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第58話
しおりを挟む明くる日も私はウェティの部屋を訪れていた。
彼女の体調は意識が戻ってから安定しているように見えるが、まだまだ本調子でない。まったく歩けないわけではないものの、立ち上がるとまだ眩暈があるとのことで、所用で部屋外へと出る際は私かレオニールが付き添うことにしている。ウェティも同性の私には何かと頼みやすいようで、恐縮しながらも私が傍にいることを望んでくれた。
ウェティ曰く、今までも倒れた経験はあるけれどその際はレオニールが面倒を見てくれていたらしい。だから今回もきっとそうだろうと思っていたのに、目覚めてみれば私自ら看病を申し出たと言うし、それをレオニールが許したという事実もあって大層驚いたのだという。
「倒れた原因はわたくしの不注意ですし、貴女にこんなことを言ってしまっても良いのかはわかりませんけれど……本当にコトハがいてくださって助かりましたわ。レオ兄様は家族ですけれど……わたくしも一応は女性ですもの」
「あー、そうだよね、いくら家族だとしても頼みにくいこともあるもんね。着替えとか、ちょっとね」
「そうなのです」
ベッドの上で身体を起こしたウェティが私の相槌に苦い笑みをこぼす。
仕方のないこととはいえ、異性の家族に肌を見せるのは確かに抵抗があるだろう。実際のところ私だってそうだ。
「それよりもコトハ、先程の提案についてなんですけれど」
話を切り替えるように、ウェティがベッドから身を乗り出すような形で私の顔を覗き込んでくる。
先程の提案、という言葉とどこか期待に満ちたウェティの表情に、今度は私が苦笑する番だった。
「さっき話してた“提案”のこと?それならさっきも言ったけど、私は別に見返りが欲しくてやったわけじゃないし、本当に気にしないで」
大したことはしていないのに、彼女は私に心からの感謝の言葉を述べた上、どうしてもお礼がしたいと申し出てきたのだ。何か欲しいものはないか、何かしてほしいことはないか――そう何度も問われたけれど、私はそのたびに断りを入れていた。
看病といっても私にできることなんてたかが知れているし、特別なことなど何もしていない。倒れた友人のために何かしてあげたいと思ったからこその行動だったし、見返りなど端から求めていなかった。それに、そもそも私達が全員無事だったのはウェティが魔法で守ってくれたおかげである。
だから感謝すべきはむしろ私達の方であり、礼など不要なのだと伝えても、ウェティは頑として譲らない。
「いーえっ、それではわたくしの気が済みませんの!わたくしが叶えて差し上げられることでしたらなんでもかまいませんから!ねえ、試しにおっしゃってみてくださいな!」
「うーん、そう言われてもなあ……」
試しにと言われても、本当に何も思い浮かばないから困っているのだけど。
それでもせっかくのウェティの好意を無下にしたくない気持ちもあって、私はどうしたらよいものかと首を捻る。
(欲しいものもぱっと出てこないし、かといって病み上がりのウェティに頼みたいことなんて…………)
何もない、と思いかけてはたと気付く。
返礼なんて何も欲しくはないし、受け取るつもりも毛頭無かったけれど。
ひとつだけ、ウェティに相談したいことがあったのだ。
「……本当になんでもいいの?」
「っ、ええ!なんでもかまいませんわ!」
念のためそう確認してみると、ウェティは嬉しそうに破顔して何度も首を縦に振った。
ウェティの表情からは期待に胸を膨らませている様子がひしひしと伝わってくるのだけど、私がこれから話す内容はきっと彼女を満足させるものではない。
「じゃあ、お言葉に甘えて。あのね、相談に乗って欲しいことがあるの……レオニールさんのことで」
「…………レオ兄様の?」
私の口から出た名前が予想外だったのか、ウェティはきょとんとした顔で首を傾げている。
