沈黙のういザード 

豚さん

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29話 下手くそからへたっぴに昇格

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 演奏が終わり、最後の和音が、静かに、ゆっくりと空へ溶けていく。

 一瞬の沈黙。

 そして次の瞬間――
 会場は、大きな拍手と、深く、あたたかな余韻に包まれた。 

 拍手が、ようやく落ち着き始めた頃。

 憂は、無意識のうちに新婦席のほうを見ていた。
 理恵の横顔。
 笑っているのに、どこか照れくさそうで、いつものぶっきらぼうさが滲んでいる。

 そう思うのに、足が動かない。
 この豪奢な空間で、自分が声をかけていいのか。
 祝福の列を乱してしまわないか。

 一歩、踏み出しかけて、止まる。

 その背中に――

「何を立ち止まってるのよ」

 低く、呆れを含んだ声。
 振り向く前に、軽く、しかし迷いのない力で背中を押された。

「……リナ」

「顔に書いてある。行きたいけど勇気ありませんって」

「そ、そんなつもりじゃ……」

「あるわよ」

 即答。リナは腕を組み、ちらりと新婦席を見る。

「今行かなきゃ、あとで絶対後悔するタイプでしょ、あんた」

 ぐうの音も出ない。

 そこへ、もう一人。

「憂さん」

 すっと姿勢を正した小鈴が、柔らかく微笑んだ。
 まるで舞踏会の挨拶でもするかのように、上品に手を添える。

「このような佳き日に、遠慮は無作法にございますわ」

「こ、小鈴さん……?」

「新婦殿は、祝福の言葉を待っておいでですもの」

 小鈴は、憂の背にそっと手を置き、貴婦人然とした口調で続ける。

「さあ。一歩、前へ。勇気は、歩きながら身につけるものですわ」

 言葉とは裏腹に、押す力は意外としっかりしている。

「ちょ、二人とも……!」

「はいはい、行った行った」

 リナがもう一度、軽く背中を叩く。

「お祝い言うだけなんだから。噛んだら、あとでからかうだけよ」

「それ、励ましになってない……」

 それでも――
 気づけば、憂は人の流れの中に押し出されていた。

 背中には、二人分の視線と、確かな後押し。

 振り返ると、リナは「早く行け」と顎で示し、小鈴はにこやかに、小さく会釈をしている。

 逃げ場は、もうなかった。

 憂は一度、深く息を吸い――
 新婦のもとへと、歩き出した。

「……理恵さん……!」

ドレスの裾を気にも留めず、そのまま、新婦の胸元へ飛び込む。

ぎゅっ、と強く。
子どもみたいに、力いっぱい、しがみつくように抱きついて。

「……おめでとうございます……っ」

声が震え、次の瞬間、堰を切ったように涙が溢れた。

「ほんとに……ほんとに……おめでとうございます……!」

理恵は、一瞬きょとんと目を丸くする。

そして――

「……ちょ、ちょっと待って」

苦笑しながら、憂の背中を、ぽん、ぽん、と軽く叩いた。

「おいおい。泣くの、そっちなの?」

その一言で、会場のあちこちから、くすっと笑いが漏れる。

「ここ、あたしが泣く側じゃない?」

「だって……っ」

憂は顔を上げられないまま、ぐずぐずと鼻を鳴らす。

「……うれしくて……」

「……参ったなぁ」

理恵は照れたように視線を逸らし、それから、はっとして周囲を見回す。

「ほら」

耳元で、少しだけ低い声。

「みんな見てるから。恥ずかしいだろ?」

その一言で、憂は我に返った。

「……っ!!」

顔が、一気に真っ赤になる。

ざっと周囲を見渡すと――
新郎新婦席の親族、著名人、芸能人、医師たち、そして白凰女学園の面々まで。

全員が、やさしく、あたたかく、にこにことこちらを見ていた。

「う、うわ……!」

慌てて理恵から離れ、深々と頭を下げる憂。

「す、すみません……!」

「いやいや。別にいいけどさ」

理恵は笑いながら言う。

肩に手を置き、わざとらしくため息をつく。

「新婦より先に号泣されるとは思わなかったけど」

会場から、どっと笑いが起こる。

新郎も苦笑しながら、「理恵らしいな」と呟いた。

理恵は、ふっと息をつき、改めて憂の顔を見る。

「……しかしさ。正直に言うと――」

憂は、まだ目が赤い。

理恵は口の端を上げた。

「あたし、前のあんたの歌、下手くそだと思ってた」

