レディバグの改変<L>

乱 江梨

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第一章 悪魔討伐編

13、悪魔の愛し子の親1

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 太陽が消え、地上を照らすものは月と星々だけになった頃。その覚束ない道を歩くアデルの髪は黒に戻っていた。ジルによって色素を操っていたその髪を、再び操ることで元の色に戻したのである。


「師匠。何故あの時、自分のことを人間であると嘘をついたのだ?」


 エルは亜人であるが無性という特徴故、それを容姿で判断することが出来ない。エルのことをよく知らない人間が見れば、例外なくエルを人間だと判断してしまう。

 だからエルがそんな嘘をついてしまえば、人間たちは疑う余地もなく信じてしまうだろう。


「そっちの方が都合が良かったからさ。あの馬鹿共と同じ人間だって思わせた方が、精神的に来るだろ?」
「……では何故、師匠が悪者に見えるような振る舞いをしたのだ?」
「……」


 思わず立ち止まって尋ねたアデルに、エルは上手く答えを返すことが出来ない。出来るのは、アデルに合わせてその歩みを止めるぐらいである。夜の狭まれた視界では俯くアデルの表情を窺う術はなく、それでも彼が顔を顰めていることがエルには分かってしまった。


「師匠だって、我と同じように……いや、我以上に災害級魔獣を倒して領民たちを救ったのだ。なのに何故……」


 アデルは納得がいなかったのだ。あの場を、エルを悪者にすることで収めてしまったという事実が。自身の不甲斐無さが、許せなかったのだ。


「あれで丸く収まったんだからいいじゃないか。何がそんなに不満なんだい?」
「不満に決まっているであろう!」
「……」


 大声を張り上げて怒りを露わにしたアデルに、エルは思わず当惑しその目を見開いた。


「師匠は何も分かっていないのだ……師匠を悪者にして事を収めて、我が本当に喜ぶと思ったのであるか?……馬鹿にするでない。我は、誰よりも師匠のことが大事なのだぞ。それをちゃんと、分かっているのであるか?」
「……子供の癖して、妙なことを気にするね。君は」
「シューナも言っていたであろう?子供だからって、馬鹿にするでないと」


 批難しているようでいて、それは深すぎる程のアデルの愛情だった。そんなアデルのありのままの感情をぶつけられたエルは、困ったようにはにかんだ。

 まさかアデルを救ったつもりが、本人に叱られることになるとは思っていなかったエルだが、それでもこんな風に怒ってくれる存在の尊さを、エルはよく理解していた。


「そうだね。今度からは気を付けるとするよ。……ところで、君は大丈夫なのかい?傷ついていないのかい?」
「師匠への怒りでそんなものどこかに行ってしまったのだ」
「そりゃ残念。君を慰められると思っていたのに」


 揶揄うような口調で尋ねたエルだったが、バッサリと断言したアデルを前にほんの少し落胆してしまう。

 そんな軽口をたたきあいながら、アデルたちは家への帰路に就くのだった。

 ********

 それから、二年の年月が過ぎた。アデルは十歳になり、背も伸び盛り中である。そのせいでエルが若干の危機感を覚えているのだが、アデルがそんなエルの揺れる心情を知ることは無い。

 二年という、長い様でいて短い時間の中でアデルが行ったことと言えば――。


「はぁっ!」
「そう。剣にジルの力を込めて威力を増す。そして身体強化術との合わせ技でスピードを上げるんだ」


 修行。ひたすらに修行。来る日も来る日も、ただひたすらに修行。この一点に尽きてしまった。

 それ以外にすることが無かったから。一刻も早く強くなりたかったから。互いに研鑽を積むのが好きだったから。
 理由を上げればいくつかあるが、とにかくアデルは修行以外に何もしていないんじゃないかと思えるほど、修行にその時間を費やしていた。


「師匠。前に言っていた精霊術というのは教えてくれないのであるか?」


 心地の良い春の風に吹かれながら森の木にぶら下がっていたアデルは、木陰でくつろぐエルに尋ねた。この二年で様々な知識を得たアデルは、精霊のことも知識として既に理解していた。
 だが精霊の力を借りる、精霊術については未だ修行でも教えてもらえていなかったのだ。


「教えないよ」
「何故であるか?」
「教えても意味無いもん」
「意味が無い、とは?」
「精霊術は人間しか普通使わない。亜人や君みたいな存在にとって、精霊術ほど無意味な術は無いんだよ」


