レディバグの改変<L>

乱 江梨

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第三章 神界編

97、零の一歩

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 それから。メイリーンはアポロンに様々なことを尋ねた。

 どのようにして天界から歌を聴いているのか。アポロン以外の天界の住人も、メイリーンの歌を聴いたことがあるのか。アポロンの力の詳細――何が可能で、何が出来ないのか。

 これまでいくら知りたくても、問いかけることすら出来なかったその全てを。メイリーンはアポロンにぶつけた。

 彼女の問い一つ一つに、アポロンは丁寧に答えてくれた。その代わりの報酬と言っては何だが、アポロンは彼女の歌を所望し、ちょっとしたコンサート擬きまで開催されることになった。

 もちろん場所は、謹慎中のアポロンの部屋の中である。……謹慎とは何たるか。

 ********

 アデルが修練を終えるその時まで、リオたちはアポロンの部屋で寝泊まりすることになった。何故かと言えば、アポロンが強く望んだからだ。リオたちとしては特に断る理由など無いのだが、アポロンがそれを提案した瞬間は全員が思ってしまった。

 この男は本当に、謹慎という言葉の意味を分かっているのだろうか。と。

 アポロンがそれを、完全なお泊り会気分で提案しているのは、表情からして明らかだったので、皆当惑してしまったのだ。

 恐る恐る武尽の様子を窺うと、心底興味が無いとでも言わんばかりの相好をしており、取り敢えず問題無いことだけは確認できた。

 そんなこんなで、アポロンの部屋で暇を潰すことになってから、時間は緩やかに過ぎて行く。途中、慣れない場所での疲れを癒すように睡眠を取ったこともあり、気づけば彼らがアデルと別れてから一日が経過していた。

 ――そして、一日間ぶっ続けで修練に励んでいたアデルはというと。


「はぁ……まさか一日でマスターしちゃうなんて。命は愛し子くんのこと、少々見縊っていたようだ」


 その一日間で、魂を操る術と、前世の記憶を保持した状態にする方法を完全に習得していた。思わず、命は遠い目をしてしまう。


「命殿の教え方が上手いのだ。我は今も昔も、良い師に恵まれている」
「確かにそうかもしれないけどね、君自身の力あってこその結果なんだから。それを忘れてはいけないよ」


 優しく与えられる言葉に、心が弾む。同時に、一体どれが本当の命なのだろうかと、不安に駆られる。

 アデルはこの存在を、一生かけたって理解することなど出来ない。それでも良いと思わせてくれる所が、命の長所なのではないかと。今ではそう思えるようになっていた。


「……」
「どうしたの?愛し子くん。これから大好きな師匠に再会できるかもしれないっていうのに、そんな難しい顔をして」


 眉間に皺を寄せた、神妙なその面持ちを命は覗き込む。探る様に、揶揄う様に。

 命は心が読めるのだから、いちいち聞く必要は無いだろう。そう言おうとしたアデルの口が開かれることは無い。何故なら特訓の最中、既に尋ねていたからだ。

 その時の命の答えは「常に心の声を聞いている訳ではない」であった。

 命は自身が必要とした時だけその力を使い、常時他人の心の声を聞いているわけでは無いのだ。よくよく考えてみれば、常に他人の声が聞こえてきては気が散ってしまうので、命の意見は正論である。


「――五千年前の悪魔にも、世界を愛する本能はあったと命殿は言っていたが、ならば何故、その悪魔は世界を滅ぼそうとしたのだ?」


 五千年前の悪魔が世界を滅ぼそうとした。
 五千年前の悪魔は世界を愛していた。

 この二つは完全に矛盾しており、アデルは首を傾げざるを得ない。どちらかの主張が偽りなのか、それとも他に理由があるのか。アデルの頭では、この短時間で答えに辿り着くことなど出来なかった。


「それは君自身が考えることさ。命には教えられない。そのヒントをあげてやっただけでも感謝して欲しいものだよ」
「そうか。ありがとう、命殿」


 眩しい程の笑みは、皮肉を言ったばかりの命にはあまりにも毒である。しかもそれを一身に向けられた命は、思い切り顔を顰めた。


「……君、その素敵な笑顔でありがとうって言っておけば、何とかなるとか思ってないだろうね?いや、思ってないから余計に問題なんだろうね……」
「……?」


 ブツブツと自嘲混じりに呟く命。キョトンと、アデルは首を傾げた。

 アデルはその笑顔と素直な物言いで、無自覚に相手を誑し込むきらいがある。本人に悪気と自覚が一切無いので、余計に質が悪い。

 命はアデルに振り回されるであろう仲間たちを思い、心の中で合掌する。


「――じゃあ、この子の転生先を教えておくね」


 命は言った。途端、アデルの目が見開かれる。


「まだ魂すら込められていない、母親のお腹の中に出来たばかりの赤子だ。その母親のお腹に魂を入れ込めば、自然と赤子に亜人の魂は宿る。その赤子は生まれてすぐ、母親に捨てられる運命だから。そこを拾ってあげればいいさ」


