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第一章 悪魔討伐編
22、悪魔2
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全身が震えあがるような威圧感。指先一つ動かすことすらままならない程の殺気。人を人とも思わない様な、冷たい視線。その存在の気分次第で、命が簡単に消えてしまうという理不尽な現実。
それら全てを浴びせられたユメは恐ろしく感じると同時に、その歓喜に打ち震えてもいた。ずっと恋焦がれてきた悪魔の瞳に自身が映っているという事実が、嬉しくて仕方が無かったのだ。
「あ、ルルラルカ様っ……」
「早く私の質問に答えないと、死んじゃうわよ?」
「ぐっ……」
ルルラルカは両手で頬杖をつきながら心底けだるそうに呟くと、信者たちを押し潰す力を強めて脅迫した。
一人蚊帳の外に置かれているアデルは、今すぐにでも悪魔に襲い掛かりたい思いでいっぱいだったが、腹の底から湧き上がる黒い感情を何とか抑えた。何故なら、苦悶の声を漏らす信者たちを見ていられなかったから。
「おい、それらはお前の信者なのだろう?」
「あっ!アデルきゅうん、久しぶりぃ!……アデルきゅんがコイツらの心配なんてする必要無いのよぉ?だからちょーっとだけ待っててね」
本心を力強く握りしめた拳に隠しつつ、アデルは批難の声を上げた。だがいくら睨まれても怖気づくどころか、嬉々とした表情を浮かべるばかりのルルラルカは、彼の言葉を何一つ聞いていないようだった。
自身を慕う信者には冷たい視線を、自身を殺そうとしているアデルには盲目的とも思える愛情を向けるルルラルカはやはり異質で、悪魔と呼ばれても仕方のない存在に思える。
「ルル、ラルカ……様……」
「ねぇ。私言ったよね?アデルきゅんが私を殺しに来ると思うからよろしくねって。なのになんでアデルきゅんの邪魔してるのかなぁ?私に殺されるためにわざとふざけているのかしら?」
「なに?」
アデルはその時、両者の間に誤解が生じているのではないかという、確信に近い疑念を抱いた。
「我を足止めしろという意味で言ったのではないのか?」
「違うわよぉ。アデルきゅんが殺しに来たら、私のところに案内してあげてっていう意味で言ったんだけど?」
「そ、そんな……」
ルルラルカはケロッとした表情であのお告げの本当の意味を語った。だが本来の意味を始受会は誤解していたので、ユメはその失態に顔を真っ青にしてしまう。
「信者たちは誤解していたのだ。早くその拘束を解いてやれ」
「えぇー、何でアデルきゅんこいつらの味方なんかするの?ブーブー……ちょっと妬けちゃうなぁ」
「庇っているわけでは無い。お前がそいつらにかまけていると、お前との殺し合いがいつになっても始められないではないか」
「あはっ……やだぁアデルきゅんったら、そんなに私と愛し合いたいの?ふふっ、嬉しいわぁ……じゃあさっさと場所を変えましょ!」
アデルの口車に乗せられてやったルルラルカは、信者たちに対する攻撃を即座に解除した。上から押し付けられるような力が消えたことで、信者たちはふらつきながらも徐々に立ち上がり始めた。
「ま、待ってください!ルルラルカ様。せ、せめて謝罪を……」
始受会の失態を何とか謝罪しようとしたユメは、アデルと立ち去ろうとするルルラルカの背中に向かって声をかけた。
途端、振り向いてユメに近づいたルルラルカは、彼女の顔を片手で乱暴に掴んでその言葉を遮った。
「あのね?私今怒ってるの。あなたたちの愚かな誤解に腹を立てているの。アデルきゅんの優しさを無駄にする気?そうまでして私に殺されたいのかしら」
「っ……も、もうしわけ」