「兄様がまた貴女に何か粗相をなさいましたか……?」
眉をひそめるウェティに、私は慌てて「違うの」と首を横に振る。
「全然そんなんじゃないんだ!うん、そういうのじゃないんだけど……なんていうか、説明しづらくて」
「……兄様と何かありましたの?」
歯切れの悪い私の言葉に何か思うところがあったのだろう。
私が喋りやすいように先を促してくれたウェティに感謝しながら、再度口を開く。
「レオニールさんに、ここに残る気はないかって言われたの」
「まあ!」
驚きに目を見開き、口元に手を当てるウェティの様子から、何故かすごく恥ずかしいことを話しているような気になってきた。なんだかそわそわするような、そんな妙な感覚にとらわれながらも私は昨夜のレオニールとの一件を説明する。
今後の進退に関係することは本来真っ先に仲間達に相談すべきなのだろう。でも、仲間達はどちらも異性だし、ちょっとだけ相談しにくかったというのもあった。まあ、クロノスの性別はどう判断していいのかわからないのだけれど。
* * * * * *
「そう……兄様がそんなことを……」
私の話を一通り聞いたウェティは、自身の口元に当てた手をそのままに大きく息を吐いた。
「……兄様は、秘匿とされている中枢にまで貴女を……」
難しい顔で何事かを考え始めるウェティに、私は今の素直な気持ちを口にする。
「ウェティをそんな風に悩ませたかったわけじゃないの。なんて言えばいいのかな、レオニールさんの真意がわからなくて。出会いも最悪だった女を仲間に引き入れようとするくらいだから、何か思惑があるのかなって」
「……コトハは、あれから兄様には会われました?」
「うん、今朝会ったよ。といっても、すれ違っただけなんだけど」
ウェティの部屋を訪れようと廊下を歩いている時にレオニールと偶然鉢合わせしたのだが、その時の対応はいたって普通だった。まるで昨夜のやりとりなどなかったかのように、いつもの不愛想な態度に戻っていた。
だからこそわからない。レオニールが何を思って私を義賊団の一員に引き入れようとしているのかが。
「……以前もお話したかもしれませんけれど、わたくしにも兄様の考えはわかりません。兄様は読めない行動ばかりするものですから。せっかくわたくしを頼ってくださったのに、しっかりとお答えできなくてごめんなさいね、コトハ」
「いやいや、謝らなくていいから!全然気にしないで!……というか、兄妹同士で考えてることがわかったら逆にびっくりするよ!」
「ふふっ、そうですわね。ですがわたくしはずっと兄様の傍で過ごしてきましたもの……わたくしにだって少しくらいは察せられるところはありましてよ」
申し訳なさそうに肩を落とすウェティに慌てる私だったが、すぐに笑顔で片目を瞑る彼女の姿にほっとする。そんな私の様子にウェティは目を細めてから、ごく自然な動作で私の両手をとった。
「……ねえコトハ。わたくし、今からとてもワガママなことを言いますわね」
「ウェティ?」
戸惑いが声音に現れる。
けれどウェティは私の疑問に答えず、ただ悪戯っぽい笑みを浮かべるのみ。
「身内びいきになってしまいますけれど、兄様はああ見えてとっても誠実なお方ですわ」
「……うん?」
「コトハ、貴女のことも多分、いいえ、絶対大事にしてくださると思いますわ。ああ……なんて素敵なことなのでしょう!わたくし、貴女が“義姉様”になってもまったくかまわないと思っていますわ!」
「ちょ、ちょっとウェティ!突然何を言い出すの!?何を言ってるか全然わからないんだけど!?」
両の瞳をきらきらと輝かせながらとんでもないことを口にするウェティに、ぎょっと目を剥いた。
ウェティの言葉の内容は、何も知らない人が耳にすれば多大なる誤解を与えかねないものだ。
(大事にしてくれるとか義姉とか……まるで私がレオニールさんとどうにかなるみたいな言い方じゃない!)