 淡々とした口調で知らされた事実に、アデルは眉を顰める。彼はやはり、何でも無い様な顔で、残酷な真実を告げる命のことが苦手らしい。


「捨てられてしまうのか?」
「うん。命未来も見えるから。変な横やりを入れない限り、この運命は覆らないよ」
「……分かったのだ」


 色々と、言いたいことはいくつかあったが、それを吞み込むようにしてアデルは言った。


「あのさぁ愛し子くん」


 呆れたような命の声が、アデルの鼓膜には鮮烈に響いた。決意は立派だというのに、いつまで経っても思い悩んでばかりの彼を、咎める様な声音だった。


「捨てられる赤子は愛し子くんが拾う手筈なんだから、そんなに思い悩む必要無いと思うけど?それに、その赤子の中身は君の師匠なんだから、その程度のことで傷ついたりしないだろう?
 寧ろ、その赤子が普通に生まれてきたら、未成熟なその子はきっと傷つき、苦しむだろうね。心無い親のせいで苦しむことなる哀れな子供を一人減らすんだ。もう少し晴れ晴れとした顔をしたらどうかな?」


 あっけらかんと提案する命だったが、アデルはどうしてもそんな気持ちにはなれなかった。

 捨てられる運命にある赤子をエルの転生体にすることは、アデルの意思によって行うことだ。悪く言えば、アデルの勝手である。それを理解しているからこそ、誰かを救ってやったなどと。そんな風に彼は思えなかったのだ。


「……決めたことに関して、これ以上悩む必要は無いという意見だけは、我も同意である。それ以外のことは、我が決める問題では無いのだ」
「そ……君がそう思うのなら、好きにするといいさ。命だって、全てを正しい方向に導けるわけじゃないし」


 命は含みのある笑みを浮かべた。そして――。


「愛し子くんの特訓終わったから戻っておいでぇ」


 対照的な、明朗快活な声で言った。誰に向けた言葉か分からない上、呼びかけるにしては小さな声である。この呼びかけに応じる者がいるのだろうか?アデルは首を傾げた。


「命殿?」
「転生者くんたち、今から戻って来るよ」
「?」


 命が言った刹那、慣れた気配を感じる。振り向くと、そこには転移術で戻ってきたリオたちに加えて、武尽の姿があった。
 武尽は背筋が凍ってしまいそうな、まさしく鬼の形相で命を睨みつけている。一方、睨みだけで殺されてしまいそうなそれを受けている命は対照的に、嬉々とした相好を露わにしていた。


「アデルん習得するの早すぎ……」
「リオっ!会いたかったのだ」
「…………」


 キラキラとした瞳。喜びで上気する頬。何かを期待しているような眼差し。
 リオたちにははっきりと見えた。存在するはずの無い、犬耳と尻尾の姿が。その尻尾はアデルの後ろで、ぶんぶんと激しく振られている。

 思わずリオは彼の頭を「よしよし」と撫でてしまう。条件反射だから仕方が無い。リオは自分自身にそんな言い訳をした。

 欠伸が出てしまう程平和的な光景が繰り広げられる一方で。

 命と武尽の間では、ただならぬ雰囲気が醸し出されていた。


「武尽~。もしかしてあの子たちの面倒見てくれたの?武尽は良い子だねぇ」
「んなことはどうでも良いんだよクソ命。吾輩は貴様に色々と尋問したいことが山ほどあるのでな」
「えへへ。たけたけったら尋問だなんて物騒なこと言ってぇ。コラ!命怒っちゃうぞ?なーんてね、あハハッ!」


 ニコニコと締まりのない表情で、武尽の一本角をツンと突く。途端、バキバキバキッと、夥しいほどの血管が彼の額や蟀谷に浮く。

 満面の笑みで何故かご機嫌な命。今にも堪忍袋の緒が切れてしまいそうな程、険しい表情の武尽。その対比は、最早戦慄してしまう程凄まじい。


「とりあえずその気持ちわりぃヘラヘラした面を何とかしやがれ。殺すぞ」
「あハハッ。武尽には無理だねぇ」
「っ……コロス」
「だから無理だってばぁ。たけたけは学習しないんだから」


 武尽の拳が行く先も定まらぬまま、わなわなと震えている。命の力をアデルたち以上に理解しているからこそ、迂闊に手を出すことが出来ないのだろう。


「武蔵。言い忘れてたけど、ここまで色々ありがとね」
「あ゛?……お、おう」


 一触即発な雰囲気を放っている二人の間に、躊躇無く割って入ったリオ。その唐突さは、憤慨していた武尽が困惑ついでに冷静になる程である。
 一方、傍観していた彼らは、リオの強靭すぎるメンタルに恐れ戦いている。