「誰が謝れなんて言ったのかしら?私があなたに求めるのは無関心と不干渉。私とアデルきゅんの逢瀬を邪魔しないこと……分かった?」
口角は上がっていて、にこやかに笑っているように見えるが、その金色の目は非常に冷ややかで眼光だけで相手を殺せそうな程だ。表面だけは好意的な表情で頼むと、ユメは涙を浮かべながら激しく首肯した。
その反応を満足気に確かめると、ルルラルカは掴んでいたユメの顔を乱暴に手放して踵を返す。
その場にへたり込んでしまったユメは虚ろな目からポロポロと涙を零していて、他の信者たちに心配されていた。
「邪魔者もいなくなったことだし、早速行きましょ?」
始受会の信者が少々気掛かりではあったが、今のアデルに他人の心配をする余裕など無かった。
穏やかな表情でルルラルカはその手をアデルに差し出す。差し出された手をここまで握りたくないと思ったのは初めてだったが、握らなければ目的地に向かうことが出来ないこともアデルは何となく分かっていた。
『穢れるわ!』
ふと、何故かクルシュルージュ家にいた頃、母親から浴びせられた罵声をアデルは思い出してしまった。こんな時になって、今更彼女の気持ちがほんの少しだけ分かってしまい、アデルは自己嫌悪に顔を顰めた。
「……あぁ」
悪い思考を振り払う様に、アデルはルルラルカの手を取った。その瞬間アデルの視界は一気に変化し、何もない荒野のような場所に移動していることが分かった。
どれだけ目を凝らしても壁や行き止まりが見えず、見渡す限りの灰色の世界。アデルが辿り着いたのは、そうとしか表現できない場所だった。
「ようこそアデルきゅん。私の世界へ」
「……ここは、お前が作ったのであるか?」
「そうだよ。ここは外とは隔絶されているから、ここで大爆発が起きたとしても世界に影響は起きない。この空間から外に干渉できるのは、私が作り出すジルを送ること。それだけよ」
「……」
アデルはその時、初めて彼女に会った時抱いた違和感を再び覚えた。だがその違和感の正体を掴むことは出来ず、モヤモヤとした思考がアデルの内側を支配した。
もしこの灰色の世界が完全に外と隔絶されているのであれば、悪魔がここにいるだけで世界中のジルが足りなくなり、そのまま世界は終焉を迎えてしまう。なので彼女が生み出すジルだけは出入り自由になっているようだ。
「でもアデルきゅん、今更だけど本当に私を殺す気なの?」
「あぁ」
「できもしないのに?」
「……お前はどうなのだ?」
ルルラルカは端から自分が殺されるとは思っていないようで、それが当たり前であるかのように尋ねた。彼女の不遜な態度に対して、アデルは僅かな沈黙を作り出した後に尋ね返した。質問に質問で返されたことで、ルルラルカは思わず首を傾げてしまう。
「我がお前を殺そうとするから、その相手をするだけなのか?」
「まっさか。アデルきゅんを捕らえて一生一緒に暮らす気満々よ?」
「なら何故…………っ、あ……」
ルルラルカの目的を聞いたアデルは、それに対する疑問をぶつけようとして、不意にあることに気づく。
それはアデルが小さな頃から今までずっと。ずっとずっと疑問に思っていたこと。恐らくこの世界の誰もが理解できていない、とある問題に対する答え。
アデルはその謎を解いてしまった。そう、解いてしまった。そのあまりにもな衝撃に、アデルは言葉を失いながら目を見開く。
今のアデルにとって、その気づきは足枷とも呼べる不要なものであった。アデルは今目の前にいる憎い存在を殺そうとしているというのに、その気づきは彼の強い決心を鈍らせる不要なものだったのだ。
突然無言になったアデルを怪訝そうな表情でルルラルカが見つめる中、アデルは口をキュッと結んで決心を揺るぎないものに変える。
「どーしたー?アデルきゅうん」
