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28 11月19日 停戦へ
しおりを挟む「おじさん。ちょっと待っててください」
ヤンは秘書室のドアを開けて大蔵省の事務次官を呼ぶよう言いつけた。先刻の会議で決まった戦時国債の募集についての草案をまとめさせねばならなかった。帝国に省庁はいくつかあるが、大臣はいない。それらは全て内閣府の所管であり、事務方がいれば事足りる。つまり、ヤン一人いれば事足りるのである。役人の書いた作文を棒読みするしか能の無い大臣などは必要なかった。
「先ほどの会議で戦時国債の募集が決まりまして。第三軍の進行速度が鈍りましたのでね」
そう言いながらヤンはウリル少将のいるテーブルに着いた。
ヤンが席に着いたのを見届け、老獪なスパイマスターはおもむろに口を開いた。
「その第三軍の侵攻のために放っていた情報員が一人、帰ってきました」
と、ウリル少将は言った。
心から信じる肉親とも思うウリルの話の先を促すべく、ヤンは身を乗り出した。
「機甲部隊の進撃路の北と南に展開する歩兵部隊の宿営地に。任務中に敵に捕縛されていたようなのですが解放されたと。彼は『マーキュリー』というコードネームを持つのですが、その名の通り、敵の重大な提案を携えて帰って来たのです。それを閣下にお伝えするために参りました」
「重大な、提案、ですか」
「はい」
ウリルも身を乗り出し、二人はテーブルを挟んで額を寄せ合った。
「今第三軍が対峙しているのはチナの正規軍である『王党軍』ではありません。あの一帯を治めるミン一族の私兵です。私兵ですがその武力は正規軍に勝るとも劣らない。むしろ先のミカサ事件でも拿捕行為の主体を担った、チナの豪族の中でも最も武闘派的な集団です。いくさ慣れもしている。引くところはあっさり引き、粘るところはしつこく、頑強です。第三軍はチナの中でも最も手強い相手と戦うことになってしまったようです」
「それで、その武闘派一族の重大な提案とは、何なのですか」
ヤンは疲れてはいたがおじさんの話の先にある魅力的な、あるいは恐ろしい結論を予感しさらに声を落とした。
「その武闘派は、わが帝国と手を結びたがっている、と・・・」
「そのミン一族がチナを裏切るというのですか」
「『マーキュリー』が囚われていたのはそのミン一族の首領の娘、あのミカサ事件で指揮官を務めた右手の無い女の下だった、と。『マーキュリー』の報告には信憑性があると判断しました」
そこで少将は一度言葉を切った。彼の言葉が若い宰相の脳裏にイメージを結ぶのを待った。
「今第三軍の機甲部隊はアイホーの線で強力な反撃に遭って苦戦しています。架橋作業も妨害され、あとニ三日、下手をするとあと一週間ほどはその線に留まらねばならなくなっています。先にナイグン、アルムに降下した空挺部隊の食料弾薬もあと一週間ほどで枯渇します。そこから先の補給は空中投下に頼ることになります。
ですが、苦しいのは相手も同じようなのです。アイホーにはミンの配下の最大兵力が投入されているとのことです。
ここに来る前に機甲部隊のフロックス少将と空挺部隊のグールド大佐とは無線で話をしました。今ナイグンには一個軍団弱、アルムにはそれを上回る敵兵力がありますが、ナイグンのほうはミン一族の、アルムの方は国王直属の王党軍だということでした。
ミン一族の提案とは、今のアルムの線でわが帝国とミン一族が休戦の約定を交わすのならば、アルム攻撃の先鋒に立ち、わが軍のチナ中心部への進軍を援ける用意があると・・・」
「ですが、その見返りは? そのミン一族は代償として何を要求しているのですか?」
「彼らの本領、つまりアイエンからナイグンまでの領地の安堵、そしてミン一族が現在のチナ王国の後継として国体を担うことを認めること」
「帝国にチナを倒させてその漁夫の利を得ようと? しかも本領安堵とはあつかましい・・・」
「交渉ですので、最初は高く売ってきているのでしょう。ですが、問題はそこではないと思うのです。
ヤン閣下。
以下はあくまでも、このウリル個人の私見です。
帝国はこれまでの歴史の中で敵の筋書きに添った形でいくさをしたり同盟したり協定を結んだことはありません。あくまで主導権と主体はわが帝国にありました。
そもそも、今回のいくさの目的はこれまでの再三にわたってきたチナの横暴を膺懲し、チナをしてその政体を改めさせることにあります。そのいくさも終わらないうちに敵の一部と内通してこれと協同してチナを倒すなど、このミン一族に返せないほどの借りを作ることになる。しかも、仮にミン一族が後継王国を築いたとして、彼らが第二のチナにならぬ保障などどこにもないのです。それでは前線で戦う兵たちの命を懸け、多額の国費を費やした甲斐がありません。第一、前線で戦っている兵たちがそれをどう思うでしょうか。こんなことが出来るなら、何故最初からそうしなかったのだと。そう思うのではないでしょうか。兵たちの士気は一気に下がってしまうでしょう。
そのような行き方は帝国の行き方ではないと思いますし、陛下がお許しにならないでしょう」
「おじさん。教えてください。わたしは、どうすれば・・・」
疲れていたヤンは藁にもすがりたい思いを吐き出した。彼がそんなことが出来るのは、この世でただ一人。目の前に座っているこの父帝の甥だけなのだ。
「わたしにはそれをあなたに言うことは出来ません。帝国の大方針はあなたがご自身で考え、陛下に上奏なさる事です。
