アーマードナイト

ハヤシカレー

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第五界—3 『心ノ開界』

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——

「やっぱ夕方の空は綺麗だね~」

 全ての物体が本来の色を持つ、普通な様で、俺から見れば異常に感じられる帰り道。
 彼女はその道を進む……夕焼けの空を眺めながら白波は、何処か浮かれた様に大きく手を振りながら、ご機嫌な様子でスキップをしながら進行する。

「相変わらず、どんな時でも楽しそうだな」

 6年ぶりにその能天気な、楽しさだけを求めて生きているかの様な姿を眺め、込み上げてくる涙を抑えながら、平然を装って言う。

「どんな時でもって……今は何でも無い時じゃないでしょ?」
「……確かに」

 そうだ、俺はさっき、役15分前に乳房に……じゃなくて白波に告白をして、そして無事白波の彼氏になれた、白波を彼女にする事が出来た。
 だから今は何でもある時、白波の様に、全身でハッピーを表現すべき時なんだ。

「……告白、そんなに嬉しかったか?」
「そりゃあ嬉しいよ、にこにこ過ぎて明日表情筋が筋肉痛になっちゃうじゃないかっていう位歓喜してるよ」

 そう言って白波は振り返り、喜色満点の顔を見せつけてくる。
 美人になったと……そう思っていたが、その満面の笑みからは昔の様な無邪気さが、幼さが感じられた。

「それに……」
「それに?」

 白波は突然、笑顔を失い……切なそうな顔をして俯く。
 後ろで結ばれた手は、続きの言葉を紡ごうとする口は、唇は微かに震えていた。

「もう……ッ……もうこういうの無理だと思ってたから……!」

 白波はそう言うと、震える喉で無理やり言葉を捻り出すと、一気に涙を、感情を溢れ出させる。
 夕焼けの中、冷たい雨の如く涙が落ちる。
 落ちた涙は制服を濡らし、白い生地を淡いベージュ色に染色していく。

「ッ……!」
「んぐっ……!?」

 その姿を見た瞬間、俺は何も言わず、衝動的に、使命感に駆り立てられて白波を抱き寄せる。
 俺も、もう無理だと思っていた、彼氏彼女とかそういう事じゃなくて、こうして白波と触れ合う事自体もう出来ないと思っていた。
 だが……だけれど、俺は、彼女に触れている、広い面積を密着させて、彼女の体温を、吐息を、心臓の鼓動を感じている。
 不可能だったはずの事が出来ているのだ、もう諦めていたはずの事が現実となっているのだ。
 現実となって……

「現実……現実?」

 そうだ……胸に……ではなく白波の生存という事象に思考を停止させて、忘れていたがこれは現実じゃない。
 いや、実体があるのかもしれないがあくまで作られた物であって、この白波は、普通の世界は、こうして白波を抱き締めているという事実は、全て模造品に、偽物に過ぎないのである。

『シンノカイカイ』

 あのワールデスは確かそう宣言していた。
 シンノカイカイ……カタナワールデスの場合はトウノカイカイ、このトウは刀の音読みで、カノカイカイの、カは花の音読み……となるとこのシンも何かの概念の、存在の音読みという事になる……

 しん、という発音を持ち、俺の記憶を元に理想の世界でも作り出した様な……記憶……

「心の世界……」
「……」
「そう……なのか」

 その言葉を零した瞬間、白波の身体からは震えが消える。
 その変化は答え合わせの役割を果たし、俺の導き出した確証の無い答案を、正解へと化けさせた。

「ここは俺の心の世界なのか……? 俺の……理想で作られた世界なのか?」

 確証を得た答えについて、正解だと気付きながらも、白波に直接答え合わせをさせようとする。

「……」

 しばらくの沈黙が流れる。
 膠着状態が続き、いつまでも続き、段々と、じわじわと体内時計を狂わせていく。
 そして、どれ程の時間が経過したかは分からないが、痺れを切らして口を開こうとした、ちょうどその同じタイミングだった。

「確かに朝日の心も投影して作り上げられてる……けど違う、違うんだよ……」
「違うって……」
「これは朝日の理想じゃない、朝日の理想の世界なんかじゃない!」

 白波は顔を埋めたまま見せずに、涙で俺の制服を濡らしながら叫ぶ。

「この世界が俺の理想じゃない……?」

 いや、俺は望んでいるはずだ。
 白波が生きていて、共に生きる事の出来るこの世界こそが俺の理想のはずなんだ。
 だというのに白波は言う、白波の生存は、白波と一緒に笑って過ごせる事は、俺の望みではないと……間接的に自分の存在を否定する。

「そんなはずないだろ……俺はずっと白波の生きてる世界を願ってた、白波の存在を求めてたんだ……だからこれが、この世界は俺の理想から作られた世界なはず……」
「それは朝日の本心じゃない、朝日はずっと、あの日からずっと……」

