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第二章 仲間探求編
67、エルと悪魔の愛し子2
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「はぁっ、はぁっ……クソっ、何でいないんだよ」
夜通し走り回りながらサクマを探していたエルは、息を切らしながら舌打ち混じりにそう漏らした。悪魔の愛し子がその身に宿す、果てしなく底の見えないジルは他者と一線を画すので、その気配を追えばすぐに見つけられるとエルは高を括っていたのだ。想定外の事態を前にエルは歯噛みしてしまう。
「まさか……サクマの意思で出て行ったんじゃないのか?」
エルたちはてっきり、母親の目が離れた隙に赤ん坊――サクマがふらふらと出て行ってしまったものだと思い込んでいた。だからエルもそう遠くまでは行っていないと考え、気配を辿ろうとしたのだが、察知できない程遠くにいるのであれば話は変わってくる。
だがその場合、サクマの力だけでは不可能。つまり、何者かが彼を連れ去った可能性が出てきてしまったのだ。
「みんな!もしかしたらサクマは誰かに連れ去られたのかもしれない!もっと広範囲を探すんだ!」
「っ……」
「?」
赤子を捜索中の亜人たちにエルが呼びかけると、各々「分かった!」などと返事をしたのだが、たった一人だけ全く別の反応を返す亜人がおり、エルは怪訝そうにその彼を観察した。
その彼は中年の亜人で、妙にソワソワとしながら顔を真っ青にしており、エルは彼がどこかに逃げようとしているのではないかと勘ぐり、その腕を力強く握った。
「っ!?な、なんだよっ」
「ねぇ、アンタ。もしかして……何か知ってるんじゃないか?」
「っ!?しっ、知らないっ!……何も知らねぇよ!」
その異常な狼狽っぷりを目の当たりにし、エルは確信した。彼が何かを知っているということを。彼が大声で喚いたことで、他の亜人たちも何事かとエルたちに視線を集め始めた。
「本当に?」
「本当だよっ……俺は何も……」
彼は何も知らないの一点張りだったが次の瞬間、否定することも出来ない程息を呑むことになる。
鋭い風を首元に感じたかと思うと、彼は迫りくるその刃に目を見開いた。
「本当のことを言わないと、僕君のこと殺すよ?」
「ひっ……」
目にも止まらぬ速さで剣を抜き、首元ギリギリまでその刃を持ってくると、エルはそんな脅し文句を口にした。本気で殺すつもりなど毛頭なかったが、エル程の実力者に脅されてしまえばその恐怖は計り知れない。
淡々とした、冷徹なその眼光に睨まれ、彼はその場にへたり込んでしまう。
一方グレイルとサクマの母親も、彼が何かを知っているのではないかとエルの後ろから様子を窺っていた。
「君の隠していることは、君の命と天秤にかけても隠し通さなきゃならないことなのかな?」
「っ…………じ、実はっ……」
死の恐怖を前にしてまで隠し通す覚悟は無かったのか、彼は観念したように口を開いた。
震えた声で彼から告げられた事実に、エルたちは怒りで拳をわなわなと震わせてしまう。
彼の話によると、昨日見知らぬ人間からとある取引を持ち掛けられたようだった。その取引内容は、愛し子を所定の場所に置き去りにすれば、報酬として金銭を支払うというものだった。もちろん他言無用で。
彼は元々、愛し子として生まれてきたサクマのことを良く思っていなかった亜人の一人で、加えて報酬につられてしまったこともあり、出来心でサクマを連れ去ってしまったようだ。
「――で?どこに置いてったの?」
「……華位道国との国境付近の小屋の中に……」