「えっ!?」

憂が目を見開く。

「ちょ、ちょっと理恵さん!?」

「でも」

理恵は続ける。

「今日は違う」

一拍、置いて。

「へたっぴに昇格だな」

一瞬の静寂。

――そして。

「それ、褒めてます!?」

「あたし基準だと大出世だから!」

二人は顔を見合わせ、同時に吹き出した。

くすくすと、笑いがまた会場に広がる。

「厳しすぎですよ!」

「うるさい」

 理恵は照れ隠しのように言う。

「本当にダメだったら、あたし、こんな顔しない」

その表情は――
誰が見ても、誇らしさだった。

憂は、ふと顔を上げて、理恵をまっすぐ見つめる。

涙でにじんだ視界の中、ドレスに包まれた理恵は、まぶしいほど輝いて見えた。

「……理恵さん……」

声が、また震える。

「今日は……すごく、綺麗です……」

一瞬、会場が静まる。

そして次の瞬間――

「今日じゃねーだろ」

理恵は即座に返した。

「前からだろ、前から」

冗談めかした口調。

会場から、また笑いが起こる。

「……っ」

その一言で、憂の涙腺は、完全に決壊した。

「だ、だって……っ。うぅ……」

言葉にならない声で、どんどん、どんどん、涙がこぼれていく。

「……ほんと、泣き虫だな」

理恵は呆れたように言いながら、隠しポケットから、白いハンカチを取り出した。

「ほら」

そっと、憂の頬に触れ、丁寧に、涙を拭ってやる。

「……泣き虫はさ。訓練じゃ、無理みたいだな」

くすっと笑いながら。

憂は、その手のぬくもりに、また胸がいっぱいになる。

「……ごめんなさい……」

「謝るな」

理恵は、やさしく言った。

「今日は――泣いていい日」

少し離れた席から、涼やかな声が聞こえる。

「……ほんと」

腕を組んだリナが、苦笑混じりに言った。

「よく、あんな恥ずかしいこと、平然とできるわね」

すると、その隣で、小鈴がふわりと微笑んだ。

「でも――」

やさしく首を傾げて、

「とても憂さんらしくて、よろしいですわ」

その一言に、葉月も白凰女学園の面々が、自然と頷く。

ざわめきは、完全な祝福の笑顔へと変わっていく。

理恵は、その光景を見渡し、胸の前で手を組んだ。

「……まさか」

 新郎が、隣で静かに息を整える。

 視線は、まだ余韻の残る会場ではなく――
 ドレスに包まれた、理恵の横顔に向けられていた。

 そして、ゆっくりと口を開く。

「……正直に言うと」

 言葉を選ぶように、一拍、置いてから。

「この歌を聴いて――また一つ、理恵のことを好きになってしまいました」

 理恵が、わずかに目を見開く。

「え?」

 新郎は照れたように、それでも、はっきりと続けた。

「今まで知らなかった表情や、歩いてきた時間や、誰かに大切に想われてきたことまで――全部、音になって届いた気がして」

 そっと、胸に手を当てる。

「こんなふうに、この人と生きていくんだって
 改めて思わせてくれる歌は、そうそうありません」

 そして、憂の方を向いて、深く頭を下げた。

「一生、心に残る曲を――ありがとうございました」

 理恵は、一瞬言葉を失い、それから、ぷいっと顔を背ける。

「……反則だろ、そういうの」

 けれど、その耳は赤く、口元は、どう見ても笑っていた。

 憂は、また少しだけ、胸がいっぱいになる。

 ――この歌は、祝福のためだけじゃない。

 誰かが誰かを、もっと大切に想ってしまうための音。

 そのことを、憂は、確かに感じていた。

 理恵は、もう一度だけ、憂を見る。

「……ありがと」

それは小さく、でも確かに、心からの言葉だった。

「下手くそから、へたっぴ」

 冗談めかしながら、指で胸を、とん、と叩く。

「ちゃんと、ここに届いた」

 憂は、涙を拭いながら、何度も頷く。

「……幸せに、なってください」

「言われなくても。なるに決まってるでしょ」

 理恵は胸を張る。

そして、少しだけ声を落とす。

「だって――こんな歌、もらったんだから」

拍手が、もう一度、ゆっくりと、会場いっぱいに広がっていく。

音楽と涙と笑顔が溶け合った披露宴は、その日そこにいた全員の胸に、
やさしく、あたたかく、決して消えない記憶として――

深く、刻まれていった。
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