 その言葉の続きは無く、そこで止まり、また沈黙が流れ始めた。
 そんな静寂の中、俺は思考する。
 朝日 昇流という人間について、分析する。

 6年前のあの日まではヒーローという概念への憧れを源にして生きてきた。
 だがあの日からはヒーローという概念への憧れを拒絶して、否定して生きてきた……今もそうして生きている。
 そしてまた、ヒーローを拒絶するのと同時に俺の心には、呪いの様に白波の姿が、幻影が残る、遺る事となった。

 白波は自分を見殺しにしている俺の事を憎んでいると、そう理解しながらも彼女の存在を求めていたんだ……彼女が生きて、俺と一緒に居てくれる世界を……

「やっぱりこれが俺の理想の世界だ……」
「だったらもうとっくに、崩壊世界が生まれた時にはその理想は叶えられているはずだよ……」
「ッ……?」

 白波と共に生きられる世界が俺の理想なら、崩壊世界が生まれた時には叶えられているはず……何を言っているんだ……?
 それではまるで俺の理想の世界と崩壊世界がイコール、同質の物であるみたいじゃないか。

「俺はあんな世界望んでなんかない……さっきから言ってるけど俺が望んだのはお前が生きてる世界で……!」
「ッ……だったら!!!」
「うぉぁあ!?」

 白波は堪忍袋の尾でも切れたかの様に、突然叫び、激昂し……俺の事を両手で、全力の力で突き飛ばし、そして押し倒した。

「だったらなんで私はこんな存在になるの……!」
「こんな存在……? なぁ白波、俺はさっきからずっと……というか最初からいままでのお前の言っている事が何も分からないんだ……」

 意味不明な言葉に困惑しながらも、相手が幻だと、白波ではない模造品だと理解しながらも、優しい口調にして疑問をぶつける。

「……ごめん、そうだよね、分からないよね……」
「白波……?」

 俺の言葉を聞いた白波はいきなり冷静になり、落ち着いた様子で、目の周りを赤くしながらも謝罪の意を俺に見せてくる。

「ねぇ朝日……」
「……なんだ?」

 白波は小さい声で、独り言を呟く様に語りかけてきた。

「ここは朝日の理想の世界じゃない……けどさ、朝日がここを理想だって思っているなら、勘違いしているのなら……ずっと、永遠とこの世界に居ようよ……」

 そう言って、その禁断の提案をする。
 幻の中に、自らの意思でいつまでも留まろうとする事。
 それはつまり、終わらない現実逃避を、ワールデスに対する降伏をするという事、何よりこれまでの戦いを自ら否定する事であった。
 そんな事許される訳が……許されたりなど……

「何がいけないんだ……?」

 俺が現実から逃げて、誰が困るのだろう……誰が損をするのだろう。
 もう世界には殆どの人が存在しない……つまり俺が居なくなる、又は無限に眠っていたとしても誰も悲しまない。
 それに、俺と同じ様に黒姫も心の世界に閉じ込められているはずだから、誰かが孤独になる様な事も有り得ないんだ。
 現実に戻ったとしても、戦い続けて全てのワールデスを殲滅したとしても世界が元通りになんてならず、いずれ食料も無くなって飢えで苦しみ死ぬだけだ。
 だからこの世界に留まった方が良い……現実に戻っても希望なんてないのだから。

「……そうだな、そうかもしれない、心の世界にいた方がいいかもしれッ……」

 俺が現実から目を背けると、そう結論を出そうとした瞬間……

「っひあ!?」
「白波!?」
「駄目だよこんな幻の誘いなんて……敵の手下の言う事なんて聞いたりしちゃさ」

 白波は襟を掴まれ、引かれ、強制的に立ち上がらせる。
 襟を掴んだのは、立ち上がらせたのは、日本の住宅街には似合わない洋風の、ドレス風の服を着た少女——黄金 黒姫だった。
 その右手には何か、長細い物が握り締められていた。
 その何かは銀色で、厚さがほとんど無く、とても鋭利で——それは包丁だった。

「おい何をッ……」
「よっと……!」
「ぐぃぃ!?」

 握られている物が包丁であると理解し、すぐに黒姫を止めようと立ち上がるが間に合わなかった。
 黒姫は襟を掴む手から逃れよう暴れる白波の首に、包丁を突き刺す……深く、強く刺して食道を切断し、引き抜いて多量の血液を吹き出させる。

「あづっづぁ……!」
「やめっ……」
「この世界の人間は大分しぶといらしいからね……ちゃんと殺らなきゃ……!」

 黒姫は返り血を全身に浴びながらそう言って、包丁を捨て、首の切れ目に手を刺して、その中の何かを掴み……そして……

「リッ……ラァァァア!」

 祭りくじの糸でも引っ張るかの様に白波の食道を引いて、胃や腸、様々な内臓を引き摺り出した。
 周囲には赤い血が飛び散り、ひと繋がりの内臓の紐が撒き散らされる。

「ぁぁ……あぉぁ……」

 俺は何も、幻惑の白波を守れず、目の前の光景を、全身血塗れになりながら、いつまでも血を流しながら地面に崩れ落ちる白波の姿を、自分の腹の上に落下した腸を見て、情けない声を漏らしたのだった。


