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3話
明日の世界
しおりを挟む強羅と甲斐から離れ、司がよく行く林に向かう真奈美。林の中を走る司を見つけ、慌てて声をかける。
「待って、司」
聞いた事の無い声に驚いて、勢い良く振り返る司。と、そこには見覚えのあるワンピースと長い髪の女の子が立っていた。真奈美は、司に初めて声をかけた事に今更緊張した。
「···お姉ちゃん?」
死後、母親に見せてもらった写真で真奈美だと分かったのだろう。真奈美は少し嬉しかった。母の陽子は、司に真奈美の事をずっと隠していたので、死んだ後とは言え、何だかもう一人ぼっちでは無い様な気がした。
「そうよ司。会いたかった。司は私の事知らないかも知れないけど、私はずっと司の事見てて知ってるのよ。母さんが元気ないのもずっと辛かった···」
「お姉ちゃん···。だったらどうして今まで会いに来てくれなかったの?ずっと見てたんでしょ?母さんだって会いたがってるよ!」
真奈美は悪霊の為、そばに居ると母親が弱っていくので会えなかった事を思い出し、悲しそうな顔を浮かべて俯いてしまった。
司はとてつもなく大きな不安に襲われ、小刻みに手足が震えてくるのが分かった。手を強く握りしめる。
「お、お姉ちゃん!帰ろう、母さんの所に!まだ···母さんに会ってないんだよね?」
静かに顔を上げ、司をじっと見つめる目は、あの写真に写っていた優しい目とは違い、冷たく感じる司。
「そうね···帰りましょう···」
最後に、と呟いた真奈美の言葉は司には聞こえていなかった。司は少し恐ろしかったが、真奈美の傍に行く。そんな司に真奈美が手を差し伸べてきた。写真で見るより小さかった。恐る恐るその手を取る。手を繋ぎながら家路につく2人。
真奈美はそれから何を喋っていいか分からなかった。黙ったその真奈美の横顔は青白く見えた。あまりの重たい空気に耐えられなくなった司は口を開いた。
「お、お姉ちゃんはどこに住んでるの?この町に居るんだよね?」
「···そうね···」
「···ずっと見てたの気づかなかったよ。なんで声かけてくれなかったの?」
「······恥ずかしかったのよ···」
「そ、そうなんだ。じゃあ今は恥ずかしくなくなったの?」
「···そうね···」
なんと答えていいか分からず、また沈黙が訪れる。まだ家には着かない。司は少々怖かったが、何とか楽しませようと色々話題を考える。
「あ、あのねお姉ちゃん。妖精って見た事ある?」
突然の言葉に、ゆっくり司の方を見る真奈美。冷ややかな視線だったが、見てくれた事に司は少しほっとする。それとは逆に、真奈美は内心穏やかにはいられなかった。
「···いいえ」
「そっか、僕はあるんだよ。今はなんか見えないみたいだけど、この頃はいつも見えるんだ。しかもしゃべるんだよ!みんな僕にお願い事をするんだ。手伝ってあげると大喜びなんだよ!」
そう楽しそうに語る司を見つめる真奈美。自分にはそんなのは見えないが、やはり死んでからこの世に留まりすぎて、何らかの影響が出ている兆しなんだと真奈美は感じた。
「···そう、いいわね···」
「あ、うん。···き、きっとお姉ちゃんにも見えるよ」
目をそらし、前を見つめる真奈美。悪霊の自分には、絶対見る事の出来ない世界に、少し嫉妬する。
「···そうだといいわね」
「······うん」
真奈美の表情は変わること無く、一点を見つめたままだった。繋いでいた手は、するりと離れていく。
家に着くと、母は居間でぐったりと床に付していた。こんなに具合いが悪かったのに、何故今まで気付かなかったのだろうと自分を責める司と真奈美。
「母さん大丈夫?お姉ちゃんが来てくれたよ。···母さん?」
重く苦しそうな寝息しか聞こえなかった。悲しくなり、自分の部屋に行く司。その後ろを静かについて行く真奈美。
