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第30話
しおりを挟むクロノスの口から語られた、知られざる国の歴史。
地図から消え去った名も知らぬ国の逸話が、今回のメルカ遺跡の件に絡んでいるとは思いもよらなかった。だけど、クロノスはどうしてこんなに古い話を知っていたのだろう。魔術師は頭が良いイメージがあるし、彼も例に漏れず博識なのだろうか。それとも、冒険者として旅を続けるうちに耳にした話なのか。
少し突っ込んだ話を聞いてみたかったけれど、クロノスが注文してくれた食事が運ばれてきてしまったので、続きは食事が終わってからと相成った。なんとなく、今回も結局聞けずじまいになりそうな予感がした。
「うーん、二人に聞きたいことはたくさんあるんだけどなー。気になってても聞けてないことってけっこうあるし」
そうひとりごちて、私は木目調のトレイに乗ったお椀の蓋を取る。
途端に立ち上る湯気と漂う香りに、私はふうと息を吐いた。
「んー、いい香り」
中心に卵を落とし、彩りにパセリを散らした白い粥のようなものと、野菜スープ。デザートにグレープフルーツの果肉。何とも身体に良さそうなメニューだ。
スプーンを手に取り、粥を一口掬って口に運ぶ。作りたてなのかまだ少し熱いけれど、ほっとするような優しい味がした。これはミルク粥か何かだろうか。ほんのりチーズの味がして、とてもおいしい。身体の中から温まるような心地だ。
「うん、これなら全部食べられるかも。ここのご飯って本当においしいよね……あの二人は何を食べるんだろなー」
現在、この部屋にロイドとクロノスの姿は無い。見られていては食べにくいだろうからと、席を外してくれたのだ。自分達も昼食をとってくると言っていたが、彼らの食事が私と同じメニューのはずがない。また、二人が何を話しているのかも気になるところだ。
(仲間同士だけど、仲が良いんだか悪いんだか)
――とはいえ、実際のところ私は二人のことをよく知らないのだ。
騎士と魔術師の二人は、私よりも年上で、男性で。性格はざっくり分けると静と動、という印象だが、お互いそれなりに話はしているみたいだ。仲が良いかは別として。
(ロイドが二十四歳で、クロノスが二十六歳だったっけ。他に知っているのは職業と、どっちも冒険者ってことくらいかなあ)
まだ知り合って間もないのもあるが、本当に情報が少ない。そのうち本人達の口から聞くことができるだろうと思っているが、いったいいつになることやら。一歩踏み込んだら地雷を踏んだ、なんてことにはならないようにしたい。別に知らなければ知らないなりに仲良くしていけるし、無理やり聞き出そうとは思っていないのだけど。ただ、少し気になるだけだ。
「二人とも本当に謎すぎるんだよねー。ロイドの本名とか、クロノスの明らかに何かありますよーって感じとかすごい気になるし。でも本人達が進んで喋らないことを無理に聞くのはさすがにマナー違反だしさあ」
独り言を呟きながら、食事を食べ進めていく。
二人が戻ってくるまで一時間程時間がある。休憩も無しに延々と話し続けているのは辛いだろうと二人が配慮してくれたためだ。食事を終えるまでさほど時間はかからないし、休憩は充分すぎる程とっている。だから時間を有効活用したいと思ったのだけど、思い浮かぶのは仲間のことと、メルカ遺跡での出来事ばかりだ。
(――ああ、そうだ、メルカ遺跡といえば)
メルカ遺跡での最後の記憶をふと思い出す。
光の柱に入り意識を失う直前に、精霊の少女は私に“精霊の里”を訪ねてみるといいと言った。彼女が自身の故郷を示した理由はどこにあるのだろう。精霊王、という大きな存在が何かを知っているのだろうか。
「精霊王っていうくらいだからいろいろ知ってそうだよね。まだ次の目的地とか決まってないし、ちょっと行ってみてもいいかもなあ。もしかしたら元の世界に帰る方法とか教えてくれるかもしれないし!」
そう都合良く事が運ぶわけがないと思いつつも、ちょっと期待してしまう。
何もすぐに精霊の里に向かおうというわけではなく、とりあえず次の目的地として定めておいてもよいのではと思ったのだ。問題は、仲間が承諾してくれるかどうかであるが。
「二人が戻ってきたら相談してみよっと」
次の指標も何も無いわけだし、彼らもきっと一考の余地があるだろう。
