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第一章 悪魔討伐編
17、絶望2
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「お前を殺す理由には十分すぎるな」
「っ……!いいわぁ……やっぱりそうよ、そうでなくっちゃ……」
思わず身震いした悪魔は、まるで欲情している様に頬を染めて口元に弧を描いた。そんな悪魔を汚らわしい者を見るような目で睨むアデルは、迷いなく剣を抜いて突きつける。
「それでこそ私の愛するアデルきゅんよ……その絶望と憎しみと狂気に満ち満ちた顔……さいっこうだわぁ……」
「……何故、師匠を殺したのだ?」
「んもう。アデルきゅんったら、またソイツの話?流石に妬いちゃうなぁ……でもぉ、アデルきゅんの質問には答えてあげちゃう!」
まるで悪魔のことなど一切見ていないように、低く弱々しい声音で尋ねたアデルを目の当たりにし、悪魔は思わず百面相を見せた。
「御託は良い。さっさと答えるのだ」
「だってぇ、ソイツ。私のアデルきゅんのこと、独り占めしようとしたから……それが許せなかったのよぉ。アデルきゅんは私が最初に見つけて、私が最初に愛してあげたのにぃ」
「っ……我が、お前のものだと?…………ふざけるなっ……!自己満足の愛をこちらに押し付けて何が愛してあげただ!そんな理由で我の師を傷つけたというのであるか!?」
血が滲んでしまう程拳を握り締めたアデルは、込み上げてくる怒りを抑えることが出来ない。
「……それも愛だよ」
「っ!?」
耳に絡みつくような声から、驚くほど淡々とした声に変化した悪魔の動きに、アデルは驚きで硬直してしまう。
つい先刻まで目の前にいた悪魔は、いつの間にかアデルの背中側に回り、その背におぶさる様に凭れかかりながら先の台詞を彼の耳元で呟いたのだ。
その動きを言葉で表現するのであれば、瞬間移動というのが適切であろう。
「自己満足に愛することもれっきとした愛よ。互いが互いを思いやることだけが愛じゃない。汚くても恐ろしくても、私はあなたを愛しているのよ。受け取ってもらえない愛は愛じゃないって言いたいの?真実の愛、正しい愛がそんなに良いのかしら?」
「っ……」
後ろからアデルの頬を撫でて愛について語った悪魔に対し、アデルは鋭い視線と共に振り向く。
「我はその様なこと話しておらぬ。我が話しているのは、師匠を殺した理由がその程度の愛故なのかという話である」
「……その程度、ねぇ……まぁ、アデルきゅんだけが理由じゃないのよ、本当は」
「なに?」
悪魔がもう一つの理由の存在を匂わせたことで、アデルは思わず眉を顰めた。
「この亜人、昔私の愛し子を殺したのよ。思い出しただけでも腹立たしいわ」
「…………師匠が、愛し子を……?」
悪魔が顔を歪めながら告げた話があまりにも衝撃的で、アデルは上手く言葉を紡ぐことが出来ない。目を見開いたアデルは、思わず身体の力が抜けてしまうのを感じた。
悪魔から、横たわるエルの方に視線を移したアデルは、とてもではないが悪魔の話を信じることが出来なかった。
エルが本当に悪魔の愛し子を殺したことがあるのなら、エルがアデルを育てようとする理由が理解できないからである。
アデルはエルと出会ってからの八年間で何度も尋ねていた。何故悪魔の愛し子である自分を育ててくれるのかと。
その度エルは決まって「暇だったから」「友達がいないから」と曖昧な答えしか返してこず、本当にそれだけの理由なのかもしれないと思える程だった。
「だ、だが……愛し子はほぼ、不老不死なのでは……」
「えぇ。だからこの亜人は、愛し子が力をつける前――まだ幼い頃に即死させたのよ。首を刎ねてね。だから私もコイツの首をちょん切ってやったの」
「…………」
悪魔の愛し子は自然治癒能力に長けているものの、治癒する暇もなく即死してしまえば当然抗う術なく死んでしまう。それはアデルも理解しているので、悪魔の話に矛盾点は無かった。