「……何でもないのだ」
顔を覗き込まれながらも、アデルは平静を保ってボソッと答えた。どこか様子のおかしいアデルに首を傾げたルルラルカは刹那、自身に迫る危機に目を見開く。
その危機から何とか脱すると、ルルラルカは思わず乾いた笑みを零してしまう。
ボソッと呟いた瞬間、アデルは剣を抜いて彼女の首を一撃必殺、刎ねようとしたのだ。何とか反応して後ろに下がったルルラルカだったが、剣先は首元を掠めてしまったようで、彼女の血が地面に水溜まりを作っている。
首の半分が裂かれてしまい頭が後ろに垂れそうになるが、それを後ろ手で押さえたルルラルカは驚異的な治癒力でその傷を塞いだ。
「いきなりぃ?もう少しズレてたら死んでたかな?」
「っ……まるで、自分を相手にしているようであるな」
「ふふっ、そりゃそうよ。アデルきゅんの力は、私が授けたんだから」
渾身の攻撃を嘲笑うような治癒力に、アデルは思わず引き攣った笑みを浮かべてしまう。
ルルラルカの不敵な笑みを皮切りに、アデルたちの激しい戦いの火蓋が切られた。
********
それから二日が経った。アデルとルルラルカの戦いは未だに決着がついておらず、灰色の世界は二人の血で三分の一程染まってしまっていた。加えて、彼らの臓物や身体の一部がいくつも転がっており、非常に酸鼻な光景が広がっていた。
例え腕を切断されても、腸を抉られても、また新たな身体が生まれてくる。そんな二人が激しくぶつかり合うと、まるで大勢の人間のバラバラ死体が転がっているようだが、その全てがたった二人の人間によるものだった。
「ねぇアデルきゅん、これ決着つくのかしら?」
「っ……」
「無視ぃ?って、おっと……」
荒く呼吸をしているアデルの耳に彼女の声は入っておらず、目の前の敵を殺すことだけに取り憑かれているようでもあった。
一言も発してくれないアデルに不満を漏らしていると、彼女は自身の頭上に迫る大量の武器に気づくのが一瞬だけ遅れた。彼女の視線の先にはアデルがジルで作り出した数え切れないほどの剣があり、その剣先は一つの狂いも無くルルラルカを狙っていた。
天に掲げた腕を勢いよく振り下ろすと、その剣が一斉に降下し、ルルラルカの命を狩りつくさん勢いであった。だがその攻撃も、彼女が展開した結界によってすべて無意味と化してしまう。
結界に大量の剣が直撃し続けたことで、けたたましい音が鳴り響いた。ルルラルカが結界を維持している隙を狙って斬りかかるアデルだが、その程度で仕留められる相手であればここまで苦戦はしていない。
ルルラルカは剣術が使えないようで、いつも結界で覆い隠した腕を使って対処をしている。今回も同じように自らの腕を武器に、ルルラルカはアデルの剣術をあしらっている。
「っ……」
「んふっ、いっちゃえ」
「っ!?」
妖艶な声で嘲笑ったルルラルカは、迫る剣先に掌を向けたかと思うと、何かを捻り潰す様に拳を握り締めた。刹那、アデルの剣が中からボロボロに崩れ去り、気づけば原型を留めていなかった。
剣に潜むジルを操られ、思わず舌打ちしそうになったアデルは突如訪れる衝撃に目を見開く。
崩れ去った剣に気を取られている隙に、ルルラルカは彼の頭をその両手でガシッと掴んでいた。その目的を即座に判断できなかったアデルは、目を回しながら彼女の攻撃を受けてしまう。
「アデルきゅんもあの剣みたく……ボロボロに崩れ去ってね♡」
「っ……!?」
脳に激しい電流が走ったような感覚を最後に、アデルの意識は途絶えた。最後に見たルルラルカは心底楽しげで、嬉々とした表情を浮かべていた。だがアデルはその仮面の奥に隠された、どこか悲痛そうな思いに気づけない程、鈍感でも無かった。
********
「ここは……」
