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人民革命

混乱

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【50年前】

 大陸歴1660年11月10日・ブラミア帝国・首都アリーグラード

 帝国軍司令官ボリス・ルツコイ、副司令官ユルゲン・クリーガーは治安部隊からの報告を受け、軍を率いて住民を鎮圧するため兵士たちに出動の命令を発した。しかし、いつもなら兵が中庭に集まっているはずだが、重装騎士団を除いて一般の兵士達はほとんど集まって来ない。
「なんということだ」。
 ルツコイとユルゲンは狼狽した。
 軍の一般兵士は多くが北部の貧困地帯の出身の者なので、住民の鎮圧に参加するのを拒否しているのだ。また、その兵士たちも蜂起の機会をうかがっているのか、城の兵舎に立てこもっているという報告が入った。ルツコイは配下の重装騎士団を兵舎に向かわせた。
 そして、しばらくして兵士たちが兵舎を出て来て、重装騎士団と戦闘が始まったという報告が入った。
 城内の兵士の数は二千人に上る。一方の重装騎士団は精鋭と言えども三百人程度、数では遥かに勝る兵士達に太刀打ちできるはずもない。

 ルツコイはしばらくうつむいて考えた後、口を開いた。
「このままでは陛下に危害が及ぶ可能性がある」。ルツコイは、傍にいたユルゲンに大声で言った。「陛下を城から脱出させよう。ベルナツキーに事情を話して脱出するように伝えてくれ」。
「わかりました」。
 ユルゲンは敬礼し、急いで城の皇帝の部屋に向かう。階段を駆け上がり長い廊下を進み皇帝の部屋の前へ到着すると、扉の前で警備をしている親衛隊員たちに事情を話す。親衛隊の一人が副隊長のベルナツキーに、皇帝が城を脱出することを報告に行った。ベルナツキーが到着するのを待って、ユルゲンと二人で皇帝の部屋に入る。

 中では皇帝イリアが不安そうに窓の外を眺めていた。
 二人は跪く。ベルナツキーが、やや大きめの声で言った。
「陛下。住民や兵士達が反乱を起こしています。このままでは陛下の身が危険です。城を脱出してください」。
 皇帝は窓の外に視線をやったまま質問した。
「もう、どうすることもできないのですね」。
「申し訳ございません」。
 ベルナツキーは深く頭を下げる。その横でユルゲンが苦渋に満ちた表情をしていた。皇帝は二人の様子を見て、少し考えてから言った。
「わかりました。城を出ましょう」。
「荷物をまとめているお時間はありません、すぐに馬車の方へ」。
 ベルナツキーと大勢の親衛隊隊員が皇帝の部屋の前に集まって来た。
 イリアは隊員達に囲まれ護衛されながら、城の中を移動する。ユルゲンもそれに続く。

 ベルナツキーは、皇帝が馬車に乗ったのを確認する。馭者は親衛隊員の者が務める。隊員達十名ほどが両手に手綱を引き、多くの馬を連れて現れた。
 ベルナツキーは隊員達とその馬に乗り、告げる。
「城の出口のうち反乱兵が少ないところから脱出する。西側の出口が大丈夫そうだ」。
 そして、ユルゲンに向き直った。
「副司令官、我々は城を出てそのまま進み西の街壁から外へ出て、プリブレジヌイを目指して北に向かいます」。
 プリブレジヌイは帝国第二の都市だ。首都の様な反政府勢力は、ほとんどいないと報告されている。ここより安全だろう。
「わかりました。ルツコイ司令官に伝えておきます」。
 ベルナツキーは合図をして皇帝の乗った馬車を発車させた。それを取り囲むように親衛隊たちの馬が進む。

