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(七)
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遠慮のない甘美の声が、夢の世界に響きわたる。
清楚な寝顔の頭の中で、ずいぶんと淫靡な世界が繰り広げられていたものだ。
相手の男を見る。表面は生々しく作られているが、中身は空っぽであることが千之助にはわかった。
姫が作り出した夢人であろう。
姫がこれまでにあった男といえば、殿と家中の者たちぐらいしかいないはず。その中にあの姿を持つ者は、おそらくいまい。
姫に術をかけた者が、あの姿で現れていたのだろう。
姫が術をかけられていたのが明らかになった以上、もう現実に戻ってもいいかと思ったのだが、幻之丞より受けた使命は、術者の確保も含まれている。できれば相手の情報を得ておきたい。
千之助は気乗りしなかったが、男の体にすっと入り込んだ。
「姫よ」
男の動きを無理やりとめ、声をかけた千之助に、姫は嫌々と首を振る。
「姫などと呼ばないでくださいまし。沙耶とお呼びください。想重郎様」
姫がそういって唇に吸い付いてくる。
夢神楽で二人に実体を与えでもしないかぎり、何をしようと感じることはない。
この想十郎と呼ばれた男は、夢の中の姫の体に術で実体を与え、快楽で姫を籠絡し、嘘の情報をもって夢と現実を混ぜ合わせていったに違いない。
それが、姫が単独で見る夢にも影響を残したのだろう。
「うむ。沙耶よ。お主と出会ってもうどれくらいになるかのう?」
随分と唐突な質問であったが、姫は怪しむこともなく素直に答える。
「まだふた月ほどしか経っていないでしょうか。でも沙耶にはそれ以上の年月に思えてなりません。それに、これからはずっと一緒にいることができるのですよね?」
すがるような目で、千之助を見あげてくる。
「想重郎様がおっしゃっていた、父に化け、沙耶を夢で縛り付けていたもののけは追い払いました。これで私たちの愛を阻むものはいないのですよね?」
なるほど、こういう手口であったかと彼は夢の身体もろとも頷く。
幼稚である。現実であれば、子供でも引っかかりそうもない稚拙な嘘。
だがここは夢の世界。夢は心の現れ。心の願望、恐れ、希望、不安。すべてを映しえる鏡。言いかえれば心の深淵。そこに刷り込むように嘘をささやき続けられたのなら、常人に抗えるものではない。
他にも何か得られる情報はないかと、千之助が模索している時だった。
「曲者!」
天から裂帛の気合が込められた声が降り注いだかと思うと、彼がその声に鷲掴みされたかのように、男の体から引っ張り出され、そのまま天井へとすさまじい勢いで引き上げられる。
現実の世界で千之助は目をあけた。
現実で彼の集中が乱され、夢神楽の術を維持できなくなったものらしい。
それでも姫は、まだ穏やかな寝息をたてている。
千之助は騒がしくなった場所に目を向けた。
何かを投げたような姿勢でいる牡丹を、刀を抜き放った警護役たちが取り囲む。
「貴様! 姫様に何をするか!」
「無礼者! そこになおれ。成敗してくれる!」
口々に牡丹を責めたてるが、牡丹は全く動じない。
「がたがた騒ぐんじゃないよ。侵入者に気づきもしなかったくせにさ。まあ、かく言うあたいも、あんたらの誰かが姫様の寝顔に懸想して漏らしたんじゃないかと、反応が遅れちまったんだけどね」
不敵な笑みの彼女と彼の視線が合う。
「術の邪魔しちゃってすまないね。でも邪魔が入ってさ。悪いんだけど、あたいの苦無が刺さっているところを見てもらえる?」
見れば寝具のそばに、差し込む月明かりを受けて黒光りする苦無が刺さっていた。
千之助は、言われた通りに苦無の刺さっている場所を確認する。
そこには苦しげにのたうつ何かがいた。
蛇かと思った。薄暗い部屋の中でも、はっきりと見分けのつく白い蛇。
だが違った。
体の厚みがまったくない。畳に描かれた絵のような存在。
少しして、もがいていたそれは完全に動かなくなった。