アデルが目を覚ますと、そこは血に塗れた灰色の世界ではなくなっていた。暗くて、暗くて、黒くて、ほんの少し赤い。
まるでアデルその者のような、そんな色に包まれた世界が彼の視界に飛び込んできた。混乱気味のアデルでも、それが現実の世界で無いことぐらいは理解できた。
恐らくあの時、脳のジルを操られたことで夢のような物を見せられているのだろう。アデルはそう考えた。
『い、いやっ……こんなの嘘よ!』
唐突に耳に届いてきたのは、アデルの母親の悲痛な声。声のする方を振り向くと、そこにはアデルの知らない過去が広がっていた。
産まれたばかりのアデルと、彼の容姿を目の当たりにした母の姿。そしてそんな二人を忌々し気に見下ろす伯爵――ルークスの姿がある。
赤ん坊の産声を煩わしいとでも言わんばかりに耳を塞ぐ母親は、現実から逃げているようでもある。
『ど、どうして私の子供が…………よりにもよって、悪魔の愛し子だなんて……』
母親は産まれた子が悪魔の愛し子であることに狼狽し、その声と瞳を不安気に揺らしていた。産まれたばかりの赤ん坊を抱きしめることも無く、まるでアデルが穢れているかのように距離をとっている。
『……赤い瞳に、黒髪…………貴様、よくもこんなゴミを産んでくれたな』
『も、申し訳ありませんっ、ルークス様……』
ルークスに批難の目を向けられた母親は、真っ青な相好で必死に謝罪した。母親は頭を下げながら、生まれたばかりの息子を射殺さんばかりの瞳で睨みつける。まるでルークスからの批難が、全てアデルのせいだとでも言いたげに。
『ゴミに与える慈悲は無い……だが、我がクルシュルージュ家に産まれたからには、このゴミは私たちの所有物だ。最大限有効活用しなくてはな』
分かっていたことだった。自分が産まれた時から疎まれ、蔑まれ、望まれていなかった存在だということは。分かっていたつもりだった。だから今更現実を知っても、傷ついたりしない。そうアデルは過信していた。
だが自身の知らない過去を突きつけられ、アデルは不覚にも心に僅かな傷をつけてしまうのだった。
それら全てを浴びせられたユメは恐ろしく感じると同時に、その歓喜に打ち震えてもいた。ずっと恋焦がれてきた悪魔の瞳に自身が映っているという事実が、嬉しくて仕方が無かったのだ。
「あ、ルルラルカ様っ……」
「早く私の質問に答えないと、死んじゃうわよ?」
「ぐっ……」
ルルラルカは両手で頬杖をつきながら心底けだるそうに呟くと、信者たちを押し潰す力を強めて脅迫した。
一人蚊帳の外に置かれているアデルは、今すぐにでも悪魔に襲い掛かりたい思いでいっぱいだったが、腹の底から湧き上がる黒い感情を何とか抑えた。何故なら、苦悶の声を漏らす信者たちを見ていられなかったから。
「おい、それらはお前の信者なのだろう?」
「あっ!アデルきゅうん、久しぶりぃ!……アデルきゅんがコイツらの心配なんてする必要無いのよぉ?だからちょーっとだけ待っててね」
本心を力強く握りしめた拳に隠しつつ、アデルは批難の声を上げた。だがいくら睨まれても怖気づくどころか、嬉々とした表情を浮かべるばかりのルルラルカは、彼の言葉を何一つ聞いていないようだった。
自身を慕う信者には冷たい視線を、自身を殺そうとしているアデルには盲目的とも思える愛情を向けるルルラルカはやはり異質で、悪魔と呼ばれても仕方のない存在に思える。
「ルル、ラルカ……様……」
「ねぇ。私言ったよね?アデルきゅんが私を殺しに来ると思うからよろしくねって。なのになんでアデルきゅんの邪魔してるのかなぁ?私に殺されるためにわざとふざけているのかしら?」
「なに?」
アデルはその時、両者の間に誤解が生じているのではないかという、確信に近い疑念を抱いた。
「我を足止めしろという意味で言ったのではないのか?」