 ユルゲンは急いでルツコイの元へ戻る。
 兵舎に閉じこもっていた兵士たちが表へ出て、城の広場で重装騎士団との戦いになっていた。
 二千名の兵士に対する精鋭の重装騎士団は三百名。戦いは膠着状態となっていた。ユルゲンは剣を抜き、「司令官!」と大声で叫びながら、戦いの中から指揮を執っているはずのルツコイを捜す。途中、斬り掛かってくる兵士を数名を倒した。
 クリーガーはルツコイを捜して数分後、彼の姿を見つけた。
「司令官! 陛下は脱出しました。プリブレジヌイに向かうと」。
「わかった。我々も脱出しプリブレジヌイへ向かおう。あそこにはペシェハノフの旅団がいる。彼の兵士たちは、プリブレジヌイ出身の者達がほとんどだから軍の統制はとれているだろう」。
「分かりました」。
 そういうとルツコイは大声で重装騎士団に後退を命じた。
「退却だ! 城から脱出する!」

 ユルゲンは火炎魔術で炎の壁を作り、兵士たちの追撃を遮る。さらに後ろに下がり城の通路でもう一度、火炎魔術を使う。狭い通路であったため兵士たちを足止めするのは効果的だった。
 兵士たちが足止めされているうちに、ユルゲン、ルツコイ、重装騎士団達は馬屋へ向かい馬に乗った。
 そして、皇帝が脱出したのと同じ城の西の出口から脱出する。街の中もあちこちに兵士たちが我々の行く手を遮ろうとしたが、馬で勢いよく駆け抜けそれを振り切った。
 ユルゲンたちは、街を抜け街壁の門まで進むが、ユルゲンは一人、馬の速度を遅めると城の方へと馬を返した。

 ユルゲンは身重の妻ヴァーシャが心配で屋敷に向かう。
 反乱兵たちに止められないよう、彼らの少ない通りを選んで一気に駆け抜ける。
 そして、何とか自分の屋敷に到着した。この付近にはまだ反乱兵は居ないようだ。
 扉を開けるとすぐ、召使いのナジェーダ・メルジュノワの姿があった。彼女はいきなり入って来たユルゲンにとても驚いたようだ。
 それに構わずクリーガーは尋ねた。
「ナージャ、妻は?!」
「それが、お姿が見当たりません」。召使いは、戸惑った様子で言った。「街で暴動が起こっていることをお伝えしようとしましたが、屋敷のどこにも見当たらないのです」。
「なんだって?!」
 ユルゲンは驚いてそう言うと、屋敷の階段を駆け上がって寝室を覗くが、姿はない。
 彼女は、朝、ユルゲンが出かける時、彼を見送ってくれていた。
 今は街で暴動が起こっている。身重のヴァーシャが何も告げず、こんな時に出かけるはずもない。
 私は再び一階に戻り、ナジェーダに尋ねる。
「いつから居ない?」。
「わかりません。朝、旦那様を一緒にお見送りした後は部屋に戻られました。それからは見ておりません」。
 なんということだ。こんな時にいなくなるとは。彼女がどこに行ったのかまったく、見当もつかなかった。
 ユルゲンはどうすべきか考えるが、妻を捜すあてが全くない。それとも、少し先に住む両親の家に退避したのだろうか? しかし、彼女の両親も貴族階級だから、反乱兵たちの標的になるかもしれない。
 この騒動の中でユルゲンは自分が街や城に行くのは危険だと思った。ユルゲンを “帝国の英雄” として知らない者はほとんどいない。仮に妻を見つけることが出来たとしても、ユルゲンのそばにいることで逆に標的になってしまうかもしれなかったからだ。今は、彼女が安全なところに退避していることを祈るばかりだ。

 ユルゲンはナジェーダに向き直って言う。
「もし、妻が会うことがあったら伝えてくれ、私はプリブレジヌイへ向ったと」。
「わかりました」。
「ここは襲われる可能性がある。街で暴動を起こしている連中の目的は私たち軍の高官や貴族の者だから、君には危害を加えないとは思うが、念のため屋敷を出て安全なところに逃げた方がいい」。
「はい。わかりました」。
 ナジェーダの返事を聞くとユルゲンは屋敷を出て、馬を駆って再び街の外へ向かった。
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