 アデルは最初こそエルの言っている意味を理解できずにいたが、しばらく自分で考え込むと一つの結論に至ったようで、ポンと手を叩いた。


「……なるほど。精霊術とは、自身でジルを生み出すことが出来ない操志者が精霊と契約し、精霊によって生み出されるジルを使う術なのだな」
「そゆこと。理解が早くて師匠助かっちゃうよ」


 人間の操志者は、世界に散らばっているジルを使うことでしかその力を発揮することが出来ない。人間は自らの意思でジルを生み出すことが出来ないからだ。もちろん生きるために必要なジルは体内に存在しているが、人間がそれに手をつけてしまえば死に至る可能性だってある。

 だが、空気中のジルを集めるのは時間がかかる上、術の威力も期待があまりできない。人間の操志者であれば誰もがぶつかる壁の様なものだが、それを乗り越えるための手段として用いられるのが、精霊術というわけだ。

 そんな雑談をしていたアデルはぶら下がっていた木から下りると、今まで感じたことの無い人の気配を察知した。


「……師匠」
「あぁ。誰かこっちに向かってるね」


 エルもその気配には気づいていたようで、二人揃って周囲を警戒し始める。普段この森に人はほとんど訪れず、訪れたとしてもそれは狩りをしに来た人間ぐらいのものだった。

 だが今回の人間の気配は、そういった者たちとはまるで違っていた。まずその気配が単独ではなく、複数人であることにアデルたちは危機感を抱いた。そして明らかにこちらに向かっていることから、アデルたちに用があるのは容易に想像が出来た。


「っ……!」
「……だれ」


 姿を現した気配の正体を目の当たりにしたアデルは驚きのあまり目を見開き、身体を硬直させてしまう。一方のエルは大勢の護衛を連れてやって来たその人物の正体を知らず、小声でアデルに尋ねた。

 アデルにとってその人物は、顔を見るだけで過去の辛い日々を思い出せる程、痛みという形で彼の記憶に刻みつけられていた存在であった。その為、二年ぶりの再会によって、アデルの頭の中に過去の映像がフラッシュバックしていった。

 それでもアデルは取り乱すことは無かった。それはきっと、隣に信頼できる師匠がいてくれたからこそであろう。


「……伯爵である」
「……へぇ。じゃあ、この小僧がルークス・クルシュルージュってわけかい」
「貴様。この私に向かって小僧とぬかしたのか?」


 アデルたちが察知した気配の正体は、伯爵――ルークス・クルシュルージュその人であった。アデルが神妙な面持ちで答えると、エルは大して驚くことも無くそう呟いた。

 一方、自身を伯爵であると理解していながら彼を小僧呼ばわりしたエルに、ルークスは射殺さんばかりの視線を向けた。


「は?君は耳が耄碌しているのかい?どっからどう聞いてもそうだろうが。言っとくけど、君より僕の方が年上なんだ。小僧呼ばわりして何が悪い」
「なに?……なるほど、無性の亜人か」


 貴族相手でもいつもの毒舌を緩める様子の無いエルに、アデルは内心愉快になってしまう気持ちを堪えるのに必死になっていた。

 エルは現在六四歳。一方のルークスは四十代後半といったところなので、エルの主張は間違ってはいなかった。だが、それをすぐに理解できるわけも無かったので、ルークスは少し時間をかけてエルが亜人であることを知った。


「まさか。本当に悪魔の愛し子に情けをかけるような暇人がいたとはな」
「僕が暇人なのは認めるけど、僕はこう見えて善人じゃないんだ。情けなんてかけるもんか…………ってアデル、君大丈夫かい?」


 こちらを嘲笑う様に驚いてみせたルークスの言葉を否定したエルはふと、未だ茫然自失としているアデルを気にかけて尋ねた。ルークスのように、エルが偽善でアデルを育てているのではないかと彼が勘違いすることをエルは危惧したのだ。


「……ルークスという名前なのだな」
「いや驚くところそこかい?今そんなことどうでも良いんだよ」
「伯爵の名前など知らなかったのだ……興味も無かった」
「まぁこのおっさんにそそられる興味なんて皆無だよね」


 アデルは世紀の大発見みたいな顔で心底どうでも良い事実に驚いてみせ、エルのツッコみを誘った。だが興味が無いという点においてはエルの共感を得られたようで、そんな二人の失礼な物言いにルークスは更に視線を鋭くする。