「……確認だけど、法螺じゃないだろうね?僕はまだ剣を収めてはいないんだけど」
きらりと朝陽を反射している剣を近づけられ、彼は真っ青な相好で必死に首肯し続けた。その反応に嘘が無いことを確認したエルは、漸くその物騒な武器をしまう。
そして、エルはどうしたものかと首を捻り――。
「馬使うか」
一刻も早くサクマの元へ向かうため、エルは馬に乗ることにした。もちろんエルたちは亜人なので、その身体能力は目を瞠るものがあるが、それでもやはり体力面などを考慮すると乗馬の方が早いのだ。
「……わ、私も連れて行って……お願い」
「元からそのつもり。あぁでも僕、君を気遣って手加減とかできないから。せいぜい振り落とされないようにしてよね」
やはり我が子のことが心配なのか、同行を申し出た母親にエルは相変わらずの物言いだったが、彼女の気持ちを汲んで同行を許可してやった。
「じじい共は僕を見失わないよう、せいぜい頑張ってついてくるんだね」
「じじいは余計じゃ」
「九百歳がじじいじゃないならこの世に老人なんて者は存在しないよ」
そんな軽口を叩きつつ、エルたちは早速馬に乗って目的地の国境へと向かうのだった。
********
それから小一時間程馬を走らせると、目的地である小屋が段々と見えてきた。そして、その小屋から怪しげな人間が姿を現す。その男の手にはサクマが抱えられており、エルは思わず馬の速度を速めた。
「待て!!」
「っ……ちっ」
エルの声で追手の存在に気づいたその男は、忌々し気に舌打ちをした。エルの後ろで恐る恐るその彼を見つめている母親は、今まさに我が子が連れ去られようとしている事実に顔を真っ青にしている。
エルは母親を置いて一人で馬から下りると、鋭い眼光でその男を睨んだ。
「人間……華位道国の奴かい?」
「あぁ……ていうか、そういうお前も人間だろうが」
「生憎君が僕をどう思おうと興味はないんだよね。だから否定も肯定もしないよ……そんなことよりも、その子を返してくれるかな?」
エルがその男を華位道国の人間だと推測したのは、単純にここが華位道国との国境付近だからだ。一方その男の方は妙な勘違いしていたが、エルがその間違いを訂正することは無かった。エルは他の亜人とは違い、動物の特徴が身体に現れないので、その男の勘違いはエルにとって慣れっこである。
「そりゃ無理な話だ。俺だって好きでこんなことしている訳じゃないんだぜ?……仕事なんだよ。それに、今更このガキを取り戻したところで、良いことなんて一つも無いんじゃねぇの?」
「それは……どういう意味かな?」
「コイツはもう亜人でも生き物でもねぇんだよ。悪魔の愛し子としての力を持つだけの、ただの人形だ」
「?……お前、サクマに何をした?」
飄々とした態度で男が意味深なことを語ると、エルは嫌な予感を察知してしまった。自然と、男を睨むエルの眼力が強くなっていく。
「おーこわ……別に?ちょっとした精神支配さ。赤ん坊だから簡単だったぜ?」
「精神支配って……」
怖いと言いつつ、ヘラヘラと余裕そうな表情を崩さない彼から発せられた事実に、母親は言葉を失ってしまう。だがエルただ一人だけが、冷静にその言葉の意味を考えていた。
そんな中、エルの後を追っていたグレイルたちが漸く到着し、彼らは怪訝そうにその男を観察している。
「……なるほど。つまり華位道国は、意思を失くしたサクマの力を駒として利用するつもりなのか。サクマが死ぬまでずっと、奴隷のように」
「「っ!?」」
「戦争馬鹿の華位道国が考えそうなことだな」
エルの推測に、母親たちは驚きで目を見開いた。グレイルたちに至っては状況を理解できていないので、その衝撃は一入である。
