遠すぎた橋 【『軍神マルスの娘と呼ばれた女』 3】 -初めての負け戦 マーケットガーデン作戦ー

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49 ナイグン攻防戦

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 ウーは無我夢中で馬を駆り野を駆けて尾根を越えた。アイホーを眼下におさめる最後の尾根まで来た時、背後に遠い爆発を聞いた。

 真っ赤な炎が膨れ上がり黒い煙が立ち昇ってゆくのが遠望された。

 アイホーが、陥落たのだ。

 ウーの頬に一筋の涙が流れた。

 手綱の腕で頬を拭い、彼は踵を返して尾根を下りた。


 


 


 

 北のチンメイ山脈のさらに北は高い山脈から吹き下ろす風が強かった。

 だがそのおかげなのか昨日まで覆っていた暗雲は晴れ、午後の陽光が地表に張り付いた薄い雪を温めていた。

 第二軍司令部のある野戦陣地に併設された滑走路に着陸を試みた偵察機は二度機体を立て直し三度目の進入を図った。機体をやや南に傾けて慎重に高度を落としながら滑走路に向かった飛行機は車輪が路面に着いた瞬間に機首を戻し、無難に舞い降りた。

「ありがとう、機長(キャプテン)素晴らしい腕前だね」

 飛行服のヤンはそう言って前席の操縦士を労った。

「未来の皇帝陛下をお乗せしているのですからミスは許されません」

 実直な機長は世辞を言った。

「あはは。それはないよ」

 その手の世辞を言われ慣れている「国務長官」だったが、本当にそんな気になれなかった。

 出来れば政治の世界とは無縁の道を歩みたい。それが彼の真実だった。

 だが、そのような内心を吐露したことはこれまで一度もない。最も信頼している秘書のマーサにさえ言っていなかった。死ぬまで誰にも他言しないつもりだったし、少なくとも父帝の存命中は絶対に言わないし、言えない。

 政治は、どす黒い。

 今から彼が会うチナの豪族にしてもそうだ。自らの利益のために祖国を簡単に裏切る。そんな男を利用せねばならない。その現実に吐き気がしてくる。そのドンという豪族に比べれば、ミンのほうが何倍もましだし、比較するのさえ失礼なほどだ。

 だが、ミンとは決裂し、汚いドンの方が帝国にとって有用なのだからイヤになる。ヤンには父帝の憂鬱が心から理解できた。

   いや、ドンばかりではない。帝国とて同じだ。チナの横暴を懲らしめるためとはいいながら、その実はアイエンからゾマ、アイホーに至る一帯の地下に眠る油田が目当てなのだから。その真意を隠して正義の衣を纏っているだけのことだ。

 政治とは、かくもどす黒いものなのだ。そして、そのどす黒さに生涯耐える自信がなかった。

 ヤンは自分のそういうナイーヴ過ぎるところが大嫌いだった。

 宿営地の司令部ではハットン中将以下第二軍の幕僚たちに出迎えられた。

「閣下。遠路お疲れさまでした」

 貴族の出らしい卒の無い対応。あの御前会議の準備会で第三軍のモンゴメライ大将と激論していたのが信じられないほど穏やかな物腰だった。もっとも、第二軍の戦線は膠着状態のまま。手持無沙汰なのだろうけれども。

「いやなに。優秀なパイロットのおかげで快適なフライトでした」

 そう、ヤンは答えた。

「早速ですが、司令官。先方はもう?」

「ええ。先ほど会見場に入ったと連絡がありました。その前に、」

 とハットンは言った。

「今入った連絡です。アイホーが、陥落ちました」

「・・・そうですか。やっと・・・」

「ええ。まあ、良かったですな」

 と、彼は言った。

 並の男なら、

「だから私は反対したのです。この作戦は無謀だと!」

 鬼の首でも取ったようにそうまくしたてるかもしれない。だがそこは貴族の出。しかもヤンと同じ元老院の同僚議員でもある。野卑な物言いはしないのだろう。この司令部の幕僚だけでなく、あの準備会に出席していた誰もがそう思っているのだろうから。

 それに、過ぎたことよりも今、そして未来の方が重要だし、そのためにこそ遠路はるばる飛んできたのだ。

「では急ぎましょう。一刻も早く話を取りまとめねば」

 そう言ってヤンは中将を伴い会見場に向かった。

 


 

 