司はベッドの上に寝転がった。真奈美はその部屋を見渡し、乱雑にされた机の上のアルバムを眺め、少し目を細める。
「···?お姉ちゃんどうしたの?」
それに気付いた司は、ベッドから身を起こし聞いた。立ち上がり、机のアルバムを覗く。いつの間に出してあったのか、真奈美のアルバムだった。すぅっと息を吸って、覚悟を決めて話し出す真奈美。
「司、私はあなたを迎えに来たの。このままだと母さんまで死んでしまうから···」
「え?」
お互いの目の中にお互いが映るほどの距離で、司は真奈美のその言葉に心臓を掴まれる思いになった。衝撃と恐怖が不安となり込み上げてくる。司の不安が表情の変化と共に、目に見えて分かる真奈美。それでも、司を救いたい一心で続けた。
「私は、司と同じ5年生の時、父さんに殺されたの。そう、あなたと同じ様に父さんに···」
「嘘だー!!嫌だーー!!」
真奈美の言葉を遮る絶叫。真奈美を突き飛ばし、アルバムも床に振り落とし、部屋を飛び出し、そのまま家を出て行く司。夜の闇の中、蛍の光と所々頼りなさげに光る街灯を頼りに林へと走り去ってしまう。
直ぐに追いかける真奈美だったが、既に司の姿は闇に消えてしまっていた。
どうしていいか分からず、立ち尽くす真奈美。
それを少し離れた場所で見ていた強羅と甲斐が近付きながら言う。
「真奈美ちゃん!あれが司君?少し悪霊の色が出てきてる!早く連れて行かないと」
「大丈夫···ちゃんと連れて行くから」
強羅が言い終わる前に被せて、力強く言い放つ真奈美。それに圧倒され、信じる事にした強羅は明日まで待つと言う。
「あともう1つだけ頼みがあるの」
「何だ?」
「···母さんに私達は大丈夫だから、元気に幸せになってって伝えて欲しいの···」
そう言って泣き出してしまう真奈美。見えないはずの甲斐の目に、強羅の前方の空間が揺らいで見える。真奈美だと直感で確信する甲斐。
強羅は色々と考えこんでいた。そして、考えがまとまったのか、真剣な顔で真奈美を見据え、
「分かった」
と一言いって去って行く。何がわかったんだよ!と歩き出した強羅の後ろを慌ててついて行く甲斐。陸斗の家に着くまでに、今あった事を簡単に説明した。
翌朝、大きな樹の根元に横になっている司を見つける真奈美。その小さな足音と気配を感じ、起き上がり振り向く司。悲しそうに見下ろす真奈美。驚いて逃げようとするが、
「待って、司!話しを聞いて···。でないと母さんが死んでしまう」
怯えながら振り向き、真奈美を見る。とても怯えていた。多分、真奈美にでは無く、その話を聞く事が怖いのだろう。
「私も司も、もう死んでるのよ。だから魂が見えるし聞こえるでしょ。でも触れない」
「嘘だ!!僕は生きてるよ!ほら!木にだって草にだって、傘や水にだって触れ···」
「感触はある?人は?母さんに触れた?」
「···さっ···触ってないだけで触れるもん!!」
泣き出しながらも、必死になって抵抗する司。姉は苦しい表情を浮べながらも続ける。
「じゃあ、昨日は何食べた?いつトイレに行ったの?今は暑い?それとも寒い?···感じないでしょ···死んでるんだもの」
「うわ~ん!!」
大粒の涙が滝のように流れ、喉が千切れんばかりの大きな声で泣き出す司。それと同時に今までの記憶も流れ出す。
真奈美も、司の痛みが伝わり涙が溢れた。どうして、何も悪い事をしていないのに、こんなにも苦しまなくてはならないのか。真奈美は悲しみに昏れる。
「···そっか···、僕···あの時死んじゃったんだ、死んじゃってたんだね···。あはは···そうか···そっか。じゃあ今まで誰にも相手にされなかったのは、嫌われてたからじゃ無かったんだね。良かった。そっか、おじいちゃんあの時死んじゃってたんだね···そっかそっか···。母さんの元気、僕が貰ってたんだね···だから元気無かったんだ。···そっか、そっか···」