年中争いごとが絶えない華位道国は常に強い戦闘力を欲している。その為強い戦士などは問答無用で戦争に駆り出されるので、悪魔の愛し子は制御さえ出来れば華位道国にとって喉から手が出るほど欲しい人材なのだ。
「ご明察。華位道国は亜人の国も狙っているから、いずれは目の上のたん瘤になるだろうなぁ……こんな風に」
「「っ!?」」
ニヤリと男が破顔した途端、サクマの身体に異変が起こる。ふらふらと操られているように腕を上げると、エルたちに向けてジルの衝撃波を放ったのだ。
咄嗟にエルは後ろのグレイルたちを庇う結界を張ると同時に、向けられたジルを自身の体に吸収した。吸収できなかった分のジルを結界で防いだことで、エルたちに被害は及ばなかった。
まだ幼いサクマがジルを操れるはずも無いので、今の攻撃は完全にあの男の意志によるものだ。
「俺が命令するだけで誰彼構わず攻撃しちまうんだ。厄介だろ?」
このままでは今後、華位道国が亜人の国に宣戦布告した際、敵になるのは精神支配をされているサクマだ。悪魔の愛し子の力を持つサクマが敵になってしまえば、厄介どころの話ではない。その上、サクマは自分の意志とは関係なしに故郷に牙をむくことになり、エルたちもそんなサクマと戦わなければならなくなるのだ。
悪趣味にも程がある華位道国のやり方に、エルは顔を顰めた。
「……なら。サクマにかけた妙な術を解くだけだ。君をぶっ飛ばした後にね」
「ハハッ!無理無理。このガキにかかってるのはジルの術じゃねーもん」
「なに?」
「俺は所謂陰陽師って奴でな。操志者が使う術とは違う類の力を行使できるんだよ」
「陰陽師?そんなの聞いたこと無いけど」
「そりゃねぇだろうな。陰陽師がいるのは華位道国とアオノクニぐらいなもんだし」
「アオノクニ、ねぇ……」
アオノクニ。この世界に生きる者であれば誰もが例外なく知るその国。エルももちろんその国は知っていたが、訪れたことは無かった。アオノクニとは、五千年前大罪を犯した悪魔を討伐した〝勇者〟が生き、今ではその祖先が暮らしている国だ。
伝説の勇者の祖国とあって有名な国なのだが、同時に謎が多いのもその国の特徴であった。
存在さえ知らなかったエルが、陰陽師の術を解ける道理はない。
「……?ねぇ。サクマが苦しんでいるように見えるんだけど、まさか術の影響なのか?」
男の腕に拘束されているサクマが、何やら苦し気に呼吸していることにエルは気づいた。
「あぁ。この術は対象が死ぬ以外に解く方法がねぇから、この愛し子は一生体内を食い破られるような感覚に苦しみながら、術者の命令にしか従えない奴隷人形に成り果てるんだよ」
男から告げられた残酷な真実に、母親は思わず口元を覆って叫び声を呑みこんだ。一方のエルは、顔を顰めながら懊悩している。
(どうする……?この男が嘘をついている可能性もある。例えば、他の陰陽師であれば術を解けるとか……でもそんな知り合いはいないし、探すとなるとかなりの時間を要する。そう簡単に見つかるとも思えないし、見つかっても協力してくれるとは限らない。なんせ相手は悪魔の愛し子だ。それにコイツの話が本当だとすれば全てが無駄になる。それにこうしている間にもサクマは、耐え難い苦痛に耐えているんだぞ?術云々は関係なしに、本当に精神が壊れてしまったら、例え術が解けても元には戻らないんじゃないか?それに、悠長なことを言っている間にサクマが敵になったらどうする?成長した悪魔の愛し子と本気でやり合う程無謀なことは無い。なんせほぼ不老不死なんだから……どうする?何が最善だ?どうすればいい……?)