 南の激戦をよそに、ミンの里は雨上がりの穏やかな秋の陽だまりを湛えていた。赤く色づいた山々の木々、その紅葉した葉に溜まった雫が落ちる前に、暖かな陽差しに温められて消えていた。

 二の丸の広場に面した広間で、家老のマーはアイホーからの使者を引見した。

 濡れ縁で差し出された文に目を通した家老は腰を落とし白州に跪くウーを見下ろした。

「ウーとやら。ご苦労だった。クオは何か言っていたか」

「はい。お先に参りますとマー様に伝えよ、と・・・」

 息を切らせ汗の雫を垂らしながら平伏する使者の誠実さをマーはみた。そして頷いた。

「クオの最後は見届けたか?」

 ウーは言葉に詰まったように首を落とした。

 なんと、頑固な男だ。言われたこと以外は喋るなとでも言われたのだろう。素朴な使者のその愚直をマーは愛した。

「よい。すべて了解した。下がってゆっくり休め」

「いいえ。我はこのままナイグンに向かい旦那様の後を追う所存でございます!」

 使者の返事で全てわかった。既にアイホーは陥落しクオも散華したのだと。

「ウー。なんと忠義一途の見上げた男よ。お前のような手下を持っていたとは、クオが羨ましいぞ」

「ありがたきお言葉。では、これにて」

 立ち上がろうとした使者をマーは制した。

「待て、ウー。お前の気持ちはわかるが我もこれより手勢を連れてナイグンに参る。我に同道してその意を遂げるがよい。腹も減っていよう。出発までしばし粥など食して待っておれ」

「ありがたき・・・、ありがた過ぎるお言葉。我は嬉しゅうございます」

 ウーは男泣きにむせび泣いた。

「よい。では下がって待て」

「かしこまりました!」

 使者が白州から去ると、マーはゆっくりと顔を上げ南国の晩秋の空を見上げた。

 レイは無事に落ち延びた。その知らせは彼を喜ばせた。これで唯一の彼の懸念はなくなった。

 幼少時よりマー自身が親しく訓育し、やがてはミンの大黒柱に、ミン一族の希望にと期待していた当主の娘であった。

 思えば帝国とチナとを両天秤にかけるなどという不誠実をさえ画さなければこのような仕儀には至らなかった。あの聡明なレイがもたらした帝国との和睦だけがミンの最後の希望だったのだ。それが破れた今、残されたのはこのミン一族の誇りただ一つだった。

 後始末を頼む。クオはそう言いたかったのに違いない。

 ミン一家の将来を背負う、末は自分の後を襲って家老にもなろうかと期待していた有望な若頭が命を懸けて守ろうとしたものはミン一族の武闘派豪族としての気概だったのを思った。

 物心ついてよりミンに仕えて早半世紀を過ぎた。よもやこのような終わりを迎えるとは思わなかったがこれも定めだと無理やりに思いを抑え込んだ。若輩のクオさえもが示唆するミンの無形の宝を、家老として自分こそが守らねばならぬと心に誓った。

 マーは立ち上がった。

「ご家老、どちらへ」

 広間の隅に侍していたまだ若い付きの者が尋ねた。

「お屋形様の元へ行く。付き添い無用じゃ」

「実は北の方様もお屋形様にお目通りなさりたいと今朝から再三の催促が・・・」

 困惑したように付きの者はいう。

「して、何と答えた」

「はい。ご家老仰せの通り流行り病にて何人たりともお目通り叶いませぬ、と。すると今度はご家老に会わせよと・・・」

「それでよい。そして、捨ておけ。アイホーが陥落ちた今、やらねばならぬのはいかにして終えるか、ただひとつじゃ。

 そうじゃ。ちょうどよい」

 マーは付きの者に向き直り、指示した。

「北の方様はじめ三の丸の奥の方々を帝国に落ち延びさせずばならぬ。そちは一隊を率いて北の方様方を警護しつつ東に向かえ。城の下男下女や城下の家の女どもにも声掛けして共に向かうがよい。我はこれからお屋形様と共にナイグンに赴き最後のいくさに臨む。お屋形様と我が出立したら館は城ともども全て焼き払え。頼んだぞ」