状況を理解できぬ警護役たちを押しのけて近寄ってきた牡丹が、それにひくひくと動かしていた鼻を近づける。
「間違いない。子種だね。男の子種」
「子種?」
「うん。やっぱり相手はあたいたちと同じ、忍びってことでしょ。なにかの術だよ、これ」
幻之丞と二人の娘も寄ってきた。
「それで、姫の夢はどうであった。入れたのであろう」
「ええ。信じがたいことですが、夢神楽の術をかけられております。これは推測ですが、敵は複数かと思われます」
「ほう。なにゆえそう思う?」
珍しく自身の意見を述べる千之助に、幻之丞は面白そうに目を細める。
「この夢神楽の術者は、直接娘の肌に触れる代わりに、己の精に意志を乗せたうえで、娘たちの女陰に忍び込ませたのではないでしょうか。精だけであれば、乙女の証を完全に引き剥がさなくとも、小さな穴ひとつ作れば孕ませることは可能かと」
三人娘が同時に息をのむ。
「ですが、夢神楽は精神の集中が必要な術。子種はある意味本人の分身。己の意識を子種に宿すことまでは、本人の力でやることも可能かもしれませんが、精汁を一匹の生き物のようにまとめ、かつ自在に動かし、女陰に潜り込ませるなど、夢神楽を使用しながらでは、とてもとても」
大げさに顔の前で手を振ってみせる。
「ふむ。確かに複数の忍びが、混乱させる任務に就いたとみる方が現実的ではあるのう」
幻之丞は頷き牡丹に目をやる。
「牡丹。どうだ、追えるか?」
「当然ですよ。この子種の通ってきた道をたどればいいんですよね。あたいの鼻なら余裕ですよ」
自信に満ちた表情で彼女は頷き返す。
「よし。追え」
命令と同時に牡丹が四つん這いになり、鼻を畳にこすりつけるようにしながら、二足で走っていた時よりも明らかに速い動きで部屋から出ていく。それをお菊と竜胆が追う。
やれやれ、これで自分の仕事は終わったとばかりに、千之助がその場に座り込む。
それを幻之丞が冷ややかな目で見下ろす。
「な、なんでござるか?」
幻之丞がなにかを言う前に、竜胆がひどく慌てた様子で戻ってくる。
唖然と見あげる彼を片手でひょいと担ぎ上げ、警護役たちの驚愕の視線を背に受けながら、再び部屋を飛び出していった。
清楚な寝顔の頭の中で、ずいぶんと淫靡な世界が繰り広げられていたものだ。
相手の男を見る。表面は生々しく作られているが、中身は空っぽであることが千之助にはわかった。
姫が作り出した夢人であろう。
姫がこれまでにあった男といえば、殿と家中の者たちぐらいしかいないはず。その中にあの姿を持つ者は、おそらくいまい。
姫に術をかけた者が、あの姿で現れていたのだろう。
姫が術をかけられていたのが明らかになった以上、もう現実に戻ってもいいかと思ったのだが、幻之丞より受けた使命は、術者の確保も含まれている。できれば相手の情報を得ておきたい。
千之助は気乗りしなかったが、男の体にすっと入り込んだ。
「姫よ」
男の動きを無理やりとめ、声をかけた千之助に、姫は嫌々と首を振る。
「姫などと呼ばないでくださいまし。沙耶とお呼びください。想重郎様」
姫がそういって唇に吸い付いてくる。
夢神楽で二人に実体を与えでもしないかぎり、何をしようと感じることはない。
この想十郎と呼ばれた男は、夢の中の姫の体に術で実体を与え、快楽で姫を籠絡し、嘘の情報をもって夢と現実を混ぜ合わせていったに違いない。
それが、姫が単独で見る夢にも影響を残したのだろう。
「うむ。沙耶よ。お主と出会ってもうどれくらいになるかのう?」
随分と唐突な質問であったが、姫は怪しむこともなく素直に答える。
「まだふた月ほどしか経っていないでしょうか。でも沙耶にはそれ以上の年月に思えてなりません。それに、これからはずっと一緒にいることができるのですよね?」
すがるような目で、千之助を見あげてくる。
「想重郎様がおっしゃっていた、父に化け、沙耶を夢で縛り付けていたもののけは追い払いました。これで私たちの愛を阻むものはいないのですよね?」
なるほど、こういう手口であったかと彼は夢の身体もろとも頷く。
幼稚である。現実であれば、子供でも引っかかりそうもない稚拙な嘘。