考えすぎるあまり、エルはどんどん表情を険しくしていく。悩む一方、エルは最初からたった一つの決断に辿り着いていた。ただその結論に至るのが憚れて、何とかもう一つの選択肢を探し求めているのだ。
ふと、答えを求めるようにサクマを視線を向けると、エルは目を見開いた。サクマは赤ん坊のそれとは思えない程静かに、助けを乞うような涙を流していたから。
その涙を見た瞬間エルの中でカチッと、何かが決定的に嵌る感覚があった。
「まぁそういうわけだから、コイツのことは諦……」
ブシャッ……。
……一瞬の出来事だった。
グレイルたちが気づいた時には、もう全てが終わってしまっていた。エルは剣を抜きながら駆け出すと、男に抱えられていたサクマの首を、その男ごと斬ったのだ。
男は上半身と下半身が分かれた状態で、白目を剥いて後ろ向きに呆気なく倒れ込んだ。そして腕の拘束からようやく解放されたサクマの身体は地面に落ち、刎ねられた首は遠くに飛ばされ転がった。
「「…………」」
全員が、何が何やら分からず言葉を発することが出来なかった。そしてエルは何も言わないまま、静かにその剣を鞘に収めた。
首を刎ねられたサクマは、酷く穏やかな相好をしていた。少なくとも、術のせいで苦しんでいた先刻よりはずっと穏やかな。
「……後は頼んだよ。じじい共」
「…………エルっ、ど、どこに行くのじゃ……おいエルっ!」
「……」
エルはそれだけ言うと、馬に乗ってあっさりと祖国へと帰ってしまった。グレイルはそんなエルを呼び止めようと当惑気味に声を上げたが、母親の方は茫然自失としたまま膝から崩れ落ちている。
「……いやあああああああああああああああああああ!!」
彼女の甲高い慟哭が響き渡った。
何故、エルが何も言わずにサクマを殺したのかは誰にも分からない。あの時エルがどういう思いでサクマの首を刎ねたのかも。どうして何も言わずに消えてしまったのかも。
彼らに分かるのは事実だけ。
一瞬で息の根を止められたサクマがあれ以上苦しむことは無かった。サクマが自身の意思とは関係なしに祖国に牙をむくことも無かった。華位道国がサクマの力を利用して攻め込んでくるという未来も来なかった。サクマの人生が、苦しみや血に塗れたものになることも無かった。
――エルに殺されて、サクマが死んだ。
その事実だけ――。
夜通し走り回りながらサクマを探していたエルは、息を切らしながら舌打ち混じりにそう漏らした。悪魔の愛し子がその身に宿す、果てしなく底の見えないジルは他者と一線を画すので、その気配を追えばすぐに見つけられるとエルは高を括っていたのだ。想定外の事態を前にエルは歯噛みしてしまう。
「まさか……サクマの意思で出て行ったんじゃないのか?」
エルたちはてっきり、母親の目が離れた隙に赤ん坊――サクマがふらふらと出て行ってしまったものだと思い込んでいた。だからエルもそう遠くまでは行っていないと考え、気配を辿ろうとしたのだが、察知できない程遠くにいるのであれば話は変わってくる。
だがその場合、サクマの力だけでは不可能。つまり、何者かが彼を連れ去った可能性が出てきてしまったのだ。
「みんな!もしかしたらサクマは誰かに連れ去られたのかもしれない!もっと広範囲を探すんだ!」
「っ……」
「?」
赤子を捜索中の亜人たちにエルが呼びかけると、各々「分かった!」などと返事をしたのだが、たった一人だけ全く別の反応を返す亜人がおり、エルは怪訝そうにその彼を観察した。
その彼は中年の亜人で、妙にソワソワとしながら顔を真っ青にしており、エルは彼がどこかに逃げようとしているのではないかと勘ぐり、その腕を力強く握った。
「っ!?な、なんだよっ」
「ねぇ、アンタ。もしかして……何か知ってるんじゃないか?」
「っ!?しっ、知らないっ!……何も知らねぇよ!」
