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01 公爵令嬢ラーニアの日常

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 豊かに波打つ濡羽色の髪も、口許に添えた細く白い指も、紅をささずとも十分に赤いラーニアの唇を際立たせている。その唇がゆっくりと歪む。

「まあ」

 言いたいことは含み笑いに紛らせれば、それで十分だ。あとはラーニアの取り巻きが勝手に騒ぎ立ててくれる。

「本当になんて姿でしょう」
「こんなところで粗相をなさるなんて、はしたないこと」

 ラーニアの視線の先にはワインがかかって台無しになったドレスで立ち尽くす一人の令嬢がいる。パーティでグラスを持ったところをラーニアの取り巻きの一人にぶつかられたのだ。

 他の令嬢ならそれだけで恥ずかしくて、すぐさま帰ってしまうものを、この娘は引き下がらない。

 それがラーニアには気にくわない。

 ラーニアを苛立たせるこの令嬢はフィオリーナと言う。ストロベリーブロンドのゆるやかな巻き毛はふわふわと細く、その先は空気に烟るように消える。ぱっちりと大きな目はクルクルと表情を変え、アーモンドの花弁のような可憐な唇はちいさく、そしてよく動く。

 しかし今その唇は引き結ばれ、瞳はいっぱいに開かれ溢れそうに涙をたたえている。

 取り巻きたちが言い立てるほどに、彼女はふるふると唇を戦慄かせるが、何かを言い出すでもない。

 静かにラーニアを責めているのだ。

 ラーニアは目を細める。

 いつまでもこの娘に関心を持ってやるのも癪だ。

 だからラーニアは娘に一瞥をくれてクスリと笑い声を落としてやる。すると、フィオリーナの頬を涙が一筋伝う。

 まあ、うまく綺麗に一粒だけ流れるのね。

 興が削がれたラーニアは踵を返して貴賓室へと行く。少し後を二人の伯爵令嬢が歩く。

 その姿の豊かでありながら凛としたこと。誰もが振り返る。切れ長の赤い瞳は艶やかで強い。

 その唇、その瞳、全てが人を圧倒する公爵令嬢ラーニアの行く先は、露払いなどいなくても、自然と人が分かれて道が出来る。

 ラーニアを送って扉が閉められた会場は、一瞬解放感につつまれた。

 そしてまた賑やかさを取り戻す。新しい音楽が奏でられ、会場はダンスや会話に興じ始めた。ラーニアの取り巻きたちも捨て台詞を浴びせて、フィオリーナの前を去った。

 皆がフィオリーナを忘れる頃になっても、フィオリーナはラーニアの消えた扉を見つめ続けていた。

 ※

 はい、そんな日常を送っていた私、ラーニア・フィルドレール・イリストリア公爵令嬢(15歳)なんですけども、この度突然前世の記憶を思い出しました。

 きっかけはね、えーとあの子ね、フィオリーナ。

 超絶可愛い。前世でネットで見たドールっていうの? リアルだけど、3Dな美麗アニメから出てきたような、あの綺麗な人形ね、うっかりン万円、下手したらン百万円とかしちゃうやつね、あれのまんま!

 あらまあ唇が桜の花びらみたい、って思ってね、でもそういや、ここで桜って見たことないなー、アーモンドが桜に似てたからそれかなー、って思ってね。

 あれ? ってなって、思い出しました。

 あ、はい、私、前世は日本人ですよー。

 今の私と来たら、前世の黒髪はそのまんま、だけどいい感じに波打っててツヤツヤにグレードアップ、フィオリーナに負けず劣らずの陶器のような白い肌に切れ長だけどデカイ真っ赤な瞳、どこのセレブか! みたいなぷっくり唇にボンキュッボンな公爵令嬢となっております。

 うーん、どこもかしこも天然素材でこの仕上がりってもう奇跡じゃない? 無敵じゃない? つーかこの15歳色気ありすぎィ!

 って鏡の前でチェックしてます。今ね。

 さっきパーティーの貴賓室で突然前世の記憶を取り戻して、ぶっ倒れて運ばれて、目を覚まして、起き上がろうとしたら医者に止められて、一晩眠って起きてイマココ。

 鏡見てびっくりですよ。こんなん自撮りアップし放題ですわ。メイクいらないし、照明いらないし、いつでもどこでもアタシが素材のインフルエンサー!

 まあ、SNSなんて面倒だからやったことないけど。私友達いないし。

 あー、なんかだるい。前世のことを考えてると、頭痛いというか、だるくなるっぽい。

 ん? やばい。これ、熱ある?

 調子こいて薄着で鏡の前でいろいろチェックとかやってて、風邪引いた?

 鏡を見たら、つり目キツ目の美人がめっちゃスケスケの服で赤い顔してハアハアしてる。エロいなおい。

 エロいまんま倒れて発見されるのはなんか嫌だ。エロいのは私の好みじゃなーい! 私の好みはフィオリーナみたいな可愛い系! だけどあの「私の半分はお砂糖でできてます」みたいなあの性格は頂けないわ。

 そんなどうでもいいことを考えながら、どうにか再びベッドに潜り込んだ私は、そのまま意識を失った。

 ※

 柔らかいものが触れた。くちびるに……なまぬるい。ウェ。

「……⁉︎」

 嫌な気分で目を覚ますとうるさい喚き声がなんか聞こえて目の前は薄暗くて、なんか影になってる。

 しばらくして焦点が合って、目の前のものを認識できた。

 そこには嬉しそうに私を見つめる、頬を染めたハリウッド系金髪碧眼超絶美形男子がいた。
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