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君に帰る日
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度重なった海外遠征、オンラインイベントのコーチング、スポンサーからの仕事、合間は欠かさず練習。
そんな日々を送っていたある日、いつものように練習配信を行っていたのだが突然俺は気絶してしまった。
恐ろしいくらいの速度で連なるコメントと、血相を変えて飛び込んできたマネージャーが映り込んだ配信は大層ネットニュースを賑わせたものである。
結果、過労と診断された俺は休養を余儀なくされた。
そんな現状ではあるものの高校卒業と共にプロゲーム団体に所属してから早くも七年が経った。夢中でゲームと勝利に向き合ってきた。
学生時代に参加した大会でタイトルを獲ったあの日から、俺の人生は一般的でない。
それでも走り続けられるのは格闘ゲームへの愛と目標があるからだ。
それは、世界タイトルの獲得だ。
「国内は実現したんだけどなぁ……」
絶賛休養期間中の気の抜けた声が、学生時代を過ごしてきた一室で浸透していく。俺が独り立ちしてからも掃除が行き届いた部屋は、祖父母の愛情が感じられた。変わらない天井をぼんやり見上げ、畳に意味もなく寝転んでいると声が掛かる。
「まさ~!」
「んー」
よっこいしょ、とじじ臭い掛け声と共に身体を起こす。
居間で熱心にスマートフォンを弄る祖母は、やって来た俺を見てニコニコしている。俺が家を出た時よりも皺が深くなった優しい笑み。身体の芯から力が抜けていった。
「この子、蓮ちゃんでしょ?」
「あー……、本当だ。蓮司だね」
俺が買ったスマートフォンを操り、今ではSNSを嗜むようになった祖母は何だか得意げだ。画面に映されたショート動画を一緒に覗き込めば、すっかりカリスマ美容師として名を馳せるようになった掛け替えのない存在がそこに居た。
都会的な洒落たファッション、人当たりの良い明るい笑顔、綺麗に染め上げた金色の髪、誰もが羨む端正な顔立ちは学生時代よりも大人びている。
「最近よく流れてくるのよ。男女関係なく、みぃんな綺麗に変身するの」
「へぇ~そりゃすごい」
「まさも切って貰ったら良いのに。随分頭モサモサよ」
「まぁ、モサモサも悪くないよ」
「まさ、飯まで菓子でも食ってなさい」
テレビを見ていた祖父が笑って、俺の好きな菓子が詰まったカゴを指差した。
「モサモサでも何でも、好きにしたらいい」
「ふふ、うん。ありがとう、じいちゃん」
不器用な祖父に思わず頬が綻んでしまう。
「そういえば、蓮ちゃんとは会ってるの?」
「……たまに連絡は来るけど会ってはいないよ」
「そうなの。高校生の時は随分来てたから、動画で元気なとこ見られてばあちゃん嬉しかったよ。ねぇ、じいちゃん」
「そうだな」
「もう、すぐに蓮ちゃんのお店の住所調べてたくせに。じいちゃん、蓮ちゃんのことも気にかけてたのよ。また、機会があったら連れて来てよ」
ね、と祖母は愛らしく小首を傾げて見せる。俺は曖昧な返事をして、学生時代よく食べていたチョコ菓子へ手を伸ばした。
久しぶりに味わう甘さと、中に詰まったナッツの香ばしさがあの頃を自然と追想してしまう。
彩度の高い夏空の下で眩い笑顔を浮かべる蓮司が脳裏に浮かんだ。
彼との出会いが無ければ、今の俺は存在しなかった。
毎年夏が近付くと、蓮司との日々を思い出してしまう。
手のひらで転がるチョコレート菓子を見やると、彼と初めて会話をした日が鮮明に脳裏へ浮かんだ――。
******
窓際の席はカーテンを引いても熱気を貫通してくる。誰しも羨む一番後ろの窓際の席を得て気づいたことだった。
両親が希望していた高校を蹴り、俺は父方の祖父母の家から近い高校へ入学した。
実家の隣県だったから当然顔見知りも居ない。
別にこだわりは無かったが、髪色自由な校則に惹かれて入学を決める生徒は多く、ちらほら派手な頭髪を見かけるような高校だ。
そんな新天地で2学年に上がっても、積極的に友人を作る訳でもなく、部活に励むでもない俺はずいぶんクラスでも浮いた存在だった。
何せ、授業のほとんどを居眠りして過ごしていたものだから自覚はあった。祖父母の負担をなるべく軽減するためアルバイトに勤しんだ結果であった。後は格闘ゲームだ。
珍しく暑さのせいで居眠りせずに済んだ俺は、熱が籠る首筋を摩り、賑やかになった教室をぼんやり眺めた。そこで昼休みが訪れたのだと気付いて、少しだけ汗ばんだ尻を持ち上げると声が掛かる。
「尾谷君、一緒に飯食おう!」
屈託ない笑顔で、コンビニの袋をドンと机に乗せた隣席の彼は派手な金髪頭で整った顔をしており、目を白黒させていると勝手に机をくっつけ出しはじめた。
「お隣さんなのに、もしかして俺の名前知らない?」
「うん、知らない」
「あちゃー、それは悲しい!俺、篠宮蓮司!」
「……尾谷優樹です」
いつもなら、適当に購買で買ったおにぎりと菓子で腹を満たして動画鑑賞をするが、叶いそうに無い。
「俺、今日は絶対尾谷君と飯食うって決めてたんだ。だから、好きなの選んで食べて良いよ」
「……流石に金払うよ。いきなり奢られるの嫌だし」
「え、なんで?俺気にしないのに」
「俺が気にするからレシートあるなら貸して」
とは言え、せっかくの好意なのでありがたく机に広げられた品からおにぎりとサラダを頂戴する。レシートの代わりに、俺へ箸を差し出した蓮司は結局財布を漁る気配は無かった。
「お釣りいらないからとりあえず千円渡すわ」
「えー、本当にいらないのに。女の子ならみんな喜ぶのになぁ」
「借りを作るの嫌なんだ」
「……分かった。じゃあ受け取る」
渋々財布に金をしまった蓮司に息を吐き、サラダとおにぎりを前に手を合わせた。クーラーは掛かっているものの、開けっぱなしになったドアのせいで冷気が逃げてしまっている。
授業中よりも日差しの暑さが身に染みた。
カーテンの隙間から覗く空は晴天で、雲一つない。澄んだ眩しい青に、少しだけ目を細めておにぎりの包装に手を掛けた。
「尾谷君今日は授業起きてたね」
「……まぁ、暑くて寝るに寝られなかった」
「窓際暑そうだもんね。いつも寝てるけど、寝不足とか?」
「寝るのが遅い」
パリ、と乾いた海苔と米を咀嚼しながら蓮司を盗み見れば、頬杖をつき穏やかな笑みを浮かべていた。両耳にぶら下がるシルバーのピアスや、程よく着崩した制服も相まって洒落ている。この相貌なら女子も喜んで奢られるのだろうと、自然の摂理を垣間見てしまう。
「何して夜更かししてるの?」
「……ゲーム」
「そうなんだ!俺もゲーム好き!尾谷君どんなやつやるの?俺はFPS系とかやるんだ」
食べ終わったおにぎりの包装を端に寄せ、サラダに手を付け出すが蓮司が食事をする気配が無いので思わず苦笑する。幼い子どもが必死になって、自分の話を聞いてもらおうとする姿が自然と頭に浮かんだ。
「逃げたりしないから、篠宮君も食べなよ」
ポン酢ドレッシングをみずみずしい野菜に回しかけ、口へ運べば火照った身体に染み渡った。夢中で野菜を咀嚼する俺を見つめ続ける蓮司は、漸くサンドイッチへ手を伸ばして薄く笑う。
「ごめんね。尾谷君と喋れたのが嬉しくて」
「なんの面白味もないと思うけど」
「そんなことないよ!尾谷君、このクラスで一番のミステリアスボーイなんだから」
そんな呼称がついていたのか。教室を何となしに見渡せば、興味深そうにこちらを伺うクラスメイトの視線が痛いくらいに突き刺さった。そんな彼等にも伝えるよう口を開く。
「ゲームとバイト漬けなだけ。クラスで孤立してるのは人付き合いが得意じゃないから。ほら、これでミステリアスじゃないだろ?」
「うーん……まぁ、ややミステリアスくらいにはなったかな!」
「……さようですか」
空になったカップを前に手を合わせ、カバンを漁る。と言っても教材は机の中に詰めたままだから、漁るほどの荷物は無い。そこから買っておいたチョコレート菓子を取りだした。
「それ、好きなの?」
「うん、好き。エンゼル出たらなんか嬉しいし」
とは言え、この暑さの中カバンに入れっぱなしだったので、丸いチョコをつまめば指は無残にも汚れた。
おすそ分けをしようと思ったが、これは流石に無理だ。溶けても尚美味いそれを口に運んでいると、蓮司はクスクス笑いながら、サンドイッチを二つ完食した。
「俺にもちょーだい。溶けたの食べてみたい」
「……手、汚れてもいいならどうぞ」
広げられた蓮司の掌は大きく、すらりと伸びた指先まで綺麗な形をしていた。そこへ、三粒転がり出た丸いチョコは綺麗な掌を見事に汚していった。
「ははっ、まじでべっちょべちょに溶けてる」
「でも美味いよ」
溶けて身を寄せ合うチョコを煽るように食べた蓮司へしわが寄ったポケットティッシュを渡した。手のひらのチョコを拭いながら、蓮司は真剣な表情をする。
「待って、俺溶けてる方が好きかも」
「ふ、ははっ」
「え、どうしよう。次からレンジとかであっためれば良いのかな」
「わざわざあっためるのかよ」
ドロドロに溶けたチョコと残されたナッツを想像して、思わず笑ってしまえば蓮司も笑い出した。
溶けたチョコとナッツを噛み締めると、いつだってあの頃に逆戻りしてしまう。
どこにでも、誰にでもある夏はずっと俺の中で特別だ。それこそ、溶けたチョコがこべりついたみたいに今も、胸に残り続けている。
カーテンから透けた日差しを浴びた蓮司の無邪気な笑顔が、濃霧に包まれたようにぼやけて消えていった。
******
ふと、重たい瞼を持ち上げればローテーブルの足と居間の先にある廊下が視界に広がった。
どうやら菓子を摘んでいる間に眠ってしまったようだ。重ねた座布団がいつのまにか頭を支えており、俺はそれに額を擦り付けてから怠さが残る身体を起こした。
「あらぁ、起きた?」
「ん、ごめん。寝ちゃったみたい」
「お菓子食べながら赤ちゃんみたいに船漕いでたよ」
「あー……それは恥ずかしい」
「疲れてるんだろう。寝足りなかったら部屋でゆっくり寝なさい」
「ありがとうじいちゃん。と言うか今何時?」
「もう二十時よぉ。ご飯食べる?」
「めっちゃ寝たな。ご飯ありがとういただきます」
目一杯伸びをして、寝過ぎて重たい瞼を擦る。ポケットに入れていたスマートフォンへ手を伸ばし、メッセージを確認すればマネージャーや団体のチームメイト達からゆっくり休養するようにと労りの言葉が沢山連なっていた。
周囲に迷惑はかけたものの、こうして労りの連絡が来ることは嬉しかった。
自身の手で居場所を作り上げたのだと、胸が熱くなる。温かい言葉一つ一つに返事を返していれば、俺の大好物ばかりがテーブルに並んでいた。
「ああ、ごめんね手伝わなくて」
「良いのよこれぐらいばあちゃんにさせて」
「まさ、酒も冷蔵庫にあるぞ。飲むか?」
「じゃあ、久しぶりに飲もうかな」
「じいちゃんまさと晩酌したいから起きるの待ってたのよ。じいちゃんお刺身出しましょうか」
「適当にやるからよう子は風呂入っておいで。張り切って飯支度したから疲れただろう」
「あら、ありがとう。そしたらゆっくり入らせてもらおうかしら。まさ、ゆっくり食べなさいね」
「うん、二人ともありがとう」
祖母は終始ニコニコしたまま、居間を後にした。テーブルに並ぶ豪勢な食卓が張り切り具合を物語っている。祖父は刺身とビール缶を二つ手にして、ローテーブルにつくとプルタブに手を掛けた。
「暫くこっちに居られるのか?」
「一応一か月は休養予定してるけど、調子良さそうなら早めに戻るかも」
「一月いたら良いだろう。乾杯」
「乾杯」
祖母だったらグラスを用意するのだろうが、祖父は缶ビールを軽くぶつけて煽り飲んだ。俺も冷えた缶を手に、口を付ける。久しぶりのアルコールが身体に染み渡り、空きっ腹が熱くなった。
「うわぁ、うまぁっ」
「ははっ、そりゃ良い。ほら、たんと食べなさい」
「ありがとう」
子どもの頃から、祖母が作るかぼちゃの煮付けに目がない俺は早速箸を伸ばして口に運んだ。かぼちゃの甘さと、優しい醤油の香ばしさがなんとも堪らない。
「建人が結婚するんだと」
「へぇ、現役Jリーガーなら嫁さんさぞ綺麗なんだろうな」
「写真すら見てないから分からんが、まさに伝えといてくれって。わざわざ家に来たんだ」
ほれ、と差し出された結婚式の招待状に思い切り顔を顰めれば祖父はやっぱりと言ったような笑みを深めた。
「行かないと思うぞとは言ったんだがなぁ」
「じいちゃんとばあちゃんは行くの?」
「両家の親御さん来るならワシらは良いだろって、よう子とは話しとるんだ」
「じゃあ俺も遠慮しとく」
「なら不参加に丸しときなさい。じいちゃんが適当に渡しとく」
「うん、お願いします」
早速卓上にあったボールペンで不参加に丸をして、息を吐いた。顔を合わせなくて済んだ安堵と、複雑な思いが混ざったそれは深いものだった。
自分の中では折り合いをつけられたと思っていたが、いざ顔を合わせる可能性が出るとかつての生活が脳裏を過って気持ちは重たくなる。
怯え切った両親の悲痛な眼差しと、荒れ果てたリビングの光景を思い出してしまった。それを振り払うように残った酒を煽り飲む。
「血の繋がりはあっても、家族なんて他人なんだ。無理して会おうとしなくていい」
「じいちゃんもそうだった?」
「ああ。じいちゃんは家出てから一度だって親には会ってない。よう子の親御さんが随分可愛がってくれたし、よう子が居てくれたから必要もなかった」
「……そうだったんだ」
「そう。だから、今度はじいちゃんがまさの居場所作ってやる番だって思ったんだ」
祖父は照れくさいのか、空になったビール缶の水滴を指先でなぞっている。かつて祖父が似た境遇に居た事も驚きだったが、俺が助けを求めた日の決意は大きく俺の胸を打った。
