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第一章 潜伏

14 停泊

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 その後艦隊は全艦一斉回頭で目標に併進しながら、あるいは併進で後退しながら、逆単縦陣で直進しながら、フォーメーションを刻々変えつつ射撃訓練を続けた。

 旗流信号による命令伝達に比べ、音声通信による艦隊運動と攻撃命令の効率の良さは歴然としていた。命令、信号兵による信号旗の作成、掲揚、他の艦の視認、命令受領のアンサー旗を掲揚し命令実行。この、時には数分もかかる煩雑な手順が十分の一以下、時にはたったの十数秒で達成できる。

 成果に気を良くした艦隊司令部は皆満足の体で対要塞攻撃訓練の終了を宣言し、

次の対艦隊戦訓練に移るべく、しばしの休息と次の演習メニューの準備のために全艦の停泊を命じた。

 時刻は1000。

 艦隊はハコネ岩礁とフジヤマ島の間の環礁に停泊した。

 海底の白い砂の影響か、海はエメラルド色に輝き、様々な美しい魚たちが強力な軍艦の周りに集まってくるのが見えた。

 標高1000メートルほどのフジヤマ島は、深いジャングルに覆われていた。

 文献によれば、かつてヤーパンを象徴する美しい成層火山だったという。頂上にはカルデラを頂きその優美な姿を愛されてきた、と。

 だが、急激な地殻変動によって一度完全に水没して再び隆起したその姿は、海水の浸食によるものなのか、ゴツゴツした印象を受ける。

 人は住んでいない。150年以上も前に併合した南の国の人々によって聖なる島とされ崇拝の対象になっていると聞いた。帝国はそれを尊重し、最低限の守備要員として海兵隊の一部隊が交代で常駐拠点を置くに留めていた。それに地元の漁民の利用する質の悪い石炭の集積場も備えた漁船用の避難港がある。が、もちろん第一艦隊の巨艦が入れるほどの規模ではなかった。

 朝食は射撃と射撃の合間の艦隊運動中の慌ただしい戦闘糧食だったが、ここで早めの昼食をゆっくりと摂り、午後いっぱいを対艦戦闘演習に充てるスケジュール。そして、艦隊はさらに西へ向かう。

 早朝から各部へ糧食を配膳していた給与部も、早めの昼食の準備に大わらわで対応せねばならず、どの艦の厨房も激しい演習と同じ戦場のような修羅場を呈した。


 

 停泊中にリュッツオーに乗り組んでいた第一艦隊参謀から弾着観測の結果がミカサにもたらされ、その結果は4艦中最優秀はやはりヴィクトリーで、2位のミカサを大きく引き離していた。主砲の発射回数はミカサをやや上回り、命中率に至ってはほぼミカサの二倍。それは取りも直さず同型艦でありながらミカサの倍以上の砲を搭載しているのに等しいことを意味した。

 

 要塞攻撃演習の間、ヤヨイはずっとブリッジに立ち続けた。

 終始ルメイとその周辺に注意を注ぎ続けたが、まだ確たる状況の変化を感じ取ることはできなかった。

 どうやって、ミカサを盗むのか。

 共謀者は誰か。

 異変が起こるとすれば、この後の対艦戦闘演習中になるのだろうか。

 燃料の石炭の不足が発覚するとき、それがその合図になるのだろうか。

 その時、司令長官はどうするのだろう。

 演習を中止するのか。

 ルメイの企みを知り、ウリル少将の計画を知っているワワン中将とフレッチャー少将は、その時どうするつもりなのだろうか。

 それともミカサのみ単艦で帰港の途に就き、他3隻はこのまま演習を続行するのだろうか。

 ミカサを強奪するという行為は艦隊行動中のままでは困難なはず。ルメイ達や裏で画策するチナには、何かミカサを孤艦にする策があるのだろうか・・・。

 そんなことを考え続け、士官や下士官たちを密かに観察し続けた。

 まだルメイの計画の全貌がわからない。それがもどかしいが、わからない以上司令長官もフレッチャー少将も今のところは静観するしかないはずだ。

 強烈な太陽を浴びているフジヤマ島の煌めく深い緑を見上げながら、ヤヨイは今出来ることは何かを問い続けた。その時が来た場合に備えての対策だ。だが、何をすればいいのだろう・・・。

