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毎日の旅の中で
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僕が来る日も来る日も列車で旅をするのには訳がある。イモムシは大したものだと思う。僕はイモムシ以下だ。生きるために旅をしている。自分の足で移動できる距離をはるかに超えて、時間と空間を行き来している。
さて、まもなく8時になろうとしている。仕事という檻からようやく解放されて、一時の甘楽にのめり込むわけではなく、帰りの列車に乗る。
「あっ、お兄ちゃん!」
愛しい恋人が僕を呼んでいる。恋人?そう、僕の初恋は見事に叶った。惨めに傷つくのは一回くらいでいいものである。僕は生まれた時に最大の屈辱を得たわけだから、恋に泣くなんてことは有り得ないのである。
「おう、今日もすまないな」
「そんなことないよ!たった3時間だよ!」
「ありがとう」
恋人の笑顔をこうして守るのが、もう一つの大事な仕事である。
「今日も混んでるね」
彼女は不意に上り列車を見つめる。たかだか2人の旅人を運んでいる。
「あっちは空いてるよ」
そのうち謝らなければいけないと思っている。僕のせいで彼女は貧乏社会に身を沈めなければならない。
「さて、乗ろうか……」
一つばかり溜息を吐いて、彼女をエスコートする。彼女は妖精のように小さい。僕と同等か、あるいはそれ以上に動物的な旅人に囲まれると死んでしまう。
守らないと。僕の仕事である。
「ただいま車内が混み合っております……」
そんなことは知っている。もし僕に人を消せる魔法でもあれば、と想像してみる。彼女は喜ぶだろうか?
いや。
「どうして……こんなの変だよ……」
彼女が狂ってしまうか……。ドブ川に慣れているカエルがいきなり清流に持っていかれると即死するのと同じである。僕の願いは妖精の願いと大分ずれている。
「これはこれで人の温もりだよ!」
君は素晴らしい人間だ。憎むべき旅人たちを温もりと表現している。ああ、僕は妖精を堕落させた罪で地獄送りだ……。神様、今だけは赦してくださいね?
「お兄ちゃん!」
彼女の叫びが聞こえる……と思ったら何やってるんだ?扉という無知な境界線に遮られてしまったではないか!
「お兄ちゃん、お兄ちゃん、お兄ちゃん!」
列車は彼女の叫びをかき消すかのように新しい旅を始める。
違う。彼女がいないと旅する意味がない。
僕以外の大勢の旅人を犠牲にしていいから、戻らなければいけない。
どうやって?
わからない。でもこのまま旅を進めるわけにはいかない。
そうだ、リセットしよう。次の駅で一度降りる。そして、上り列車に乗り換え、彼女が捨てられた駅へ戻ればいい。それにしても……犯人は誰だ?彼女があえてごまかしているのか?
そうしないと、僕が壊れちゃうからかな?