小さい頃から、祖父は何かと俺を気にかけてくれていた。きっと、かつての自身と重ね合わせていたのかもしれない。それでも、その優しさと思い遣りは誰しもが持てるものではない
「ちゃんとまさが自分の手で掴み取ったものがあるから、今の居場所ができたんだ」
「……うん」
「応援してくれる人のためにも、ちゃんと休んでまた活躍すればいい。誰もまさを責めたりしないよ」
「うん、ありがとう……じいちゃん」
「もう一本飲むか?」
「飲む」
アルコールが入って饒舌になった祖父は、朗らかに笑って冷蔵庫へ向かった。
「良いお湯でしたよぉ。あら、何か大事なお話でもしてたの?」
そんな中、湯上がりでご機嫌な祖母がパジャマ姿で俺たちを見やった。
「あれだ健人の結婚の話とかな」
「ああ!じいちゃんから聞いた?お祝いとかはこっちで準備するから、まさは何も心配しないでいいからね」
「ありがとう。お金はちゃんと渡すから後のことは申し訳ないけどお願いするわ」
「じいちゃんとばぁちゃんに任せなさい!さぁ、ばぁちゃんもお風呂上がりの一杯お邪魔しようかな」
「よう子、ビールで良いか?」
「ありがとうね、いただきます」
変わらない二人の仲睦ましいやり取りに思わず頬が綻んでいく。
そんな二人を見ると、自分が最善を尽くせていたなら家族の形は保てていたのかもしれないと思う。
けれど、祖父が言っていたように無理をして形を保とうとしていたらきっと今の自分は存在していなかったのだ。
人生は取捨選択の連続だ。この先の選択を、誤ることはきっと起こりうる。けれど、後悔だけはしたくないと思えた。
祖父が決意したように、次は俺が誰かの居場所になることができるのだから。
「あれ、まさ携帯ぶーぶーしてるよ?」
「あ、電話だ。ごめん、ちょっと抜けるね」
幸せそうに、横並びで晩酌をはじめた二人を残して俺は居間を後にした。久しぶりのアルコールで火照った肌を冷ましたくて何となしに外へ出れば、幾分涼しい風が頬を撫でていく。
寝起きで酒を飲んだからか、ふわつく頭でディスプレイを確認した俺は目を見張った。
どくり、と心臓が大きく跳ね上がる。
蓮司からメッセージは確かにきていたが、いつも返事をすることはできないでいた。
その気まずさもあって、身体が緊張してしまう。それを解きほぐすように深く息を吐きだし、暫し逡巡してから恐る恐る通話開始へ震える指先を押し付けた。
そっと、スマートフォンを耳に当てれば懐かしい声が鼓膜を静かに揺さぶった。
「良かった、出てくれた……」
「……蓮司、だよな?」
「うん。そう、俺だよ」
高校生の時よりも落ち着いた声は、少しだけ低くなったようだった。
声を聞くのは実に七年ぶりだ。お互い、身を置く環境も大きく変わり年を重ねてきた。
煩わしいくらい早鐘を打つ心臓が、当時の想いを蘇らせる。せっかく涼みに来たのに、じとりと背中に汗が浮き出てきた。
「ごめん、いきなり電話して。しつこすぎるとは思ったんだけど、どうしても心配で……」
「……ちょっとスケジュール過密だったから、疲れが溜まってたぽい」
今は実家で療養してる、と微かに掠れた声で付け足せば電話の向こうで蓮司がまるで安堵したような深い溜息を吐いた。
彼は今、どんな表情を浮かべているのだろう。淡く顔を覗かせる期待を必死になって押し殺す。
「そっか……はぁ、良かった」
「死ぬほどやばい状態とかではないから。まぁ……心配かけてごめんな」
「電話するのも悩んだんだけど我慢できなくて……」
「……気にかけてくれてありがとな。今はじいちゃんとばあちゃんの世話になってるから大丈夫だよ」
「おじいちゃんとおばあちゃんは元気?」
「ああ、元気だよ。今日、たまたまSNSで蓮司が出てきてさ、二人とも気にかけてた。また、連れて来てよって言ってた」
「……あのさ」
「なに?」
じとりと、背中が汗で濡れる。じっとしたままでいるのが落ち着かず、当てもなく足を踏み出した。
近くに大きな中華街があり、駅周辺が栄えているので時折通行人が見受けられる。賑やかな地域だが、駅を離れれば閑静な住宅街が続く。
電灯に集まる小さな羽虫を何となしに見上げた。それはかつての蓮司と俺のようだった。
「約束、覚えてる?」
「……店を持ったら初めての客になってほしいってやつ、だろ?」
「うん、そう。それ」
忘れるはずもない。卒業式で交わした約束と、蓮司との別れの抱擁は昨日のことのように思い出せる。
あの日感じた彼の温もりや耳元で聞こえた鼻を啜る音も胸の痛みも全部、鮮明だ。
再び足を止め、溢れ出した記憶を押し込めたくて伸び切った髪を乱雑に掻く。
あの日の約束をまさか、彼が持ち出すとは思わなかった。時間が解決すると、信じて疑わなかったのに。
俺も、蓮司も変われなかった。できることなら、綺麗な思い出にしておきたかった――。
「……ねぇ、まさ。来てくれる?」
伸び切った襟足が、汗を吸って肌に張り付いた。首筋が熱を持ち、スマートフォンを持つ手が震えてしまう。
来た道を再び歩き出してみるが、言葉はうまく紡ぎ出せない。
「まさ?聞こえる?」
「……うん、聞こえてる」
「メッセージに住所送るから……来て欲しい」
ふぅ、と緊張で震えた息を吐き出す。
これが最大の取捨選択の時だろう。七年経った今、漸く俺は手を伸ばす決意を固めた。
「分かった、行く」
「え、本当に……?」
「何だよ、やっぱり行かない方が良いか?」
「それは絶対違う!」
力強い否定に、思わず笑い出す。
「今月いっぱいは暇してるから、蓮司の予定に合わせるよ」
「そっ、したら、明日、いや流石に急すぎるから……明後日とかどうかな?」
「別に明日でも良いよ」
「いや、待って。ちょっと、あの、心の準備が……」
「何だよ、それ」
「ああ、でもっまさが良いなら明日、でも良いかな……?え、本当に来てくれるの?」
「うん、行くけど」
「わっ!かった、えっと、じゃあ!詳しい時間とかはメッセージ送る!」
「分かった。変な髪にするなよ」
「絶対しない!しないから!じゃあ、明日!待ってる!」
ぶつ、と切れた通話に小さく笑って帰ってきた実家のガラス戸に手を掛ける。
日中より湿度が高くなったからかクーラーをつけた室内はとても心地が良い。熱った肌と、弾む心音がゆっくりと静まっていく。
「ただいま」
「あら、まさお帰り。お仕事の電話?」
「いや、蓮司から。体調大丈夫なのかって」
晩酌を終えたのか、祖母は少しだけ上気した頬を緩ませ、ソファで寛いでいた。祖父はどうやら風呂に入っているようだった。
テレビでは堅いスーツに身を包んだキャスターが、真剣な表情で日本の情勢を語っていた。
「まぁ、それはすごいタイミングだったねぇ。今日蓮ちゃんの話したばっかじゃない」
「そうだね……俺もびっくりしたわ」
久しぶりに蓮司と話をしたからか、緊張で喉が渇いて仕方がない。冷蔵庫へ向かい、麦茶のボトルへ手を伸ばした。
「蓮司、店持ったらしい」
「あらぁ!本当にぃ?それは凄いわぁ!」
「明日、店に来て欲しいって言われたからちょっと行ってくる。予定どうなるか分からないから、俺のご飯は用意しなくて大丈夫だよ」
「積もる話もあるだろうから、ゆっくりしておいで」
そしたらモサモサ今日で見納めだね、と祖母は少し名残惜しそうに笑った。
グラスに注いだ麦茶を一気に飲み干し、汗で湿り気を帯びた髪を何となく掻き回す。
「まぁ、坊主にはならないと思うよ」
「ははっ、それはそれで大変身だわぁ」
明日、七年ぶりに蓮司と会う。
学生時代で止めていた時間が動き出すのだ。
「まさ、風呂上がったぞ。入っておいで」
「ありがとう、入ってくるわ」
触れ合った熱く濡れた肌、鼻腔を満たす汗と精の匂い、耳を掠めた荒い吐息。そして、散らした後孔の痛みと快楽。埋められた熱杭で、湧き出た多幸感。
忘れられる訳がない。
「……どんな顔して会えば良いんだ」
俺は、ずっと蓮司に囚われている。
******
蓮司の好奇心から始まった俺たちの仲は想像以上に深まった。
溶けたチョコ菓子を笑いながらシェアしたあの日から、昼休みを共に過ごすようになり、気が付けば互いの家を行き来するほどの仲になっていった。
端正な顔立ちでありながら、人当たりが良い蓮司は所謂高カーストで、常に友人や女子生徒達に囲まれているような存在だった。これまでクラスで自ら孤立してきた俺とは対照的な立ち位置である。
傍に居る時間が増えると、これまでの交友関係を耳にすることも増えていった。
「篠宮って今まで女切らすこと無かったのに、今は全く彼女作らないよな」
「確かに。親が金持ってるからあいつ学校の近くで一人暮らししてるんだって」
「あぁ、だから彼女連れ込めるのか。やっぱ金持ちはいいよなぁ」
「将来親の会社にでも就職するんじゃねぇの?いいよな、何にも苦労しなくて済むじゃん」
これまでだったら気に掛けることもなかった噂話を聞き流し、昇降口で暇つぶしがてらスマートフォンに触れる。
イヤフォンで情報を遮断し、動画アプリを開いて格闘ゲームの対戦動画を再生した。
己の技量と向き合い、相手の技を読み、勝利のために取捨選択を重ね続けるこの世界は居心地が良かった。憧れているプロ選手の試合を食い入るように見ていると、ふと影が落ちる。
「ごめん、待った?」
片耳のイヤフォンを外せば、鼓膜を震わせていた実況解説の声が、遠くなった。
「そんなに待ってない」
名残惜しいが、最終ラウンドを見届ける前にスマートフォンをポケットへしまい込めば蓮司はすっかり見慣れた明るい笑みを浮かべた。
「今日は俺の家でゲームしよ」
「ん、いいよ」
俺より身長が10センチほど高い蓮司を僅かに見上げながら頷けば、彼は眦を下げる。
俺に無い明るさは、眩しくて仕方がなかったけれど彼と過ごす時間は楽しかったし不思議と心地が良かった。それは、蓮司も同じだったのか、友人たちと過ごしている姿は日に日に見ることがなくなっていった。
金曜日はどちらかの家に泊まり、気が済むまでゲームをして、なんてこと無い話をしていた。
頻繁に家へ上がり込む蓮司に対して祖父母も特段何か言うことは無く、ゆっくりしていけばいいと彼を孫のように受け入れてくれていた。
きっと、祖父は蓮司が俺の境遇に近しいと気づいていたからだろう。あまり踏み入れる話題でもないので、俺も家庭環境について問うことは無かった。
その日はいつものように、蓮司の家でゲームをしていた。レトロの部類に入る据え置き型のハードで、格闘ゲームとボードゲームを長時間遊んだ。
栄えた駅から徒歩五分圏内のマンションの一室が、蓮司の城だった。親が所有するマンションなのだと聞いて、本当に裕福な家庭は存在するのだと驚いたものである。
「あのさ」
「なに?もう五先するか?」
「ちーがう、ちょっと休憩しよ。俺、もう五戦もできない」
蓮司はぐったり、ソファへ横になってコントローラーをローテーブルへ置く。
洒落たガラスのローテーブルに指紋がつかないように気を付けながら、俺も名残惜しかったがコントローラーを置いた。
発売して十年は経過しているソフトだが、未だに大会が開かれるくらい愛されている格闘ゲームはやはりシステムが面白いなと、新たな気付きでほくほくしてしまう。
ケースから状態が良い説明書を取り出して、目を通していると蓮司は少しだけ言い淀んでから口火を切った。
「昇降口でさ、俺の話してるやつ居たでしょ?」
「あぁ……居たな」
「どう思った?」
「どう、とは?」
説明書から顔を上げ、寝転ぶ蓮司を見やれば彼は顔を隠すように額に腕を置いていた。
「……ヤリチン、とか親のすねかじり、とか思わなかった?」
「いや、別に思わなかった。事実かどうかも分からないし、事実でも特に何も思わない」
「……本当?」
「俺はお前のことゲーム好きな明るい奴くらいにしか思ってないよ」
おずおずと、蓮司は腕を退けて俺を見つめた。いつもの明るさは鳴りを潜め、捨てられた子犬のようだった。
「そうやって、ちゃんと俺を見てくれたのまさが初めてなんだ」
蓮司の言葉は、微かに震えていた。
「みんな、昔から俺の外面と親の肩書ばっかり見るんだ」
結局、関心があるのはステータスになりそうなことばっかりだった。蓮司は天井をぼんやり見つめる。
「それが寂しくて、でも一人は嫌だったから好意を持ってくれた子と付き合ったりしてた。でも、結局理想と違ったとかそんな理由で終わっちゃうんだ」
「……そうだったのか」
「……でも、まさはそんな俺と違ってずっと一人でいるから、寂しくないのかなって気になって声掛けたんだ」
「なるほど」
納得すると同時に、彼は未だに寂しさを抱えているのかと同情してしまう。
運良く、俺は祖父母に面倒を見てもらい愛情も貰っている。けれど、蓮司は違う。
個の人間として目を向けられない寂しさは結局、誰かから目を向けて貰わない限り埋められないのかもしれない。
それが、とても可哀想に思えて仕方が無かった。
「俺は、じいちゃんとばあちゃんが居るから別に学校で親交が無くても寂しくは無かったよ。どうせ社会に出たら付き合いも無くなるの目に見えてるし」
「まさは、強いね」
「強くはないよ。俺も、家から逃げ出したから」
「逃げる?」
これまで他人に話したことは無かったが、かつての生活を思い出しながら右膝をそっと撫でた。
「Jリーグに所属してる5つ歳の離れた兄が居るんだ。だから、別にやりたくもないサッカーを習わされてた」
はじめは兄と戯れ程度に庭先でボールを蹴り合うくらいだったが、気付けば習い事として俺の日常の大半を占めるようになった。
「お兄ちゃんならできた、お兄ちゃんみたいになりなさい、そんなんじゃ駄目だ、そればっかりだった」
どれだけ練習しても、試合で活躍しても結局兄と比較される。そうして、お兄ちゃんはもっとできたと言われて俺の事など褒めもしないのだ。
