沈黙のういザード 

豚さん

文字の大きさ
16 / 255

16話 光とフレジエと

しおりを挟む
土曜日の午前。
憂は千秋の部屋に案内された。

窓から差し込む初夏の光が、ふんわりと部屋を包み込む。
壁には整然と並ぶ書棚、机の上にはきれいに整理されたノートと参考書。
小さな観葉植物が窓辺に置かれ、淡い緑が目に優しい。

「……わあ、千秋の部屋って、ほんとにお姫様みたい……」

部屋の奥には天蓋付きのベッドが置かれ、ふかふかの布団に色とりどりのクッションが並ぶ。
その隣にはぬいぐるみがずらり。

憂は思わず手を伸ばしたくなる衝動を感じたが、机に置いた手に軽く力を入れ直した。

「ここで勉強するんですね……わかりました、頑張ります」

千秋は少し照れたように微笑み、ノートのページを開く。
その目は、憂が自分の理解度を見守ってくれることを期待しているようで、憂は胸の奥が少し高鳴るのを感じた。

「はい、よろしくお願いします」

憂は深呼吸して肩の力を抜き、机の向かいに座った。
ペンを握る手に少し力を入れ直し、ホワイトボードに短い文章を書き出す。

「じゃあ、まずはドイツ語の文章の読み方から見ていきましょう」

文字ごとに丁寧に発音しながら、憂は千秋のノートに目をやる。
千秋はペンを軽く止め、目を合わせてうなずいた。

「この動詞の位置が文章の意味を決める大事なポイントです。
……動詞の位置に注意すると、文章の意味がすっと理解できますよ」

憂は一度言葉を区切り、千秋の表情をじっと見た。
理解できたかどうかを確認する小さな間。
千秋は少し考え込み、ページをめくる指先を止める。

「なるほど……こうして見ると、ドイツ語も意外とわかりやすいです」

千秋が笑みを浮かべるのを見て、憂も軽く微笑んだ。
胸の奥がじんわりと温かくなる。

「それから、単語を覚えるときは、文の中で使う例と一緒に書くと記憶に残りやすいです。
文脈の中で覚えるのがコツですね」

憂は軽く首を傾げ、千秋の反応を待つ。
千秋はペンを軽く叩きながら、真剣な表情で書き込む。

「ふむ……憂さん、教え方、すごくわかりやすいです。ありがとうございます」

千秋が小さく笑った瞬間、憂は視線が一瞬交わり、互いに軽く目を逸らす。
その小さな間が、二人の距離感を柔らかく意識させる。

憂は机の向かいに座る千秋の横顔を見て、思わず頬を緩める。
ベッド脇に並ぶぬいぐるみたちが、まるで二人の勉強を応援しているかのようだ。

柔らかな光、穏やかな香り、そして静かに流れる時間――
憂は心の中で、今日ここにいる意味を噛みしめていた。

「うん、これなら千秋さんも理解しやすいはず……」

憂は小さく呟き、深呼吸して肩の力を抜く。
初めての家庭教師――まだ始まったばかりだけれど、
この時間が少しでも千秋の力になるなら、胸の奥で嬉しさがふくらむのを感じていた。

時計が三時を指すころ、
千秋は勉強の手を止め、そっと手を上げた。

「憂さん、おやつの時間にしましょう」

憂はノートを閉じ、ペンを置く。
軽く肩を伸ばしながら微かに頷いた。

「はい、わかりました」

その間に小野が入ってきて、
キッチントレーにのせられたケーキと紅茶を運ぶ。

「おやつでございます。
担当のパティシエが丁寧に作ったフレジエと、ディンブラの紅茶です」

苺がたっぷりと飾られ、スポンジと層をなすカスタードは淡い黄色で、しっとりした質感。
小野は慎重にナイフで切り分け、二人分のプレートに取り分ける。

憂は左手でフォークを手にし、フレジエを一口運ぶ。
苺の甘酸っぱさとカスタードのまろやかなコク、ふわふわのスポンジの軽やかさが口に広がり、思わず頬が緩んだ。

口に入れる前に軽く息を吸い、千秋の視線を意識して小さく微笑む。

「……ん、これ、誕生日のケーキよりずっと美味しい……」

千秋は右手で紅茶のカップを握り、柔らかく笑みを返す。

「そうですか……よかった、憂さんの口に合って。」

憂は紅茶を口に含み、再びフレジエを味わう。
甘さと酸味のバランス、クリームの濃厚さ、スポンジの軽やかさ――
どれを取っても完璧で、つい夢中になって食べ進めてしまう。

手が止まると、憂は少し照れたように目を伏せ、千秋の反応を伺う。

「……あ、でも、食べすぎちゃったかも……」

小さく笑い、フォークをそっと置く。
千秋は微笑んだまま、軽く頷き返す。

気づけば憂は、運ばれたフレジエのほとんど、ホールの七分の八を平らげていた。
苺の香りが口に残り、カスタードクリームの甘みが舌に心地よく広がる。

小野は静かに目を細め、そっと追加のディンブラ紅茶を注ぐ。

「……本当に、美味しい……」

憂が幸せそうに呟き、最後のひと口を口に運ぶと、千秋はフォークを軽く置き、そっと笑みを浮かべた。

ティータイムの静かな時間。
部屋には甘い香りと満足のため息が溶け込み、
二人の間にはさりげない距離感と、ほのかなドキドキが漂っていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

クラスのマドンナがなぜか俺のメイドになっていた件について

沢田美
恋愛
名家の御曹司として何不自由ない生活を送りながらも、内気で陰気な性格のせいで孤独に生きてきた裕貴真一郎(ゆうき しんいちろう)。 かつてのいじめが原因で、彼は1年間も学校から遠ざかっていた。 しかし、久しぶりに登校したその日――彼は運命の出会いを果たす。 現れたのは、まるで絵から飛び出してきたかのような美少女。 その瞳にはどこかミステリアスな輝きが宿り、真一郎の心をかき乱していく。 「今日から私、あなたのメイドになります!」 なんと彼女は、突然メイドとして彼の家で働くことに!? 謎めいた美少女と陰キャ御曹司の、予測不能な主従ラブコメが幕を開ける! カクヨム、小説家になろうの方でも連載しています!

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

彼の言いなりになってしまう私

守 秀斗
恋愛
マンションで同棲している山野井恭子(26才)と辻村弘(26才)。でも、最近、恭子は弘がやたら過激な行為をしてくると感じているのだが……。

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

一夏の性体験

風のように
恋愛
性に興味を持ち始めた頃に訪れた憧れの年上の女性との一夜の経験

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

処理中です...