君は優しい。こんな僕を救ってくれるんだから。
「お兄ちゃん?お兄ちゃん!」
彼女は軽々と僕の元へ飛んで来た。僕は彼女を全力で受け止めた。
「わたし、がんばったから!」
そうだ。本当によく頑張った。だから、泣かなくていいんだぞ。
「お兄ちゃん……わたし、離れ離れになって寂しかったんだから……」
ごめんなさい。僕が悪かった。僕が、僕が……。
「もう少しお兄ちゃんの中で休ませて……」
いつまででもいい。君の気がすむまで。僕は全ての愛を君に捧げる。
彼女が泣き止んだのは、ちょうど終電がやってくる頃だった。
「よし、帰ろうか」
「うんっ!」
固く手を繋いで、絶対に離さないように。旅人はもういなかった。僕たちを除いて。
「見て、お兄ちゃん!」
「僕たちだけだな」
「よかったね!」
「ああ、本当によかった」
最後の旅人を励ますけたたましいファンファーレが、漆黒に響き渡る。あと少しで仕事を終える列車の前灯が僕らを照らす。眩しい。でもちょうどいい。彼女の頬がクリスタルのように光った。
さて、まもなく8時になろうとしている。仕事という檻からようやく解放されて、一時の甘楽にのめり込むわけではなく、帰りの列車に乗る。
「あっ、お兄ちゃん!」
愛しい恋人が僕を呼んでいる。恋人?そう、僕の初恋は見事に叶った。惨めに傷つくのは一回くらいでいいものである。僕は生まれた時に最大の屈辱を得たわけだから、恋に泣くなんてことは有り得ないのである。
「おう、今日もすまないな」
「そんなことないよ!たった3時間だよ!」
「ありがとう」
恋人の笑顔をこうして守るのが、もう一つの大事な仕事である。
「今日も混んでるね」
彼女は不意に上り列車を見つめる。たかだか2人の旅人を運んでいる。
「あっちは空いてるよ」
そのうち謝らなければいけないと思っている。僕のせいで彼女は貧乏社会に身を沈めなければならない。
「さて、乗ろうか……」
一つばかり溜息を吐いて、彼女をエスコートする。彼女は妖精のように小さい。僕と同等か、あるいはそれ以上に動物的な旅人に囲まれると死んでしまう。
守らないと。僕の仕事である。
「ただいま車内が混み合っております……」
そんなことは知っている。もし僕に人を消せる魔法でもあれば、と想像してみる。彼女は喜ぶだろうか?
いや。
「どうして……こんなの変だよ……」
彼女が狂ってしまうか……。ドブ川に慣れているカエルがいきなり清流に持っていかれると即死するのと同じである。僕の願いは妖精の願いと大分ずれている。
「これはこれで人の温もりだよ!」
君は素晴らしい人間だ。憎むべき旅人たちを温もりと表現している。ああ、僕は妖精を堕落させた罪で地獄送りだ……。神様、今だけは赦してくださいね?
「お兄ちゃん!」
彼女の叫びが聞こえる……と思ったら何やってるんだ?扉という無知な境界線に遮られてしまったではないか!
「お兄ちゃん、お兄ちゃん、お兄ちゃん!」
列車は彼女の叫びをかき消すかのように新しい旅を始める。
違う。彼女がいないと旅する意味がない。
僕以外の大勢の旅人を犠牲にしていいから、戻らなければいけない。
どうやって?
わからない。でもこのまま旅を進めるわけにはいかない。
そうだ、リセットしよう。次の駅で一度降りる。そして、上り列車に乗り換え、彼女が捨てられた駅へ戻ればいい。それにしても……犯人は誰だ?彼女があえてごまかしているのか?
そうしないと、僕が壊れちゃうからかな?
君は優しい。こんな僕を救ってくれるんだから。
「お兄ちゃん?お兄ちゃん!」
彼女は軽々と僕の元へ飛んで来た。僕は彼女を全力で受け止めた。
「わたし、がんばったから!」
そうだ。本当によく頑張った。だから、泣かなくていいんだぞ。
「お兄ちゃん……わたし、離れ離れになって寂しかったんだから……」
ごめんなさい。僕が悪かった。僕が、僕が……。
「もう少しお兄ちゃんの中で休ませて……」
いつまででもいい。君の気がすむまで。僕は全ての愛を君に捧げる。
彼女が泣き止んだのは、ちょうど終電がやってくる頃だった。
「よし、帰ろうか」
「うんっ!」
固く手を繋いで、絶対に離さないように。旅人はもういなかった。僕たちを除いて。
「見て、お兄ちゃん!」
「僕たちだけだな」
「よかったね!」
「ああ、本当によかった」
最後の旅人を励ますけたたましいファンファーレが、漆黒に響き渡る。あと少しで仕事を終える列車の前灯が僕らを照らす。眩しい。でもちょうどいい。彼女の頬がクリスタルのように光った。
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