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16話 雪乃の声が降りた夜
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白と深い紺の部屋。
窓の外には黒い海。
静かな空気の中、
黒いバイオリンケースだけが凛として立っていた。
「……リナさんの部屋、落ちつく……」
「静かだからね。
人が来る場所じゃないから」
リナは淡々と答えながら髪をほどいた。
ツインテールがふわりと解け、金の髪が肩に落ちる。
そのままソファに座り、
憂をまっすぐ見つめた。
「で、あんた」
「は、はい……」
「あんた、今日の嫉妬でぐちゃぐちゃな顔してる」
「っ……!」
「否定しなくていい。本題はそこじゃない」
灰色の瞳が、鋭く刺さる。
「あんた、歌えるんでしょ」
「え……?」
「歌の芯、もう持ってる。
わたしは、それを形にするだけ」
「形って……?」
「曲をつくる。
菊子さんの――“贈り物”」
「菊子さんの……」
「避難訓練の日から、あんたを見てた」
「え……?」
「涙を我慢して、誰かのために踏ん張る子。
そういう子には、ちゃんと“音”が宿る」
「……リナさん……」
胸の奥の“雪姉”が、そっと揺れた気がした。
「まず、発声」
リナが窓際を指さす。
「そこに立って」
憂は言われるまま立つ。
「息、浅い。北海道のときからずっと」
「見てたの?」
「たまたま視界に入っただけ」
(絶対たまたまじゃない……)
「胸じゃなくて、お腹で吸って。
はい、吸って」
「す……ぅ……」
「止めない。続けて」
リナの手が、憂の背中に添えられた。
冷たくて、優しい指。
「ここ。支えが弱い。
あんた、もっとできる」
「リナさん近い……!」
「遠くからじゃ直せない」
髪が頬をかすめ、
憂の胸が跳ねる。
「はい、もう一回。吸って、吐いて」
「すぅ……ふ……」
「よし。次、“響き”」
リナは正面に立ち、まっすぐ見つめる。
「鼻腔を震わせて」
「鼻腔って……」
「やればわかる。声出して」
「あ……あ……」
「弱い。雪乃の音が、あんたの中にちゃんといるはず」
「雪姉……」
名前を口にした瞬間――
空気が変わった。
『……憂』
(……雪姉……?)
『深く息して……ゆっくり声を出して……』
優しい声。
あの音楽室で聞いたままの音色。
『大丈夫……私がいるよ』
憂は息を吸い――ゆっくり吐く。
「……はぁ……ぁ……」
その声は、さっきよりずっと強かった。
リナの瞳が揺れる。
「……え……」
憂の声には、
雪乃の響きが微かに混ざっていた。
「あんた……今……」
リナは震える指で、憂のペンダントに触れそうになる。
「……雪乃……?」
『久しぶり……ね、リナ』
「っ……!」
リナの身体が震える。
唇が震え、瞳が大きく開いた。
「ありえない……
あんた……もう……」
『私はもう、憂の中にしかいない。
でも、あなたの音は覚えてるよ』
「なんで……
なんでそんなこと言うの……」
憂には知らない重さ。
リナだけが知る“雪乃との記憶”。
「ずるい……
なんで今……こんなところで……
雪乃が……っ……」
涙がこぼれ落ちる。
「リナさん……」
「触らないで……
今触られたら……泣くから……!」
それでも涙は止まらなかった。
「なんで……
なんであんたが……歌えるの……
なんで雪乃の声が聞こえるの……
なんで……千秋じゃなくて……あんたなの……!」
「……リナさん」
「わたし……ずっと……
千秋の隣で、雪乃に追いつきたかったのに……!」
苦しくて、寂しくて、
誰にも言えなかった本音。
憂は震える声で言った。
「リナさん。
わたし、雪姉じゃないよ」
ゆっくり、言葉を選ぶ。
「でも……雪姉の“最後”を知ってる。
雪姉の“願い”も知ってる」
リナが顔を上げる。
「あんたの音は……ずっと雪乃に届いてるよ」
「……っ……!」
「今日の演奏も……
雪乃、すごく喜んでた」
『泣いてるみたいだったね、って』
「……そんな……」
涙がぽたりと床に落ちた。
涙が落ち着くと、
リナは憂を見て言った。
「……曲、作ろう」
「うん」
「菊子さんのために」
リナは譜面とペンを取り出した。
「あんたは歌詞。
雪乃が助けてくれるでしょ」
『もちろんだよ、憂』
「わたしはメロディ。
雪乃に追いつくためじゃない」
リナはペンをぎゅっと握る。
「あんたと雪乃の“間”にある音を――形にする」
その夜。
海の上の小さな部屋で。
ひとつの曲の“種”が、生まれた。