「アデルん。俺らもうアンレズナに帰るのよね?」
「あぁ」
「そういう訳だから、武蔵とはお別れね」
「?……だから何だ」


 武尽は怪訝そうに首を傾げた。リオたちとの別れなど、心底どうでも良いとでも言いたげな表情で。
 思わずリオは、ムッと眉を顰めて尋ねる。


「武蔵には情緒っていうものが無いわけ?」
「……おいクソ命。コイツが何を言いたいのか全く分からんのだが」


 武尽は本気で意味が分からず、命に助けを求めた。命が他人の心を読めることを知っているからこその人選である。

 つい先刻まで息巻いていたというのに、いざとなれば命を頼ってしまう武尽。何とも言えない優越感に浸った命は、緩む口元を制御できない。


「武尽がちっとも寂しそうにしないからムカつくんだよ」
「あぁ…………貴様らのことなど、五十年もすればどうせ忘れるのでな。どうとも思わん」
「あっそ」


 不満気な表情のまま、リオは冷たく返す。
 神々と人間の感覚が異なるのは当たり前。彼にとってリオたちと過ごした時間など、瞬きするほど短い感覚なのだ。
 それを理解したからこそ、リオはそれ以上食い下がることをしなかった。

 だが、いたずらっ子のような表情をした命が、ほんの少しだけ潜めた声で言った。


「あ、ここだけの話……武尽ツンデレだから、今のは〝忘れないようにたまには会いに来い〟って意味で……」
「クソ命少し黙れ」


 嬉々として告げ口しようとする命の声は、再び鬼の形相と化した武尽によって遮られる。
 武尽が意地になって遮ろうとするのは、それが事実だから。武尽の意外な一面を知り、思わずリオたちは顔を綻ばせた。


「なーんだ。武蔵も本当は寂しいのね。それなら正直に言えばいいのにぃ……暇な時転移術で来てあげるから。そんなに寂しがらなくてもいいのよ?」
「調子に乗るな」


 武尽が一喝した途端、その場に彼らの笑い声が木霊する。


「転生者くんの言葉を借りる訳じゃないけど、何か困ったことがあればいつでもおいで。アドバイスぐらいならしてあげるよ?」
「感謝するのだ。命殿」


 命との別れを惜しむような笑みと共に、アデルは言った。

 コノハの待つアンレズナへ、帰還する時間が迫る。彼らはアデルの転移術で戻る為、一か所にぎゅっと集まった。

 自分たちを見送るように佇む二人に視線を向ける。不意に、リオは少し残念そうな相好で、


「こんなに早く帰ることになるんなら、あの時静由っちに、ちゃんとお礼とお別れ言っとけばよかったわ」


 と、後悔を漏らした。
 静由には当初、色々と世話になったので、キチンと礼を尽くせていないことが心残りなのだ。


「静由には吾輩から伝えておこう。直接礼がしたいのなら、アイツが起きるタイミングを見計らって、またここに来ればいい」
「それもそうね。武蔵、ありがとう」


 軽い口調でリオは返す。次の瞬間、クツクツと、堪え切れなくなったような笑い声が響く。思わず笑い声の源を振り向くと、命が腹を抱えながら必死に声を抑えている姿があった。


「……ふっ、くくっ……ふふふっ…………武尽相手にっ……こんなにフランクに接する人間、そうそういないって……面白過ぎるっ……」
「命……コイツらが帰ったら色々と覚えておけよ」


 もう色々と何かが溢れ出てしまいそうな武尽を見て、皆思う。
 これだけ煽られてもまだ、感情が爆発していない武尽を見て、皆思う。

 何て凄まじい忍耐力なのだと。人を見た目で判断するなとはよく言ったものである。


「――では、我らはそろそろ戻るのだ。命殿、我の目的の為に教えを授けてくれたこと、本当に感謝するのだ。もし、今後我に何かできることがあれば、遠慮なく言って欲しい」
「っ!」


 アデルは一切の迷いなく言った。

 命は確かに言った。アデルたちに出来ることなど何もないと。命は、望みさえすれば自分自身の力で何でも可能にしてしまうから。
 アデルはその言葉を忘れたわけでは無い。その事実を理解した上で、心の底から本音を吐露したのだ。


「出来ることなんて無いって言っているのに……まったく、君っていう子は本当に面白いんだから」


 呆れを通り越し、感心するように命は呟く。だがそこに、アデルを嘲るような意図は一切込められていない。

 アデルは破顔一笑する。目一杯の感謝と、別れの思いを込めて。

 その笑顔だけで察した彼らは、アデルの身体にそっと触れる。そして、アデルは転移術を行使した。

 天界から離れる刹那、命がほんの少し哀愁滲む表情で手を振る。その姿を、彼らははっきりと目に焼き付けた。そして――。


「愛し子くん。悪魔コノハくんのこと、よろしくね」


 託すような命の声が届いた直後、アデルたちは天界から立ち去る。大きすぎる程の成果を連れて。

 彼らは一歩を踏み出した。

 エルと再会するという、アデルの願いを叶えるための、大きすぎる一歩を。

 そしてこの一歩が、全ての始まり――零の瞬間だった。


 やがて常識を、人々の固定観念を、世界をも覆す――。

 誰もがその名を恐れ、その名に惹かれ、その名を敬い、誰もがその名を知ることになる。


 レディバグ――彼らが世界を改変するその時まで。その長い長い道のりの。

 ――ゼロ。始まりの改変、その大きすぎる一歩であった。


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