「中学でクラブチームに入っては居たけど、そこでも比較されて居場所なんか無かったんだ。兄貴はJリーガーなのに、お前はそこまでうまくないって散々言われ続けたよ」
「……どうして続けられたの?」
「親に認めてもらいたかったんだろうな。頑張ったね、とかその程度で良いから、少しだけでも俺を見て欲しかった」
結局、それが叶うことは無かったけれど。
「サッカーの強豪校へ行くことが決まってた矢先に、練習試合で相手選手と接触して右膝の靭帯故障したんだ。手術して、流石に親も心配してくれると思ったけどさ」
ガチガチに器具で固められた右膝、放課後に通うリハビリ、こんな痛い思いをしてまで好きでもない競技を続けるなんて土台無理な話だった。
そんな俺の気持ちなんて、両親は知る由も無かったのだろう。
「大丈夫、膝が良くなったらまたサッカーできるよって、お兄ちゃんみたいになれるからって言うんだよ。結局、二人が心配してたのは俺じゃない。兄貴みたいになれない事だったんだ」
当時を思い出してか、鈍く痛み出した膝を摩る。痛かったのは膝だけじゃない、親に認められない胸は張り裂けそうなくらい強く痛んだ。
「そう言われてさ、頭に血が上って手が付けられないくらい暴れたんだ。リビングで、目に付くもの全部壊して、薙ぎ倒して、めちゃくちゃになってたよ」
膨れ上がった風船に針が刺されて弾けるように、これまで堪えてきたものが溢れ出した。
喉が枯れるくらい叫び、生まれてこなければ良かったと号泣した。
術後は安静にしろと言われていたにも関わらず、止めに入った父を押し除け、泣き喚く母の声を無視して、俺は親子の関係諸共めちゃくちゃに破壊したのだ。
「今まで散々、俺のことなんて見てなかったのにさ、あの日だけは俺を見てた。物凄く、怯えた顔で俺を見てたんだ」
母の咽び泣く声が静かに響き渡る室内を呆然と見渡して、もう取り返しがつかない事を悟った。
ただ寂しかっただけだったのに、結局荒れ果てた室内でも俺は独りだった。
壊れた物は新たに買うことも直すことだってできるが、心や関係は違うのだ。
それ以来、家族とは顔を合わせていない。
「まぁ、それ以来家族とは顔合わせてないけどさ。今は好きな事できるし、じいちゃんとばあちゃんが居てくれるからとにかく寂しく無いよ」
「……俺は?」
「何が?」
「俺はその中に入ってない?」
「はは、まぁ、そうだな。今は蓮司も居る」
蓮司は、少しだけ満足そうに笑って体を起こすとソファに背を預けて座る俺の頭に手を置く。
そうして癖のある俺の髪を優しく、慈しむように撫でた。
「まさはずっと、俺のこと見ていてくれる?」
背後の蓮司を煽り見れば、その瞳は不安気に揺れていた。
友情、同情、愛情どれもしっくりこなかったけれど、俺は幼いながら彼を支えてやりたいと思ったのだ。
「……うん、ちゃんと見てるよ」
蓮司は、形の良い唇をぎゅっと噛み締めて縋りつくように俺を抱きしめた。俺よりも大きく、逞しい体をしているくせに今にも消えてしまいそうなくらい脆い心を労わる様にそっと背中を撫でさすった。
分け合う体温の心地良さを、俺は初めて知った。
いつか、俺以外にも蓮司を蓮司として見て接する人は現れる。その時が来るまで、彼の空洞を埋めてやれれば良いと思っていた。
傷の舐め合いと言えばそれまでだった。けれど、彼に必要とされた事が俺の胸を仄かに満たす。
若気の至り、性に貪欲な俺たちは磁石が重なり合うように身体を繋げる関係へとそのまま転がり落ちていった。
汗が浮き出た肌を合わせ、まるで恋人同士みたいに手を絡ませる。
身体を重ねるたびに俺は独占欲で膨れ上がっていった。
夜光に集まる、羽虫のように。彼に惹かれて、堪らなく辛くなる。
好きだ、と好意を告げた所で未来は無い。子も成せない、結婚もできない俺では彼の本当の居場所にはなれないのだから。
「はっ……まさっ、まさっ」
「んっ、あっ……あぁっ」
腹を満たす蓮司の熱杭が、水音と共に抽送されると稲妻のように悦楽が走る。はしたなく足を広げ、蓮司を受け入れる度に多幸感で満たされた。
醜い独占欲と、重たい感情を押し殺して身体を揺さぶられながら善がり声を上げる。そうして情けなく、後孔の刺激で絶頂を迎えるのだ。
身体を重ねることが当たり前になった頃、俺は蓮司の勧めで格闘ゲームの大会に出場することを決めた。
インターネット上で配信されるほどの規模だったため、服装に困っていると蓮司が大手を振るって協力した。
「なんか、デートみたいだな」
「……ただの買い物だろ」
蓮司は見た目に拘らない俺のために、服を選び、彼が通う美容室へと連れ出した。
煌びやかな世界は眩くて場違いに思えたが、蓮司は髪を整えて小綺麗になった俺を見つめ、とろりと溶けそうな甘い顔をして眦を下げるのだ。
些細な触れ合いや、表情に垣間見る甘さがいちいち俺を期待させた。それは、俺もそうだったのかもしれない。けれど、互いに想いを伝えることはしなかった。
一度壊れた関係が修復できないことを知っているからこそ、蓮司との関係を失うことが恐ろしかったのだ。
「まさ、やっぱり毛先遊ばせたほうが可愛いな」
「男に可愛いはないだろ」
「ごめんって。似合ってるってこと」
俺を着飾って楽し気にする姿は今も目に焼き付いている。きっと彼は、こういう業界で生きていくのではないだろうかと思えたからだ。
ワックスで遊ばせた俺の髪をいじり、笑みを深める蓮司に俺は胸を高鳴らせる。
想像以上に、彼は俺にとってなくてはならない存在へ変化していたのだ――。
桜が舞い落ちるのをぼんやり見上げ、あっという間に過ぎ去った高校生活を振り返るがその大半は蓮司との日々ばかりだった。
卒業証書を手にしたまま、静かな校舎を振り返る。今頃、卒業生達は思い思いの面子と別れを惜しんでいるだろう。
世話になった教師へ別れの挨拶をしに行った蓮司を昇降口で待ちながら、明日から始まる新たな生活を思い描く。
果たしてプロとして、どこまで登り詰められるだろうか。
未だ現実味を帯びない自身の立ち位置に、不安もあったが昂揚感もあった。
先の見えない世界で、どれだけ通用するかは結局自身の技量と向き合い方次第である。
「まさ!」
「蓮司」
駆けてきた蓮司は、息を弾ませながら俺の前に立った。
美容師になる、とやりたいことを見つけた蓮司が嬉々として俺に報告した笑顔が過ぎる。
彼は、この先沢山の人と出会う。その中で、きっと彼自身を見つめてくれる相応しい人物とも出会うだろう。
そうすれば、俺を抱くこともなくなる。
そして若気の至りだったと、この思い出を懐かしむのだ。
だからこそ、もう会ってはいけないのだと決めていた。これが、彼の隣に立つ最後の日だと――。
「帰るか」
「待って、まさっ!」
校門へ向かおうとすると、強く腕を引かれた。
神妙な面持ちに、俺は小首を傾げながら彼を見上げる。
春の匂いを含んだ、冷たい風が俺たちの髪を静かに靡かせた。
「まさ、今まで本当にありがとう。まさが居てくれたから、俺はやりたいことを見つけられた」
「俺は別に何もしてないよ」
「そんなことない。まさが居なかったら、俺はずっと変われないままだったんだ」
今にも泣き出しそうな蓮司に苦笑を漏らし、静かに端正な顔立ちを見つめる。腕から伝わる、彼の体温が愛しくて仕方がない。
けれど、彼の明るい未来を願うからこそ俺は側に居てはいけないのだ。
「まさ、俺っ、ずっとまさのことが好っ……」
「言うな」
咄嗟に空いた掌で、蓮司の口を塞いだ。
「蓮司、それ以上は言わないでくれ。頼む」
「……なんで?まさは、俺のこと嫌いだった?」
「違う。そうじゃないんだ」
蓮司は俺の手を取り、優しく握った。
「俺たち、根っこが似てたから、こんな関係になったんだ。時間が経てば、お互い良い思い出になる」
「そんな、俺の気持ちは思い違いだって言いたいの……?」
「……きっと時間が解決する。だから、言わないでくれ」
蓮司の歪んだ表情を見て、俺は彼に大きな傷をつけてしまったと悔いるがそうするしかなかった。
互いの未来のために、枷は存在しない方が良いに決まっている。
そう、言いくるめて俺はひどく傷む胸に知らないふりをした。
「……本当に時間が解決するの?」
「この先大きく環境が変われば、考えも、気持ちも変化するよ」
「じゃあ、俺がこの先、店を持ったら絶対にまさを一番最初のお客さんにする」
「……え?」
「その時、俺の気持ちが変わってなかったら、また今日と同じことを言うから!」
俺の腕を引いて、抱き締めた蓮司は鼻を啜って酷く頼りない声で呟いた。
「その時は、お願いだからちゃんと俺の気持ち聞いて欲しい」
彼から離れることが最善だと、そう決め付けていたが結局俺のエゴでしかない。
互いの関係に明確な名が付けば、その先にあるのは別れだ。それに怯えて、俺は逃げ出したのだ。
蓮司の肩越しから見上げた空が、涙で歪んでいく。
「ごめん。本当に、ごめん」
彼の気持ちから、自身の保身から逃げ出した俺の謝罪は晴れ渡る空の元、掠れて消えていった。
******
時間が解決する。
一丁前なことを言って彼への想いを断とうとしたくせに、結局想いが消えることは無かった。
本当はずっと彼へ連絡を返したかったし、彼が勤めていた店舗へ何度か足を運ぼうとしてしまった。
苦手なSNSを通して、ちゃんと彼の現在を知っていた。
情けなくも俺は、彼に言われた通り遠くからではあったがずっと活躍を見守っていたのだ。
メッセージで届いた住所は、都内でも自然と都市が調和した人気のエリアだった。落ち着いた雰囲気の街並みは、歩いていて心地が良い。
これからが夏の本番だと言うのに、外気は既に熱く湿度が肌にまとわりつく。首筋を伝う汗をハンドタオルで拭い、目的地を確認した。
一番まともに見えるであろう、Tシャツとジーンズ、スポーツサンダルというカジュアルな装いで照りつける日差しの元を歩く。
暫く歩くとそれらしき外観の店を見つけた。
新規開店故に、外装には薄いビニールが貼られており店内に明かりは勿論ついていなかった。
指定された時間の三十分前に到着してしまった為、人の気配も無い。一旦、近くのカフェで時間を潰そうかと踵を返すと真新しいドアが開かれた。
視線が重なり合うと、お互い目を見張ってしまった。挨拶を交わす間も無く、蓮司に手を取られ店内へ俺は引き摺り込まれる。
鼻腔を擽る爽やかな香水の香りと、微かに香るタバコの匂いに包み込まれた。
漸く自分が蓮司に抱き締められていることに気付き、一気に肌が熱くなった。
「ちょっ!汗めちゃくちゃかいてるから!」
「……あぁ~、七年ぶりのまさだ」
汗臭いだろう俺に構わず、蓮司は存在を確かめるように背を優しく撫で、首筋へ顔を埋める。
懐かしい体温に暫し逡巡したが、堪え切れずその背に腕を回した。
「本当に……来てくれると思わなかった」
「……約束、したからな」
それに、かつて封じてきた想いを今なら告げられる自信がついたのだ。
プロとして生活が成り立つまでになった今なら、彼の隣に立っても恥ずかしく無いと思えるようになれた。
肩口にそっと、額を押し付けて息を吐く。情け無いほど、力が抜けていくのを感じる。
自ら手放したと言うのに、どれだけ時間が経っても蓮司の側はどうしようもなく心地が良かった。
「まさ……」
甘い声に顔を上げれば、チョコ菓子のように溶けてしまいそうな瞳が俺を真っ直ぐ見つめていた。
そのまま、鼻先が触れ合うほど距離が縮まる。
シミも毛穴も見当たらない肌は、近づき過ぎてぼやける視界でも綺麗だった。
だが、そんな甘い空気の中、見慣れたユニフォームが視界に入った俺は蓮司の顔を押し除け、レジカウンターの壁面を凝視してしまった。
「……おい、なんだよこれ」
「何って……まさの祭壇です」
所属しているチームのレプリカユニフォーム、イベントで企業とコラボをしたTシャツやその他多くのグッズやポスターが飾られた空間は正直異質である。
押し除けた顔を摩りながら、蓮司は俺の隣に立ち自慢気にそれらを見上げた。
「自慢のコレクションなんだけど、どう?マサ選手」
「……正直、複雑ではある」
「なんでだよぉ、ずっと応援してたのに……」
しょんぼり、項垂れる変わらない明るさの蓮司に思わず笑みがこぼれ落ちた。
しかし、彼も同じように俺を見てくれていたのだと実感すると、気恥ずかしさが込み上げてしまう。
それを誤魔化すように店内を見渡すと、シックで落ち着きのある内装だった。
街並みに合わせたような木目調の内装で、至る所に植物が置かれている。フェイクのようだが、温かみのある雰囲気だ。
席数は10席ほどで、大型サロンと言うより地域密着型の店舗なのだろう。
幅広い客層に愛されそうな温かみのある店内を、蓮司が作り上げたのだと思うと感慨深くなった。
「とりあえず、いったんシャンプーしよっか」
「ああ……頼むわ」
案内されるまま、俺はシャンプー台へぎこちなく向かう。
「連絡、返ってこないから嫌われたのかと思ってた」
顔に布を被せられ、心地よい温度で髪を濡らされる中蓮司はぽつりと呟いた。塞がった視界だからか、先程よりもうまく話せる気がした。
「……あんなこと言ったから、返すに返せなかったんだ」
「そっか……。でも、今日来てくれて本当に嬉しいよ」
凝り固まった頭を指圧されながら、良い香りがするシャンプーで手際よく頭を洗われる。あまりの気持ち良さに、少しウトウトしてしまう。
「まさ?聞いてる?」
「んぁ、あ……ごめん、ちょっとウトウトしてた」
「ふふ、ならいっか。身体起こすよ」
すっきりした頭を支えられながら、チェアーと共に身体が起こされるとこれまた良い香りがするタオルで髪を優しく包み込まれた。揉み込むように、濡れた髪を拭われるとまた瞼が重たくなってくる。
「髪、いじられると眠くなる?」
「いや、普段はないけどな。蓮司だからかもしれない」
「……はぁ、もう、本当にさぁ」