「違うわよぉ。アデルきゅんが殺しに来たら、私のところに案内してあげてっていう意味で言ったんだけど?」
「そ、そんな……」
ルルラルカはケロッとした表情であのお告げの本当の意味を語った。だが本来の意味を始受会は誤解していたので、ユメはその失態に顔を真っ青にしてしまう。
「信者たちは誤解していたのだ。早くその拘束を解いてやれ」
「えぇー、何でアデルきゅんこいつらの味方なんかするの?ブーブー……ちょっと妬けちゃうなぁ」
「庇っているわけでは無い。お前がそいつらにかまけていると、お前との殺し合いがいつになっても始められないではないか」
「あはっ……やだぁアデルきゅんったら、そんなに私と愛し合いたいの?ふふっ、嬉しいわぁ……じゃあさっさと場所を変えましょ!」
アデルの口車に乗せられてやったルルラルカは、信者たちに対する攻撃を即座に解除した。上から押し付けられるような力が消えたことで、信者たちはふらつきながらも徐々に立ち上がり始めた。
「ま、待ってください!ルルラルカ様。せ、せめて謝罪を……」
始受会の失態を何とか謝罪しようとしたユメは、アデルと立ち去ろうとするルルラルカの背中に向かって声をかけた。
途端、振り向いてユメに近づいたルルラルカは、彼女の顔を片手で乱暴に掴んでその言葉を遮った。
「あのね?私今怒ってるの。あなたたちの愚かな誤解に腹を立てているの。アデルきゅんの優しさを無駄にする気?そうまでして私に殺されたいのかしら」
「っ……も、もうしわけ」
「誰が謝れなんて言ったのかしら?私があなたに求めるのは無関心と不干渉。私とアデルきゅんの逢瀬を邪魔しないこと……分かった?」
口角は上がっていて、にこやかに笑っているように見えるが、その金色の目は非常に冷ややかで眼光だけで相手を殺せそうな程だ。表面だけは好意的な表情で頼むと、ユメは涙を浮かべながら激しく首肯した。
その反応を満足気に確かめると、ルルラルカは掴んでいたユメの顔を乱暴に手放して踵を返す。
その場にへたり込んでしまったユメは虚ろな目からポロポロと涙を零していて、他の信者たちに心配されていた。
「邪魔者もいなくなったことだし、早速行きましょ?」
始受会の信者が少々気掛かりではあったが、今のアデルに他人の心配をする余裕など無かった。
穏やかな表情でルルラルカはその手をアデルに差し出す。差し出された手をここまで握りたくないと思ったのは初めてだったが、握らなければ目的地に向かうことが出来ないこともアデルは何となく分かっていた。
『穢れるわ!』
ふと、何故かクルシュルージュ家にいた頃、母親から浴びせられた罵声をアデルは思い出してしまった。こんな時になって、今更彼女の気持ちがほんの少しだけ分かってしまい、アデルは自己嫌悪に顔を顰めた。
「……あぁ」
悪い思考を振り払う様に、アデルはルルラルカの手を取った。その瞬間アデルの視界は一気に変化し、何もない荒野のような場所に移動していることが分かった。
どれだけ目を凝らしても壁や行き止まりが見えず、見渡す限りの灰色の世界。アデルが辿り着いたのは、そうとしか表現できない場所だった。
「ようこそアデルきゅん。私の世界へ」
「……ここは、お前が作ったのであるか?」
「そうだよ。ここは外とは隔絶されているから、ここで大爆発が起きたとしても世界に影響は起きない。この空間から外に干渉できるのは、私が作り出すジルを送ること。それだけよ」
「……」
アデルはその時、初めて彼女に会った時抱いた違和感を再び覚えた。だがその違和感の正体を掴むことは出来ず、モヤモヤとした思考がアデルの内側を支配した。
もしこの灰色の世界が完全に外と隔絶されているのであれば、悪魔がここにいるだけで世界中のジルが足りなくなり、そのまま世界は終焉を迎えてしまう。なので彼女が生み出すジルだけは出入り自由になっているようだ。
