グッバイ・ラスト・サマー

MIKAN🍊

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7.恋はいつも雨

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シャワーを浴びベッドに腰掛けた。思い出すのは伊吹 桂カツラとの出会い…

外出先で突然車が動かなくなった私のビートル。
保子が結婚前から乗っていた赤いフォルクスワーゲン。
以前から走るたびにヒュンヒュンと風が唸る様な変な音がしていた。しばらく走っていると自然に治ったので放っておいたら段々ひどくなった。
市街地を走行すると驚いて歩行者が振り返るほどになった。もはや騒音のレベル。音が大きいので夜間の走行は控えていた。

整備工場にもっていくとファンベルトの交換が必要だと言われた。他の修理と合わせると30万円以上になるという。
「少し検討させて下さい」そう言ってショップを出た。
愛車ビートルが止まったのはそのすぐ後だった。
スーパーに寄り買い物を済ませ、いざスタートしようとしてもエンジンがかからない。何度試してもうんともすんとも言わない。
折から土砂降りの雨が降り始めていた。
保子はネットで調べケータイからJAVAに連絡した。

ロードサービスカーで駆け付けたサービスマンが伊吹 桂カツラだった。
オレンジとブルーの派手な作業衣を着ていた。
桂は挨拶もそこそこに車の点検を始めた。
保子が降りようとするとそれを制して「すぐ済みますから中で待っていて下さい」と言われた。
桂は雨に打たれながらリアエンジンやその周囲を点検した。
点検が終わると少し開いた窓から作業内容を報告した。
「あの、傘を」
「大丈夫です大丈夫です。バッテリー液がほとんどありません。ファンベルトは交換しなくても良いです。発火装置が脱落しかけていたんです」
そう説明されてもピンとこない。保子は外に降りて傘を差した。たちまち横殴りの雨でずぶ濡れになる。
「費用もそんなにかかりませんよ」
「あーよかった」
「このまま工場へ運びましょう」桂は提案した。
「あ、でも魚や冷凍食品を買ってしまって」
「そうですか。それなら先にお宅までお送りしますよ」
JAVAは人は同乗させないと聞いていたので保子は感謝した。
「良いんですか、助かります」

ゲリラ豪雨が二人の乗ったロードサービスカーを襲った。
前方もよく見えない。あちこちで道路が冠水し行く手を阻まれた。
「この先は通行止めです!」
カッパを着た警官に引き返すよう言われた。
「参ったなあ… へークション!」
桂は続けざまにクシャミをした。長時間雨に濡れたからか、発熱しているらしく顔が真っ赤だった。

見るとすぐ近くに『IN』と表示されたネオンサインがあった。
「あの、そこに入って下さい。少し休みましょう。どの道この先には行けないわ」
「あぁ、そうですね…そう、しましょう…」桂はボンヤリ答えた。ろれつがうまく回っていなかった。
中に入って驚いた。ファミレスだとばかり思ったのにそこはラブホテルだったのだ。
「まぁ!どうしましょう」保子は狼狽うろたえた。
桂は目を半開きにして朦朧としていた。とてもこれ以上運転できる状態ではなかった。
「しっかりして下さい」


とにかく休ませる事が先決だった。
その間もパトカーや消防車のサイレンが引っ切り無しに聞こえていた。
ホテルの一室まで何とかたどり着き、桂をソファーに座らせ、取り敢えずびしょ濡れの衣類を脱がせる事にした。
「ごめんなさい。失礼するわ」
「すみません、すみません…」桂はうわ言を繰り返すみたいに謝った。
ホテルの従業員に体温計を借りて計ると39度あった。
「大変だわ」

ソファーで濡れた服を脱がせ、ベッドまで引きずっていった。
救急車を呼ぼうとして躊躇ためらったのは場所が場所だけにバツが悪かったからだ。
妙な噂が立つと銀行に居づらくなる。
下着だけの身体を乾いたタオルで拭いて布団を掛けた。
「まったく私ったら何をやってるんだろう」
テレビを点けたら裸の男女が大写しになった。慌ててスイッチを切る。
そのうち桂は呻き始めた。
「ウ~~ン…ウ~~ン…」
額に手をかざすと火のように熱い。濡れタオルを当てても焼け石に水だった。
にもかかわらず桂は震えていた。大人が高熱を出すと命に関わる。
「汗をかかせなければ」
保子は室内の温度を上げ、上着とスカートを脱いだ。
そうやって女が男の命を救ったドラマを思い出したのだ。
半ばやけくそで桂の隣に入り熱い身体を抱いた。

「大丈夫よ、大丈夫」
汗をびっしょりかきながら保子は桂の体をさすり続けた。
気がつくと保子もウトウトしていた。日頃の疲れが溜まっていたのだ。
桂も目を覚ましたようだった。
「どう?具合は?」
桂は「あっ」と小さく叫んで驚いた。
「す、すいません!俺こんな事…、何かしたんですか俺?」
「良いのよ。じっとしていて。何もしてないわ。今飲み物を持ってくるわ。あっちを向いててくれる?」
「行かないで…」
桂は何を思ったか保子の胸に顔をうずめた。
そんな甘えた男の声を聞くのは久しぶりだった。

保子は桂の頭を抱き寄せた。
「行かないから、安心して」

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