その異常な狼狽っぷりを目の当たりにし、エルは確信した。彼が何かを知っているということを。彼が大声で喚いたことで、他の亜人たちも何事かとエルたちに視線を集め始めた。
「本当に?」
「本当だよっ……俺は何も……」
彼は何も知らないの一点張りだったが次の瞬間、否定することも出来ない程息を呑むことになる。
鋭い風を首元に感じたかと思うと、彼は迫りくるその刃に目を見開いた。
「本当のことを言わないと、僕君のこと殺すよ?」
「ひっ……」
目にも止まらぬ速さで剣を抜き、首元ギリギリまでその刃を持ってくると、エルはそんな脅し文句を口にした。本気で殺すつもりなど毛頭なかったが、エル程の実力者に脅されてしまえばその恐怖は計り知れない。
淡々とした、冷徹なその眼光に睨まれ、彼はその場にへたり込んでしまう。
一方グレイルとサクマの母親も、彼が何かを知っているのではないかとエルの後ろから様子を窺っていた。
「君の隠していることは、君の命と天秤にかけても隠し通さなきゃならないことなのかな?」
「っ…………じ、実はっ……」
死の恐怖を前にしてまで隠し通す覚悟は無かったのか、彼は観念したように口を開いた。
震えた声で彼から告げられた事実に、エルたちは怒りで拳をわなわなと震わせてしまう。
彼の話によると、昨日見知らぬ人間からとある取引を持ち掛けられたようだった。その取引内容は、愛し子を所定の場所に置き去りにすれば、報酬として金銭を支払うというものだった。もちろん他言無用で。
彼は元々、愛し子として生まれてきたサクマのことを良く思っていなかった亜人の一人で、加えて報酬につられてしまったこともあり、出来心でサクマを連れ去ってしまったようだ。
「――で?どこに置いてったの?」
「……華位道国との国境付近の小屋の中に……」
「……確認だけど、法螺じゃないだろうね?僕はまだ剣を収めてはいないんだけど」
きらりと朝陽を反射している剣を近づけられ、彼は真っ青な相好で必死に首肯し続けた。その反応に嘘が無いことを確認したエルは、漸くその物騒な武器をしまう。
そして、エルはどうしたものかと首を捻り――。
「馬使うか」
一刻も早くサクマの元へ向かうため、エルは馬に乗ることにした。もちろんエルたちは亜人なので、その身体能力は目を瞠るものがあるが、それでもやはり体力面などを考慮すると乗馬の方が早いのだ。
「……わ、私も連れて行って……お願い」
「元からそのつもり。あぁでも僕、君を気遣って手加減とかできないから。せいぜい振り落とされないようにしてよね」
やはり我が子のことが心配なのか、同行を申し出た母親にエルは相変わらずの物言いだったが、彼女の気持ちを汲んで同行を許可してやった。
「じじい共は僕を見失わないよう、せいぜい頑張ってついてくるんだね」
「じじいは余計じゃ」
「九百歳がじじいじゃないならこの世に老人なんて者は存在しないよ」
そんな軽口を叩きつつ、エルたちは早速馬に乗って目的地の国境へと向かうのだった。
********
それから小一時間程馬を走らせると、目的地である小屋が段々と見えてきた。そして、その小屋から怪しげな人間が姿を現す。その男の手にはサクマが抱えられており、エルは思わず馬の速度を速めた。
「待て!!」
「っ……ちっ」
エルの声で追手の存在に気づいたその男は、忌々し気に舌打ちをした。エルの後ろで恐る恐るその彼を見つめている母親は、今まさに我が子が連れ去られようとしている事実に顔を真っ青にしている。
エルは母親を置いて一人で馬から下りると、鋭い眼光でその男を睨んだ。
「人間……華位道国の奴かい?」
「あぁ……ていうか、そういうお前も人間だろうが」
「生憎君が僕をどう思おうと興味はないんだよね。だから否定も肯定もしないよ……そんなことよりも、その子を返してくれるかな?」