「焼き払うのですか。籠城はせぬのですか」

「籠城してなんとする」

 なんとする、と言われても付きの者も困った。臣下としては最後まで君主の傍にあってお守りするのが当然、当たり前なのだから。

 だが今、この若い者に説明してもわかるまい。

「籠城はせぬ。帝国の陸と空の武器をもってすれば、城に籠ったところでせいぜい一時だ。一時も持たぬかもしれぬな。そんな間抜けな終わり方はミンの終わり方ではない。

 よいから、そちは北の方様方をお守りしつつ、城を落ちて生き延びよ。それがそちの使命、最後のご奉公じゃ」

 マーは二の丸を出て本丸の天守に向かった。

 そこに当主のミンを幽閉していたのである。

 今、老耄となった当主のミンが表に出れば見苦しくチナに命乞いさえしかねない。はたまた館に籠って無益な籠城をすると言い出すかもしれない。そのような醜態を晒せば今までミンのために命を的にして奉公して来た者達を幻滅させるに違いない。ミンは気概を示すこともなく内部から崩壊する。そのような終わり方は臣下として見るに忍びなかった。

 無礼は承知である。だが今は当主と娘との確執があったことなど間違っても知られてはならない。最後まで美しい形でミンを終わらせる。そうしてこそ人々の記憶に残り、いつの日かミン再興の時も来るであろう。

 それが長年ミンに仕えた者の忠義であり務めだと思った。

 そして一族の誇りを保ったまま出来得る限り次代を生きる者たちを落ち延びさせるのだ。

 マーがナイグンに赴くのはそれがためだった。

 天守の番兵たちを皆下がらせ最上の物見に昇った。

「お屋形様。ご報告に参りました」

 案の定、当主のミンはすこぶる機嫌が悪かった。白髪を振り乱し口角泡を飛ばして喚いた。

「何をいまさら! 君をないがしろにし、このような仕打ちをし、政(まつりごと)を壟断する不忠ものめが!」

 マーは主の罵詈雑言を瞑目して耐えた。もうかつて見上げた英明な君主はそこにいなかった。いつからこうなってしまったのか。思えばそれに気づかなかった己の不明がこの事態を招いたのかもしれぬ。これは病なのだ。無理やりにそう思い込もうとした。

「アイホーが陥落ち、若頭のクオが戦死しました」

 ミンはやっとマーを正視した。

「・・・なんと」

「レイ様はクオが安全な場所へ落ち延びさせたとのことでございます。それで我の懸念も晴れました。この上はお屋形様御自らナイグンに臨まれ、最後の一戦を・・・」

「クオめ! 痴れ者めが! アイホー一つ守りきらんで、何が若頭か、若造めが! クソの役にも立たぬ愚か者めが!」

「その辺になさいませ、お屋形様。クオはミンにとってかけがえのない忠義一筋の若武者、武辺者でございました。レイ様が一に重用していた無二の友でもございました。それを・・・」

「ええい、ほざくな、下郎が! クオもそちも同じぞ! このミンをしてわざわざ帝国に献上しようとする愚か者めが!」

「恐れながらお屋形様。愚か者はどちらでございましょうや。ミカサの折もレイ様の諫めも聞かずチナの言うがままにあのような無謀な策を引き受け、此度もレイ様が苦心して取りまとめた帝国との和議を一蹴して破られたのは他ならぬお屋形様ではございませぬか。ミンの家老としてただ一つの心残りはもっと早くに代替わりを画すべきだったとの一語に尽きまする」

「この、不忠者、痴れ者めが! そこに直れ! 余自ら成敗してくれるわ!」

 だがミンの老いた当主は丸腰。腰の半月刀をスラリと抜き放ったのは家老のマーの方であった。

 マーは覚悟した。記憶すべきは英明な若き君主だったころのお屋形様。目の前のこの老醜を晒して臆することもない見苦しい老人ではない。これは生かしておいてはいかぬものだ。

「お屋形様。参りましょうぞ、ナイグンへ。そして最後の、ミンに相応しい華々しいいくさをするのです。そして、帝国とチナに『ミン、ここにあり』の気概を見せつけてくれましょうぞ!」

「何をわけのわからぬ戯言を・・・」

「ええいっ! 言うな、お屋形様に憑りついた老醜の悪魔め!」

 老いたりと言えどもマーは武人だった。横一線に抜き放った半月刀は鮮やかに閃き、ミンの老当主の首をその身体から切り離した。

 マーは落ち着いて刀を振って血を払い鞘に納めると、懐から紙包みを取り出し中の黒い火薬を柱や障壁の根元に振りまいた。そして石を打ち付け、火を点けた。火薬は華々しく燃え上がり、障子や木製の桟を焚きつけにするように燃え広がると天守の頂上を焼き始めた。