「でもアデルきゅん、今更だけど本当に私を殺す気なの?」
「あぁ」
「できもしないのに?」
「……お前はどうなのだ?」
ルルラルカは端から自分が殺されるとは思っていないようで、それが当たり前であるかのように尋ねた。彼女の不遜な態度に対して、アデルは僅かな沈黙を作り出した後に尋ね返した。質問に質問で返されたことで、ルルラルカは思わず首を傾げてしまう。
「我がお前を殺そうとするから、その相手をするだけなのか?」
「まっさか。アデルきゅんを捕らえて一生一緒に暮らす気満々よ?」
「なら何故…………っ、あ……」
ルルラルカの目的を聞いたアデルは、それに対する疑問をぶつけようとして、不意にあることに気づく。
それはアデルが小さな頃から今までずっと。ずっとずっと疑問に思っていたこと。恐らくこの世界の誰もが理解できていない、とある問題に対する答え。
アデルはその謎を解いてしまった。そう、解いてしまった。そのあまりにもな衝撃に、アデルは言葉を失いながら目を見開く。
今のアデルにとって、その気づきは足枷とも呼べる不要なものであった。アデルは今目の前にいる憎い存在を殺そうとしているというのに、その気づきは彼の強い決心を鈍らせる不要なものだったのだ。
突然無言になったアデルを怪訝そうな表情でルルラルカが見つめる中、アデルは口をキュッと結んで決心を揺るぎないものに変える。
「どーしたー?アデルきゅうん」
「……何でもないのだ」
顔を覗き込まれながらも、アデルは平静を保ってボソッと答えた。どこか様子のおかしいアデルに首を傾げたルルラルカは刹那、自身に迫る危機に目を見開く。
その危機から何とか脱すると、ルルラルカは思わず乾いた笑みを零してしまう。
ボソッと呟いた瞬間、アデルは剣を抜いて彼女の首を一撃必殺、刎ねようとしたのだ。何とか反応して後ろに下がったルルラルカだったが、剣先は首元を掠めてしまったようで、彼女の血が地面に水溜まりを作っている。
首の半分が裂かれてしまい頭が後ろに垂れそうになるが、それを後ろ手で押さえたルルラルカは驚異的な治癒力でその傷を塞いだ。
「いきなりぃ?もう少しズレてたら死んでたかな?」
「っ……まるで、自分を相手にしているようであるな」
「ふふっ、そりゃそうよ。アデルきゅんの力は、私が授けたんだから」
渾身の攻撃を嘲笑うような治癒力に、アデルは思わず引き攣った笑みを浮かべてしまう。
ルルラルカの不敵な笑みを皮切りに、アデルたちの激しい戦いの火蓋が切られた。
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それから二日が経った。アデルとルルラルカの戦いは未だに決着がついておらず、灰色の世界は二人の血で三分の一程染まってしまっていた。加えて、彼らの臓物や身体の一部がいくつも転がっており、非常に酸鼻な光景が広がっていた。
例え腕を切断されても、腸を抉られても、また新たな身体が生まれてくる。そんな二人が激しくぶつかり合うと、まるで大勢の人間のバラバラ死体が転がっているようだが、その全てがたった二人の人間によるものだった。
「ねぇアデルきゅん、これ決着つくのかしら?」
「っ……」
「無視ぃ?って、おっと……」
荒く呼吸をしているアデルの耳に彼女の声は入っておらず、目の前の敵を殺すことだけに取り憑かれているようでもあった。
一言も発してくれないアデルに不満を漏らしていると、彼女は自身の頭上に迫る大量の武器に気づくのが一瞬だけ遅れた。彼女の視線の先にはアデルがジルで作り出した数え切れないほどの剣があり、その剣先は一つの狂いも無くルルラルカを狙っていた。