「御託は良い。単刀直入に言う。その悪魔の愛し子を返してもらおうか」
「……は?」


 ルークスの命令じみた申し出に、エルは思わず怒気を孕んだ声で疑問を零した。その声には殺気さえも含まれていて、ルークスやその護衛たちが思わず尻込みしてしまう程だった。


「んーと、ごめんごめん。僕の聞き間違いだったかな?散々子供を虐待してきた人間のクズが、その子供を今更返せって言ったように聞こえたんだけど。まさかそんな愚かで身の程知らずなこと言ってないよね?」
「?何かおかしいことか?」
「……ふぅ…………」


 まるでそれを悪だと自覚していないように、キョトンとした相好で尋ねたルークスを目の当たりにしたエルは、自身の中で沸々と沸く怒りを暴発させないように深い深いため息をついた。

 ルークスは悪魔の愛し子を傷つけることを、本気で悪だと思っていないのかもしれない。悪だと分かっていたとしても、それを麻痺させてしまうのが悪魔の愛し子という存在の脅威なのだろう。


「返せと言われて、僕がそれに従うと?そもそも、君たちはアデルを嫌っていたんじゃ無いのかい?アデルがいなくなってせいせいしているのかと思っていたのだけれど、僕の認識は間違っていたのかな?」
「何か勘違いしているようだが、私たちはアデルそれを捨てたつもりなど毛頭ない」
「なに?」


 エルは常に笑顔を絶やしていなかった。笑いながら、確実に腹の底では怒りを蓄積させていたのだ。何よりエルが最も憤慨していたのは、ルークスがアデルのことを一度も名前で呼ばないことだった。
 まるでアデルを物のように呼ぶルークスに、エルは何度も堪忍袋の緒が切れそうになっていた。

 それでも笑みを崩さなかったエルだが、ルークスのアデルに対する認識を聞いた途端その表情を曇らせた。


アデルそれが勝手に屋敷から抜け出しただけの話だ。私が捨てたわけでは無い」
「……ならどうしてすぐに連れ戻そうとしなかった?」


 大分無理のあるルークスの言い分に、エルは何度も訪れた怒りのピークを何とか抑えつけて尋ねた。


アデルそれが一人で生きていくことなど不可能だ。だからすぐに音を上げて戻ってくると思ったのだが……それがまさか、こんな亜人に拾われていようとは……」
「おい」


 今までずっと沈黙を貫いていたアデルが突然口を開いたかと思うと、彼は今まで聞いたことの無い様な重い声に殺気を乗せて、ルークスを射殺すようにその赤い瞳で睨み据えた。

 アデルの赤い瞳は差別の対象であると同時に、恐怖の象徴でもある。人間ではまず敵うはずもない悪魔の力を所持している愛し子は、人間にとって本来恐怖の対象である。その象徴でもある赤い瞳で本気で睨まれれば、誰だって竦み上がってしまうだろう。


「お前、今師匠を侮辱したか?」


 アデルが憤慨している理由が、自身を侮辱されたせいだと知ったエルは、思わずその目を見開いた。普段あまり怒ることの無いアデルが自分の為に怒ってくれたという事実が、エルにとっては何よりも尊く、貴重なものだったのだ。


「っ……何をそんなに怒っている。悪魔の愛し子如きが。亜人も愛し子も大して変わらぬだろうが」
「……なに?」


 何と無しに呟いたルークスの言葉に、アデルは思わず引っ掛かってしまう。ルークスの言い方はまるで、悪魔の愛し子も亜人も差別されるという点において、大した違いは無いと言っているようだったからだ。


「そういえばアデルには言ってなかったね。亜人も大体の人間から差別されているってこと」
「……そう、だったのだな」
「うん。まぁ、今はそんなことどうでも良いんだよ。――アデルを返せと言われて〝はいそうですか〟だなんて、本気で僕が言うと思ったのかい?」


 エルがアデルに亜人に対する差別のことを語らなかったのは、それが無意味だと思ったからである。悪魔の愛し子に対する差別に比べれば、亜人に対する差別は同族がいるという理由から大分マシである。その為、アデルに亜人に対する差別意識を伝えたところで、傷の舐め合いにもならないことが分かっていたのだ。


「亜人の意思などどうでもいい。子供は親の命令を聞くものだ。アデルそれは連れて行く」
「都合のいい時だけ親面するなんて、君みたいな馬鹿のやることには恐れ入るよまったく」


 エルとルークスの間にバチバチとした火花が散っている光景が、一人置き去りにされたアデルにのみ見えてしまい、どうしたものかと彼は頭を悩ませるのだった。


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