 ブリッジからは、ミカサに横付けされたリュッツオーの甲板が見下ろせた。

 甲板員が艦尾に牽引していた艦幅ほどもある大きな標的ブイをリリースする作業を始めた。艦尾甲板上にとぐろを巻いていたワイヤーの固定を外し、ブイを固定していたフックが外される。対艦戦闘演習では、リュッツオーが長々と引っ張る標的ブイを敵艦に見立てて各艦が射撃するわけだ。

 ミカサよりはだいぶ小さな、排水量800トンの艦体。

 通報艦だけにリュッツオーの武装は貧弱だ。ミカサの副砲と同じ70ミリの、装甲されていない防盾のみの単装砲が前部後部に各一門。それに20ミリの機関砲が4門だけ。ただし速力は28ノットもでる。帝国海軍一の俊足。航続距離もミカサ級の倍はある。

 武装は貧弱だが、最も脚の速い艦(ふね)。

 文字通り旗艦の命令を通報したり艦隊と港との連絡に大海原を縦横に走り回る韋駄天のような働きをしてきた艦だった。が、その任務もやがては通信機の登場とともに消えつつあるのだろう。今回のように艦隊演習のための標的ブイを引っ張るぐらいが彼女の役割として残されるようになるのかも知れない。

 この小兵の軍艦を見下ろしているヤヨイの傍らでは、ミヒャエルが砲術長のヤング少佐と話をしていた。彼は昼食を終えたブリッジの士官を誰彼ともなく捉まえて操舵や機関や航法や砲術に関する質問をしまくっていた。

「砲術長。要塞攻撃中に各艦1分ほど砲撃を中止し、また再開しましたね。なぜですか?」

「ほう、よく見ていたね。君は砲術に興味があるのかい?」

「はい」

 ヤング少佐は好奇心丸出しで質問しまくってくるミヒャエルを面白がり、親切に丁寧に答えてくれた。

「それはね、火薬の性質のためなんだ」

「というと?」

「実戦では敵味方の状況は刻々代わる。急に命令が下って発砲したり、反対に実弾を装填したまま待機したりというのは頻繁にあるんだ」

「はい」

「何度も発砲を繰り返すと爆発で砲身が焼けて高温になるのだが、炸薬を装填したまま攻撃を待機すると火薬の温度が上がる。そのまま発砲すると爆発力が増して、弾の飛距離が伸びてしまう。そうなるともう一度試射をして測距をやり直し、仰角を修正しなければならない」

「はい」

「海のいくさというものは限られた時間の中でどれだけ多くの有効弾を相手に撃ち込めるかというただそれだけが勝敗のカギになる。その度に試射したり測距したりする余裕があればいいが、敵味方死に物狂いで撃ちまくっている最中にはなかなかに難しいし、どの弾が自分の撃った弾かもわからなくなる。するとその分、目標への有効弾が減る。要は時間が勿体ない。だからこういう演習を利用して各艦ごとに弾込め後に何分待ったら何度修正するという目安を把握しておく。そうすればイザという時に測距なしで有効弾を送れるようになる」

「なるほどおー! そんな深い意味があったんですね。勉強になります」

 そこで、ヤヨイは閃いた。

 ミヒャエルをリュッツオーに乗せたらどうだろうか。

 ミカサが単艦にならねば敵は事を起こさないだろう。だが、完全に連絡が取れない状態でも困る。駆けつけるはずの第一戦隊の残りの3艦や第三艦隊も、大海原でミカサを見失うかもしれない。ミヒャエルがリュッツオーに乗り込めば、気心の知れた人間が最も脚の速い艦に乗り込んでいることになる。ミカサに事が起こり、孤艦となっても完全に孤立する確率は減少する。リヨン中尉がくれた小型の通信機は幸い予備がもう一台ある。

 その存在に彼は驚くだろう。なぜヤヨイがこんなものを持っているのか。当然に疑問に思うに違いない。彼に提案する前にリヨン中尉やウリル少将に通報、相談し許可を受けるべきだろうが、暗号を作り送信してその返事を待つというやり取りをしている時間は、なさそうだった。

 任務の秘密を漏らすのは越権行為になる。だが、艦隊やミカサの中の誰が味方で誰が敵なのかわからない状況では、アンがフレッチャー少将のいるヴィクトリーに、一番脚の速いリュッツオーにミヒャエルがいることの意味は、大きかった。

 ミヒャエルにそれを提案しようとした時、

「ヴァインライヒ少尉!」

 第一艦隊司令部の幕僚が一人、ブリッジに上がって来た。

「幕僚室に来たまえ。司令長官が貴官をお呼びになっている」


 