「なんだよ」
「なんでもない。こっちおいで」
腑に落ちないままカット台へエスコートされ、大きな鏡を前にするとなんともまぁ、無防備な俺の姿が映し出される。
クロスをかけた人間はどうしてこうも、少し情けなく見えるのだろうか。濡れた俺の髪に触れ、蓮司は鏡越しに目を合わせた。
「お客さん、本当は色々いじくりまわしたいんですけど今日はカットだけで良いですか」
「いや、カットだけで充分だよ」
少し癖がある俺の髪は、パーマをかけずともボリュームが出やすい。動きが出やすくて良いと、美容師からは言われてきたが正直良く分かっていない。
寝癖がつきにくく、清潔感があればこだわりがないので今日は蓮司に任せておこうと、肩の力を抜いた。
櫛で濡れた髪を梳かし、早速鋏を入れていく蓮司を鏡越しで見つめる。こうやって、何人もの客を施術して実力をつけてきたのだろう。
今ではトップスタイリストと呼ばれているのだから、本来なら予約も取りにくいはずだ。
離れていた期間で、各々成長できたことは喜ばしい。
「そんなに見られると、流石に恥ずかしいよまさ」
「あぁ……ごめん。本当に、すごい美容師になったんだなぁと思って」
「それはお互い様だろう?まさだって、凄いプロゲーマーなんだからさ」
「うーん、凄いかは分からないけどな」
「充分凄いだろ。ちょっと無理し過ぎちゃうのは改善してほしいけどね」
「……無理してるつもりはなかったんだけどな」
鋏が入るたびに、モサモサだった頭が軽くなっていく。軽快な鋏捌きは小気味良い。
「……うん、前髪は重た目だとやっぱり似合うね。横と後ろは軽めにして、刈り上げちゃうよ」
「良く分からんから任せる」
「お任せください。この先も専属スタイリストになるからね」
「それは助かる。次は予約して来るよ」
「まさ選手は練習と配信で忙しいので予約はいりませーん、俺が勝手に押しかけて切りに行きまーす」
「いや、それぐらい時間作れるよ」
「またまさが倒れたら心臓いくつあっても足りないんで却下します」
「ごめん、心配かけて。一応、生活習慣見直します……多分」
「まさは昔から熱中すると周りが見えなくなるからなぁ」
仕上がりを微調整し、一旦ドライヤーを手に取った蓮司は軽くなった髪を優しく乾かしていく。床に散らばった髪を見下ろすと、随分切った事が分かった。
乾いた髪を再度調整し、襟足をバリカンで丁寧に処理した蓮司は満足そうに笑みを深めた。
「うん、かっこよくなったよ」
鏡に映る俺は、来た時よりも随分洒落ていた。癖毛を活かすために、トップは重たさを残しつつサイドと後ろはさっぱり刈り上がっている。ツーブロックと言うのだろうか、スースーする襟足を撫でれば刈りたての髪がジョリと指先を刺激した。
「おー……すごいさっぱりした」
「でしょ?ワックスでトップを揉み込めば癖で動きが出るから、パーマっぽくなるよ」
「はぁーなるほど。気が向いたら買うよ」
「ま、俺がやるから買わなくても良いけどね」
言葉の真意が分からず返事ができない俺のクロスを回収した蓮司は、革張りのソファを指さして少し待ってと言い、手早く掃除をはじめた。
すっかり短くなった毛先をいじりながら、遠慮がちにソファへ腰を下ろす。
「まさ、この後まだ時間あるよね?」
「ああ、あるよ」
慣れない刈り上げを撫でていると、掃除を終えた蓮司が隣へ腰を下ろした。
絡み合う視線に耐えかね、逸らそうとするも蓮司がそれを許さない。両頬を包み込まれ、彼の変わらない端正な顔立ちが近付いてくる。
蓮司の瞳は甘く、熱を孕んでいた。
意を決して瞼を下ろせば唇に柔らかな感触が伝わった。
下唇を淡く喰まれ、何度か啄むような口付けを交わす。
久しぶりだというのに、彼とするキスの仕方は身に染み付いたままだった。
ちゅ、とリップ音を立てて離れていった熱を追うように瞼を持ち上げれば、心底幸せそうな蓮司の微笑みが視界に広がった。
「俺、変わらなかったよずっと。この七年、やっぱり俺はまさがずっと好きだった」
「……うん」
「今日は、まさの気持ちも聞いて良い?」
分かっていた。学生の頃から、蓮司の想いがどこまでも真っ直ぐだったことを。かつて家族仲を壊した怖さを言い訳にして、向き合うことすらしようとしなかった。
けれど、今はそうではない。
両頬を包み込む、蓮司の少しかさついた大きな手に触れて微かに震えた息を吐く。
自分の想いを伝える事が、こんなに緊張するなんて初めて知った。心臓が、煩わしいくらいに跳ね回る。
「ずっと怖かったんだ。蓮司との関係に名前がついたら、いつか壊れるんじゃないかって……」
「うん」
「偉そうに時間が解決するなんて言ったけど、結局ずっと学生時代に囚われたままだった」
本当は、蓮司が欲しくてたまらなかったんだ。
「こんなに、待たせてごめん。俺も、蓮司がずっと好きだ」
心の中にいた、学生時代の俺が笑った気がした。
蓮司は、卒業式の時みたいに顔をしわくちゃに歪めて、俺を強く抱きしめた。
「あーっ、もう、泣きそう」
「……ごめんな」
「謝らないで。まさが俺を受け入れてくれたことが、凄く嬉しいんだ」
空白の期間を埋めるように、かつて見た蓮司の掌で溶け合ったチョコレートみたく、俺たちは気が済むまで二人の世界で抱きしめ合った。
「まさ、ごめん。ちょっと、場所変えよう」
互いに高揚し、火照る身体のまま俺たちは店を後にした。
蓮司に手を引かれるまま、大人しく着いて歩くと店からほど近い一軒家へ到着した。
真新しい建物を見上げていると、彼は慣れた手つきで施錠を解除して俺を招き入れる。
玄関ドアが音を立てて閉まると、後はもうなし崩しだった。
貪るように唇へ吸い付き、舌を絡め合わせた。七年ぶりの深い口付けだけで、身体はかつての悦楽を思い出してその先を期待して疼き出す。
互いの衣服を脱がし合い、もつれるように玄関を後にした。
蓮司に導かれ、一階の一室へ辿り着くとそこは広々とした寝室のようだった。
成人男性二人が寝ても尚余裕があるベッドへ、二人で横になる。
燦々と入り込む眩い日差しに照らされる蓮司はまるで絵画のように美しかった。日差しを浴び、透ける金色の髪へそっと手を伸ばす。
欲を孕んだ情熱的な瞳で、彼は組み敷いた俺を見下ろして余裕のない笑みを溢した。
「まさ」
「ん?」
「久しぶりだから、歯止め効かないかも」
既に兆して張り詰めた熱を擦りつける蓮司を見上げ、眦が自然と下がる。
「いいよ。俺だって同じだ」
「……まさって、本当にそういう所がさぁっ」
「な、なんだよっ、変なこと言ったか……?」
「変じゃない。俺を喜ばせる天才ってこと」
蓮司は残った俺のティシャツへ手をかけた。
彼と最後に身体を重ねてから七年もの月日が流れ、だらしなくなっている身体を見られるのが恥ずかしくて咄嗟に手で隠してしまった。
「だめ、隠さないで。七年ぶりのまさをちゃんと見たい」
「いや、でも……腹回りとか、だらしないだろ?」
「どこが?高校の時より肉付き良くなって俺は安心してる」
蓮司は俺の手を絡め取り、顕になった上裸をうっそり見つめた。
羞恥で全身に熱が籠る。俺はその瞳の熱さに耐えきれず、顔を背けた。
「今日はずっと高校の時にやりたかったこと、全部するから」
覚悟して。一層低い声で、蓮司は俺の耳元で囁いた。
そのまま、唇を首筋へ滑らせ淡く吸い付かれると身体がピクリと跳ねた。
そうして余す所なく唇を落としていく蓮司は、期待してツンと立ち上がっている乳首へそっと指を這わせた。
「んあっ」
「可愛い。まさはここいじられるの大好きだったよね」
かつての俺を懐かしみながら、彼はカサついた指先で潰すように乳首へ刺激を与えた。
ビリビリと、微弱な電流みたいな甘い快楽が身体を襲う。
きゅう、と形が変わるほど摘んだり、乳頭を爪先で軽く掻かれると次第に下腹部に熱が溜まっていった。
更なる刺激を求めて、はしたなく腰が浮いてしまう。けれど、蓮司は既に兆した俺の膨らみに触れてはくれなかった。
「あっ、蓮司っもうっ乳首やだぁっ」
「やだ?でも、まさすっごい気持ち良さそうな顔してるよ」
「んっはぁっきもちっけどぉっ……」
「じゃあ、もうちょっと俺に付き合って」
れ、と舌を出した蓮司はそのままパクリと乳輪ごと俺の乳首を口内へ招き入れた。熱い蓮司の舌が、ねっとり乳頭を舐り緩急を付けて吸い付く。
芯を持ち、固くなったそこを甘く噛まれると、背が撓ってしまう。
「んあぁっもっう、俺っ早くっ蓮司のほしいっ」
「んっ、俺もまさのナカに入りたい」
ぢゅっ、と音を立て肌に色濃い跡を散らす蓮司も、余裕はなさそうだった。
唾液でてらつき、色が濃くなっているであろう乳首を名残惜しそうに彼は撫で上げると俺の下着に手を掛ける。
先走りで濡れ蒸れたそこは、下着をずり下ろされるとクーラーの冷気でヒヤリとした。
「すっごい、濡れてる」
「……しょうがないだろ、気持ちいいんだから」
「可愛いなぁ、もう。でも今日はここ触らないから」
つ、と濡れた竿を優しく撫で上げられた。絶頂には届かないもどかしさで、情けなくも喉が鳴ってしまう。
蓮司はベッド下からローションを取り出し、慣れた手付きで手の平でそれを温めはじめた。
その様が、余りにも手慣れていたので思わず視線を逸らしてしまう。我ながら、子どもじみていると思う。
「……慣れてるんだな」
「もしかして……ヤキモチ?」
「うるさいっ」
クスクスと蓮司は笑いながら、人肌になった粘液を丁寧に俺の蕾へ塗り込んでいく。
俺の不満を他所に、彼は嬉しそうだ。
「あのね、分かってると思うけど俺一途だよ?七年、誰も抱いてない」
「……どうだか」
「まさは此処に誰も入れてない?」
ぐちゅ、と音を立てて入り込んだ指の圧迫感に腰が震えた。馴染ませるように、肉壁を撫でる指先はどこまでも優しかった。
返事をする前に、蓮司は気が付いたのか眉間に深い皺を寄せる。
「え、何でもう柔らかいの?」
「んっ、あっ……」
「もしかして……」
「ちがっうっ……んあっ、今日、こうなるの期待して……」
此処に来る前に自分で解した。
淡い喘ぎ混じりに伝えると、蓮司は顔を真っ赤に染め上げて深い息を吐いた。
淫らな水音をたて、ナカを弄られるとかつての快楽が蘇り身体はあっという間に言う事を聞かなくなる。
蓮司はずる、とボクサーパンツをずり下ろしはち切れそうなくらい大きく育った肉杭を顕にした。
そして、指を抜かれ寂しく収縮する孔へ、火傷してしまいそうなほど熱い亀頭が擦り付けられる。
はく、と乱れた呼吸を気遣い、蓮司は優しく俺の汗ばんだ髪を撫でると、顕になった額へそっと唇を落としそのまま舌を絡ませ合った。
すっかり、彼の形を忘れた肉輪は目一杯広がりながらもゆっくりと熱を受け入れていく。
「……はっ、まさ、平気?」
「んっ、いいっ、れんじっ」
戯言のように、何度も蓮司の名を呼び求めた。
再び一つになれた喜びで、心体が満たされていく。
芯から貫かれるような快楽で、視界が明滅した。
限界が近付くと、互いに獣みたく腰を振り乱しながら最果てを求めた。
汗が肌を伝い落ち、熱い吐息が絡み合う。
「まさっ、まさっ、好きだっ、愛してるっ」
「はあっ、あっ!んっおれもっすきぃっ!」
どくり、と絶頂を迎え余韻に震えながら蓮司の身体にしがみつく。
久しぶりに感じる限界まで開いた足の痛みや、後孔のひりつきすら愛おしい。
濡れた身体をくっつけ合い、弾んだ呼吸を混ぜ合わせるように唇を重ねた。
明るい陽光に見守られる中、俺たちは空白を埋め合わせるようにシーツの海へ溺れていった。
――――――
「うん、凄い良い。かっこいい、可愛い」
着慣れないタイトなミディアムグレーのスーツは、普段着る事が殆ど無いため肩が凝って仕方がない。
洒落た柄が入った黒のネクタイに、黒い革靴でトータルコーディネートされた俺は所在なさげに視線を右往左往させる。
「可愛い、凄い似合ってる。やっぱり強めにパーマかけて良かった。本当に可愛い」
「分かった、充分分かったから」
「写真撮って良い?ああ、良い。スーツめっちゃ良い」
「好きにしてくれ……」
連写をしながら様々な角度で俺のスーツ姿を映す蓮司は、終始笑顔だ。
左手の薬指にあるプラチナリングが、照明の灯りを受けて眩く煌めく。
撮影をやめたと思えば、ネクタイがズレていたのか、蓮司はいそいそと俺の襟元を直しはじめた。
「ああ……こういう式慣れてないから試合より緊張する。というか、本当に俺で良いのかな」
「それ本気で言ってる?復帰後、正確に言うと俺とラブラブ交際をはじめて数年でタイトル何個獲ったか分かってる?自覚して?誰が何を言ってもまさは凄いプレイヤーです」
「わ、分かった……圧が凄い」
「なら良し。皆んなが選んでくれたんだから、胸張ってれば良いんだよ」
ちゅう、と蓮司は子どものおふざけみたいな淡いキスをして微笑んだ。緊張が解れ、俺も釣られて笑みがこぼれ落ちる。
蓮司と再会後、交際をはじめて二年が経過した。
彼と共に生活するようになり、生活習慣も健康的になった。
復帰後一年間は苦戦したが、蓮司の献身的な支えがあったからこそ、今年はありがたいことに初めて世界タイトルと国内タイトルを獲得することができた。
結果、今一番アツイ格闘ゲームプレイヤーとして、eスポーツプレイヤーを表彰する大きな舞台へ呼ばれる事となったのだ。ファンの投票と、審査員の最終選考によって選ばれたとの事だが、驚きを隠せないでいる。
幼い頃の自分と出会えるなら教えてあげたい。
今は沢山の人に支えられながら大好きな事をしているよ、と。
俺は、隣で笑う蓮司を見上げた。
「俺、蓮司の居場所になれた?」
蓮司は、それは幸せそうに微笑んだ。
「これまでも、これからも、まさは俺の居場所だよ」
漸く、自らの手で得た大切な彼を見つめる。
空白の時を経て、想い合えたのだ。
きっと、この先も俺たちは互いの居場所であり続ける。