ですが、」
と老獪なスパイの親玉はここで相好を緩めた。
「わたしなら、この機会を利用して一度その右手の無い女と話をします。交渉のための休戦をするのです。その間にナイグンとアルムの空挺部隊に潤沢な補給をします。破壊された架設橋製作の時間も稼げます。
会談の場所はこちらが指定します。向こうからの提案ですから当然です。場所はそう・・・。アイホーとナイグンの間の海岸線の沖、そこに停泊させた第一艦隊のミカサの艦上ではいかがですか? その女が右手を喪った場所ですからいささかイヤミではありますが向こうも来やすく、海上にある帝国海軍の艦上は帝国の領土と同じですからわが帝国の尊厳も侵されません。そして停戦中はお互いに停戦監視団を送り、迎え合う。それで信義が成り立ちます。
停戦と交渉の全てにおいて信義と尊厳を守る。これなら陛下も御裁可されるでしょうし、まず話をしなければ相手の真意もわかりません。
それに、出来るだけ早期の戦争終結を謀るのは当初からの陛下のご意向ですし閣下とわたしの目標でした。そのチャンスを向こうがくれたのですから、これを利用しない手はありません」
そこまで言うと、ウリル少将は背もたれに身を預けた。
「閣下、それがわが帝国の行き方だと、わたしは思うのです」
やはりこの叔父はタダ者ではない。
ヤンは、この父帝の甥である、第二の父とも仰ぐ人物の深い洞察と手練手管に舌を巻くとともに、千万の援軍を得た思いがした。
クィリナリスのスパイマスターの予言は悉く的中した。
ヤンはミン一族からの提案があったこととその対応策を帝国軍最高司令官に上奏した。皇帝は二つ返事でこれを裁可した。あまりにあっさりと許可が下り、ホッとしすぎて腰が抜け、気も抜けかけたヤンに、父帝は言った。
「ヤン。安心するのはまだだ。この責任は重いぞ。だが、相手との話の結果がどうなるかはともかく、お前の自由にやってみなさい。頼むぞ、ヤン」
父はその肩に担った重い責任の一部ををヤンに肩代わりさせるとともに、同時に優しく包んでくれもしたのだった。父の深い愛情を感じ、ヤンは期待に応えるべく身体を奮い立たせた。
これでこの停戦期間中は思うように事を運ぶことが出来る。彼の中に新たな闘志が湧き、疲れもいつしか吹き飛んだ。
「ありがとうございます、陛下」
まず、内閣府と統合参謀本部の命により、帝国全域で使用される無線機の周波数が一斉に変更された。その知らせは最前線である第三軍のナイグンとアルムに立て籠もる空挺部隊にも暗号で伝えられた。この措置によって、敵に奪われた無線機はもう役に立たなくなった。
アイホー東にある第三軍機甲部隊の司令部で、リヨンは旧周波数による最後の通信を試みた。
「『マーキュリー』より、『鵺(ぬえ)』、聞こえるか」
ズズ・・・。
「こちら、『鵺』」
レイが教えた通りに通信機を操作できたのを知って、リヨンは安堵した。
「明日午前十時丁度に、アイホーの貴軍の陣地に一発の砲弾を送る。弾体の中に交渉のための停戦条件を記した書簡を同封する。貴軍が内容について承諾できれば交渉の場を設け、その間は停戦に合意する。わかったか」
「了解した」
「参考までに言うが、わが軍はすでに全ての周波数を変えた。それは毎日ランダムに変わる。あと一日ほどでそのラジオのバッテリーも切れる。無線での連絡はこれが最後になる」
「・・・わかった」
「では交信を終わる」
レイはナイグンのアジトで無線機の電源を切った。
「おい! 誰かある!」
すぐに手下が現れた。
「お呼びですか、頭(かしら)」
「アイホーに使いを出せ。早馬でだ。明日午前十時、一切の攻撃を止めて敵陣から来る一発の砲弾を待て、と」
「一発の砲弾、ですか」
「そうだ。わたしも明日の朝までにアイホーに向かう。ただの一兵、ただの一発と言えども反撃は厳禁する。命に服さず勝手に銃や砲を撃った者は首を切る。そう伝えろ」
「かしこまりました、頭」
「では、行け!」
手下が出て行き、すぐに馬の嘶きが聞こえ蹄の音が遠ざかって行った。
昨日の夕方から無線機がものを言わなくなったのはわかっていた。それまで特にアイホーを攻略する敵の部隊の通信が喧しかったが、最後に長い数字の羅列が行われ、それ以降沈黙したままになっていた。やはり、形だけ帝国から盗みマネてもダメなのだと痛感した。ハードではなく、ソフトの重要性を今更ながらに思い知った。
帝国は反応が早い。あの男を解放した結果がこうしてすでに表れていた。だがいつまでも彼をここに置いておいても状況に変化をもたらさないし、イザとなれば自死する気概を持った男であることは直接相対して十分に知れた。殺すよりも生かして使えば未来のためになる。わがミン一族にとっての、ではあるけれど。
捕虜はある目的のために解放した。そう、ミンの里の父にはすでに伝えてあった。その返事を待っているところだが、恐らく父はこの停戦に同意するだろう。
だが、とレイは思った。
帝国は恐ろしく強かで手強い、と。
片手でいくさをし、もう片手で握手をするなど、そんなムシの良い言い分を帝国が受け入れるはずはないのではないか。ミカサに潜伏していたあの若い女武芸者と相まみえ、彼女に計画を潰されて以降は特にそう思うことが増えた。
レイは自分の両の腕を卓の上に載せ見比べた。
「わたしにはもう、右手が無いのですよ、父上・・・」
アジトの一室で、レイは独り言ちた。
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