄龍のことを詳しく知ってるのは、今じゃ王族と魔道士団の上層部くらいだ……」

 ゼルフィは言葉を選ぶように続けた。

「劫炎獄龍は空間を歪ませるほどの禍々しい魔力を持っていて、国がひとつ焼き尽くされるほどの力の塊らしい。通常の魔道士では到底抑えられず討伐は不可能とされ、先代の異世界人の力を借りてようやく封印されていたんだ。そして、その封印を強固な物にするために、このクロノス大聖堂が建てられたとされている」

 全身が粟立つ。息を吸ったのに、胸が苦しい。

「今回クロノス大聖堂に入った侵入者は、その封印に関する機密資料とともに、封印の魔道式に細工を施していたんだ。それは、術式を内部から破壊する時限式の呪術だったんだが、魔法のたぐいではないから解呪は不可能。物、もしくは人を代償にして術を発動させるため、俺たちはその媒介先を捜査していたところだった」

 ゼルフィは苦々しく吐き捨てた。

「まさか、媒介がイーグス枢機卿だったとはな」

 ここまでを聞いて、さっきのヴィオラ殿下の狂気と、ラザード公国が龍を神と崇めているという話が一つの線で繋がる。

「まさか……ラザード公国が、龍の封印を解くために枢機卿を使ってこんなことを?」
「さっきの殿下の言動と、このタイミングでの枢機卿の消失を鑑みれば、ヴィオラ殿下が事件の首謀者なのは確定だ。ラザード公国自体が関わっているかはまだ分からない。だが、ヴィオラ殿下は熱心な宗教家という話だ。偏った思想を持っていて、神たる龍を縛り付けていたうちの国を憎んでいた可用性はある」

 私は息を呑み、核心を尋ねた。

「封印の術式が破壊されたなら、その古龍が暴走するってこと?」
「大丈夫だ。そのために団長たちが大聖堂に向かったんだから」

 ゼルフィの言葉を聞いても、胸のざわつきは収まらない。カイルさんの背中が脳裏に焼き付いて離れない。

「……ねぇ。昔、異世界人が封印に関わったっていうなら、私も行ったほうがいいんじゃない?」

 ゼルフィは悲しげな色を瞳に宿した。

「ユイ。昔の文献でも、相当な人数で封印したとされている。そして、これまでの魔力を蓄積した古龍は、今の魔法技術では再封印するのは無理だろうという見解だ」
「じゃあ……大聖堂に向かったカイルさんたちはどうするの?」

 ゼルフィは言葉に詰まった。そして、無理に笑顔を繕いながら答える。

「魔道士団の精鋭で向かったんだ。古龍討伐の計画はちゃんと立てられてる」
「じゃあ、私も大聖堂に行く」

 そう言うと、ゼルフィは強い力で私の腕を掴み、離してくれない。

「なんで止めるの? 討伐できるんでしょう?」

 そう言いながらも、嫌な不安が胸の奥に黒い塊のように溜まっていく。

「ねぇ……ゼルフィは何でここに残ってるの?」

 ゼルフィは唇を噛み、数秒の沈黙が流れた後、ポツリとつぶやいた。

「俺は……討伐が失敗した時の後続隊だ」

 その言葉で不安が確信へと変わり、全身が震え始めた。マリアベル様が、震える私の肩にそっと触れる。彼女の瞳にも、カイルさんの安否を気遣うような焦燥が見えた。

「なんでゼルフィは、急にカイルさんに気持ちを伝えた方がいいって言い出したの? ねぇ、なんで? カイルさん、ちゃんと帰ってくるよね?」

 ゼルフィは、何も答えなかった。ただ、苦痛に顔を歪めたまま、私の腕を掴む力を強めた。その沈黙が答えだった。
 胸の奥で何かが弾ける。

「私、大聖堂に行ってくる」

 ゼルフィが掴んでいる腕を振りほどこうとするが、彼の力は強く、振りほどけない。

「お願い、離して!  行かせて!」
「ダメだ! カイル団長に、お前をここに留まらせるように言われている。お前に何かあったら、俺は団長に合わせる顔がない!」」

 ゼルフィの切なげな懇願に、口からぽつりと本心が漏れた。

「……そんな守られ方、嬉しくない」

 私は魔力を静かに練り上げる。水色の光が、手袋越しにわずかに漏れた。その魔力をかざし、静かにゼルフィに伝えた。

「お願い、行かせて。離してくれないなら、ゼルフィを倒してでも行くよ」

 ゼルフィはその言葉に瞳を激しく揺らすが、腕は離れない。

「そんなこと言わないでくれ……」

 ゼルフィの手が小さく震える。


──その時、静かな重みのある声が背後から響いた。


「彼女を行かせてやってくれないか」

 バルムート公爵様の声だった。振り向くと、公爵様の穏やかな視線が私に向けられている。

「カイルから頼まれたよ。もし彼に万一のことがあれば、君の後見人になってほしい、とね。本来ならば、私は君を守る側の人間だ」

 万一のことがあれば……その言葉が胸に刺さり息が詰まる。カイルさんが“帰ってこない可能性”を、こんな形で突然突きつけられるなんて思ってもいなかった。

「だが、後悔は一生の傷になる。君は行きたいのだろう?」
「……はい。私に少しでもできることがあるなら、行きたいです」

 自分でも驚くほど、迷いの無い声が出た。何もできなかったなんて、そんな後悔だけは絶対にしたくない。

 バルムート公爵様はもう一度、ゼルフィに言った。

「頼む。彼女を行かせてやってくれないか」

 ゼルフィは悲しげに瞳を揺らし、無念さを噛みしめるように、ゆっくりと私の腕を離してくれた。

「無理だけはしてはいけないよ」と公爵様に言われ、私はしっかりと頷いた。
 マリアベル様とゼルフィに視線を向け、小さく「行ってきます」と伝えると、マリアベル様が「気をつけてね」と微笑む。
 そして、ゼルフィに決意の笑みを向けた。


「ゼルフィ。ちゃんと言われた通り、カイルさんに気持ち届けてくるよ」


 深く息を吸い、風魔法を練り上げた。足元で風が巻き起こり、わずかに髪と水色のドレスが揺れる。

 次の瞬間、身体はふっと軽くなり夜のバルコニーから音もなく宙へと解き放たれた。

 冷たい風が頬を撫でる。不思議と、胸の奥は静かだった。迷いもためらいもない。風は優しく背中を押し、ドレスは夜空でひらりと花のように広がった。
 ただ一筋の光を纏った影が、暗い街をまっすぐに駆け抜ける。

 視線の先には、黒い巨大な塔のように静かにそびえるクロノス大聖堂。まるで、暗闇の中心で脈打つ心臓のように、異常な魔力が空気を震わせていた。


 唇をきゅっと引き結び、さらに風を強めた。行く。必ず間に合う。
  
 練習を重ねた風魔法は身体を軽く浮かせ、夜の街並みを圧倒的な速度で飛び越える。

 彼の背中に追いつくために、一筋の流星のようにまっすぐ突き進んだ。

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