だがアデルは、エルが悪魔の愛し子を殺した過去を持っていると告げられたせいで衝撃を受けているわけでは無い。悪魔の話をきっかけに、アデルがエルのことを何も知らなかったのだということを自覚させられ、アデルは動揺してしまっていた。
今までエルがどんな思いでアデルと過ごしていたのか。何を思い、何を悩み、アデルと出会う前はどのように生きてきたのか。アデルは何一つ知らず、無知な自身に対する嫌悪感に苛まれそうになる。
「アデルきゅうん、分かったでしょ?コイツはアデルきゅんと同じ愛し子を殺した最低の奴なのよ。アデルきゅんのことだって、信頼させたところで殺そうとしていたに違いないわ」
アデルから離れた悪魔は、横たわるエルの髪を乱雑に掴んで見せた。死者であるエルは力ない人形のようにされるがままで、アデルの知るエルはどこにもいなかった。
忌々し気にエルを見つめる悪魔は一向にエルを放そうとせず、アデルはその拳をわなわなと震わせた。
「……師匠に……その人に、触れるなぁ!!」
エルの髪を掴んでいる悪魔の右腕に向かって、ジルの衝撃波を放ったアデルの表情には殺気しか込められておらず、エルに対する不信感は皆無であった。
アデルの攻撃によって悪魔の右腕は吹き飛ばされ、部屋中に鮮血が飛び散った。同時にエルは再び床に放り出されそうになったが、アデルが素早く反応してその身体を受け止めたので、エルが身体を打ち付けることは無かった。
「……いったいなぁ……酷いよ、アデルきゅん」
批難めいた視線をアデルに向ける悪魔だったが、欠損した右腕は一瞬の内に再生されていたので説得力はあまりない。
「師匠は、お前の言う様な存在ではないのだ……師匠が本当に愛し子を殺した過去を持っていたとしても、師匠が決断したことであるのなら我は、その判断が正しかったのだと思う。そもそも……何故我が大事な師匠よりも、お前などの言葉を信じると思えるのだ」
「……ちぇ、つまんないの」
アデルは最初からエルのことを微塵も疑ってなどいなかった。エルがアデルと同じ悪魔の愛し子を殺していたとしても、それにはそうせざるを得なかった理由が必ずあったはずだとアデルは思った。いや、そうとしか思えなかったのだ。
アデルの知るエルは、理由の無い殺戮を好む様な性格では無かった。そして、悪魔やその愛し子に対する差別意識を持つ存在でも無かった。そんなエルが愛し子を殺したと言うのであれば、相当の理由があったとしかアデルには思えなかった。
最初から悪魔の囁きなど、アデルの耳には全く入っていなかったのだ。
「あわよくばアデルきゅんを連れて帰ろうと思ってたんだけど、嫌われちゃったみたいだし……それはまた別の機会にするわね。……まぁ、今日はその亜人を殺せただけでも良しとしましょうか」
「我がお前を黙って帰すと思うのであるか?」
勝手に立ち去ろうとしている悪魔をアデルが許すわけもなく、彼は悪魔を睨み据えながら剣を構える。
「あはっ……アデルきゅんに束縛されるのは大歓迎だけど、流石にこんな場所での殺し合いは勘弁したいかしら……私に会いたければ、私のストーカー共に居場所を聞くのをおすすめするわ。アデルきゅんから会いに来てくれたら、私嬉しくていくらでも相手しちゃう!」
「なに?」
アデルはこの時語った悪魔の話を何一つ理解できていなかった。
悪魔がこの場所で、アデルとの戦闘を嫌った理由も。悪魔の言う〝ストーカー〟の意味も。そのストーカーが何故悪魔の居場所を知っているのかという疑問も。アデルには何一つ知る術がない。
「じゃあそういうことだから。まったねぇ!アデルきゅうん」
「っ!……待て!」
満面の笑みで手を振った悪魔は、捨て台詞を吐くと一瞬の内に姿を消してしまう。先刻まで悪魔が立っていた場所に手を伸ばしても、アデルはその実体を掴むことが出来ず、悪魔なんて最初からいなかったのではないかという錯覚に陥ってしまいそうな程であった。