そんなことを思いながら、私はロイドとクロノスが部屋に戻ってきてから早速相談を持ち掛けてみた――のだが。
「無理ね」
「無理ですね」
私の思いに反して、二人は揃ってきっぱりと否を示してきた。
「えっ!?どうして!?精霊が良いって言ってるんだし、別に行ってみてもいいんじゃないの!?」
納得がいかずそう反論すると、クロノスは「行くだけならね」と肩をすくめてみせる。
「地図にも載っている場所だから、行くだけなら別にかまわないのよ。でも、アタシ達じゃ行けて里の入り口まで、かしら?」
「入り口?なんでまた」
「精霊の里はとても閉鎖的でね。他の種族のことを好意的に見る個体も多いけれど、里の総意としてはよそ者の来訪を拒む動きのほうが強いのよ。里に足を踏み入れることができるのは、同族か、精霊に許された者のみと言われているわ」
「私もそう聞き及んでいます。精霊の導きがなければ、辿り着くことさえ困難だと。精霊と縁があれば里を訪れることもできるでしょうが……コトハが出会ったその精霊はまだ子供だったのでしょう?その事実を知らないのも無理はないのでは」
「ええー……そうなの?」
精霊の里を訪れるにも条件があるようだ。
あの精霊の少女はこの条件について何も言っていなかったけれど、彼女の言葉を社交辞令や単なる子供の戯言と片付けてしまいたくない気持ちも強くある。
せっかく機会が巡ってきたのに、このままでは精霊の里への訪問の件は立ち消えになってしまう。彼女は他に何と言っていただろう。彼女は本当にこの事実を知らないまま、私に精霊の里の存在を教えたのだろうか。
「…………あ」
必死に思い出そうとしているうちに、あることが私の脳裏に浮かんだ。
「ねえ。今思い出したんだけどさ、精霊の祝福っていったい何のこと?」
精霊の少女は、最後に私の頭に唇を落とし、精霊の祝福という言葉を口にした。私はそれをはなむけの言葉のようなものだと受け取っていたのだけれど、はたして正解だったのか。
その解答は、すぐに出た。ロイドもクロノスも、程度の差はあれどどこか驚いたような表情をしていたからだ。何故なのかはさっぱりわからないが。
「精霊の祝福……コトハ、その言葉をどこで?」
「えーっと、あの女の子が私に言っていたの。精霊の祝福をって。私はあんまり深く考えてなかったんだけど、何か意味があるのかな」
「意味があるも何も、それってすごいことなのよコトハちゃん!」
ロイドの言葉に素直に返せば、クロノスが楽しそうな声を上げた。
「え、そうなの?」
「そうよ!精霊の祝福っていうのは、文字通り精霊の加護をその身に受けることができるのだもの!精霊が自ら祝福を授けるっていうことは、アナタがその子に気に入られた証に他ならないわ!よかったわねコトハちゃん!」
「え、ええ?これってそんなにすごいことだったの?」
「ふふっ。幼くても精霊は精霊だもの。そしてそれは、精霊に認められた証でもあるわ。だから、アナタが望めば精霊の里にも入ることができる。アナタ自身が通行手形のようなものになったってことよ」
「クロノス、コトハを通行手形に例えないでください」
「あら、でもある意味間違ってないでしょ?」
素敵な偶然が続くものね、とクロノスは笑みを浮かべていたが、反対にロイドはどこか渋い顔。
一人楽しげに笑うクロノスと実感が湧かず困惑気味の私を見比べては、複雑そうな表情を見せていた。
何か思うところがあるのだろうか。不思議に思ってそのままロイドを眺めていると、彼は私の視線に気付いたのか緩く頭を振って微笑んだ。先刻の何か言いたげな顔の理由が気になるところだが、彼に言うつもりはないのだろう。
「えーっと。じゃあ次の目的地は精霊の里っていうことでいいのかな?」
「私は、コトハさえよければかまいませんよ」
「無論アタシもよ!ふふっ、なんだか楽しくなってきたわぁ」
言いながら、クロノスは私のベッドまで寄ってくるとパチンと指を鳴らした。
直後、細かな光の粒とともに空中に大きな地図が現れ、私のベッドの上にふわりと舞い落ちる。
「そうと決まればだいたいの旅の行程を決めておかなくちゃね。あ、ちょっと失礼するわよ?」
クロノスは地図を手に取ると、私のベッドの端に腰掛けた。この部屋にある椅子は一脚しかないから、クロノスはロイドに譲るつもりなのだろう。ならばロイドには椅子を勧めなければと口を開きかけたが、ロイドは椅子には一切目もくれず、私を真ん中に挟んだ反対側へ「失礼します」という台詞とともに腰を下ろした。