だがここは夢の世界。夢は心の現れ。心の願望、恐れ、希望、不安。すべてを映しえる鏡。言いかえれば心の深淵。そこに刷り込むように嘘をささやき続けられたのなら、常人に抗えるものではない。
他にも何か得られる情報はないかと、千之助が模索している時だった。
「曲者!」
天から裂帛の気合が込められた声が降り注いだかと思うと、彼がその声に鷲掴みされたかのように、男の体から引っ張り出され、そのまま天井へとすさまじい勢いで引き上げられる。
現実の世界で千之助は目をあけた。
現実で彼の集中が乱され、夢神楽の術を維持できなくなったものらしい。
それでも姫は、まだ穏やかな寝息をたてている。
千之助は騒がしくなった場所に目を向けた。
何かを投げたような姿勢でいる牡丹を、刀を抜き放った警護役たちが取り囲む。
「貴様! 姫様に何をするか!」
「無礼者! そこになおれ。成敗してくれる!」
口々に牡丹を責めたてるが、牡丹は全く動じない。
「がたがた騒ぐんじゃないよ。侵入者に気づきもしなかったくせにさ。まあ、かく言うあたいも、あんたらの誰かが姫様の寝顔に懸想して漏らしたんじゃないかと、反応が遅れちまったんだけどね」
不敵な笑みの彼女と彼の視線が合う。
「術の邪魔しちゃってすまないね。でも邪魔が入ってさ。悪いんだけど、あたいの苦無が刺さっているところを見てもらえる?」
見れば寝具のそばに、差し込む月明かりを受けて黒光りする苦無が刺さっていた。
千之助は、言われた通りに苦無の刺さっている場所を確認する。
そこには苦しげにのたうつ何かがいた。
蛇かと思った。薄暗い部屋の中でも、はっきりと見分けのつく白い蛇。
だが違った。
体の厚みがまったくない。畳に描かれた絵のような存在。
少しして、もがいていたそれは完全に動かなくなった。
状況を理解できぬ警護役たちを押しのけて近寄ってきた牡丹が、それにひくひくと動かしていた鼻を近づける。
「間違いない。子種だね。男の子種」
「子種?」
「うん。やっぱり相手はあたいたちと同じ、忍びってことでしょ。なにかの術だよ、これ」
幻之丞と二人の娘も寄ってきた。
「それで、姫の夢はどうであった。入れたのであろう」
「ええ。信じがたいことですが、夢神楽の術をかけられております。これは推測ですが、敵は複数かと思われます」
「ほう。なにゆえそう思う?」
珍しく自身の意見を述べる千之助に、幻之丞は面白そうに目を細める。
「この夢神楽の術者は、直接娘の肌に触れる代わりに、己の精に意志を乗せたうえで、娘たちの女陰に忍び込ませたのではないでしょうか。精だけであれば、乙女の証を完全に引き剥がさなくとも、小さな穴ひとつ作れば孕ませることは可能かと」
三人娘が同時に息をのむ。
「ですが、夢神楽は精神の集中が必要な術。子種はある意味本人の分身。己の意識を子種に宿すことまでは、本人の力でやることも可能かもしれませんが、精汁を一匹の生き物のようにまとめ、かつ自在に動かし、女陰に潜り込ませるなど、夢神楽を使用しながらでは、とてもとても」
大げさに顔の前で手を振ってみせる。
「ふむ。確かに複数の忍びが、混乱させる任務に就いたとみる方が現実的ではあるのう」
幻之丞は頷き牡丹に目をやる。
「牡丹。どうだ、追えるか?」
「当然ですよ。この子種の通ってきた道をたどればいいんですよね。あたいの鼻なら余裕ですよ」
自信に満ちた表情で彼女は頷き返す。
「よし。追え」
命令と同時に牡丹が四つん這いになり、鼻を畳にこすりつけるようにしながら、二足で走っていた時よりも明らかに速い動きで部屋から出ていく。それをお菊と竜胆が追う。
やれやれ、これで自分の仕事は終わったとばかりに、千之助がその場に座り込む。
それを幻之丞が冷ややかな目で見下ろす。
「な、なんでござるか?」
幻之丞がなにかを言う前に、竜胆がひどく慌てた様子で戻ってくる。
唖然と見あげる彼を片手でひょいと担ぎ上げ、警護役たちの驚愕の視線を背に受けながら、再び部屋を飛び出していった。
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