まんぷくっ! -となりのアイドル(と)ごはん-

indi子/金色魚々子

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9 クリスマス・キス

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***

 あの人は時間にルーズな人だった。時間になっても一向にやってくる気配はない……もしかしたら、来るつもりがないのかもしれない。待ち合わせ場所を24時間営業のファミレスにしておいて良かった。私は3杯目の紅茶を飲みながら、じっとドアのあたりを見ていた。レジに立つ店員が何だが居心地悪そうにもぞもぞしている。もしかしたら私の視線のせいかもしれない。

 私は家を出てすぐに、以前使っていたスマホを使って藤野さんと連絡を取った。電話をかけると、彼はワンコールで出た。私は会って話をしたい事と、待ち合わせ場所と時間を口早に伝える。それより先に行かなければいかない場所に寄ってから、時間ギリギリにファミレスに着いたけれど、彼はまだ来ていなかった。背筋を伸ばして座っていると、背中ががちがちに固まって痛くなってきた。けれど、彼に隙を見せるわけにはいかない。

(……あ)

 ドアについていたベルが鳴る。真っ黒のダウンを着た、見覚えのある姿が現れた。彼は店員に声をかけられるよりも先に、私を見つけて歩み寄ってきた。

「よぉ」
「……お久しぶりです」

 声がわずかに震えてしまった。藤野さんはそれに気づいて、口角をあげて笑う。

「お前、何か堅苦しいじゃん」

 彼はダウンを脱ぎながら座席に座って、メニュー表を開いた。「腹減ってるんだよね」と言ってステーキセットを注文する。

「それで、話って?」

 藤野さんは足を組み、ふんぞり返った。その高圧的な態度にどれだけ過去の私が怯えていただろう。今だって、少し……いや、だいぶ怖い。けれど、そんな事を言っている場合じゃない。湊人君は自ら全てを打ち明けてくれた。今度は、私が私の問題を片づける番なのだから。

「湊人君の事を週刊誌に売ったのは藤野さんですよね?」
「あー、あのクソガキな。見たことあるなって思ったから、ひょっとしてって思って。知り合いの知り合いにそういうライターがいてさ、喜んでたよ。いい金になったし。お前にも礼言っておくわ」

 まるで悪びれることのないこの態度。腸が煮えくり返りそうになる。私は大きく息を吸って、頭の中で「冷静になれ」と繰り返した。

「……お願いがあります」
「なんだよ。また一緒に暮らしたいってか?」
「違います。これを、記入してください」

 私はバッグから、ここに来る前に役所に寄ってもらってきた離婚届を取り出した。私の欄はすでに記入している――藤野穂花なんて名前、久しぶりに見た。

「は? 何だよ、これ」
「だから、離婚届。書いてください……一刻も早く、藤野さんと別れたいんです」

 藤野さんは唇を噛んで、私の顔とテーブルの上の離婚届を交互に見ていた。ステーキセットを持ってやってきた店員がいることにも気が付かないくらいだった。店員はテーブルの端にそれを置いて、そそくさといなくなっていく。今ごろバックヤードでは私たちの話題になっているに違いない。

「お、おま、お前なんてッ! 俺がいないと何もできねーくせに、何言ってんだよ!」

 離婚届を離婚した藤野さんは声を大きく荒げる。近くの席に座る人が驚いて肩を震わせるのが視界の端にチラリと見えた。

「離婚には同意するって言ってくれていたでしょ? 私と直接話が出来たら離婚してくれるって……だから、これを最後にしてもらおうって思ったの。それに、私の名前は『お前』なんかじゃない」

 藤野さんはグッと喉を詰まらせた。

「私はもう、誰の指図も受けない。誰にも支配されない。自分が食べたいものも、やりたいことも、全部、私自身が決めるの。……だから、いい加減私を解放して」

 カバンの中から印鑑とペンを、そして持ってきていた紙袋から保存容器を取り出してテーブルに置いた。私はそれの蓋を開ける。中には、本当なら優奈とパーティで食べるはずだったミートローフが入っている。

「なんだよ、それ」
「私が作った料理、ミートローフ。最後にこれ食べて、おいしいって言って」
「……はぁ?」

 彼は私の顔をじっと見ていた。

「あなたは、私が作った料理をいつもマズいって言っていたけど、絶対にマズくなんてない。悪いのは私じゃない、藤野さんの方だよ」

 私は手を膝に置き、そのまま深く頭を下げた。

「私は、私が作った物をおいしいって言って食べてくれる人と一緒に生きていくって決めたの。あなたの事、もう好きでも嫌いでもない。けれど、もう二度と自分の人生に関わって欲しくない。これであなたに頭を下げるのは最後だから……お願いします。もう私と別れてください。開放してください」

 それからしばらく、静かな時間が流れた。ファミレスの喧騒はまるではるか遠くから聞こえてくるように感じられる。

 ペンが走る音が聞こえてきて、私はハッと顔をあげた。藤野さんが殴り書きで離婚届を記入していた。書いて欲しいとお願いしたのは私だったけれど、驚いてしまった。

「……これでいいか?」

 最後にわざとらしく、ぐりぐりと力をいれて印鑑を押していく。破けてしまうんじゃないかと少しだけ不安になったけれど、私の手元に無事に戻ってきた。

「ごめん」

 彼がとても小さな声で、そう呟いた気がした。もしかしたら私の聞き間違いかもしれないけれど、私の耳にはそう届いた。

「お前、変わったな」
「うん」
「慰謝料とかそういうのは、弁護士に連絡するから」
「わかった」

 私はテーブルに広げたものを片づける。その間に、藤野さんは席を立ち、店を後にしていた。彼が注文したステーキセットと私が作ったミートローフが、しばらくテーブルの上に並んでいた。

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