右側にはロイド、左側にはクロノス。
一枚の地図を三人で眺めるためにはお互い近付くしかない。私がベッドにいる以上、この状態は確かに理に適っているといえる。いえる、のだが。
(……近すぎじゃね……)
両隣にいる二人と完全に密着してしまいそうな程、距離が近い。
(おかしい、なんでこんなことに)
自然と身体を縮こまらせてしまうのは不可抗力である。両脇に視線を投げても、ロイドとクロノスの態度は見る限り普通に思えるし、私の様子を気にした様子はない。
――気にしたら負けだ。そう思うことにする。でないと私の心臓がもたない。
「私の記憶が確かなら、精霊の里はここから北の方にあったように思いますが」
「合っているわ。確かヴィシャール王国の外れに位置していたはずだもの。ほら」
ロイドの問いに答えるように、クロノスが人差し指で地図の最北端を指し示す。そこには精霊の里という文字が記されていた。
この地図はヴィシャール王国全土を示した地図らしく、他国のことは隣接する国以外載っていない。二人はヴィシャール王国の地図だけでなく、世界地図もちゃんと所持しているみたいだが、今は精霊の里への道順を確認するだけなので、わざわざ取り出す必要はない。
「ティレシスから精霊の里までは、どうしたって数日かかるわ。真っ直ぐ里を目指すのもいいけれど、急いでも疲れるだけで良いことなんて何も無いと思わない?」
「まあ確かに……私も旅慣れてないし、ゆっくり行ってもらったほうが正直ありがたいかもだけど」
「でしょう?だから、アタシのオススメはこっちの王都を通る方かしらね。最短ルートからは外れてしまうけれど、王都までの道中に村や町もいくつかあるから、何かあっても野宿は避けられるし」
「な、なるほど……」
「私はクロノスの意見に賛成ですね。無理な行程は避けるべきですし、疲れたら王都で羽を休めることもできるでしょう。何より私はコトハに無理はさせたくありませんから。……コトハはどうしたいですか?」
「うーん……どちらかといえば私もクロノスに賛成かなあ。最短ルートじゃなくても全然かまわないし。旅のことは冒険者二人のほうがよくわかっているだろうから、任せるよ」
意見を聞かれたところで、私はこの世界のことをよく知らないし、旅などしたこともない。
だから、旅の行程のことは専門家にすべてお任せしておこうと思う。
「ふむ、でしたら今回は王都を通るルートにしましょうか。ティレシスから北、というと……アウラ川を渡ってラウスリース近くの街道を通った方が王都には近いでしょうか」
「王都に向かうなら街道から外れずに行くべきでしょうね。街道付近ならモンスターも少な目だし、比較的安全だと思うわよ」
意見交換に合わせて、ロイドとクロノスの指が地図上をなぞっていく。
私はただそれをじっと眺め、二人の言葉に耳を傾けるだけだった。
(アウラ川もラウスリースも何がなんだかさっぱりわかんない……)
オンラインゲームで培った知識など、本職の冒険者には到底かなわないものだ。
「――ああ、そうだコトハちゃん」
唐突に、クロノスが地図から顔を上げて私の名前を呼んだ。
「なに?」
「コトハちゃんは王都に行くの初めてなのよね?」
「うん、そうだよ。ティレシス以外の街はよく知らないの」
一部の場所は知っているけれど、それはオンラインゲーム内での話だ。実際に訪れたことなどあるわけもない。そう思って頷き返すと、クロノスは「それならちょうどいいわ」と片目を瞑った。
「王都ではもうすぐ、花祭りが開かれるはずなの。国を挙げて行われる祭りだから、それは盛大な催しなのよ?一見の価値があると思うわ」
「へえ、そんなのがあるんだ!いいなあ、見てみたいなあ」
「ふふっ、アナタならそう言ってくれると思っていたわ!」
“花祭り”という単語に興味を引かれ思わずそう口にすると、クロノスが嬉しそうな声を上げた。
ロイドはそんなクロノスを一瞥したが、何も言わない。小さく「そういえばもうそんな季節でしたか」と呟くのみだ。
「ふふっ、せっかくだからみんなで王都の観光といきましょうか!」
何やら、次なる目的地とともに観光の予定まで立ってしまったらしい。
(花祭り、か)
今後の楽しみがまたひとつ増えたな、と思った。
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