 尋常ならざる騒ぎと火の手を嗅ぎ駆けつけた近習にマーは言い放った。

「御屋形様はお命を召され介錯奉った。首桶を持て。急げ!」

 近習たちは慌てて階下へ駆け下りて行った。マーは転がった主君の首の見開いた瞼を閉じて恭しく取り上げ、その乱れた白髪を解き、撫でた。

「やっと、我が仰いだお屋形様に戻られましたな。では、共に参りましょうぞ」


 

 二の丸の広場に馬を回させたマーは、主君の首を収めた首桶をさらしに包み、背に負った。

 すると下知したわけもないのに、城のそこここからかつてマーと共に戦場を駆け巡り今は炊屋(かしきや)や厩番や下足番として奉公している、老いたかつての戦士たちが無言で集まってきた。既にもれなく武装し、手に銃を、腰に半月刀を下げてマーの元に馳せ参じてきた。皆その眼に爛々と闘志を燃やしていた。

「お前たち・・・」

 マーは彼らの男気に感謝し、感極まるのを堪えきれなかった。

「この、大馬鹿者どもめが!」

 当主のミンが忠義一途のマーに吐いた暴言とは全く違う、愛情の籠った悪罵であった。

「では行くぞ、大馬鹿者共! ついて参れ!」

 総勢百騎に満たない一群ではあったが、皆かつては一騎当千の強者の群れであった。その一群が一斉に城を出て南に向かった。

「ご家老様、若かりし頃を思い出します。久々に腕が鳴りまするな!」

「おう! まだまだ若い者には負けんぞ!」

「帝国の者共に目にもの見せてくれましょうぞ!」

「皆の者。幹道は取らぬ。山を走破しナイグンの東に出て敵をして心胆寒からしめるのじゃ!」

 燃え盛る天守の炎を背に、老いた兵たちの騎乗意気盛んな声が馬蹄の響きと共に遠ざかって行った。


 


 


 

 秋の日暮れは早い。

 丘への弾薬の配達を終えた兵たちを引き連れて拠点であるタオの家に戻ると、ヤヨイはリーズルのこわ~い目とドスの利いた声に出迎えられた。

「小隊長殿。意見具申があります」

 リーズル予備役上等兵は「マルス」小隊長の首根っこを掴むようにして二階に上がって行った。入れ替わりに北と南の監視に当たっていた兵たちが肩を竦めながら降りて来た。

 すると、始まった。

 ヤヨイあんたは隊長でしょ指揮官でしょましてやカーツ大尉が任務出来ない今大事な存在なのよなんであんた自らが弾薬運びなんかするのよそんなのあたしやフリッツに命令すればいいのあんたはここでデーンと構えてなきゃダメって言ったじゃないの!

 でも急いでたし指揮官として一度は丘の状況を把握して・・・

 だったらもっと大人数で留守居を「詐欺師」や「道化師」に託して「マルス」丸ごとで行くべきだったの!あんたに何かあったらどーするのよ!

 マルスの面々は夕食のカートンを開けながら皆ぼそぼそと下を向いて呟いた。

「小隊長、ド叱られてるな」

「リーズル上等兵、おっかねーな」

「ねえ、クリス。おねえちゃん、イジめられてるの?」

 タオのチナ語はわからぬまでも、不安げにクリスティーナを見上げてくる目でその気持ちは知れる。

「あのね、みんなヤヨイ隊長を心配してるの。だから怒っているのよ。あんたが勝手にどこかに行っちゃうとみんな心配するでしょ。それと同じなのよ」

「ふ~ん・・・」

 タオもまた言葉がわからないまでも頭を撫でながら言い聞かせてくれるクリスティーナの顔を見て何故か納得するのだった。子供は言葉よりも相手の態度や表情でコミュニケーションをとることができるのだ。その能力は誰もが持っているのだが、何故か大人になるにつれて失われてゆく。同じ言語を話していてさえ分かり合えないことも出てくる。実に残念なことではある。