だが途端に視線を下ろすと、そこにはやはり息絶えたエルの姿があり、悪魔の存在を犇々と証明していた。そして辺りを見回すと、悪魔の血が生々しく飛び散っていて、アデルが吹き飛ばした右腕もガラクタのように転がっていた。
「…………師匠」
「……」
「師匠…………」
「……」
エルを抱えながら何度その名を呼んでも、アデルの声にエルが返してくれることは無かった。悲痛なアデルの震える声がやけに物悲しく響く。
「何故、起きてくれないのだ?……師匠」
「……」
「っ……」
冷たいその身体にいくら問いかけても、エルが答えてくれるわけも無く。アデルはエルの死をこんなにも実感してしまい、途端に滂沱の涙を流した。その大粒の涙がエルの頬を伝い、サラリと零れていく。
震える腕でエルを抱き寄せたアデルは、いつ止まるかも分からない涙を堪えることが出来なかった。
********
それからどれ程の時間が経ったのか。食事をしなくても健康に異常をきたさないアデルには分からないが、涙が枯れてしばらくした頃、彼はようやく立ち上がることに成功した。
立ち上がったはいいものの、アデルは今自分が何をするべきなのか分からず当惑してしまう。だがそれは、アデルが行動することを放棄したということと同義ではない。
アデルには揺るがない、揺るいではいけない目的が出来た。それは更に研鑽を積み、エルを殺した悪魔を仕留めるという目的である。
だが今のアデルではあの悪魔に勝てる程の実力は無い上、そもそも居場所も分かっていない。悪魔の言っていた〝ストーカー〟が一体何者なのかさえも分からない今、アデルは何から始めればいいのかも分からなかったのだ。
「地道に探しながら、修行するしかないであろうな」
力ない声で呟いたアデルはふと、木製の椅子の上で俯いているエルに視線を向けた。死人となり一人で動くことの出来ないエルを、一体どうしたものかという問題に直面してしまったからだ。
「探すとなると、長旅のようになってしまうであろうな…………取り敢えず師匠は結界の中に保管して……」
そう思い立って呟いたアデルだが、その言葉が最後まで紡がれることは無かった。
死者一人という荷物を抱えながら悪魔を探す旅は、アデルの力であればそれ程きついものでもない。だが何らかの戦闘になった際に、エルに気をかけながら戦うのは不利でもあった。
だからこそアデルは安全な結界の中にエルを置いて、一人で旅立とうと考えたのだが、かつてエルとの間で交わした会話を思い出した。
『では我がずっと師匠の傍にいようではないか』
『……え』
『我は師匠が大好きであるからな。ずっと師匠の傍にいて、師匠が寂しくならないようにしよう』
「っ……」
それを思い出したアデルは居ても立っても居られなくなり、力強い拳で自分の頬を殴った。その衝撃でほんの少しふらついたアデルは、同時に自己嫌悪という気持ちの悪いモヤモヤを振り落とす。
アデルは許せなかった。かつて師に誓ったことを一瞬でも忘れて、エルを一人残していこうとした自分が許せなかったのだ。
「師匠……我の我が儘に、付き合ってくれるであるか?」
「……」
物言わないエルを哀愁滲む瞳で見つめながら尋ねたアデルは、意を決した様にキリッとした顔つきになる。
旅の用意を済ませ、エルを大きな背嚢に入れて背負ったアデルは、物悲しくなった家に別れを告げた。
外からその家を見上げたアデルは、八年という年月をエルと過ごした日々を思い出す。アデルにとっては初めての真面な住処であり、エルと同じ空間で過ごすことの出来たその家は、アデルにとって簡単に離れられる程度の存在では無かった。
だが今回は、とても簡単とは表現できない絶望がアデルを襲ってしまった。離れがたいなどと、言っている場合では無くなってしまった。
アデルはその家に向かって深く頭を下げると、すぐに背を向けて歩を進め始めた。そして、アデルは決して振り返ることは無かった。