 艦隊司令部の幕僚室には個室のベッドを三つほど並べたぐらいの海図台があり、数人の幕僚たちが海図の周りに額を寄せ合っていた。

「ヴァインライヒ少尉です」

 ヤヨイは敬礼して幾分緊張しながら申告した。

 海図台を囲んでいた士官の人垣がサッと解かれ、奥にワワン中将が立っているのが見えた。

「少尉、海図の近くに寄りたまえ」

 司令長官の隣に侍立していたカトー参謀長の口髭が動いた。

 恐るおそる海図台の傍に進み出ると、参謀長はキンキンよく通る高音でヤヨイを含む司令部幕僚たちにも聞かせるかのように、宣言した。

「司令長官のご指示により、今演習中に限り、通信担当のヴァインライヒ少尉に作戦会議への出席を命ずる。貴官には随時幕僚室への立ち入りを許可する」

「・・・アイ、サー」

 白髭の司令長官がヤヨイをじっと見据え、わずかに表情を崩した。

「それでは、さしあたっての対艦隊戦演習について説明する。中佐」

 参謀長に促され、目つきの鋭い黒髪の中佐が進み出て、作戦の説明を始めた。

「では、海図をご覧ください・・・」

 司令部幕僚たちは先ほどと同じように海図台を取り囲んだ。その輪の中に、ヤヨイも加わった。


 

 ヤヨイの秘密の任務を知っている2人の司令官がどのように振舞うのか。それについては何の情報もなかった。もちろん、2人との間に事前に打ち合わせなどなかった。

 ウリル少将からは、

「実際にワワン中将やフレッチャー少将がどのように行動するかはわからない。ルメイと誰がどう関係しているか、わからないからだ。その中での実際のお前の行動についてはすべて現場でお前自身が組み立てて行くよりほかはないのだ」

「究極の『臨機応変』ですね」

 いささか皮肉を込めて少将を睨んだ。

「まあ、そういうことだ」

 悪びれもしない少将にちょっと腹が立った。

「その代わり、お前には、必要と思われるあらゆる措置をとることを許可する」

「必要と思われるあらゆる措置。・・・なんですか、それは」

「お前の最も重要な任務は、裏切り者を摘発し、かつ、絶対にミカサを敵に渡さない。この2点だ。

 ミカサは帝国の至宝ともいうべき貴重な主力艦だが、任務の完遂に必要なら沈没させるも生かすも、お前の裁量に任せる」

「・・・本気ですか」

「無論だ」

 と、ウリル少将は言った。

「目的の達成に必要なら、殺人をも含むあらゆる措置を講じ実施する権限をお前に与える。お前の正体をどこでどう明らかにするかも含めてだ。海の上ではいちいち私が指令を与えることもできんし、中尉も前のように簡単に馬で駆けつけることもできんからな。もちろん、軍令部にも艦隊司令長官とフレッチャー少将にも、皇帝陛下にもその点について了解を得てある。

 とにかく、裏切り者が誰か。何が何でもそれを暴き出すこと。それこそが至上命題なのだ。そのためには、最悪は戦艦の一隻すら犠牲にしてもかまわん。そういうことなのだ、ヤヨイ!」

「要するに行き当たりばったり。なんでもあり、ということですか!」

 高位の軍人であり高級官でもあるウリル少将に対し、士官でさえない。下士官になりたての、徴兵されてまだ半年にも満たない20歳かそこらの小娘が利く口ではなかった。

 唖然としているヤヨイに、ウリル少将は続けた。

「裏切り者は誰なのか。その者は今回のルメイの亡命とミカサの強奪後も海軍に居座り、チナの手先になって帝国の秘密を敵に漏らし第二第三の陰謀を巡らせるだろう。

 ヤヨイ。お前はそのたくらみを阻止するのだ!」

 その小娘に与えられた任務は途方もなく巨大過ぎ、責任が重すぎた。

「お断りします。わたしには無理です。絶対に、イヤです!」


 


 

 それなのに・・・。

 なぜか、今。ヤヨイはその陰謀の渦中にある第一艦隊旗艦ミカサの幕僚室で高級士官たちと肩を並べ、額を寄せ合うようにして海図を睨んでいる。

 なぜだろう。

 なぜ自分はここにいるのだろう。

 どうしても、それが、わからない。
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