揃いの指輪が煌めく左手を絡め合わせ、俺たちは吸い寄せられるように唇を重ね合わせたのだった。
そんな日々を送っていたある日、いつものように練習配信を行っていたのだが突然俺は気絶してしまった。
恐ろしいくらいの速度で連なるコメントと、血相を変えて飛び込んできたマネージャーが映り込んだ配信は大層ネットニュースを賑わせたものである。
結果、過労と診断された俺は休養を余儀なくされた。
そんな現状ではあるものの高校卒業と共にプロゲーム団体に所属してから早くも七年が経った。夢中でゲームと勝利に向き合ってきた。
学生時代に参加した大会でタイトルを獲ったあの日から、俺の人生は一般的でない。
それでも走り続けられるのは格闘ゲームへの愛と目標があるからだ。
それは、世界タイトルの獲得だ。
「国内は実現したんだけどなぁ……」
絶賛休養期間中の気の抜けた声が、学生時代を過ごしてきた一室で浸透していく。俺が独り立ちしてからも掃除が行き届いた部屋は、祖父母の愛情が感じられた。変わらない天井をぼんやり見上げ、畳に意味もなく寝転んでいると声が掛かる。
「まさ~!」
「んー」
よっこいしょ、とじじ臭い掛け声と共に身体を起こす。
居間で熱心にスマートフォンを弄る祖母は、やって来た俺を見てニコニコしている。俺が家を出た時よりも皺が深くなった優しい笑み。身体の芯から力が抜けていった。
「この子、蓮ちゃんでしょ?」
「あー……、本当だ。蓮司だね」
俺が買ったスマートフォンを操り、今ではSNSを嗜むようになった祖母は何だか得意げだ。画面に映されたショート動画を一緒に覗き込めば、すっかりカリスマ美容師として名を馳せるようになった掛け替えのない存在がそこに居た。
都会的な洒落たファッション、人当たりの良い明るい笑顔、綺麗に染め上げた金色の髪、誰もが羨む端正な顔立ちは学生時代よりも大人びている。
「最近よく流れてくるのよ。男女関係なく、みぃんな綺麗に変身するの」
「へぇ~そりゃすごい」
「まさも切って貰ったら良いのに。随分頭モサモサよ」
「まぁ、モサモサも悪くないよ」
「まさ、飯まで菓子でも食ってなさい」
テレビを見ていた祖父が笑って、俺の好きな菓子が詰まったカゴを指差した。
「モサモサでも何でも、好きにしたらいい」
「ふふ、うん。ありがとう、じいちゃん」
不器用な祖父に思わず頬が綻んでしまう。
「そういえば、蓮ちゃんとは会ってるの?」
「……たまに連絡は来るけど会ってはいないよ」
「そうなの。高校生の時は随分来てたから、動画で元気なとこ見られてばあちゃん嬉しかったよ。ねぇ、じいちゃん」
「そうだな」
「もう、すぐに蓮ちゃんのお店の住所調べてたくせに。じいちゃん、蓮ちゃんのことも気にかけてたのよ。また、機会があったら連れて来てよ」
ね、と祖母は愛らしく小首を傾げて見せる。俺は曖昧な返事をして、学生時代よく食べていたチョコ菓子へ手を伸ばした。
久しぶりに味わう甘さと、中に詰まったナッツの香ばしさがあの頃を自然と追想してしまう。
彩度の高い夏空の下で眩い笑顔を浮かべる蓮司が脳裏に浮かんだ。
彼との出会いが無ければ、今の俺は存在しなかった。
毎年夏が近付くと、蓮司との日々を思い出してしまう。
手のひらで転がるチョコレート菓子を見やると、彼と初めて会話をした日が鮮明に脳裏へ浮かんだ――。
******
窓際の席はカーテンを引いても熱気を貫通してくる。誰しも羨む一番後ろの窓際の席を得て気づいたことだった。
両親が希望していた高校を蹴り、俺は父方の祖父母の家から近い高校へ入学した。
実家の隣県だったから当然顔見知りも居ない。
別にこだわりは無かったが、髪色自由な校則に惹かれて入学を決める生徒は多く、ちらほら派手な頭髪を見かけるような高校だ。
そんな新天地で2学年に上がっても、積極的に友人を作る訳でもなく、部活に励むでもない俺はずいぶんクラスでも浮いた存在だった。
何せ、授業のほとんどを居眠りして過ごしていたものだから自覚はあった。祖父母の負担をなるべく軽減するためアルバイトに勤しんだ結果であった。後は格闘ゲームだ。
珍しく暑さのせいで居眠りせずに済んだ俺は、熱が籠る首筋を摩り、賑やかになった教室をぼんやり眺めた。そこで昼休みが訪れたのだと気付いて、少しだけ汗ばんだ尻を持ち上げると声が掛かる。
「尾谷君、一緒に飯食おう!」
屈託ない笑顔で、コンビニの袋をドンと机に乗せた隣席の彼は派手な金髪頭で整った顔をしており、目を白黒させていると勝手に机をくっつけ出しはじめた。
「お隣さんなのに、もしかして俺の名前知らない?」
「うん、知らない」
「あちゃー、それは悲しい!俺、篠宮蓮司!」
「……尾谷優樹です」
いつもなら、適当に購買で買ったおにぎりと菓子で腹を満たして動画鑑賞をするが、叶いそうに無い。
「俺、今日は絶対尾谷君と飯食うって決めてたんだ。だから、好きなの選んで食べて良いよ」
「……流石に金払うよ。いきなり奢られるの嫌だし」
「え、なんで?俺気にしないのに」
「俺が気にするからレシートあるなら貸して」
とは言え、せっかくの好意なのでありがたく机に広げられた品からおにぎりとサラダを頂戴する。レシートの代わりに、俺へ箸を差し出した蓮司は結局財布を漁る気配は無かった。
「お釣りいらないからとりあえず千円渡すわ」
「えー、本当にいらないのに。女の子ならみんな喜ぶのになぁ」
「借りを作るの嫌なんだ」
「……分かった。じゃあ受け取る」
渋々財布に金をしまった蓮司に息を吐き、サラダとおにぎりを前に手を合わせた。クーラーは掛かっているものの、開けっぱなしになったドアのせいで冷気が逃げてしまっている。
授業中よりも日差しの暑さが身に染みた。
カーテンの隙間から覗く空は晴天で、雲一つない。澄んだ眩しい青に、少しだけ目を細めておにぎりの包装に手を掛けた。
「尾谷君今日は授業起きてたね」
「……まぁ、暑くて寝るに寝られなかった」
「窓際暑そうだもんね。いつも寝てるけど、寝不足とか?」
「寝るのが遅い」
パリ、と乾いた海苔と米を咀嚼しながら蓮司を盗み見れば、頬杖をつき穏やかな笑みを浮かべていた。両耳にぶら下がるシルバーのピアスや、程よく着崩した制服も相まって洒落ている。この相貌なら女子も喜んで奢られるのだろうと、自然の摂理を垣間見てしまう。
「何して夜更かししてるの?」
「……ゲーム」
「そうなんだ!俺もゲーム好き!尾谷君どんなやつやるの?俺はFPS系とかやるんだ」
食べ終わったおにぎりの包装を端に寄せ、サラダに手を付け出すが蓮司が食事をする気配が無いので思わず苦笑する。幼い子どもが必死になって、自分の話を聞いてもらおうとする姿が自然と頭に浮かんだ。
「逃げたりしないから、篠宮君も食べなよ」
ポン酢ドレッシングをみずみずしい野菜に回しかけ、口へ運べば火照った身体に染み渡った。夢中で野菜を咀嚼する俺を見つめ続ける蓮司は、漸くサンドイッチへ手を伸ばして薄く笑う。
「ごめんね。尾谷君と喋れたのが嬉しくて」
「なんの面白味もないと思うけど」
「そんなことないよ!尾谷君、このクラスで一番のミステリアスボーイなんだから」
そんな呼称がついていたのか。教室を何となしに見渡せば、興味深そうにこちらを伺うクラスメイトの視線が痛いくらいに突き刺さった。そんな彼等にも伝えるよう口を開く。
「ゲームとバイト漬けなだけ。クラスで孤立してるのは人付き合いが得意じゃないから。ほら、これでミステリアスじゃないだろ?」
「うーん……まぁ、ややミステリアスくらいにはなったかな!」
「……さようですか」
空になったカップを前に手を合わせ、カバンを漁る。と言っても教材は机の中に詰めたままだから、漁るほどの荷物は無い。そこから買っておいたチョコレート菓子を取りだした。
「それ、好きなの?」
「うん、好き。エンゼル出たらなんか嬉しいし」
とは言え、この暑さの中カバンに入れっぱなしだったので、丸いチョコをつまめば指は無残にも汚れた。
おすそ分けをしようと思ったが、これは流石に無理だ。溶けても尚美味いそれを口に運んでいると、蓮司はクスクス笑いながら、サンドイッチを二つ完食した。
「俺にもちょーだい。溶けたの食べてみたい」
「……手、汚れてもいいならどうぞ」
広げられた蓮司の掌は大きく、すらりと伸びた指先まで綺麗な形をしていた。そこへ、三粒転がり出た丸いチョコは綺麗な掌を見事に汚していった。
「ははっ、まじでべっちょべちょに溶けてる」
「でも美味いよ」
溶けて身を寄せ合うチョコを煽るように食べた蓮司へしわが寄ったポケットティッシュを渡した。手のひらのチョコを拭いながら、蓮司は真剣な表情をする。
「待って、俺溶けてる方が好きかも」
「ふ、ははっ」
「え、どうしよう。次からレンジとかであっためれば良いのかな」
「わざわざあっためるのかよ」
ドロドロに溶けたチョコと残されたナッツを想像して、思わず笑ってしまえば蓮司も笑い出した。
溶けたチョコとナッツを噛み締めると、いつだってあの頃に逆戻りしてしまう。
どこにでも、誰にでもある夏はずっと俺の中で特別だ。それこそ、溶けたチョコがこべりついたみたいに今も、胸に残り続けている。
カーテンから透けた日差しを浴びた蓮司の無邪気な笑顔が、濃霧に包まれたようにぼやけて消えていった。
******
ふと、重たい瞼を持ち上げればローテーブルの足と居間の先にある廊下が視界に広がった。
どうやら菓子を摘んでいる間に眠ってしまったようだ。重ねた座布団がいつのまにか頭を支えており、俺はそれに額を擦り付けてから怠さが残る身体を起こした。
「あらぁ、起きた?」
「ん、ごめん。寝ちゃったみたい」
「お菓子食べながら赤ちゃんみたいに船漕いでたよ」
「あー……それは恥ずかしい」
「疲れてるんだろう。寝足りなかったら部屋でゆっくり寝なさい」
「ありがとうじいちゃん。と言うか今何時?」
「もう二十時よぉ。ご飯食べる?」
「めっちゃ寝たな。ご飯ありがとういただきます」
目一杯伸びをして、寝過ぎて重たい瞼を擦る。ポケットに入れていたスマートフォンへ手を伸ばし、メッセージを確認すればマネージャーや団体のチームメイト達からゆっくり休養するようにと労りの言葉が沢山連なっていた。
周囲に迷惑はかけたものの、こうして労りの連絡が来ることは嬉しかった。
自身の手で居場所を作り上げたのだと、胸が熱くなる。温かい言葉一つ一つに返事を返していれば、俺の大好物ばかりがテーブルに並んでいた。
「ああ、ごめんね手伝わなくて」
「良いのよこれぐらいばあちゃんにさせて」
「まさ、酒も冷蔵庫にあるぞ。飲むか?」
「じゃあ、久しぶりに飲もうかな」
「じいちゃんまさと晩酌したいから起きるの待ってたのよ。じいちゃんお刺身出しましょうか」
「適当にやるからよう子は風呂入っておいで。張り切って飯支度したから疲れただろう」
「あら、ありがとう。そしたらゆっくり入らせてもらおうかしら。まさ、ゆっくり食べなさいね」
「うん、二人ともありがとう」
祖母は終始ニコニコしたまま、居間を後にした。テーブルに並ぶ豪勢な食卓が張り切り具合を物語っている。祖父は刺身とビール缶を二つ手にして、ローテーブルにつくとプルタブに手を掛けた。
「暫くこっちに居られるのか?」
「一応一か月は休養予定してるけど、調子良さそうなら早めに戻るかも」
「一月いたら良いだろう。乾杯」
「乾杯」
祖母だったらグラスを用意するのだろうが、祖父は缶ビールを軽くぶつけて煽り飲んだ。俺も冷えた缶を手に、口を付ける。久しぶりのアルコールが身体に染み渡り、空きっ腹が熱くなった。
「うわぁ、うまぁっ」
「ははっ、そりゃ良い。ほら、たんと食べなさい」
「ありがとう」
子どもの頃から、祖母が作るかぼちゃの煮付けに目がない俺は早速箸を伸ばして口に運んだ。かぼちゃの甘さと、優しい醤油の香ばしさがなんとも堪らない。
「建人が結婚するんだと」
「へぇ、現役Jリーガーなら嫁さんさぞ綺麗なんだろうな」
「写真すら見てないから分からんが、まさに伝えといてくれって。わざわざ家に来たんだ」
ほれ、と差し出された結婚式の招待状に思い切り顔を顰めれば祖父はやっぱりと言ったような笑みを深めた。
「行かないと思うぞとは言ったんだがなぁ」
「じいちゃんとばあちゃんは行くの?」
「両家の親御さん来るならワシらは良いだろって、よう子とは話しとるんだ」
「じゃあ俺も遠慮しとく」
「なら不参加に丸しときなさい。じいちゃんが適当に渡しとく」
「うん、お願いします」
早速卓上にあったボールペンで不参加に丸をして、息を吐いた。顔を合わせなくて済んだ安堵と、複雑な思いが混ざったそれは深いものだった。
自分の中では折り合いをつけられたと思っていたが、いざ顔を合わせる可能性が出るとかつての生活が脳裏を過って気持ちは重たくなる。
怯え切った両親の悲痛な眼差しと、荒れ果てたリビングの光景を思い出してしまった。それを振り払うように残った酒を煽り飲む。
「血の繋がりはあっても、家族なんて他人なんだ。無理して会おうとしなくていい」
「じいちゃんもそうだった?」
「ああ。じいちゃんは家出てから一度だって親には会ってない。よう子の親御さんが随分可愛がってくれたし、よう子が居てくれたから必要もなかった」
「……そうだったんだ」
「そう。だから、今度はじいちゃんがまさの居場所作ってやる番だって思ったんだ」
祖父は照れくさいのか、空になったビール缶の水滴を指先でなぞっている。かつて祖父が似た境遇に居た事も驚きだったが、俺が助けを求めた日の決意は大きく俺の胸を打った。
小さい頃から、祖父は何かと俺を気にかけてくれていた。きっと、かつての自身と重ね合わせていたのかもしれない。それでも、その優しさと思い遣りは誰しもが持てるものではない
「ちゃんとまさが自分の手で掴み取ったものがあるから、今の居場所ができたんだ」