そしてアデルは誓った。この場所を再び目指すのは、師の仇を討った時だけであると。
「っ……!いいわぁ……やっぱりそうよ、そうでなくっちゃ……」
思わず身震いした悪魔は、まるで欲情している様に頬を染めて口元に弧を描いた。そんな悪魔を汚らわしい者を見るような目で睨むアデルは、迷いなく剣を抜いて突きつける。
「それでこそ私の愛するアデルきゅんよ……その絶望と憎しみと狂気に満ち満ちた顔……さいっこうだわぁ……」
「……何故、師匠を殺したのだ?」
「んもう。アデルきゅんったら、またソイツの話?流石に妬いちゃうなぁ……でもぉ、アデルきゅんの質問には答えてあげちゃう!」
まるで悪魔のことなど一切見ていないように、低く弱々しい声音で尋ねたアデルを目の当たりにし、悪魔は思わず百面相を見せた。
「御託は良い。さっさと答えるのだ」
「だってぇ、ソイツ。私のアデルきゅんのこと、独り占めしようとしたから……それが許せなかったのよぉ。アデルきゅんは私が最初に見つけて、私が最初に愛してあげたのにぃ」
「っ……我が、お前のものだと?…………ふざけるなっ……!自己満足の愛をこちらに押し付けて何が愛してあげただ!そんな理由で我の師を傷つけたというのであるか!?」
血が滲んでしまう程拳を握り締めたアデルは、込み上げてくる怒りを抑えることが出来ない。
「……それも愛だよ」
「っ!?」
耳に絡みつくような声から、驚くほど淡々とした声に変化した悪魔の動きに、アデルは驚きで硬直してしまう。
つい先刻まで目の前にいた悪魔は、いつの間にかアデルの背中側に回り、その背におぶさる様に凭れかかりながら先の台詞を彼の耳元で呟いたのだ。
その動きを言葉で表現するのであれば、瞬間移動というのが適切であろう。
「自己満足に愛することもれっきとした愛よ。互いが互いを思いやることだけが愛じゃない。汚くても恐ろしくても、私はあなたを愛しているのよ。受け取ってもらえない愛は愛じゃないって言いたいの?真実の愛、正しい愛がそんなに良いのかしら?」
「っ……」
後ろからアデルの頬を撫でて愛について語った悪魔に対し、アデルは鋭い視線と共に振り向く。
「我はその様なこと話しておらぬ。我が話しているのは、師匠を殺した理由がその程度の愛故なのかという話である」
「……その程度、ねぇ……まぁ、アデルきゅんだけが理由じゃないのよ、本当は」
「なに?」
悪魔がもう一つの理由の存在を匂わせたことで、アデルは思わず眉を顰めた。
「この亜人、昔私の愛し子を殺したのよ。思い出しただけでも腹立たしいわ」
「…………師匠が、愛し子を……?」
悪魔が顔を歪めながら告げた話があまりにも衝撃的で、アデルは上手く言葉を紡ぐことが出来ない。目を見開いたアデルは、思わず身体の力が抜けてしまうのを感じた。
悪魔から、横たわるエルの方に視線を移したアデルは、とてもではないが悪魔の話を信じることが出来なかった。
エルが本当に悪魔の愛し子を殺したことがあるのなら、エルがアデルを育てようとする理由が理解できないからである。
アデルはエルと出会ってからの八年間で何度も尋ねていた。何故悪魔の愛し子である自分を育ててくれるのかと。
その度エルは決まって「暇だったから」「友達がいないから」と曖昧な答えしか返してこず、本当にそれだけの理由なのかもしれないと思える程だった。
「だ、だが……愛し子はほぼ、不老不死なのでは……」
「えぇ。だからこの亜人は、愛し子が力をつける前――まだ幼い頃に即死させたのよ。首を刎ねてね。だから私もコイツの首をちょん切ってやったの」
「…………」
悪魔の愛し子は自然治癒能力に長けているものの、治癒する暇もなく即死してしまえば当然抗う術なく死んでしまう。それはアデルも理解しているので、悪魔の話に矛盾点は無かった。
だがアデルは、エルが悪魔の愛し子を殺した過去を持っていると告げられたせいで衝撃を受けているわけでは無い。悪魔の話をきっかけに、アデルがエルのことを何も知らなかったのだということを自覚させられ、アデルは動揺してしまっていた。