天に掲げた腕を勢いよく振り下ろすと、その剣が一斉に降下し、ルルラルカの命を狩りつくさん勢いであった。だがその攻撃も、彼女が展開した結界によってすべて無意味と化してしまう。
結界に大量の剣が直撃し続けたことで、けたたましい音が鳴り響いた。ルルラルカが結界を維持している隙を狙って斬りかかるアデルだが、その程度で仕留められる相手であればここまで苦戦はしていない。
ルルラルカは剣術が使えないようで、いつも結界で覆い隠した腕を使って対処をしている。今回も同じように自らの腕を武器に、ルルラルカはアデルの剣術をあしらっている。
「っ……」
「んふっ、いっちゃえ」
「っ!?」
妖艶な声で嘲笑ったルルラルカは、迫る剣先に掌を向けたかと思うと、何かを捻り潰す様に拳を握り締めた。刹那、アデルの剣が中からボロボロに崩れ去り、気づけば原型を留めていなかった。
剣に潜むジルを操られ、思わず舌打ちしそうになったアデルは突如訪れる衝撃に目を見開く。
崩れ去った剣に気を取られている隙に、ルルラルカは彼の頭をその両手でガシッと掴んでいた。その目的を即座に判断できなかったアデルは、目を回しながら彼女の攻撃を受けてしまう。
「アデルきゅんもあの剣みたく……ボロボロに崩れ去ってね♡」
「っ……!?」
脳に激しい電流が走ったような感覚を最後に、アデルの意識は途絶えた。最後に見たルルラルカは心底楽しげで、嬉々とした表情を浮かべていた。だがアデルはその仮面の奥に隠された、どこか悲痛そうな思いに気づけない程、鈍感でも無かった。
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「ここは……」
アデルが目を覚ますと、そこは血に塗れた灰色の世界ではなくなっていた。暗くて、暗くて、黒くて、ほんの少し赤い。
まるでアデルその者のような、そんな色に包まれた世界が彼の視界に飛び込んできた。混乱気味のアデルでも、それが現実の世界で無いことぐらいは理解できた。
恐らくあの時、脳のジルを操られたことで夢のような物を見せられているのだろう。アデルはそう考えた。
『い、いやっ……こんなの嘘よ!』
唐突に耳に届いてきたのは、アデルの母親の悲痛な声。声のする方を振り向くと、そこにはアデルの知らない過去が広がっていた。
産まれたばかりのアデルと、彼の容姿を目の当たりにした母の姿。そしてそんな二人を忌々し気に見下ろす伯爵――ルークスの姿がある。
赤ん坊の産声を煩わしいとでも言わんばかりに耳を塞ぐ母親は、現実から逃げているようでもある。
『ど、どうして私の子供が…………よりにもよって、悪魔の愛し子だなんて……』
母親は産まれた子が悪魔の愛し子であることに狼狽し、その声と瞳を不安気に揺らしていた。産まれたばかりの赤ん坊を抱きしめることも無く、まるでアデルが穢れているかのように距離をとっている。
『……赤い瞳に、黒髪…………貴様、よくもこんなゴミを産んでくれたな』
『も、申し訳ありませんっ、ルークス様……』
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『ゴミに与える慈悲は無い……だが、我がクルシュルージュ家に産まれたからには、このゴミは私たちの所有物だ。最大限有効活用しなくてはな』
分かっていたことだった。自分が産まれた時から疎まれ、蔑まれ、望まれていなかった存在だということは。分かっていたつもりだった。だから今更現実を知っても、傷ついたりしない。そうアデルは過信していた。
だが自身の知らない過去を突きつけられ、アデルは不覚にも心に僅かな傷をつけてしまうのだった。
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