「……うん」
「応援してくれる人のためにも、ちゃんと休んでまた活躍すればいい。誰もまさを責めたりしないよ」
「うん、ありがとう……じいちゃん」
「もう一本飲むか?」
「飲む」
アルコールが入って饒舌になった祖父は、朗らかに笑って冷蔵庫へ向かった。
「良いお湯でしたよぉ。あら、何か大事なお話でもしてたの?」
そんな中、湯上がりでご機嫌な祖母がパジャマ姿で俺たちを見やった。
「あれだ健人の結婚の話とかな」
「ああ!じいちゃんから聞いた?お祝いとかはこっちで準備するから、まさは何も心配しないでいいからね」
「ありがとう。お金はちゃんと渡すから後のことは申し訳ないけどお願いするわ」
「じいちゃんとばぁちゃんに任せなさい!さぁ、ばぁちゃんもお風呂上がりの一杯お邪魔しようかな」
「よう子、ビールで良いか?」
「ありがとうね、いただきます」
変わらない二人の仲睦ましいやり取りに思わず頬が綻んでいく。
そんな二人を見ると、自分が最善を尽くせていたなら家族の形は保てていたのかもしれないと思う。
けれど、祖父が言っていたように無理をして形を保とうとしていたらきっと今の自分は存在していなかったのだ。
人生は取捨選択の連続だ。この先の選択を、誤ることはきっと起こりうる。けれど、後悔だけはしたくないと思えた。
祖父が決意したように、次は俺が誰かの居場所になることができるのだから。
「あれ、まさ携帯ぶーぶーしてるよ?」
「あ、電話だ。ごめん、ちょっと抜けるね」
幸せそうに、横並びで晩酌をはじめた二人を残して俺は居間を後にした。久しぶりのアルコールで火照った肌を冷ましたくて何となしに外へ出れば、幾分涼しい風が頬を撫でていく。
寝起きで酒を飲んだからか、ふわつく頭でディスプレイを確認した俺は目を見張った。
どくり、と心臓が大きく跳ね上がる。
蓮司からメッセージは確かにきていたが、いつも返事をすることはできないでいた。
その気まずさもあって、身体が緊張してしまう。それを解きほぐすように深く息を吐きだし、暫し逡巡してから恐る恐る通話開始へ震える指先を押し付けた。
そっと、スマートフォンを耳に当てれば懐かしい声が鼓膜を静かに揺さぶった。
「良かった、出てくれた……」
「……蓮司、だよな?」
「うん。そう、俺だよ」
高校生の時よりも落ち着いた声は、少しだけ低くなったようだった。
声を聞くのは実に七年ぶりだ。お互い、身を置く環境も大きく変わり年を重ねてきた。
煩わしいくらい早鐘を打つ心臓が、当時の想いを蘇らせる。せっかく涼みに来たのに、じとりと背中に汗が浮き出てきた。
「ごめん、いきなり電話して。しつこすぎるとは思ったんだけど、どうしても心配で……」
「……ちょっとスケジュール過密だったから、疲れが溜まってたぽい」
今は実家で療養してる、と微かに掠れた声で付け足せば電話の向こうで蓮司がまるで安堵したような深い溜息を吐いた。
彼は今、どんな表情を浮かべているのだろう。淡く顔を覗かせる期待を必死になって押し殺す。
「そっか……はぁ、良かった」
「死ぬほどやばい状態とかではないから。まぁ……心配かけてごめんな」
「電話するのも悩んだんだけど我慢できなくて……」
「……気にかけてくれてありがとな。今はじいちゃんとばあちゃんの世話になってるから大丈夫だよ」
「おじいちゃんとおばあちゃんは元気?」
「ああ、元気だよ。今日、たまたまSNSで蓮司が出てきてさ、二人とも気にかけてた。また、連れて来てよって言ってた」
「……あのさ」
「なに?」
じとりと、背中が汗で濡れる。じっとしたままでいるのが落ち着かず、当てもなく足を踏み出した。
近くに大きな中華街があり、駅周辺が栄えているので時折通行人が見受けられる。賑やかな地域だが、駅を離れれば閑静な住宅街が続く。
電灯に集まる小さな羽虫を何となしに見上げた。それはかつての蓮司と俺のようだった。
「約束、覚えてる?」
「……店を持ったら初めての客になってほしいってやつ、だろ?」
「うん、そう。それ」
忘れるはずもない。卒業式で交わした約束と、蓮司との別れの抱擁は昨日のことのように思い出せる。
あの日感じた彼の温もりや耳元で聞こえた鼻を啜る音も胸の痛みも全部、鮮明だ。
再び足を止め、溢れ出した記憶を押し込めたくて伸び切った髪を乱雑に掻く。
あの日の約束をまさか、彼が持ち出すとは思わなかった。時間が解決すると、信じて疑わなかったのに。
俺も、蓮司も変われなかった。できることなら、綺麗な思い出にしておきたかった――。
「……ねぇ、まさ。来てくれる?」
伸び切った襟足が、汗を吸って肌に張り付いた。首筋が熱を持ち、スマートフォンを持つ手が震えてしまう。
来た道を再び歩き出してみるが、言葉はうまく紡ぎ出せない。
「まさ?聞こえる?」
「……うん、聞こえてる」
「メッセージに住所送るから……来て欲しい」
ふぅ、と緊張で震えた息を吐き出す。
これが最大の取捨選択の時だろう。七年経った今、漸く俺は手を伸ばす決意を固めた。
「分かった、行く」
「え、本当に……?」
「何だよ、やっぱり行かない方が良いか?」
「それは絶対違う!」
力強い否定に、思わず笑い出す。
「今月いっぱいは暇してるから、蓮司の予定に合わせるよ」
「そっ、したら、明日、いや流石に急すぎるから……明後日とかどうかな?」
「別に明日でも良いよ」
「いや、待って。ちょっと、あの、心の準備が……」
「何だよ、それ」
「ああ、でもっまさが良いなら明日、でも良いかな……?え、本当に来てくれるの?」
「うん、行くけど」
「わっ!かった、えっと、じゃあ!詳しい時間とかはメッセージ送る!」
「分かった。変な髪にするなよ」
「絶対しない!しないから!じゃあ、明日!待ってる!」
ぶつ、と切れた通話に小さく笑って帰ってきた実家のガラス戸に手を掛ける。
日中より湿度が高くなったからかクーラーをつけた室内はとても心地が良い。熱った肌と、弾む心音がゆっくりと静まっていく。
「ただいま」
「あら、まさお帰り。お仕事の電話?」
「いや、蓮司から。体調大丈夫なのかって」
晩酌を終えたのか、祖母は少しだけ上気した頬を緩ませ、ソファで寛いでいた。祖父はどうやら風呂に入っているようだった。
テレビでは堅いスーツに身を包んだキャスターが、真剣な表情で日本の情勢を語っていた。
「まぁ、それはすごいタイミングだったねぇ。今日蓮ちゃんの話したばっかじゃない」
「そうだね……俺もびっくりしたわ」
久しぶりに蓮司と話をしたからか、緊張で喉が渇いて仕方がない。冷蔵庫へ向かい、麦茶のボトルへ手を伸ばした。
「蓮司、店持ったらしい」
「あらぁ!本当にぃ?それは凄いわぁ!」
「明日、店に来て欲しいって言われたからちょっと行ってくる。予定どうなるか分からないから、俺のご飯は用意しなくて大丈夫だよ」
「積もる話もあるだろうから、ゆっくりしておいで」
そしたらモサモサ今日で見納めだね、と祖母は少し名残惜しそうに笑った。
グラスに注いだ麦茶を一気に飲み干し、汗で湿り気を帯びた髪を何となく掻き回す。
「まぁ、坊主にはならないと思うよ」
「ははっ、それはそれで大変身だわぁ」
明日、七年ぶりに蓮司と会う。
学生時代で止めていた時間が動き出すのだ。
「まさ、風呂上がったぞ。入っておいで」
「ありがとう、入ってくるわ」
触れ合った熱く濡れた肌、鼻腔を満たす汗と精の匂い、耳を掠めた荒い吐息。そして、散らした後孔の痛みと快楽。埋められた熱杭で、湧き出た多幸感。
忘れられる訳がない。
「……どんな顔して会えば良いんだ」
俺は、ずっと蓮司に囚われている。
******
蓮司の好奇心から始まった俺たちの仲は想像以上に深まった。
溶けたチョコ菓子を笑いながらシェアしたあの日から、昼休みを共に過ごすようになり、気が付けば互いの家を行き来するほどの仲になっていった。
端正な顔立ちでありながら、人当たりが良い蓮司は所謂高カーストで、常に友人や女子生徒達に囲まれているような存在だった。これまでクラスで自ら孤立してきた俺とは対照的な立ち位置である。
傍に居る時間が増えると、これまでの交友関係を耳にすることも増えていった。
「篠宮って今まで女切らすこと無かったのに、今は全く彼女作らないよな」
「確かに。親が金持ってるからあいつ学校の近くで一人暮らししてるんだって」
「あぁ、だから彼女連れ込めるのか。やっぱ金持ちはいいよなぁ」
「将来親の会社にでも就職するんじゃねぇの?いいよな、何にも苦労しなくて済むじゃん」
これまでだったら気に掛けることもなかった噂話を聞き流し、昇降口で暇つぶしがてらスマートフォンに触れる。
イヤフォンで情報を遮断し、動画アプリを開いて格闘ゲームの対戦動画を再生した。
己の技量と向き合い、相手の技を読み、勝利のために取捨選択を重ね続けるこの世界は居心地が良かった。憧れているプロ選手の試合を食い入るように見ていると、ふと影が落ちる。
「ごめん、待った?」
片耳のイヤフォンを外せば、鼓膜を震わせていた実況解説の声が、遠くなった。
「そんなに待ってない」
名残惜しいが、最終ラウンドを見届ける前にスマートフォンをポケットへしまい込めば蓮司はすっかり見慣れた明るい笑みを浮かべた。
「今日は俺の家でゲームしよ」
「ん、いいよ」
俺より身長が10センチほど高い蓮司を僅かに見上げながら頷けば、彼は眦を下げる。
俺に無い明るさは、眩しくて仕方がなかったけれど彼と過ごす時間は楽しかったし不思議と心地が良かった。それは、蓮司も同じだったのか、友人たちと過ごしている姿は日に日に見ることがなくなっていった。
金曜日はどちらかの家に泊まり、気が済むまでゲームをして、なんてこと無い話をしていた。
頻繁に家へ上がり込む蓮司に対して祖父母も特段何か言うことは無く、ゆっくりしていけばいいと彼を孫のように受け入れてくれていた。
きっと、祖父は蓮司が俺の境遇に近しいと気づいていたからだろう。あまり踏み入れる話題でもないので、俺も家庭環境について問うことは無かった。
その日はいつものように、蓮司の家でゲームをしていた。レトロの部類に入る据え置き型のハードで、格闘ゲームとボードゲームを長時間遊んだ。
栄えた駅から徒歩五分圏内のマンションの一室が、蓮司の城だった。親が所有するマンションなのだと聞いて、本当に裕福な家庭は存在するのだと驚いたものである。
「あのさ」
「なに?もう五先するか?」
「ちーがう、ちょっと休憩しよ。俺、もう五戦もできない」
蓮司はぐったり、ソファへ横になってコントローラーをローテーブルへ置く。
洒落たガラスのローテーブルに指紋がつかないように気を付けながら、俺も名残惜しかったがコントローラーを置いた。
発売して十年は経過しているソフトだが、未だに大会が開かれるくらい愛されている格闘ゲームはやはりシステムが面白いなと、新たな気付きでほくほくしてしまう。
ケースから状態が良い説明書を取り出して、目を通していると蓮司は少しだけ言い淀んでから口火を切った。
「昇降口でさ、俺の話してるやつ居たでしょ?」
「あぁ……居たな」
「どう思った?」
「どう、とは?」
説明書から顔を上げ、寝転ぶ蓮司を見やれば彼は顔を隠すように額に腕を置いていた。
「……ヤリチン、とか親のすねかじり、とか思わなかった?」
「いや、別に思わなかった。事実かどうかも分からないし、事実でも特に何も思わない」
「……本当?」
「俺はお前のことゲーム好きな明るい奴くらいにしか思ってないよ」
おずおずと、蓮司は腕を退けて俺を見つめた。いつもの明るさは鳴りを潜め、捨てられた子犬のようだった。
「そうやって、ちゃんと俺を見てくれたのまさが初めてなんだ」
蓮司の言葉は、微かに震えていた。
「みんな、昔から俺の外面と親の肩書ばっかり見るんだ」
結局、関心があるのはステータスになりそうなことばっかりだった。蓮司は天井をぼんやり見つめる。
「それが寂しくて、でも一人は嫌だったから好意を持ってくれた子と付き合ったりしてた。でも、結局理想と違ったとかそんな理由で終わっちゃうんだ」
「……そうだったのか」
「……でも、まさはそんな俺と違ってずっと一人でいるから、寂しくないのかなって気になって声掛けたんだ」
「なるほど」
納得すると同時に、彼は未だに寂しさを抱えているのかと同情してしまう。
運良く、俺は祖父母に面倒を見てもらい愛情も貰っている。けれど、蓮司は違う。
個の人間として目を向けられない寂しさは結局、誰かから目を向けて貰わない限り埋められないのかもしれない。
それが、とても可哀想に思えて仕方が無かった。
「俺は、じいちゃんとばあちゃんが居るから別に学校で親交が無くても寂しくは無かったよ。どうせ社会に出たら付き合いも無くなるの目に見えてるし」
「まさは、強いね」
「強くはないよ。俺も、家から逃げ出したから」
「逃げる?」
これまで他人に話したことは無かったが、かつての生活を思い出しながら右膝をそっと撫でた。
「Jリーグに所属してる5つ歳の離れた兄が居るんだ。だから、別にやりたくもないサッカーを習わされてた」
はじめは兄と戯れ程度に庭先でボールを蹴り合うくらいだったが、気付けば習い事として俺の日常の大半を占めるようになった。
「お兄ちゃんならできた、お兄ちゃんみたいになりなさい、そんなんじゃ駄目だ、そればっかりだった」
どれだけ練習しても、試合で活躍しても結局兄と比較される。そうして、お兄ちゃんはもっとできたと言われて俺の事など褒めもしないのだ。
「中学でクラブチームに入っては居たけど、そこでも比較されて居場所なんか無かったんだ。兄貴はJリーガーなのに、お前はそこまでうまくないって散々言われ続けたよ」
「……どうして続けられたの?」