今までエルがどんな思いでアデルと過ごしていたのか。何を思い、何を悩み、アデルと出会う前はどのように生きてきたのか。アデルは何一つ知らず、無知な自身に対する嫌悪感に苛まれそうになる。
「アデルきゅうん、分かったでしょ?コイツはアデルきゅんと同じ愛し子を殺した最低の奴なのよ。アデルきゅんのことだって、信頼させたところで殺そうとしていたに違いないわ」
アデルから離れた悪魔は、横たわるエルの髪を乱雑に掴んで見せた。死者であるエルは力ない人形のようにされるがままで、アデルの知るエルはどこにもいなかった。
忌々し気にエルを見つめる悪魔は一向にエルを放そうとせず、アデルはその拳をわなわなと震わせた。
「……師匠に……その人に、触れるなぁ!!」
エルの髪を掴んでいる悪魔の右腕に向かって、ジルの衝撃波を放ったアデルの表情には殺気しか込められておらず、エルに対する不信感は皆無であった。
アデルの攻撃によって悪魔の右腕は吹き飛ばされ、部屋中に鮮血が飛び散った。同時にエルは再び床に放り出されそうになったが、アデルが素早く反応してその身体を受け止めたので、エルが身体を打ち付けることは無かった。
「……いったいなぁ……酷いよ、アデルきゅん」
批難めいた視線をアデルに向ける悪魔だったが、欠損した右腕は一瞬の内に再生されていたので説得力はあまりない。
「師匠は、お前の言う様な存在ではないのだ……師匠が本当に愛し子を殺した過去を持っていたとしても、師匠が決断したことであるのなら我は、その判断が正しかったのだと思う。そもそも……何故我が大事な師匠よりも、お前などの言葉を信じると思えるのだ」
「……ちぇ、つまんないの」
アデルは最初からエルのことを微塵も疑ってなどいなかった。エルがアデルと同じ悪魔の愛し子を殺していたとしても、それにはそうせざるを得なかった理由が必ずあったはずだとアデルは思った。いや、そうとしか思えなかったのだ。
アデルの知るエルは、理由の無い殺戮を好む様な性格では無かった。そして、悪魔やその愛し子に対する差別意識を持つ存在でも無かった。そんなエルが愛し子を殺したと言うのであれば、相当の理由があったとしかアデルには思えなかった。
最初から悪魔の囁きなど、アデルの耳には全く入っていなかったのだ。
「あわよくばアデルきゅんを連れて帰ろうと思ってたんだけど、嫌われちゃったみたいだし……それはまた別の機会にするわね。……まぁ、今日はその亜人を殺せただけでも良しとしましょうか」
「我がお前を黙って帰すと思うのであるか?」
勝手に立ち去ろうとしている悪魔をアデルが許すわけもなく、彼は悪魔を睨み据えながら剣を構える。
「あはっ……アデルきゅんに束縛されるのは大歓迎だけど、流石にこんな場所での殺し合いは勘弁したいかしら……私に会いたければ、私のストーカー共に居場所を聞くのをおすすめするわ。アデルきゅんから会いに来てくれたら、私嬉しくていくらでも相手しちゃう!」
「なに?」
アデルはこの時語った悪魔の話を何一つ理解できていなかった。
悪魔がこの場所で、アデルとの戦闘を嫌った理由も。悪魔の言う〝ストーカー〟の意味も。そのストーカーが何故悪魔の居場所を知っているのかという疑問も。アデルには何一つ知る術がない。
「じゃあそういうことだから。まったねぇ!アデルきゅうん」
「っ!……待て!」
満面の笑みで手を振った悪魔は、捨て台詞を吐くと一瞬の内に姿を消してしまう。先刻まで悪魔が立っていた場所に手を伸ばしても、アデルはその実体を掴むことが出来ず、悪魔なんて最初からいなかったのではないかという錯覚に陥ってしまいそうな程であった。
だが途端に視線を下ろすと、そこにはやはり息絶えたエルの姿があり、悪魔の存在を犇々と証明していた。そして辺りを見回すと、悪魔の血が生々しく飛び散っていて、アデルが吹き飛ばした右腕もガラクタのように転がっていた。