思わず胸中で吐き出したその内容の意味を、私自身きっと理解していなかった。
ぼんやりと思い浮かべた昨夜の出来事と、私を仲間へと誘うレオニールの姿に、私が何も思わなかったわけではない。程度の差はあれど、多少なりとも気に入られているのは確かなのだろう。
先程のウェティの冗談はさておき――彼女が私に推測すら語ろうとしないのは、深く考えてはいけない類のものだということなのかもしれない。うん、きっとそういうことだ。
私は自分の考えにそんな判断を下すと、咀嚼する前にさっさと思考から追い出した。
「よくわからないけどさ!今の冗談がウェティの言う“ワガママ”なの?私的には全然そうは思わなかったんだけど」
話を切り替えるようにそう言うと、ウェティが「冗談などではありませんのに……でも兄様も悪いのですし仕方ないですわね」と残念そうに笑うのが見えたが、その言葉の意味はあまり深くは掘り下げないことにする。
ウェティはふうとひとつ息を吐いてから、やや困ったような表情で首を傾げてみせた。
「わたくしのことを嫌いにならないでくださいましね?……本音を言えば、わたくし、本当は貴女と別れたくないのです」
静かに滑り落ちたウェティの言葉は、レオニールの件で動揺していた私の心を一息に鎮めていった。
いろいろな出来事があって忘れていたけれど、私は半ば事故のようにこの不思議な空間に連れてこられ、閉じ込められて、すぐにでもここを出ていきたいと思っていたはずだったのだ。
最初の頃はこんな風にリレイバール兄妹のことを知る予定もなくて――だからこそ、考えないようにしていた。もう間もなくやってくる別れの時を意識すればするほど、この場所を離れる寂しさが募っていくから。
「私だってそうだよ。最初はすぐにここを出ていくはずだったのに、今ではウェティとせっかく友達になれたのにって思っちゃう。おかしいよね」
「おかしくなどありませんわ。大切なお友達とこのまま別れるというのはとても……とても、寂しいですわ。離れたくないと、貴女ともっと一緒に過ごしてみたいと思っているのも確かなのです」
「ウェティ……」
「でも、貴女達は冒険者という名の旅人ですもの。ひとところに落ち着かせようとすることは、貴女達の目的を捨てろと言っているようなものですわ。それはわたくしの望むところではございません。わたくしは貴女の気持ちを尊重していますが、どうしても寂しくて。ですから、ワガママだと言ったのです」
ぽつぽつと心情を吐露するウェティに、私はかける言葉が見つからなかった。
私がレオニールの望む通り、義賊団の一員としてこの場所に残らない限り、別れはやってくる。
私がロイドやクロノスと旅をしているのは、元の世界に帰る方法を見つけるためだ。王都イレニアへ立ち寄った理由も、花祭りへの参加という目的があったからだ。
(再会を約束したとしても、それがいつになるかはわからない。また会えるという保証もない)
今は何を言っても、彼女の慰めにはならない気がした。
「……ところで、コトハ。話は変わりますけれど」
室内に沈黙が満ちてからしばらくの後、ウェティが唐突に話題転換をし始めた。
彼女の表情をそっと窺っても、先程までの気落ちした様子は一切見受けられない。
レオニールとの一件もあり答えを出せないでいる私のことを気遣ってくれてのことだとわかる。私は彼女の気遣いに乗ることにした。
「どうしたの?」
「貴女のお仲間のことですけれど……どちらが貴女のパートナーですの?」
「パートナー?どういうこと?」
「言い換えますわね。貴女はお仲間どちらかと恋仲、ということはないのですか?」
「こっ!?」
予想外過ぎる質問に思い切り動揺した私は、顔を真っ赤にしながら勢い良く顔を横に振る。
「こっ、恋仲なんて!二人ともそんなんじゃないよ!」
「ふふ、そうでしたの?例の教会でも口にしたかもしれませんけれど、騎士の彼とも魔術師の彼とも、貴女は本当に仲が良さそうでしたもの。恋人はどちらの殿方なのでしょうと、わたくしずっと気になっておりましたのよ」
「何を言ってるの!?どっちも私の恋人とかじゃないから!仲間だから!」
仲間への恋人疑惑を払拭させるため、私は慌ててウェティの台詞を否定した。
喧嘩らしきものもほとんどしないし、仲が悪いなんて口が裂けても言えないくらいの関係性だと思っているが、どちらも私の恋人などではない。たくさん守ってもらって、たくさん助けてもらって、そんな優しい人達に私をあてがうなど、おこがましいとしか言えないだろう。
そんなことを早口で説明したが、ウェティは「どちらともお似合いですのに」とくすくすと楽し気に笑うだけで、本当に理解したかどうかはわからない。なんだかウェティにからかわれたような気がして、私は恥ずかしさで押し黙ることしかできなかった。
「ふふ、ごめんなさいね、コトハ。わたくし、お友達ができたら恋バナというものをしてみたかったの」