司の魂に、今までの出来事が走馬灯のように駆け抜ける。
「······もう時間よ。逝きましょう」
「待って!もう少し待って。···母さんにさよならしたいんだ」
「···分かったわ···」
自宅に帰った司は、母陽子が居間のちゃぶ台に突っ伏して寝ているのを見る。手には色鉛筆と画用紙。そこに座り、絵を描き始めた。
描き終わり、立ち上がる司と真奈美。2人は陽子を名残惜しそうに見つめながら去って行く。
その気配を感じた陽子は顔を上げ、辺りを見回す。そのちゃぶ台の手元には散らかった色鉛筆と、見覚えのある描き方の、見た事の無い絵があった。
桜の木の下で、陽子と司と真奈美が仲良く手を繋いで笑っている絵だった。そしてそこには「ありがとう」「さよなら」の文字。
陽子は慌てて小箱を抱え、靴も履かずに家を出る。
その頃、強羅と甲斐は陽子の家に向かっていた。陸斗の家からは少し離れた場所だったので、バイクに乗っている2人。
間もなく陽子の家に差し掛かった時、陽子が裸足で玄関から飛び出して来た。慌てて呼び止める強羅。
「待って下さい!裸足でどこに行くんですか!?」
「真奈美と司が居るんです!死んで無かった···あの桜の木の下に···きっと」
取り乱していた陽子だったが、その頭の片隅でこんな事知らない人に話しても無駄だなと考えていた。また精神病者扱いをされるだけだと思い、制止を振り切り走り出す。ところが、甲斐に腕を掴まれて驚く。
「真奈美ちゃんと司君はもう桜の木に向かったんですね!じゃあオレの後ろに乗って!」
そう言って、バイクの後ろに乗せられる陽子。困惑していると、横に歩いてきた強羅が口を開く。
「詳しい事は後で話します」
そう言って、甲斐に先に行けと付け足し、桜の木に向かうバイクを見送る強羅。急いでタクシーを探す。
桜に続く道の間、色々な精霊達は手を繋いで歩く司と真奈美を黙って見送った。
「桜さんこんにちは」
「あら、こんにちは。その子は誰?」
「僕のお姉ちゃんなんだ」
「まぁ、いいわねェ。···今日はどうしたの?」
「うん、あのね、この前キウイ君が風になったでしょ?だから、僕も、風になれないかなって···思って···」
「···そう」
桜の精霊は姉をチラッと見て続けた。
「気付いたのね。いいわ、2人ともこっちへいらっしゃい」
真奈美に手を引かれ、桜の下へ行く司。桜の花を仰ぎ見て、その上の青い空を見る。今にも泣き出しそうな顔を見つめる真奈美。その顔も悲しげだった。
2人の後ろから、陽子がかけ登って来る。司達には見えていない。真奈美は強羅の言葉を思い出していた。
「体は土に還り桜の木に廻り、魂は風になって世界を廻る。真奈美ちゃんが司君を連れて、桜の木に行き、真奈美ちゃんが桜の木に触れれば、それが桜の木を廻り、司君が風になれる筈だ」
真奈美が桜の木に手を触れると、風が吹き上がる。
陽子の声が聞こえた気がして振り返る司。陽子の姿を見て微笑む。
桜の木の下にたどり着いた陽子をその笑顔が優しく包む。
「風の世界も良いものだね」
陽子は、司の声が聞こえた気がして、思わずその手にしていた白い小箱を落としてしまう。箱の蓋が開き、中の白い陶器の蓋も開いてしまう。
春の大きな風が吹き、中の遺灰ごと大空へと運んで行く。
司を乗せて、晴天に消える。
膝をつき、泣き崩れる陽子。それを桜の木の下から、何とも言えない悲哀に満ちた表情で見つめる真奈美。
と、小走りで息を切らして強羅が現れた。大丈夫か?と言いながら甲斐も現れる。
甲斐に確認を取りながら、真奈美に近づいてくる強羅。何か言っている様だが、息が詰まっていて真奈美には何を言っているのか分からなかった。
「ちゃんと、自分の言葉で伝えろ···」
そう言った強羅は、桜の木に右手をつき、左手を甲斐に頼み、真奈美の肩に置いてもらう。そしてすぐさま甲斐は、泣き崩れる陽子の傍に駆け寄る。