まだ形がない。
弱くて、揺れて。
それでも――温かい始まりだった。
窓の外には黒い海。
静かな空気の中、
黒いバイオリンケースだけが凛として立っていた。
「……リナさんの部屋、落ちつく……」
「静かだからね。
人が来る場所じゃないから」
リナは淡々と答えながら髪をほどいた。
ツインテールがふわりと解け、金の髪が肩に落ちる。
そのままソファに座り、
憂をまっすぐ見つめた。
「で、あんた」
「は、はい……」
「あんた、今日の嫉妬でぐちゃぐちゃな顔してる」
「っ……!」
「否定しなくていい。本題はそこじゃない」
灰色の瞳が、鋭く刺さる。
「あんた、歌えるんでしょ」
「え……?」
「歌の芯、もう持ってる。
わたしは、それを形にするだけ」
「形って……?」
「曲をつくる。
菊子さんの――“贈り物”」
「菊子さんの……」
「避難訓練の日から、あんたを見てた」
「え……?」
「涙を我慢して、誰かのために踏ん張る子。
そういう子には、ちゃんと“音”が宿る」
「……リナさん……」
胸の奥の“雪姉”が、そっと揺れた気がした。
「まず、発声」
リナが窓際を指さす。
「そこに立って」
憂は言われるまま立つ。
「息、浅い。北海道のときからずっと」
「見てたの?」
「たまたま視界に入っただけ」
(絶対たまたまじゃない……)
「胸じゃなくて、お腹で吸って。
はい、吸って」
「す……ぅ……」
「止めない。続けて」
リナの手が、憂の背中に添えられた。
冷たくて、優しい指。
「ここ。支えが弱い。
あんた、もっとできる」
「リナさん近い……!」
「遠くからじゃ直せない」
髪が頬をかすめ、
憂の胸が跳ねる。
「はい、もう一回。吸って、吐いて」
「すぅ……ふ……」
「よし。次、“響き”」
リナは正面に立ち、まっすぐ見つめる。
「鼻腔を震わせて」
「鼻腔って……」
「やればわかる。声出して」
「あ……あ……」
「弱い。雪乃の音が、あんたの中にちゃんといるはず」
「雪姉……」
名前を口にした瞬間――
空気が変わった。
『……憂』
(……雪姉……?)
『深く息して……ゆっくり声を出して……』
優しい声。
あの音楽室で聞いたままの音色。
『大丈夫……私がいるよ』
憂は息を吸い――ゆっくり吐く。
「……はぁ……ぁ……」
その声は、さっきよりずっと強かった。
リナの瞳が揺れる。
「……え……」
憂の声には、
雪乃の響きが微かに混ざっていた。
「あんた……今……」
リナは震える指で、憂のペンダントに触れそうになる。
「……雪乃……?」
『久しぶり……ね、リナ』
「っ……!」
リナの身体が震える。
唇が震え、瞳が大きく開いた。
「ありえない……
あんた……もう……」
『私はもう、憂の中にしかいない。
でも、あなたの音は覚えてるよ』
「なんで……
なんでそんなこと言うの……」
憂には知らない重さ。
リナだけが知る“雪乃との記憶”。
「ずるい……
なんで今……こんなところで……
雪乃が……っ……」
涙がこぼれ落ちる。
「リナさん……」
「触らないで……
今触られたら……泣くから……!」
それでも涙は止まらなかった。
「なんで……
なんであんたが……歌えるの……
なんで雪乃の声が聞こえるの……
なんで……千秋じゃなくて……あんたなの……!」
「……リナさん」
「わたし……ずっと……
千秋の隣で、雪乃に追いつきたかったのに……!」
苦しくて、寂しくて、
誰にも言えなかった本音。
憂は震える声で言った。
「リナさん。
わたし、雪姉じゃないよ」
ゆっくり、言葉を選ぶ。
「でも……雪姉の“最後”を知ってる。
雪姉の“願い”も知ってる」
リナが顔を上げる。
「あんたの音は……ずっと雪乃に届いてるよ」
「……っ……!」
「今日の演奏も……
雪乃、すごく喜んでた」
『泣いてるみたいだったね、って』
「……そんな……」
涙がぽたりと床に落ちた。
涙が落ち着くと、
リナは憂を見て言った。
「……曲、作ろう」
「うん」
「菊子さんのために」
リナは譜面とペンを取り出した。
「あんたは歌詞。
雪乃が助けてくれるでしょ」
『もちろんだよ、憂』
「わたしはメロディ。
雪乃に追いつくためじゃない」
リナはペンをぎゅっと握る。
「あんたと雪乃の“間”にある音を――形にする」
その夜。
海の上の小さな部屋で。
ひとつの曲の“種”が、生まれた。
まだ形がない。
弱くて、揺れて。
それでも――温かい始まりだった。
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