「うう……」
「まあ、わたくしは自信を持ってレオ兄様を貴女におすすめしますけれどね?貴女のお仲間のどちらかでしたら……そうですわね、騎士の彼が良いと思いますわ。憧れますもの」
「憧れ?」
私は先程までの羞恥心も忘れて目を瞬かせた。
もしや、ウェティはロイドに憧れを抱いているのだろうか。
「ウェティは騎士の……ええと、ロイドのことが好きなの?」
聞きたいけれど、聞きたくない。
そんなおかしな感覚を抱いたことを不思議に思いながらも、おそるおそる聞いてみる。
すると、ウェティは「まさか」とあっさりと私の問いを否定した。
「誤解しないでくださいまし。貴女の騎士を奪おうなどとは毛ほども思っておりませんわ。わたくしが憧れているのは、個人ではありません。“騎士”という職業そのものに、わたくしは憧れているのですわ」
どういうことだろうか。
首を傾げる私にウェティは「まだお話しておりませんでしたわね」と微笑んで、ゆっくりと語り始めた。
「わたくしの本当の夢は、魔術師になることでも、治癒術師になることでもなかったの。わたくしは、騎士になりたかったのですわ」
リレイバール兄妹の家系は、魔法の才を持つ者を輩出しやすかったとレオニールに聞いていた。
彼らの生い立ちやこれまでの背景などは突っ込んで聞けなかったけれど、ウェティは幼い頃から身体が弱く、家の中で過ごすことが多かったらしい。決して潤沢とは言えず、少ない魔力量だったとしても、その身に有した癒しの力を活かすため、勉学に励んだのだそうだ。
ウェティ曰く、きっかけは一冊の絵本だっだという。それは、魔王にさらわれた姫を一人の騎士が救い出して結ばれるまでを描いた女児向けの絵本で、女の子が必ず通る道だと言われているほど有名な話なのだという。彼女も例に漏れずその世界観に魅せられた一人で、何度も何度も読み返しては姫と騎士の美しい物語に思いを馳せたらしい。
はじめは姫に憧れ、いつか訪れる白馬の王子様を信じていた。
だけど、勉強の合間に何度も絵本を眺めているうちに、ただじっと助けを待つ姫ではなく、どんな困難にも負けず運命に打ち勝つ騎士になりたいと思い始めたそうだ。身体が弱くて思うように動けなかったウェティが姫ではなく騎士に憧れるようになったのは、彼女の体質を思えば当然の帰結だったのかもしれない。
幸い、この世界の職業選択は自由だったため、女性騎士も数多く存在していると知った彼女の夢は、いつしか騎士になることになった。
「騎士を目指すために必要な要素を今のわたくしは持ち得ませんけれど……それでもまだ、夢は捨てておりません。いつの日かこの体質が治ったら、癒しの力を存分に奮いながら誰かを守る騎士になれたらと思うのです」
「……素敵な夢だね。ウェティならいつかきっと騎士になれると思う。私、応援してる」
話を一通り聞いた私は、素直にウェティの夢を応援したいと思った。
こんなに素敵な女性が夢を叶えられるなら、それはどんなに素晴らしいことだろうかと。
そんな思いを込めてウェティに笑みを向けると、ウェティは嬉しそうに破顔した。
「ありがとう、コトハ。貴女に誇れる騎士になれるよう、これからもわたくしは邁進していきますわよ!今はまだ、絵本の騎士様のように知識を増やし、女性に優しくすることしかできませんけれど……」
「女性に優しく、か……」
ウェティの今までの言動を思い出す。
彼女の優しい人柄は疑いようもないが、その一片を担うのはきっと絵本の騎士への憧れなのだろう。
女性は守るべき大切な存在――――彼女がたびたび口にしていた行動理念が、やっとわかったような気がした。
(ウェティが自分のことを話してくれたし、このタイミングなら私のことも話せるような気がする)
異世界から来たこと、仲間達との出会い、旅の目的。
彼女に明かすべきことはたくさんある。
まずは何から話そうか――そんなことを、考え始めた時、控えめなノックの音が私の耳に飛び込んできた。
私とウェティは思わず顔を見合わせる。静養中のウェティの部屋に用事がある人物など、レオニール以外には考えられない。
「兄様?どうぞお入りくださいませ」
ウェティも私と同じことを思ったのだろう。
完全にレオニール向けの対応で入室許可を出したウェティだったが、ゆっくりと開かれた扉の向こうに立つ人物を視界に入れた瞬間、「まあ」と驚きの声を上げていた。
何せ、ウェティの部屋に訪れたのは――彼女にとっても、私にとっても、予想外の人物だったから。
「失礼いたします。私の主人の――――コトハの、お迎えに上がりました」
入室と同時に頭を下げるその人物は、先程まで話の渦中にいた――私を主人と仰ぐ騎士、その人だった。
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