エルがその男を華位道国の人間だと推測したのは、単純にここが華位道国との国境付近だからだ。一方その男の方は妙な勘違いしていたが、エルがその間違いを訂正することは無かった。エルは他の亜人とは違い、動物の特徴が身体に現れないので、その男の勘違いはエルにとって慣れっこである。
「そりゃ無理な話だ。俺だって好きでこんなことしている訳じゃないんだぜ?……仕事なんだよ。それに、今更このガキを取り戻したところで、良いことなんて一つも無いんじゃねぇの?」
「それは……どういう意味かな?」
「コイツはもう亜人でも生き物でもねぇんだよ。悪魔の愛し子としての力を持つだけの、ただの人形だ」
「?……お前、サクマに何をした?」
飄々とした態度で男が意味深なことを語ると、エルは嫌な予感を察知してしまった。自然と、男を睨むエルの眼力が強くなっていく。
「おーこわ……別に?ちょっとした精神支配さ。赤ん坊だから簡単だったぜ?」
「精神支配って……」
怖いと言いつつ、ヘラヘラと余裕そうな表情を崩さない彼から発せられた事実に、母親は言葉を失ってしまう。だがエルただ一人だけが、冷静にその言葉の意味を考えていた。
そんな中、エルの後を追っていたグレイルたちが漸く到着し、彼らは怪訝そうにその男を観察している。
「……なるほど。つまり華位道国は、意思を失くしたサクマの力を駒として利用するつもりなのか。サクマが死ぬまでずっと、奴隷のように」
「「っ!?」」
「戦争馬鹿の華位道国が考えそうなことだな」
エルの推測に、母親たちは驚きで目を見開いた。グレイルたちに至っては状況を理解できていないので、その衝撃は一入である。
年中争いごとが絶えない華位道国は常に強い戦闘力を欲している。その為強い戦士などは問答無用で戦争に駆り出されるので、悪魔の愛し子は制御さえ出来れば華位道国にとって喉から手が出るほど欲しい人材なのだ。
「ご明察。華位道国は亜人の国も狙っているから、いずれは目の上のたん瘤になるだろうなぁ……こんな風に」
「「っ!?」」
ニヤリと男が破顔した途端、サクマの身体に異変が起こる。ふらふらと操られているように腕を上げると、エルたちに向けてジルの衝撃波を放ったのだ。
咄嗟にエルは後ろのグレイルたちを庇う結界を張ると同時に、向けられたジルを自身の体に吸収した。吸収できなかった分のジルを結界で防いだことで、エルたちに被害は及ばなかった。
まだ幼いサクマがジルを操れるはずも無いので、今の攻撃は完全にあの男の意志によるものだ。
「俺が命令するだけで誰彼構わず攻撃しちまうんだ。厄介だろ?」
このままでは今後、華位道国が亜人の国に宣戦布告した際、敵になるのは精神支配をされているサクマだ。悪魔の愛し子の力を持つサクマが敵になってしまえば、厄介どころの話ではない。その上、サクマは自分の意志とは関係なしに故郷に牙をむくことになり、エルたちもそんなサクマと戦わなければならなくなるのだ。
悪趣味にも程がある華位道国のやり方に、エルは顔を顰めた。
「……なら。サクマにかけた妙な術を解くだけだ。君をぶっ飛ばした後にね」
「ハハッ!無理無理。このガキにかかってるのはジルの術じゃねーもん」
「なに?」
「俺は所謂陰陽師って奴でな。操志者が使う術とは違う類の力を行使できるんだよ」
「陰陽師?そんなの聞いたこと無いけど」
「そりゃねぇだろうな。陰陽師がいるのは華位道国とアオノクニぐらいなもんだし」
「アオノクニ、ねぇ……」
アオノクニ。この世界に生きる者であれば誰もが例外なく知るその国。エルももちろんその国は知っていたが、訪れたことは無かった。アオノクニとは、五千年前大罪を犯した悪魔を討伐した〝勇者〟が生き、今ではその祖先が暮らしている国だ。
伝説の勇者の祖国とあって有名な国なのだが、同時に謎が多いのもその国の特徴であった。