「親に認めてもらいたかったんだろうな。頑張ったね、とかその程度で良いから、少しだけでも俺を見て欲しかった」
結局、それが叶うことは無かったけれど。
「サッカーの強豪校へ行くことが決まってた矢先に、練習試合で相手選手と接触して右膝の靭帯故障したんだ。手術して、流石に親も心配してくれると思ったけどさ」
ガチガチに器具で固められた右膝、放課後に通うリハビリ、こんな痛い思いをしてまで好きでもない競技を続けるなんて土台無理な話だった。
そんな俺の気持ちなんて、両親は知る由も無かったのだろう。
「大丈夫、膝が良くなったらまたサッカーできるよって、お兄ちゃんみたいになれるからって言うんだよ。結局、二人が心配してたのは俺じゃない。兄貴みたいになれない事だったんだ」
当時を思い出してか、鈍く痛み出した膝を摩る。痛かったのは膝だけじゃない、親に認められない胸は張り裂けそうなくらい強く痛んだ。
「そう言われてさ、頭に血が上って手が付けられないくらい暴れたんだ。リビングで、目に付くもの全部壊して、薙ぎ倒して、めちゃくちゃになってたよ」
膨れ上がった風船に針が刺されて弾けるように、これまで堪えてきたものが溢れ出した。
喉が枯れるくらい叫び、生まれてこなければ良かったと号泣した。
術後は安静にしろと言われていたにも関わらず、止めに入った父を押し除け、泣き喚く母の声を無視して、俺は親子の関係諸共めちゃくちゃに破壊したのだ。
「今まで散々、俺のことなんて見てなかったのにさ、あの日だけは俺を見てた。物凄く、怯えた顔で俺を見てたんだ」
母の咽び泣く声が静かに響き渡る室内を呆然と見渡して、もう取り返しがつかない事を悟った。
ただ寂しかっただけだったのに、結局荒れ果てた室内でも俺は独りだった。
壊れた物は新たに買うことも直すことだってできるが、心や関係は違うのだ。
それ以来、家族とは顔を合わせていない。
「まぁ、それ以来家族とは顔合わせてないけどさ。今は好きな事できるし、じいちゃんとばあちゃんが居てくれるからとにかく寂しく無いよ」
「……俺は?」
「何が?」
「俺はその中に入ってない?」
「はは、まぁ、そうだな。今は蓮司も居る」
蓮司は、少しだけ満足そうに笑って体を起こすとソファに背を預けて座る俺の頭に手を置く。
そうして癖のある俺の髪を優しく、慈しむように撫でた。
「まさはずっと、俺のこと見ていてくれる?」
背後の蓮司を煽り見れば、その瞳は不安気に揺れていた。
友情、同情、愛情どれもしっくりこなかったけれど、俺は幼いながら彼を支えてやりたいと思ったのだ。
「……うん、ちゃんと見てるよ」
蓮司は、形の良い唇をぎゅっと噛み締めて縋りつくように俺を抱きしめた。俺よりも大きく、逞しい体をしているくせに今にも消えてしまいそうなくらい脆い心を労わる様にそっと背中を撫でさすった。
分け合う体温の心地良さを、俺は初めて知った。
いつか、俺以外にも蓮司を蓮司として見て接する人は現れる。その時が来るまで、彼の空洞を埋めてやれれば良いと思っていた。
傷の舐め合いと言えばそれまでだった。けれど、彼に必要とされた事が俺の胸を仄かに満たす。
若気の至り、性に貪欲な俺たちは磁石が重なり合うように身体を繋げる関係へとそのまま転がり落ちていった。
汗が浮き出た肌を合わせ、まるで恋人同士みたいに手を絡ませる。
身体を重ねるたびに俺は独占欲で膨れ上がっていった。
夜光に集まる、羽虫のように。彼に惹かれて、堪らなく辛くなる。
好きだ、と好意を告げた所で未来は無い。子も成せない、結婚もできない俺では彼の本当の居場所にはなれないのだから。
「はっ……まさっ、まさっ」
「んっ、あっ……あぁっ」
腹を満たす蓮司の熱杭が、水音と共に抽送されると稲妻のように悦楽が走る。はしたなく足を広げ、蓮司を受け入れる度に多幸感で満たされた。
醜い独占欲と、重たい感情を押し殺して身体を揺さぶられながら善がり声を上げる。そうして情けなく、後孔の刺激で絶頂を迎えるのだ。
身体を重ねることが当たり前になった頃、俺は蓮司の勧めで格闘ゲームの大会に出場することを決めた。
インターネット上で配信されるほどの規模だったため、服装に困っていると蓮司が大手を振るって協力した。
「なんか、デートみたいだな」
「……ただの買い物だろ」
蓮司は見た目に拘らない俺のために、服を選び、彼が通う美容室へと連れ出した。
煌びやかな世界は眩くて場違いに思えたが、蓮司は髪を整えて小綺麗になった俺を見つめ、とろりと溶けそうな甘い顔をして眦を下げるのだ。
些細な触れ合いや、表情に垣間見る甘さがいちいち俺を期待させた。それは、俺もそうだったのかもしれない。けれど、互いに想いを伝えることはしなかった。
一度壊れた関係が修復できないことを知っているからこそ、蓮司との関係を失うことが恐ろしかったのだ。
「まさ、やっぱり毛先遊ばせたほうが可愛いな」
「男に可愛いはないだろ」
「ごめんって。似合ってるってこと」
俺を着飾って楽し気にする姿は今も目に焼き付いている。きっと彼は、こういう業界で生きていくのではないだろうかと思えたからだ。
ワックスで遊ばせた俺の髪をいじり、笑みを深める蓮司に俺は胸を高鳴らせる。
想像以上に、彼は俺にとってなくてはならない存在へ変化していたのだ――。
桜が舞い落ちるのをぼんやり見上げ、あっという間に過ぎ去った高校生活を振り返るがその大半は蓮司との日々ばかりだった。
卒業証書を手にしたまま、静かな校舎を振り返る。今頃、卒業生達は思い思いの面子と別れを惜しんでいるだろう。
世話になった教師へ別れの挨拶をしに行った蓮司を昇降口で待ちながら、明日から始まる新たな生活を思い描く。
果たしてプロとして、どこまで登り詰められるだろうか。
未だ現実味を帯びない自身の立ち位置に、不安もあったが昂揚感もあった。
先の見えない世界で、どれだけ通用するかは結局自身の技量と向き合い方次第である。
「まさ!」
「蓮司」
駆けてきた蓮司は、息を弾ませながら俺の前に立った。
美容師になる、とやりたいことを見つけた蓮司が嬉々として俺に報告した笑顔が過ぎる。
彼は、この先沢山の人と出会う。その中で、きっと彼自身を見つめてくれる相応しい人物とも出会うだろう。
そうすれば、俺を抱くこともなくなる。
そして若気の至りだったと、この思い出を懐かしむのだ。
だからこそ、もう会ってはいけないのだと決めていた。これが、彼の隣に立つ最後の日だと――。
「帰るか」
「待って、まさっ!」
校門へ向かおうとすると、強く腕を引かれた。
神妙な面持ちに、俺は小首を傾げながら彼を見上げる。
春の匂いを含んだ、冷たい風が俺たちの髪を静かに靡かせた。
「まさ、今まで本当にありがとう。まさが居てくれたから、俺はやりたいことを見つけられた」
「俺は別に何もしてないよ」
「そんなことない。まさが居なかったら、俺はずっと変われないままだったんだ」
今にも泣き出しそうな蓮司に苦笑を漏らし、静かに端正な顔立ちを見つめる。腕から伝わる、彼の体温が愛しくて仕方がない。
けれど、彼の明るい未来を願うからこそ俺は側に居てはいけないのだ。
「まさ、俺っ、ずっとまさのことが好っ……」
「言うな」
咄嗟に空いた掌で、蓮司の口を塞いだ。
「蓮司、それ以上は言わないでくれ。頼む」
「……なんで?まさは、俺のこと嫌いだった?」
「違う。そうじゃないんだ」
蓮司は俺の手を取り、優しく握った。
「俺たち、根っこが似てたから、こんな関係になったんだ。時間が経てば、お互い良い思い出になる」
「そんな、俺の気持ちは思い違いだって言いたいの……?」
「……きっと時間が解決する。だから、言わないでくれ」
蓮司の歪んだ表情を見て、俺は彼に大きな傷をつけてしまったと悔いるがそうするしかなかった。
互いの未来のために、枷は存在しない方が良いに決まっている。
そう、言いくるめて俺はひどく傷む胸に知らないふりをした。
「……本当に時間が解決するの?」
「この先大きく環境が変われば、考えも、気持ちも変化するよ」
「じゃあ、俺がこの先、店を持ったら絶対にまさを一番最初のお客さんにする」
「……え?」
「その時、俺の気持ちが変わってなかったら、また今日と同じことを言うから!」
俺の腕を引いて、抱き締めた蓮司は鼻を啜って酷く頼りない声で呟いた。
「その時は、お願いだからちゃんと俺の気持ち聞いて欲しい」
彼から離れることが最善だと、そう決め付けていたが結局俺のエゴでしかない。
互いの関係に明確な名が付けば、その先にあるのは別れだ。それに怯えて、俺は逃げ出したのだ。
蓮司の肩越しから見上げた空が、涙で歪んでいく。
「ごめん。本当に、ごめん」
彼の気持ちから、自身の保身から逃げ出した俺の謝罪は晴れ渡る空の元、掠れて消えていった。
******
時間が解決する。
一丁前なことを言って彼への想いを断とうとしたくせに、結局想いが消えることは無かった。
本当はずっと彼へ連絡を返したかったし、彼が勤めていた店舗へ何度か足を運ぼうとしてしまった。
苦手なSNSを通して、ちゃんと彼の現在を知っていた。
情けなくも俺は、彼に言われた通り遠くからではあったがずっと活躍を見守っていたのだ。
メッセージで届いた住所は、都内でも自然と都市が調和した人気のエリアだった。落ち着いた雰囲気の街並みは、歩いていて心地が良い。
これからが夏の本番だと言うのに、外気は既に熱く湿度が肌にまとわりつく。首筋を伝う汗をハンドタオルで拭い、目的地を確認した。
一番まともに見えるであろう、Tシャツとジーンズ、スポーツサンダルというカジュアルな装いで照りつける日差しの元を歩く。
暫く歩くとそれらしき外観の店を見つけた。
新規開店故に、外装には薄いビニールが貼られており店内に明かりは勿論ついていなかった。
指定された時間の三十分前に到着してしまった為、人の気配も無い。一旦、近くのカフェで時間を潰そうかと踵を返すと真新しいドアが開かれた。
視線が重なり合うと、お互い目を見張ってしまった。挨拶を交わす間も無く、蓮司に手を取られ店内へ俺は引き摺り込まれる。
鼻腔を擽る爽やかな香水の香りと、微かに香るタバコの匂いに包み込まれた。
漸く自分が蓮司に抱き締められていることに気付き、一気に肌が熱くなった。
「ちょっ!汗めちゃくちゃかいてるから!」
「……あぁ~、七年ぶりのまさだ」
汗臭いだろう俺に構わず、蓮司は存在を確かめるように背を優しく撫で、首筋へ顔を埋める。
懐かしい体温に暫し逡巡したが、堪え切れずその背に腕を回した。
「本当に……来てくれると思わなかった」
「……約束、したからな」
それに、かつて封じてきた想いを今なら告げられる自信がついたのだ。
プロとして生活が成り立つまでになった今なら、彼の隣に立っても恥ずかしく無いと思えるようになれた。
肩口にそっと、額を押し付けて息を吐く。情け無いほど、力が抜けていくのを感じる。
自ら手放したと言うのに、どれだけ時間が経っても蓮司の側はどうしようもなく心地が良かった。
「まさ……」
甘い声に顔を上げれば、チョコ菓子のように溶けてしまいそうな瞳が俺を真っ直ぐ見つめていた。
そのまま、鼻先が触れ合うほど距離が縮まる。
シミも毛穴も見当たらない肌は、近づき過ぎてぼやける視界でも綺麗だった。
だが、そんな甘い空気の中、見慣れたユニフォームが視界に入った俺は蓮司の顔を押し除け、レジカウンターの壁面を凝視してしまった。
「……おい、なんだよこれ」
「何って……まさの祭壇です」
所属しているチームのレプリカユニフォーム、イベントで企業とコラボをしたTシャツやその他多くのグッズやポスターが飾られた空間は正直異質である。
押し除けた顔を摩りながら、蓮司は俺の隣に立ち自慢気にそれらを見上げた。
「自慢のコレクションなんだけど、どう?マサ選手」
「……正直、複雑ではある」
「なんでだよぉ、ずっと応援してたのに……」
しょんぼり、項垂れる変わらない明るさの蓮司に思わず笑みがこぼれ落ちた。
しかし、彼も同じように俺を見てくれていたのだと実感すると、気恥ずかしさが込み上げてしまう。
それを誤魔化すように店内を見渡すと、シックで落ち着きのある内装だった。
街並みに合わせたような木目調の内装で、至る所に植物が置かれている。フェイクのようだが、温かみのある雰囲気だ。
席数は10席ほどで、大型サロンと言うより地域密着型の店舗なのだろう。
幅広い客層に愛されそうな温かみのある店内を、蓮司が作り上げたのだと思うと感慨深くなった。
「とりあえず、いったんシャンプーしよっか」
「ああ……頼むわ」
案内されるまま、俺はシャンプー台へぎこちなく向かう。
「連絡、返ってこないから嫌われたのかと思ってた」
顔に布を被せられ、心地よい温度で髪を濡らされる中蓮司はぽつりと呟いた。塞がった視界だからか、先程よりもうまく話せる気がした。
「……あんなこと言ったから、返すに返せなかったんだ」
「そっか……。でも、今日来てくれて本当に嬉しいよ」
凝り固まった頭を指圧されながら、良い香りがするシャンプーで手際よく頭を洗われる。あまりの気持ち良さに、少しウトウトしてしまう。
「まさ?聞いてる?」
「んぁ、あ……ごめん、ちょっとウトウトしてた」
「ふふ、ならいっか。身体起こすよ」
すっきりした頭を支えられながら、チェアーと共に身体が起こされるとこれまた良い香りがするタオルで髪を優しく包み込まれた。揉み込むように、濡れた髪を拭われるとまた瞼が重たくなってくる。
「髪、いじられると眠くなる?」
「いや、普段はないけどな。蓮司だからかもしれない」
「……はぁ、もう、本当にさぁ」
「なんだよ」
「なんでもない。こっちおいで」
腑に落ちないままカット台へエスコートされ、大きな鏡を前にするとなんともまぁ、無防備な俺の姿が映し出される。
