上 下
4 / 6

殺しません

しおりを挟む
神話を好む人が存外多い。かっこいいのか、それとも、つまらないのか。神話に登場する人物になりきって云々。私はそういった大それたことの出来ない、芋虫のような人間なので、ただただ傍観者である。


「俺が神話を作るんだ」
神話は元々神様に関するストーリーだと思うから、人間が新たに作り出すこと自体に無理があると思うのだが、まあ、それは置いておいて。確かにそう言う人がいるとかっこいい部分はある。絶世の、それこそ神がかった美女が現れたとする。彼女が湖畔でハープでも奏でれば、何となく神話の冒頭っぽくなるだろうか。

僕は人間だから、当然他人を羨んだり妬んだりすることがある。例えば、小説を仕事にしようなどとは毛頭考えていないが、物書きの端くれの端くれとして、例えば本を出版して喜ぶ作家を羨むことがある。僕なんかに羨まれるなんて、おみくじで大凶を引くようなものだと思いますが、その時は赦してください。決して悪いようにはしませんから。

神話やそれに類する作品は非常に面白いと思うし、ファンタジーの頂点に値すると思うが、現実はどうだろうか。面白い作品は確かに多いかもしれない。感動する作品も時たまパラパラと。でも、何か心臓とか脳を鷲掴みにしてくれる作品ってあんまりないような気が。言い方が極端だが、いい意味に洗脳されないというか。


一つの作品を鑑賞して、三日くらい余韻に浸ることはあるが、なんせ忙しい毎日だから忘れてしまう。逆に言えば、どんなに重大なイベントが起きたとしても、一瞬たりとも忘れることのない作品って少ない気がする。恐らく無理な話だ。無理なのは分かっている。やっぱり、本場の神様に任せないといけないのかな。人間の業では限界があるということかな。


そんな作品が仮に出来たとして喜ぶ人はいるだろうか。恐らくいないだろう。車の運転中、物語のことばっか考えて、対向車に正面衝突?洗脳ってそういう怖さがある。これも神様の悪戯ってやつだろうか?


そういった怖いことは考えないほうがいいかもしれない。天才的な小説家は存在しても、それはあくまで人間基準であって、神様基準ではない。だから、小説で人を操るのは相当難しいだろう。


僕がひねくれているのかどうか、それは分からない。しかしながら、もし仮に明日、死がやってくるのだとしたら、今のうちにそういうものを読んでおきたいものである。今日では無理だ。後何年かかるだろうか。いったん旅を終えて、新たに、神様を目指す旅が始まる時、こんなに素晴らしい“人話”があった、と胸を張れたら、どんなに気持ちのいいことだろうか。
しおりを挟む

処理中です...