「陽子さん!前を見て!早く!!」
そう力強く言い放つ甲斐の言葉に驚き、陽子は反射的に前を向く。するとそこには、薄ぼんやりとではあるが真奈美の姿が見えた。
「真奈美!真奈美···ごめんね······許して」
陽子の目に映る自分の姿を見た真奈美は驚き、喜び微笑んだ。
「大丈夫。母さんは悪くないよ。母さんが幸せなら、私も司も幸せだよ」
そう言った真奈美は満面の笑顔だった。 最後に陽子に会えて心から喜んだ。
と、その時、ドサッと音を上げ強羅が倒れ込む。それと同時に、陽子の目から真奈美は見えなくなってしまう。それを見る桜の精霊はニヤリと笑った。甲斐は何か引っかかったが、慌てて強羅に駆け寄る。
「おい!大丈夫か!?」
「···うるさいな、大丈夫だよ。ちょっと魄の気を取られすぎただけだ。じき治る」
それは大丈夫とは言わないだろう、と言う言葉を唾と一緒に飲み込む甲斐。そのやり取りを微笑みながら見つめる真奈美。
「ありがとうお兄ちゃん達。さようなら母さん」
そう言った真奈美の姿はもうどこにも無かった。驚いた甲斐が桜と強羅を交互に見て言う。
「もう祓ったのか!?」
「···いや、成仏した様だ···」
こんな事は滅多に無い、と付け加えて立ち上がる強羅。それを不安そうに見守る甲斐。
「陽子さん。詳しい話をします。これからの貴女の人生の為に」
あの後、陽子の自宅に招かれた強羅と甲斐は、顔を見合わせ頷く。お茶を用意しに台所に立つ陽子は、何だか体が軽くなっている事に気づいた。あんなに悪かった体調もとても良い。
居間のちゃぶ台を囲んで座る2人に「どうぞ」とお茶を出し、そこに自分も座る陽子。
「あの···どうして真奈美と司を知っているんですか?」
強羅が陽子に名刺を渡しながら、今までの経緯を簡単に説明した。時折、陽子も思い出して質問したりした。
連続怪死事件の事は何となく伏せ、真奈美が父親に殺された時に悪霊に変わり、そのまま父親に乗り移り自殺して殺した事。その後も陽子に憑いてまわっていたので、体調不良もそのせいだった事。司が亡くなって、その義理の父親にも護送中に乗り移り自殺した事。それを追って、自分達がここにたどり着いた事を話した。
すると、ずっと黙って聞いていた陽子はふと口を開いた。
「じゃあ、真奈美が騙されるなって言ったのも、幻覚じゃなくて、本当に真奈美だったのね···」
「真奈美ちゃんが見えていたんですか?」
驚いた甲斐がそう聞いた。ええ、と戸惑いながら頷く陽子。自分でも信じられない様子だった。それを見た強羅は、
「おそらくそれは夜じゃなかったですか?夜なら悪霊はたまに一般の人にも見えたり、声が聞こえたりしますから」
「そうだったんですね···。悪霊でも幽霊でも、もう一度真奈美や司に会えて良かったです」
そう涙ぐみながら言う陽子。強羅は、司の遺骨が風に乗って司の魂も連れて風になったのではと話す。
この町は昔から風の噂があったり、不思議な出来事が多い場所で、あの桜の木が魂を導いていたのだと強羅は言った。
そろそろ失礼いたします、と言って立ち上がる強羅と甲斐。陽子は仕切りに感謝を述べ、2人を玄関まで見送り、深々と頭を下げた。
それを見て2人は恐縮しながら顔を見合わせた。肩を竦め、微笑を浮かべる強羅。
「いつも司君は、風となり貴女と一緒にいますよ」
そう言って満足気な強羅を見て笑う甲斐。からかいながら強羅の肩に腕をかける甲斐。
その背中に「真奈美と司が幸せになれるなら、私が幸せになる様、頑張ります」と誓う陽子だった。
挨拶回りを終えた強羅と甲斐はバイクに乗り、町を出て行く。それを押す様に吹き付ける風。その風が優しく笑った気がした。
おわり
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