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蛇の目

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イブがまだまだ興奮してネオの胸に抱きついて、青い瞳を輝かせて話し続ける。


平民街の細道の奥。さらに路地裏の壁と壁の間で、イブとネオが密着して話している様子を、アーサーはじっと睨みつけていた。


まるで、蛇のように執拗にだ。


「お迎えに来たよ、聖女」


ネオが横から挟まれた声に勢いよく振り返ると、この国の王子が立っていた。


(僕、ここに隠れて見つかったことないのに)


赤目としてこの平民街で追いかけ回されて育ったネオは、誰かに見つかるなんて考えもしなかった。


イブはネオから離れてアーサーにも飛びついた。


「アーサー!雨が降ったのを見た?!」

「もちろん。今もまだ降ってる」


イブがアーサーに親し気にハグをして、ネオに聞かせてくれる甘い声を王子にもかける。


その一連の様がネオの心にチリチリと醜いものを発火させた。


ネオは全てを飲み込んで雨で濡れる地面に膝をついた。アーサーに深く頭を下げる。


アーサーは膝をついたネオを一瞥したが、先にイブにローブを着せた。


「一人でこんなところに来たら危ないよ。ニナが発狂して心配してる」

「そうね、ごめんなさい。アーサー、こちらはネオよ」

「噂の庭師君?」

「ええ」


イブがほころんだ顔でネオを紹介する。アーサーが再び跪いて頭を垂れるネオを一瞥した。そこにニナが護衛を引き連れて走ってきた。


「聖女様!心配しましたよ!」

「ニナ!」


イブはニナにも盛大にハグをする。二人がきつく抱き合ってほんわか美しい光景をつくっているのをアーサーは細い目でガン見である。


女子カワイイ万歳。


「ニナ、聖女を頼むよ。僕は彼に話があるから」

「アーサー、ネオは私の大事なお友だちで」

「わかってる。別に何もしない。ちょーっとお話するだけ!」


イブがアーサーの意図をはかったが心配ないと手を振った。イブもアーサーが身分で人を差別しないことを知っていたので頷く。


「聖女様!額の傷の治療もまだですよ!急いでください!」

「ええ、わかったわ。ネオ、また学校で」


ニナに引きずられながらも、イブはしっかりネオに挨拶してから帰って行った。ネオは地面を見つめて、イブの声に神経を尖らせた。



もう、聖女様のお声を聞くのは最後かもしれない。

  





華やかな女性陣が引いた後、路地裏で立ち尽くすアーサーの前にネオが跪いていた。静かに細い雨が降る中で、ネオは身動きができない。


王族の指示がなければ、一歩も動けないのだ。


部下も引かせて、平民街の路地裏でアーサーとネオは二人っきりになった。アーサーが一言も発さずにいる間、ネオの頭が回転する。


王子の婚約者である聖女と、

平民の底辺のネオが抱き合っている現場を

王子本人に見られた。


これが客観的な事実であることをネオはわきまえていた。

不貞行為には重い罰がある。

鼻や両耳を削いだり手足を切断するといった罰だ。


さらに王族に対する不貞行為。


女性であるイブの前で手荒な行為を避けただけであり、これは普通に考えて、極刑で余る罪だ。


死んだかもしれないと思ったネオは、まあいいかと受け入れる覚悟もある。


イブと過ごした尊い時間を宝に死ぬのは、至福だと思えた。


この塵みたいな人生の中で、最高の終焉だ。


髪を雨に濡らしたアーサーは跪くネオの前に膝をついて、ネオの顎を掴んで上げさせた。

フードが外れ、ネオの目がアーサーに晒される。


「庭師君って、赤目だったの?」


ネオは顎をアーサーにつかまれ、目を隠そうにも手を動かす許可が必要だった。アーサーはネオの顎から手を離して立ち上がった。


「不吉の象徴か……立場的には聖女を横恋慕なんだから、っぽくていいね」


ハハッとアーサーが笑ったのがネオには不可解だった。アーサーは腕を組んで跪くネオを見下げた。


「てかこれ、極刑」


ネオはぐうの音も出ず、まして出す気もなかった。当然の処置だ。


「って言われる可能性もあったのわかるよね?見つかったのが僕で良かったよ全く」


アーサーはふぅと息をついて空を見上げて降って来る雨を口に含んだ。王子にしても、雨は珍しい。


「あ、もう自由に動いていいよ。跪かれるの好きじゃないんだ」


妙にフランクな態度に転移したアーサーに対して、ネオはなぜ殺してくれないんだとすら思う。


婚約者にとって、ネオの存在は害悪のはずだ。


「聖女から君のこと聞いてて、調べたんだよ。ビクター先生の弟子で、すごく出来がいいらしいじゃないか。

僕は常々、身分の高い出来損ないより、優秀な平民を取り立てるべきだと思ってるんだよね」


立ち上がったネオは、腕を組んで雨も滴るいい男を実践中の王子と向かい合う。


最上級に高位の方ではあるが、イブを前にした時のように後光で消し飛びそうとは思わなかった。


あれは聖女だけが出せるものらしい。


「君、聖女が好きなんでしょ?」


王子の明後日から剛速でやってきた問いに、ネオは首を傾げる。


「好き?」

「ハハッ、何その微妙な反応。

身分気にしてる?同じ人間なんだから恋して当たり前でしょ?

それとも聖女様は魅力的じゃないとでも?」


アーサーの無限に失礼な物言いに、ネオはぶんぶんと首を振った。


「そ、そんな、滅相もないです。同じ人とは思えないほどに、聖女様は輝いておられます」

「だよね!僕も聖女はなかなか可愛いとは思うんだよ」


婚約者同士の惚気を聞かされるのかと思うと、ネオは一瞬地獄を垣間見た。


だが、ネオの思ったように話は進まなかった。



    
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