——5分前

「うっ……ぎが……!」

 黄金家の屋敷の中……黄金の性の姉は、黄金の性の妹の上に跨り首を、気管を強く、潰す勢いで絞め上げていた。

「黒……なん……でッ!」

 白姫は恐怖と困惑の中、締め付けられる喉から声を捻り出して問いかける。

「私の白姫は12歳じゃない、6歳の時に死んでるの……だから貴方は私の物じゃないから……かな?」
「何言っ……!? ぐぃ……」

 真顔のでその理解の出来ない言葉を紡ぐ姿を見て、白姫は逆に冷静になり、その代わりとして恐怖が増していく。
 そしてまた、恐怖が増大すると共に黒姫の腕に込められた力も増大していく。

「私の白姫だったならワールデスの開いた世界に囚われても良かったんだけど……私の白姫じゃないなら要らないからね」

 黒姫は白姫に対する憎しみを見せるわけでもなく、ただ淡々と、一切の感情は込めず、少し面倒な作業をこなす様に白姫の呼吸を、脳への血流を阻害する。

「くろぁっ……きぃ……!」

 白姫は黒姫の顔に手を伸ばす。
 その行動は決して攻撃の為の動作ではなく、伸ばされた手は黒姫の頬に当てられた。
 
「手が冷たいのはやっぱ同じなんだね」

 だけれど黒姫はその行為に対して特に反応する様子はなく、自分の白姫と比較するのだった。

「おねぇっ……ぢゃっ……」
「おっ……よぉ~やく死んだぁ……変にしぶとかったけどワールデスが作り出した偽物だからかな……?」

 そして、白姫の腕は脱力し、ベッドとぶつかり、跳ねて、何度か跳ねた後一切の動作をしなくなった。
 それを見て黒姫は、面倒な課題を終わらせた後の満足感に満ちた様な声で、殺害の感想について独り言を呟いていた。


——


「は……ぁあ……?」

 目の前のその凄惨な光景を見て、俺は苛立ちの様な、困惑の様な感情を纏った声を捻り出す。
 白波の首からはまだ血が、肉が溢れ出し続けており、赤い水溜まりはどんどんと広がっていく。

「よし……合流出来たしさっさとワールデスを見つけて……いやその前にバトラー達とも……朝日?」
「あぅぅぁぁ……あぁ……!」

 白波の死という描写が瞳に焼き付けられる。
 そして、その幻の白波の死は、類似する死を……6年前の白波の死を連想させ、フラッシュバックさせた。

「白波、白波? 白……しろあぉぁぁッ……?」

 拡大する血の池は増水した川へと、鮮血に覆われた身体は黒ずんだ波に包まれた身体へと、視界の中で変貌し、映像として再生される。

 篠突く雨が俺の身体を、荒ぶる川の水面を……抗う白波の身体を打ち付ける。
 川はどんどんとその水量を、流れの勢いを増させ、白波の身体を呑み込み、奥底へと引き摺り込む。
 そして俺はその光景を何もせず、ただ呆然と立ち尽くし、救いを求める彼女の事を見殺しにした。
 助ける事も、逃げる事もせず、最後まで彼女の苦しむ姿を眺めていた。
 俺は、朝日昇流は最悪だ……最低だ。
 彼が存在しなければきっと白波は死んだりなどしなかった……死の運命が変えられなかったとしても最期まで希望を与えられたまま、絶望の中で死ぬ事は無かった。
 

 だから、つまり、要するに……朝日 昇流が死ねばいい。


  『そして朝日 昇流の心が氾濫する』


「っ……何この揺れ……」

 黒姫は謎の、地震とは違う揺れを感じ取る。
 大地そのものが揺れている、というより、何か巨大な力によって街全体が震動させられている様な揺れだった。
 そして、黒姫が揺れのする方向へ、後ろへと振り返った時……彼女はその揺れの原因を、自分達に迫る危機を知る事となる。

「嘘でしょ……!?」

 街を揺らしていたのは巨大な、荒ぶる黒い波だった……津波の様ではあるがそれは氾濫した川の波であった。
 波は全ての建物を……幻を破壊しながらこちらに向かい行進する。
 
「っ……逃げッ……!」

 黒姫は逃げ出そうとするが間に合う訳も無く、一瞬にして住宅街と共に、朝日 昇流と共に波に呑み込まれ、その狂った様な流れの中に、狂乱の朝日 昇流の心の中に囚われた——
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