 ズズ・・・。

 ラジオが鳴った。

 アイホーの機甲部隊「庭師」の司令部からだった。

「『庭師』より『学者』、及び『大工』。」

「こちら『学者』」

 グレタが応答した。

「本日1440。『猟犬』はアイホーの敵部隊を撃滅。一帯を完全に制圧した」

「ついにやったか!」

 拠点の一階に集う「マルス」たちにわーっ、という歓声が沸いた。

「小隊長に知らせてきます!」

 昂奮したフォルカーが席を立とうとすると、グレイ曹長が制した。

「まて。オレが行こう」

 曹長は通信機を担いで二階に上がって行った。

「あの、小隊長・・・」

 ちょうど仁王立ちしたリーズルの前でヤヨイがちいちゃくなって叱られているところだった。アイゼネス・クロイツの英雄が甘んじて叱られている。階下から察した以上の状況に、兵たちにはとても見せられないと思った。

 だがリーズルの言っていることも正しいし、小隊長が前線の状況を把握するのも大切なことなのだ。グレイにはそれが理解できたのでここは下士官の自分が割って入るべきだと考えた。

「曹長、どうしました?」

「アイホーが、陥落ちたそうです」

 叱られてしょげていたヤヨイの表情がゆっくりと、溶けた。

「そうですか。それはいいニュースです!」

 と。

 ズズ・・・。

 グレイの抱えたラジオがまた鳴った。

「『でぶ』より『マルス』へ!」

 前哨陣地のオットー少尉だった。

 しょげてちいちゃくなっていた「マルス」がサッとラジオに取りついた。

「こちら『マルス』」

「陣地背後東の台地上に騎兵部隊と思われる敵影発見! 総数数十以上、台地上に集結し当方に襲撃を企図しているものと認められる」

「なんですって?! 」

 小隊長は人が変わったように双眼鏡を取り北東の台地上に目を凝らした。

「グレイ曹長! 想定外の事態です。直ちに前哨陣地を放棄して『でぶ』と『鍛冶屋』をここまで撤収させるべきと思いますが、どうですか?」

 双眼鏡を手渡されたグレイも前哨陣地の右手の台地上に焦点を合わせた。陽が落ちかかって視認しずらいが、たしかに騎兵らしきものが続々と集結しているように見える。これが一気に台地を駆け下って前哨陣地に突撃すれば、二個小隊程度の陣地などひとたまりもない。

「同意します。直ちに撤収させ、こちらから援護射撃を行うべきでしょう」

「では、援護の手配を。前哨陣地には撤収を命じます」

「Jawohl! ただちに援護射撃を開始します!」

 階下に駆け下りるグレイの背後で、小隊長は早くもラジオに向かって命令を下していた。

「『マルス』より『でぶ』および『鍛冶屋』・・・」

 部下の諫言は真摯に謙虚に受け入れ、危機にあってはいささかも動じることなく果断に判断を下す。

 これぞ良き指揮官の手本。自分よりはるかに年若の女性士官ながら、さすがはアイゼネス・クロイツの英雄だと大いに感じ入りつつ、マルスの兵たちに命じるグレイだった。

「お前たち! 前哨陣地東方台地上に新たな敵勢力が現れた。これより前哨陣地の二個小隊の退却を掩護する。大口径グラナトヴェルファー射撃準備!」


 

 道なき山中を駆け抜けたミンの老兵たちは陽が落ちる前にナイグンの橋を望む台地の上に到達した。途中さらに城から追って来た数十騎が馳せ参じ、マーの指揮する騎兵隊は百五十以上の陣容に増えた。

 眼下の敵陣地の兵たちが逃げ支度を始めたと思いきや、橋の東側にいくつもの閃光が閃き、マーたちの集結した台地の手前に立て続けに弾着して爆発した。

「フフン。守るべきは頑強に抵抗し、引くべきはいささかも固執することなく即座に引く。敵ながら、しかも寡兵ながらなんと巧妙なあっぱれな指揮であろうか。用兵とはこうあらねばならぬの」

 左右の老兵を顧みて敵を講評する余裕を見せたマーは、集結した手練れたちに下知した。

「では皆の者! これより我が陣営に向かう。逃げ支度の雑魚は相手にするでない。悠々と、悠然と向かうのだ!」

 マーの百五十騎は全騎松明を灯し、退却を開始した帝国軍の二個小隊をあざ笑うかのようにゆっくりと台地を降りて敵の擲弾筒の射程外を悠然と西へ、ミンの陣営地へ向かった。
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