「…………師匠」
「……」
「師匠…………」
「……」
エルを抱えながら何度その名を呼んでも、アデルの声にエルが返してくれることは無かった。悲痛なアデルの震える声がやけに物悲しく響く。
「何故、起きてくれないのだ?……師匠」
「……」
「っ……」
冷たいその身体にいくら問いかけても、エルが答えてくれるわけも無く。アデルはエルの死をこんなにも実感してしまい、途端に滂沱の涙を流した。その大粒の涙がエルの頬を伝い、サラリと零れていく。
震える腕でエルを抱き寄せたアデルは、いつ止まるかも分からない涙を堪えることが出来なかった。
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それからどれ程の時間が経ったのか。食事をしなくても健康に異常をきたさないアデルには分からないが、涙が枯れてしばらくした頃、彼はようやく立ち上がることに成功した。
立ち上がったはいいものの、アデルは今自分が何をするべきなのか分からず当惑してしまう。だがそれは、アデルが行動することを放棄したということと同義ではない。
アデルには揺るがない、揺るいではいけない目的が出来た。それは更に研鑽を積み、エルを殺した悪魔を仕留めるという目的である。
だが今のアデルではあの悪魔に勝てる程の実力は無い上、そもそも居場所も分かっていない。悪魔の言っていた〝ストーカー〟が一体何者なのかさえも分からない今、アデルは何から始めればいいのかも分からなかったのだ。
「地道に探しながら、修行するしかないであろうな」
力ない声で呟いたアデルはふと、木製の椅子の上で俯いているエルに視線を向けた。死人となり一人で動くことの出来ないエルを、一体どうしたものかという問題に直面してしまったからだ。
「探すとなると、長旅のようになってしまうであろうな…………取り敢えず師匠は結界の中に保管して……」
そう思い立って呟いたアデルだが、その言葉が最後まで紡がれることは無かった。
死者一人という荷物を抱えながら悪魔を探す旅は、アデルの力であればそれ程きついものでもない。だが何らかの戦闘になった際に、エルに気をかけながら戦うのは不利でもあった。
だからこそアデルは安全な結界の中にエルを置いて、一人で旅立とうと考えたのだが、かつてエルとの間で交わした会話を思い出した。
『では我がずっと師匠の傍にいようではないか』
『……え』
『我は師匠が大好きであるからな。ずっと師匠の傍にいて、師匠が寂しくならないようにしよう』
「っ……」
それを思い出したアデルは居ても立っても居られなくなり、力強い拳で自分の頬を殴った。その衝撃でほんの少しふらついたアデルは、同時に自己嫌悪という気持ちの悪いモヤモヤを振り落とす。
アデルは許せなかった。かつて師に誓ったことを一瞬でも忘れて、エルを一人残していこうとした自分が許せなかったのだ。
「師匠……我の我が儘に、付き合ってくれるであるか?」
「……」
物言わないエルを哀愁滲む瞳で見つめながら尋ねたアデルは、意を決した様にキリッとした顔つきになる。
旅の用意を済ませ、エルを大きな背嚢に入れて背負ったアデルは、物悲しくなった家に別れを告げた。
外からその家を見上げたアデルは、八年という年月をエルと過ごした日々を思い出す。アデルにとっては初めての真面な住処であり、エルと同じ空間で過ごすことの出来たその家は、アデルにとって簡単に離れられる程度の存在では無かった。
だが今回は、とても簡単とは表現できない絶望がアデルを襲ってしまった。離れがたいなどと、言っている場合では無くなってしまった。
アデルはその家に向かって深く頭を下げると、すぐに背を向けて歩を進め始めた。そして、アデルは決して振り返ることは無かった。
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