存在さえ知らなかったエルが、陰陽師の術を解ける道理はない。
「……?ねぇ。サクマが苦しんでいるように見えるんだけど、まさか術の影響なのか?」
男の腕に拘束されているサクマが、何やら苦し気に呼吸していることにエルは気づいた。
「あぁ。この術は対象が死ぬ以外に解く方法がねぇから、この愛し子は一生体内を食い破られるような感覚に苦しみながら、術者の命令にしか従えない奴隷人形に成り果てるんだよ」
男から告げられた残酷な真実に、母親は思わず口元を覆って叫び声を呑みこんだ。一方のエルは、顔を顰めながら懊悩している。
(どうする……?この男が嘘をついている可能性もある。例えば、他の陰陽師であれば術を解けるとか……でもそんな知り合いはいないし、探すとなるとかなりの時間を要する。そう簡単に見つかるとも思えないし、見つかっても協力してくれるとは限らない。なんせ相手は悪魔の愛し子だ。それにコイツの話が本当だとすれば全てが無駄になる。それにこうしている間にもサクマは、耐え難い苦痛に耐えているんだぞ?術云々は関係なしに、本当に精神が壊れてしまったら、例え術が解けても元には戻らないんじゃないか?それに、悠長なことを言っている間にサクマが敵になったらどうする?成長した悪魔の愛し子と本気でやり合う程無謀なことは無い。なんせほぼ不老不死なんだから……どうする?何が最善だ?どうすればいい……?)
考えすぎるあまり、エルはどんどん表情を険しくしていく。悩む一方、エルは最初からたった一つの決断に辿り着いていた。ただその結論に至るのが憚れて、何とかもう一つの選択肢を探し求めているのだ。
ふと、答えを求めるようにサクマを視線を向けると、エルは目を見開いた。サクマは赤ん坊のそれとは思えない程静かに、助けを乞うような涙を流していたから。
その涙を見た瞬間エルの中でカチッと、何かが決定的に嵌る感覚があった。
「まぁそういうわけだから、コイツのことは諦……」
ブシャッ……。
……一瞬の出来事だった。
グレイルたちが気づいた時には、もう全てが終わってしまっていた。エルは剣を抜きながら駆け出すと、男に抱えられていたサクマの首を、その男ごと斬ったのだ。
男は上半身と下半身が分かれた状態で、白目を剥いて後ろ向きに呆気なく倒れ込んだ。そして腕の拘束からようやく解放されたサクマの身体は地面に落ち、刎ねられた首は遠くに飛ばされ転がった。
「「…………」」
全員が、何が何やら分からず言葉を発することが出来なかった。そしてエルは何も言わないまま、静かにその剣を鞘に収めた。
首を刎ねられたサクマは、酷く穏やかな相好をしていた。少なくとも、術のせいで苦しんでいた先刻よりはずっと穏やかな。
「……後は頼んだよ。じじい共」
「…………エルっ、ど、どこに行くのじゃ……おいエルっ!」
「……」
エルはそれだけ言うと、馬に乗ってあっさりと祖国へと帰ってしまった。グレイルはそんなエルを呼び止めようと当惑気味に声を上げたが、母親の方は茫然自失としたまま膝から崩れ落ちている。
「……いやあああああああああああああああああああ!!」
彼女の甲高い慟哭が響き渡った。
何故、エルが何も言わずにサクマを殺したのかは誰にも分からない。あの時エルがどういう思いでサクマの首を刎ねたのかも。どうして何も言わずに消えてしまったのかも。
彼らに分かるのは事実だけ。
一瞬で息の根を止められたサクマがあれ以上苦しむことは無かった。サクマが自身の意思とは関係なしに祖国に牙をむくことも無かった。華位道国がサクマの力を利用して攻め込んでくるという未来も来なかった。サクマの人生が、苦しみや血に塗れたものになることも無かった。
――エルに殺されて、サクマが死んだ。
その事実だけ――。
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