クロスをかけた人間はどうしてこうも、少し情けなく見えるのだろうか。濡れた俺の髪に触れ、蓮司は鏡越しに目を合わせた。
「お客さん、本当は色々いじくりまわしたいんですけど今日はカットだけで良いですか」
「いや、カットだけで充分だよ」
少し癖がある俺の髪は、パーマをかけずともボリュームが出やすい。動きが出やすくて良いと、美容師からは言われてきたが正直良く分かっていない。
寝癖がつきにくく、清潔感があればこだわりがないので今日は蓮司に任せておこうと、肩の力を抜いた。
櫛で濡れた髪を梳かし、早速鋏を入れていく蓮司を鏡越しで見つめる。こうやって、何人もの客を施術して実力をつけてきたのだろう。
今ではトップスタイリストと呼ばれているのだから、本来なら予約も取りにくいはずだ。
離れていた期間で、各々成長できたことは喜ばしい。
「そんなに見られると、流石に恥ずかしいよまさ」
「あぁ……ごめん。本当に、すごい美容師になったんだなぁと思って」
「それはお互い様だろう?まさだって、凄いプロゲーマーなんだからさ」
「うーん、凄いかは分からないけどな」
「充分凄いだろ。ちょっと無理し過ぎちゃうのは改善してほしいけどね」
「……無理してるつもりはなかったんだけどな」
鋏が入るたびに、モサモサだった頭が軽くなっていく。軽快な鋏捌きは小気味良い。
「……うん、前髪は重た目だとやっぱり似合うね。横と後ろは軽めにして、刈り上げちゃうよ」
「良く分からんから任せる」
「お任せください。この先も専属スタイリストになるからね」
「それは助かる。次は予約して来るよ」
「まさ選手は練習と配信で忙しいので予約はいりませーん、俺が勝手に押しかけて切りに行きまーす」
「いや、それぐらい時間作れるよ」
「またまさが倒れたら心臓いくつあっても足りないんで却下します」
「ごめん、心配かけて。一応、生活習慣見直します……多分」
「まさは昔から熱中すると周りが見えなくなるからなぁ」
仕上がりを微調整し、一旦ドライヤーを手に取った蓮司は軽くなった髪を優しく乾かしていく。床に散らばった髪を見下ろすと、随分切った事が分かった。
乾いた髪を再度調整し、襟足をバリカンで丁寧に処理した蓮司は満足そうに笑みを深めた。
「うん、かっこよくなったよ」
鏡に映る俺は、来た時よりも随分洒落ていた。癖毛を活かすために、トップは重たさを残しつつサイドと後ろはさっぱり刈り上がっている。ツーブロックと言うのだろうか、スースーする襟足を撫でれば刈りたての髪がジョリと指先を刺激した。
「おー……すごいさっぱりした」
「でしょ?ワックスでトップを揉み込めば癖で動きが出るから、パーマっぽくなるよ」
「はぁーなるほど。気が向いたら買うよ」
「ま、俺がやるから買わなくても良いけどね」
言葉の真意が分からず返事ができない俺のクロスを回収した蓮司は、革張りのソファを指さして少し待ってと言い、手早く掃除をはじめた。
すっかり短くなった毛先をいじりながら、遠慮がちにソファへ腰を下ろす。
「まさ、この後まだ時間あるよね?」
「ああ、あるよ」
慣れない刈り上げを撫でていると、掃除を終えた蓮司が隣へ腰を下ろした。
絡み合う視線に耐えかね、逸らそうとするも蓮司がそれを許さない。両頬を包み込まれ、彼の変わらない端正な顔立ちが近付いてくる。
蓮司の瞳は甘く、熱を孕んでいた。
意を決して瞼を下ろせば唇に柔らかな感触が伝わった。
下唇を淡く喰まれ、何度か啄むような口付けを交わす。
久しぶりだというのに、彼とするキスの仕方は身に染み付いたままだった。
ちゅ、とリップ音を立てて離れていった熱を追うように瞼を持ち上げれば、心底幸せそうな蓮司の微笑みが視界に広がった。
「俺、変わらなかったよずっと。この七年、やっぱり俺はまさがずっと好きだった」
「……うん」
「今日は、まさの気持ちも聞いて良い?」
分かっていた。学生の頃から、蓮司の想いがどこまでも真っ直ぐだったことを。かつて家族仲を壊した怖さを言い訳にして、向き合うことすらしようとしなかった。
けれど、今はそうではない。
両頬を包み込む、蓮司の少しかさついた大きな手に触れて微かに震えた息を吐く。
自分の想いを伝える事が、こんなに緊張するなんて初めて知った。心臓が、煩わしいくらいに跳ね回る。
「ずっと怖かったんだ。蓮司との関係に名前がついたら、いつか壊れるんじゃないかって……」
「うん」
「偉そうに時間が解決するなんて言ったけど、結局ずっと学生時代に囚われたままだった」
本当は、蓮司が欲しくてたまらなかったんだ。
「こんなに、待たせてごめん。俺も、蓮司がずっと好きだ」
心の中にいた、学生時代の俺が笑った気がした。
蓮司は、卒業式の時みたいに顔をしわくちゃに歪めて、俺を強く抱きしめた。
「あーっ、もう、泣きそう」
「……ごめんな」
「謝らないで。まさが俺を受け入れてくれたことが、凄く嬉しいんだ」
空白の期間を埋めるように、かつて見た蓮司の掌で溶け合ったチョコレートみたく、俺たちは気が済むまで二人の世界で抱きしめ合った。
「まさ、ごめん。ちょっと、場所変えよう」
互いに高揚し、火照る身体のまま俺たちは店を後にした。
蓮司に手を引かれるまま、大人しく着いて歩くと店からほど近い一軒家へ到着した。
真新しい建物を見上げていると、彼は慣れた手つきで施錠を解除して俺を招き入れる。
玄関ドアが音を立てて閉まると、後はもうなし崩しだった。
貪るように唇へ吸い付き、舌を絡め合わせた。七年ぶりの深い口付けだけで、身体はかつての悦楽を思い出してその先を期待して疼き出す。
互いの衣服を脱がし合い、もつれるように玄関を後にした。
蓮司に導かれ、一階の一室へ辿り着くとそこは広々とした寝室のようだった。
成人男性二人が寝ても尚余裕があるベッドへ、二人で横になる。
燦々と入り込む眩い日差しに照らされる蓮司はまるで絵画のように美しかった。日差しを浴び、透ける金色の髪へそっと手を伸ばす。
欲を孕んだ情熱的な瞳で、彼は組み敷いた俺を見下ろして余裕のない笑みを溢した。
「まさ」
「ん?」
「久しぶりだから、歯止め効かないかも」
既に兆して張り詰めた熱を擦りつける蓮司を見上げ、眦が自然と下がる。
「いいよ。俺だって同じだ」
「……まさって、本当にそういう所がさぁっ」
「な、なんだよっ、変なこと言ったか……?」
「変じゃない。俺を喜ばせる天才ってこと」
蓮司は残った俺のティシャツへ手をかけた。
彼と最後に身体を重ねてから七年もの月日が流れ、だらしなくなっている身体を見られるのが恥ずかしくて咄嗟に手で隠してしまった。
「だめ、隠さないで。七年ぶりのまさをちゃんと見たい」
「いや、でも……腹回りとか、だらしないだろ?」
「どこが?高校の時より肉付き良くなって俺は安心してる」
蓮司は俺の手を絡め取り、顕になった上裸をうっそり見つめた。
羞恥で全身に熱が籠る。俺はその瞳の熱さに耐えきれず、顔を背けた。
「今日はずっと高校の時にやりたかったこと、全部するから」
覚悟して。一層低い声で、蓮司は俺の耳元で囁いた。
そのまま、唇を首筋へ滑らせ淡く吸い付かれると身体がピクリと跳ねた。
そうして余す所なく唇を落としていく蓮司は、期待してツンと立ち上がっている乳首へそっと指を這わせた。
「んあっ」
「可愛い。まさはここいじられるの大好きだったよね」
かつての俺を懐かしみながら、彼はカサついた指先で潰すように乳首へ刺激を与えた。
ビリビリと、微弱な電流みたいな甘い快楽が身体を襲う。
きゅう、と形が変わるほど摘んだり、乳頭を爪先で軽く掻かれると次第に下腹部に熱が溜まっていった。
更なる刺激を求めて、はしたなく腰が浮いてしまう。けれど、蓮司は既に兆した俺の膨らみに触れてはくれなかった。
「あっ、蓮司っもうっ乳首やだぁっ」
「やだ?でも、まさすっごい気持ち良さそうな顔してるよ」
「んっはぁっきもちっけどぉっ……」
「じゃあ、もうちょっと俺に付き合って」
れ、と舌を出した蓮司はそのままパクリと乳輪ごと俺の乳首を口内へ招き入れた。熱い蓮司の舌が、ねっとり乳頭を舐り緩急を付けて吸い付く。
芯を持ち、固くなったそこを甘く噛まれると、背が撓ってしまう。
「んあぁっもっう、俺っ早くっ蓮司のほしいっ」
「んっ、俺もまさのナカに入りたい」
ぢゅっ、と音を立て肌に色濃い跡を散らす蓮司も、余裕はなさそうだった。
唾液でてらつき、色が濃くなっているであろう乳首を名残惜しそうに彼は撫で上げると俺の下着に手を掛ける。
先走りで濡れ蒸れたそこは、下着をずり下ろされるとクーラーの冷気でヒヤリとした。
「すっごい、濡れてる」
「……しょうがないだろ、気持ちいいんだから」
「可愛いなぁ、もう。でも今日はここ触らないから」
つ、と濡れた竿を優しく撫で上げられた。絶頂には届かないもどかしさで、情けなくも喉が鳴ってしまう。
蓮司はベッド下からローションを取り出し、慣れた手付きで手の平でそれを温めはじめた。
その様が、余りにも手慣れていたので思わず視線を逸らしてしまう。我ながら、子どもじみていると思う。
「……慣れてるんだな」
「もしかして……ヤキモチ?」
「うるさいっ」
クスクスと蓮司は笑いながら、人肌になった粘液を丁寧に俺の蕾へ塗り込んでいく。
俺の不満を他所に、彼は嬉しそうだ。
「あのね、分かってると思うけど俺一途だよ?七年、誰も抱いてない」
「……どうだか」
「まさは此処に誰も入れてない?」
ぐちゅ、と音を立てて入り込んだ指の圧迫感に腰が震えた。馴染ませるように、肉壁を撫でる指先はどこまでも優しかった。
返事をする前に、蓮司は気が付いたのか眉間に深い皺を寄せる。
「え、何でもう柔らかいの?」
「んっ、あっ……」
「もしかして……」
「ちがっうっ……んあっ、今日、こうなるの期待して……」
此処に来る前に自分で解した。
淡い喘ぎ混じりに伝えると、蓮司は顔を真っ赤に染め上げて深い息を吐いた。
淫らな水音をたて、ナカを弄られるとかつての快楽が蘇り身体はあっという間に言う事を聞かなくなる。
蓮司はずる、とボクサーパンツをずり下ろしはち切れそうなくらい大きく育った肉杭を顕にした。
そして、指を抜かれ寂しく収縮する孔へ、火傷してしまいそうなほど熱い亀頭が擦り付けられる。
はく、と乱れた呼吸を気遣い、蓮司は優しく俺の汗ばんだ髪を撫でると、顕になった額へそっと唇を落としそのまま舌を絡ませ合った。
すっかり、彼の形を忘れた肉輪は目一杯広がりながらもゆっくりと熱を受け入れていく。
「……はっ、まさ、平気?」
「んっ、いいっ、れんじっ」
戯言のように、何度も蓮司の名を呼び求めた。
再び一つになれた喜びで、心体が満たされていく。
芯から貫かれるような快楽で、視界が明滅した。
限界が近付くと、互いに獣みたく腰を振り乱しながら最果てを求めた。
汗が肌を伝い落ち、熱い吐息が絡み合う。
「まさっ、まさっ、好きだっ、愛してるっ」
「はあっ、あっ!んっおれもっすきぃっ!」
どくり、と絶頂を迎え余韻に震えながら蓮司の身体にしがみつく。
久しぶりに感じる限界まで開いた足の痛みや、後孔のひりつきすら愛おしい。
濡れた身体をくっつけ合い、弾んだ呼吸を混ぜ合わせるように唇を重ねた。
明るい陽光に見守られる中、俺たちは空白を埋め合わせるようにシーツの海へ溺れていった。
――――――
「うん、凄い良い。かっこいい、可愛い」
着慣れないタイトなミディアムグレーのスーツは、普段着る事が殆ど無いため肩が凝って仕方がない。
洒落た柄が入った黒のネクタイに、黒い革靴でトータルコーディネートされた俺は所在なさげに視線を右往左往させる。
「可愛い、凄い似合ってる。やっぱり強めにパーマかけて良かった。本当に可愛い」
「分かった、充分分かったから」
「写真撮って良い?ああ、良い。スーツめっちゃ良い」
「好きにしてくれ……」
連写をしながら様々な角度で俺のスーツ姿を映す蓮司は、終始笑顔だ。
左手の薬指にあるプラチナリングが、照明の灯りを受けて眩く煌めく。
撮影をやめたと思えば、ネクタイがズレていたのか、蓮司はいそいそと俺の襟元を直しはじめた。
「ああ……こういう式慣れてないから試合より緊張する。というか、本当に俺で良いのかな」
「それ本気で言ってる?復帰後、正確に言うと俺とラブラブ交際をはじめて数年でタイトル何個獲ったか分かってる?自覚して?誰が何を言ってもまさは凄いプレイヤーです」
「わ、分かった……圧が凄い」
「なら良し。皆んなが選んでくれたんだから、胸張ってれば良いんだよ」
ちゅう、と蓮司は子どものおふざけみたいな淡いキスをして微笑んだ。緊張が解れ、俺も釣られて笑みがこぼれ落ちる。
蓮司と再会後、交際をはじめて二年が経過した。
彼と共に生活するようになり、生活習慣も健康的になった。
復帰後一年間は苦戦したが、蓮司の献身的な支えがあったからこそ、今年はありがたいことに初めて世界タイトルと国内タイトルを獲得することができた。
結果、今一番アツイ格闘ゲームプレイヤーとして、eスポーツプレイヤーを表彰する大きな舞台へ呼ばれる事となったのだ。ファンの投票と、審査員の最終選考によって選ばれたとの事だが、驚きを隠せないでいる。
幼い頃の自分と出会えるなら教えてあげたい。
今は沢山の人に支えられながら大好きな事をしているよ、と。
俺は、隣で笑う蓮司を見上げた。
「俺、蓮司の居場所になれた?」
蓮司は、それは幸せそうに微笑んだ。
「これまでも、これからも、まさは俺の居場所だよ」
漸く、自らの手で得た大切な彼を見つめる。
空白の時を経て、想い合えたのだ。
きっと、この先も俺たちは互いの居場所であり続ける。
揃いの指輪が煌めく左手を絡め合わせ、俺たちは吸い寄せられるように唇を重ね合わせたのだった。
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